↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
98/98

「それこそ、右足が二本あるぐらいでないと、無理なんじゃないかなぁ」

登場人物についての詳細は↓のとおりです。

https://ncode.syosetu.com/n7086km/58

「ようっ!」


――。


 数日後。

 正月が明け、凍てつく冬の放課後のグラウンド。

 ミニゲームの最中、八々花イレブンの視線が、前線へと駆け上がる背番号9番に集中していた。


 菊鞠がボールを蹴るときに、音がしない。


 いつもならピッチに響いていたはずの柔らかい音。そして最近の硬質で耳障りな音すらもない。

 天堂任見から課された『音を立てずに蹴る』という常識外れの無理難題を、彼女は長年磨き上げた蹴鞠のDNAだけで、たった数日の地獄の間に完全にクリアしてみせていたのだ。


 衝撃を無音で吸い込む右足。ボールを空中に縛り付けるかのようなその優雅な佇まいは、まさに神域の主そのものだった。


 しかし、彼女の「無音の調律」に、周囲の肉体がまだ追いついていなかった。


「薄、パスを受けてからの判断が遅い。グラウンド20周!」


 赤地に白のウェアを纏った天堂の、冷酷な怒声がグラウンドに響き渡る。手元のストップウォッチをカチリと鳴らすその瞳には、1ミリの妥協もない。

 音もなく、落ちることもない菊鞠のボールを前に、規律で動こうとする満月のステップが一瞬、コンマ数秒だけ遅れた。その一瞬の甘さを、天才戦術家は見逃さなかった。


「い、イエしゅ、マみゅっ!」


 連日のペナルティで足は乳酸でパンパン、すでに限界を迎えていた満月は、条件反射で直立不動の姿勢を取ろうとしたものの、あまりの疲労に舌が完全に裏返ってしまった。

 軍隊さながらのクソ真面目なトーンのまま、壮大に噛んでしまった少女の悲痛な叫びが、冬の夕暮れに虚しく木霊する。


「……ぷっ、イエしゅ、マみゅってなんよ満月ちゃんwww」


 ピッチのベタで見守っていたカスミが、咥えていたチャッパチュプスを吹き出しそうになりながら、お腹を抱えて耐えている。


「神酒盃は、音こそしなくなったことそれ自体は驚いたわ」


 天堂は赤と白のキャップのつばを指先で少しだけ押し上げ、感情の読めない切れ長の瞳を菊鞠へと向けた。

 あの絶対指導者が口にした、わずかな、しかし確かな評価の言葉。ピッチの端で漆黒のジャージを揺らしていた八々花のイレブンが、一斉に目を見開く。


「嘘やろ、このおばはん、他人を褒められるんや」


 藤乃が驚愕のあまり、またしても失礼極まりない本音を口から漏らした。

 あまりの衝撃に周囲が「おい藤乃!」と顔を青くする中、天堂はそんな雑音など最初から聞こえていないかのように、淡々と冷酷な現実を上書きした。


「――でも、それだけね。神域とは呼べる代物ではないわ」


「なんや、褒めたん違うんかい!」


 すかさず藤乃がガタッとジャージの肩を怒らせ、鋭いツッコミを上書きした。上げて落とす女王様の冷徹な物言いに、納得がいかないとばかりに眉根を寄せている。


「時鳥、貴女は少し黙ってて」


 天堂は視線すら動かさず、藤乃の抗議を一瞬でシャットアウトした。赤と白のキャップの影から、ただ真っ直ぐに、泥塗れの前線で息を切らす少女の瞳だけを見据えている。


「――神酒盃。貴女にとって、神域とは何? どの領域をもって、神域と呼ぶの?」


 静かだが、鼓膜を激しく震わせるような絶対指導者の問いかけ。グラウンドの冷たい風が、張り詰めた沈黙を連れて通り抜けていく。

 菊鞠は思わず息を呑み、自身の唯一無二の相棒である「右足」を無意識に強く踏み締めた。


「それを、見せて頂戴」


