猪鹿蝶(邂逅と勧誘その3)
その日以降、菊鞠とあやめの日常は一変した。いや、正しくは菊鞠の、というべきだろうか。
「神酒盃くん、おはよう!どうだろうか、サッカー同好会の件、考えてくれただろうか?」
日を置かずこうして鹿戸と蝶名林、猪目がBクラスの教室に来ては、露骨に勧誘をしてくる。
これでは、中学の時と同じ轍を踏んでいるではないか。交際の申し込みでないだけマシという考え方もあるかもしれないが、それでもその気のない話を断り続けるのも精神的にゴリゴリと削られていく。
あやめはというと、「母から『サッカーは小学生まで』と言われてましたので」と断ったら納得してあっさりと引いたらしい。あれだけ気を揉んで、あやめの為にと頑張ったのに、それがこういう形で自分に還ってくるとは……と、微妙に納得のいかない菊鞠だった。
「その、なんかごめんね、菊鞠ちゃん……私のせいで」
あやめはあやめで今の状況を気にしてくれているようで、それがありがたくもあり、申し訳なくもあり。
「……なんか、神酒盃さんも大変だね……」
「ごめんね、お騒がせしてしまって」
最初は何事かと戸惑っていたクラスメイト達も、事情を聞いてからはすっかり同情してくれる。
「ただいま〜」
帰宅し、社殿に一礼してから家に戻る。
両親と祖父は、氏子関係者に不幸があり、その葬儀―――神葬祭―――の為に出掛けている。留守番として祖母が社務所で待機しているが、境内には参拝客も居ないのでゆったり寛いでいた。
菊鞠は巫女装束に着替え、鞠を抱えて境内へ降りる。勿論、蹴鞠用の革靴を履いている。
これから夕飯までの1時間ほどが菊鞠にとっての至福の時間なのだ。
―――――が。
「…………なん……で……」
「やはり、ここの神社だったんだね」
「貴女の事、調べさせていただきましたわ」
「っても、二中出身のクラスメイトから話を聞いただけだけどねー」
鹿戸、蝶名林、猪目の3人が賽銭箱の前で並んでいたのだ。きっと参拝をしていたところだったのだろう。
いや、それよりも。
「まさか、家にまで押しかけてくるなんて……」
「いや、それは誤解だよ……」
「あれだけしつこく勧誘をしていれば、警戒もされますわよ。猪突猛進は萩子さんだけにしてくださいまし」
「おい牡丹!今アタシを馬鹿って言ったか?」
「萩子さん、少し黙っていてくださる?もちろん、椛さんも。」
「んぐっ!?……はぁい……」
「……はい」
コホン、と仕切り直し、話し出す蝶名林。
「実は、今日ここに来たのは、わたくし達を蹴鞠保存会に入会させていただきたく、参りました」
「えっ?」
「その前に、勝手ながら神酒盃さんの中学時代のお話を、二中のクラスメイトから教えていただきました。今回の私達の勧誘という名目の暴走は、中学時代の神酒盃さんのトラウマを刺激するものであっただろう、と私は反省し、お二人にも言い聞かせているところなのです」
「は、はぁ……」
「それはそれとして、図らずも蹴鞠保存会の存在を知ることとなり、またわたくし達が一方的に勧誘しておきながら、こちらの蹴鞠保存会のことは知らぬ存ぜぬ、で看過するのは自分勝手に過ぎる、とわたくし達は思い至り、ここへ参りました。こちらは、わたくし達のほんの気持ちです。よろしけばお受け取りください」
チョコレート色の、高級そうな紙袋を手渡される。“Tetteh Quarshie”と流麗な筆記体で書かれた瀟洒なロゴマークが入っている。有名なショコラティエの物だ。そして中身もかなりお高いはず。
「それは、律儀に、どうも?」
「もし……もし神酒盃さんがよろしければ、わたくし達を蹴鞠保存会に入会させていただけないでしょうか?もちろん、サッカー同好会の件は白紙にいたします」
「牡丹くん!?それは!」
蝶名林がサッカー同好会の勧誘を白紙にする、と伝えた瞬間、鹿戸が抗議の声を上げる。どうやら意思統一は完全ではなかったらしい。
「少しお黙りなさい椛さん。……無理強いをしてまでメンバーを増やすものではありません。自重なさい」
「……はい」
蝶名林が鹿戸を一喝すると、鹿戸はすっかり落ち込んでしまう。
「ふひひっwおーこらーれたーw」
「……萩子さん、笑い事ではありませんよ?貴女も大概やらかしてますからね?」
「……はぁい」
猪目が茶化し、それを嗜める蝶名林。どうやら、この3人の中では蝶名林がストッパー役らしい。
「失礼しました。わたくし達の意思疎通が足りなかったようです」
蝶名林は菊鞠に向き直る。
「それで、如何でしょうか?虫が良すぎるお話でもありすし、また急なお話でしょうし、即答くださらなくても構いません。ご一考いただけると幸いです」
確かに、虫が良すぎるというのはそのとおりだとは思うし、それで蹴鞠保存会への入会も暗にサッカー同好会への入会との交換条件、とも受け取れる。一旦は白紙と言いながらも、鹿戸の反応を見る限りではそういうニュアンスを含んでいるのだと勘繰ってしまう。
「それでは、わたくし達は失礼いたします」
どう返答したものか悩んでいるのを見て、蝶名林は頃合と退出の挨拶で締めくくろうとする。
「えっ、牡丹くん、もう帰ってしまうのかい?」
「てっきり蹴鞠を体験できるかと期待してたんだけどなぁ」
しかし、鹿戸と猪目が不満げに漏らす。蝶名林がまるで社会人のような建前で水に流そうとしているのに、この二人が本音を漏らしてしまう為に目的を果たせずにいる、そんな様子が少し滑稽だ。
「あの……もしよろしけば、少しだけでも蹴鞠、体験していきませんか?」
「「それはぜh……
「お邪魔ではないのですか?」
食い気味に乗ってくる鹿戸と猪目。対して蝶名林は少し申し訳なさそうに眉を下げる。
「せっかく来ていただきましたし、一度体験してみてから、改めて入会を判断されたほうが良いかと」
菊鞠としても、こんな高級な手土産を手渡されて、はいそうですか、と帰してしまうのは気が引けていたのも確か。
「なるほど、確かにそのとおりですわね。では、お言葉に甘えさせていただきますね」
「「やった!」」
蝶名林が首肯すると、二人は喝采を挙げる。
蝶名林はこうした社交に慣れているらしい。他の二人の態度とは一線を画している。
「こちら、ありがたく頂戴します。少しお待ちください」
社務所に併設された授与所の窓口から、祖母に蝶名林からの戴き物を預ける。
「菊鞠ちゃん、お友達?」
社務所から様子を見ていたらしい祖母が話しかけてくる。
「んー、友達……なのかなぁ?」
知り合ったばかりだし、正直言うと最初の印象はあまり良くはない。素直に友達と言うのは憚らられる間柄だ。
祖母の視線に気付いたのか、蝶名林が深々とお辞儀をし、それを見て二人も慌てて