 逃げ場をすべて塞ぐような、冷酷でいて、どこか挑戦的な天堂の命令。

 その言葉が引き金だった。菊鞠の胸の奥で、長年磨き上げてきた『伝統の矜持』が、ギラギラとした野生の炎となって一気に爆発する。


 ――だったら、見せてあげます。私の、本当の神域を。



「とは言っても、()()なんて漠然としすぎてて、思い浮かばないよぉ」


 練習後、すっかり日のおちた商店街にある『フロントムーンカフェ』へと寄り道した、菊鞠とあやめの2人。

 泥を落としたばかりの身体はまだじんわりと熱く、菊鞠は手元に置かれた熱々の抹茶ラテを恨めしそうに見つめながら、丸テーブルの上にくったりと突っ伏してぼやいた。


「そうだね、神域。イメージが難しいよねぇ」


 対面に座る幼馴染のあやめが、フーフーと自分のカップの湯気を吹きながら、優しく同調するように首を傾げる。


「本来、サッカーは左足も頭も、胸も使うから、菊鞠ちゃんのプレイスタイルはかなり特殊なんだよ。それを全部拒絶して、右足一本だけで全国を目指すなんて……」


 あやめはラテを一口啜ると、本当に何気なく、ありえないIFの雑談として言葉を続けた。


「それこそ、右足が二本あるぐらいでないと、無理なんじゃないかなぁ」


「…………それだーーっ!!」


「ひゃえっ!? 菊鞠ちゃん!?」


 突如、静かなカフェの店内に響き渡るほどの声をあげて跳ね起きた菊鞠に、あやめが驚きのあまりカップを落としそうになりながら目を丸くする。


 突っ伏していた黒髪を跳ね上げ、立ち上がった菊鞠の瞳には、先ほどまでの迷いが完全に消え去り、ギラギラとした野生の挑戦者の輝きが爆発していた。



 翌日のグラウンド。


「桜さん、満月さん! 私に付いてきてください!!」


 昨晩のカフェであやめの何気ない一言がきっかけで得た閃きを実践しようと、菊鞠はギラギラとした瞳でピッチへと飛び出していた。

 再開のホイッスルと共に、後方から上がった桜のロブパスが前線へと向かう。誰もが彼女の「神域の新技」に息を呑んだ、まさにその刹那。


「ありっ」


 すかっ。


 乾いた冬の風の音だけを残し、菊鞠の右足は盛大に空を斬った。

 勢い余って軸足のバランスを崩した彼女は、優雅さの欠片もなく、そのまま泥のピッチへと不格好に一回転して転がっていく。ボールはそのまま、冷たい地面へと虚しくバウンドした。


「ウソやろ、こんなことが許されてええんか?」


 グラウンドの静寂を破り、藤乃が頭を抱えて叫んだ。


「あの菊鞠くんが、右足で空振りしたっ!?」


 椛もベリーショートの髪をかき上げて、信じられないものを見たかのように天を仰ぐ。グラウンドでは、敵味方すべてのメンバーが絶句して菊鞠を凝視していた。


「こ、これは天変地異の前触れなんよ、神々の黄昏(ラグナロク)なんよ!」


 ピッチのベタにいた種村カスミが、咥えていたチュッパチャプスをボトリと地面に落とし、世界の終わりを目撃したかのように両手で頭を抱えてガタガタと震えだす。

 そんな大騒ぎの渦中、ユニフォームを泥だらけにした菊鞠は、よっこらしょと起き上がると、集まってきたみんなに向けて、てへっ、と小さく舌を出して苦笑いを浮かべた。


「右足をね、残像が見えるほどの超高速で往復させれば、足が二本あるみたいになって行けるかな?って思ったんだけど……やっぱり無理だったみたい」


「アホかーーーっ!!」


ピピッ――。


 グラウンドに響き渡る息の合った総ツッコミを、冷酷なホイッスルの音が鋭く切り裂いた。

 手元のストップウォッチをカチリと止めた天堂任見が、赤と白のキャップの影から、氷のような視線を泥塗れの菊鞠へと投げつけていた。その切れ長の瞳には、慈悲の欠片もない。


「駄目ね。ただ足をバタバタさせているようにしか見えないわ。神域どころか、児戯ですらないじゃない」


 脳内の勘違いを一刀両断する、無慈悲な宣告。

 あまりの冷徹さにピッチの空気が凍りつく中、天堂はストップウォッチをポケットに放り込み、イレブン全体を見渡した。


「――はい、今日の特訓はここまで。形にできなかったのだから、全員グラウンド20周のペナルティの消化。さおり、先導なさい」


「ひゃええええええええええええっ!? も、もう走れませんんんっ!!」


 グラウンドの端で真っ白に燃え尽きかけていた顧問・三芳野咲桜里の、もはや悲鳴ともつかない絶叫が冬の夕暮れに虚しく木霊する。

 有無を言わせぬ女王の命令に、八々花イレブンは再び重い足取りで走り出すしかなかった。夕闇が迫るグラウンドを、泥に塗れながら、延々と、延々と走り続ける。


 ハァハァと激しい呼気の中、菊鞠はジャージの袖で額の汗を拭いながら、黙々とグラウンドを走る仲間たちの背中を見つめていた。


 連日、何十周とグラウンドを走って疲弊した皆の足は、不規則に地を踏んでいる。

 ヘロヘロになりながらも必死に泥を蹴り、前へと進み続けるイレブンたちのバラバラな足並み。そのステップをぼんやりと追ううちに、菊鞠の胸の内に、奇妙な想いがポツリと湧き上がった。


(皆の足を、私に貸してもらえればいいのになぁ)


 自分一人の肉体で、物理的に足を増やすことなど不可能。

 けれど――ピッチの上には、こうして泥を噛みながら走ってくれる仲間がいて、自分に向かって必死に足を伸ばしてくる敵がいる。


 ――その瞬間だった。

 走る仲間たちの不規則なステップが、菊鞠の脳内で、空中を舞う球体ボールの軌道と一本の線でカチリと噛み合った。


 かつて、フットサル同好会としての五光の道風柳が見せ、そして稲ブリの目白智以子が見せた技術を思い出す。


『神園学園の落ちこぼれがネットに流したゴミ』


 かつて鳳桐子はそう酷評した。

 だが、今の菊鞠にとっては、それこそが、誰も辿り着けなかった神域へ至る道だと確信した。


(……そっか。自分で足を増やすんじゃない。みんなの足を、私の『第二、第三の右足』にして、空中(神域)で同期システムさせてしまえばいいんだ)


 自分自身を速くする限界セオリーを、完全に捨て去った瞬間だった。

 味方のパスだけじゃない。敵が触れた瞬間のクリアボールのバウンドすらもチェインの経由地にして、地上に一滴もボールを落とさない、歪で、圧倒的に優雅な空中サッカー。


 それこそが、我が菊堂神社のシンボル、三本足の神鳥たる『八咫烏』の真の導き――!


 ペナルティを走り続ける夕暮れのグラウンドの真ん中で、ふっと足を止めた菊鞠の瞳に、ギラギラとした野生の王者の輝きが、今度こそ本当の意味で完全によみがえっていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


次回予告――

 あやめの何気ない一言を誤読し、肉体の限界を超えた「残像ステップ」に挑んだひまり。

 しかし現実は非情で、まさかの大空振りから泥塗れの転倒、そしておばはんからの辛辣な酷評ペナルティへ……!

 だが、地獄の周回ランの最中、ひまりの目には必死に走る仲間たちの『不規則なステップ』が映っていた。

 自分自身を速くするんじゃない。みんなの足、そして敵の足すらも、私の『第三の足』として空中チェインで同期すればいい――。

 かつて柳や目白智以子が見せ、桐子が「ゴミ」と切り捨てたあの泥臭い技術こそが、真の【八咫烏の神域】への道标だった!


 すべての点と点が線で繋がり、八々花の逆襲の仕込みが始まります!


 次回、第98話【(――萩子さん。その大きな足、私にちょっと貸してくださいね)】


どうぞお楽しみに!――


「菊鞠の『てへっ』が可愛すぎて脳がラグナロクなんよ……っ!」

「ただの失敗じゃなくて、過去のハメ技がここに繋がるの鳥肌立ちすぎた!!」

と思っていただけましたら、ぜひページ最下部にある【☆☆☆☆☆(星ボタン)】や【ブックマーク】で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。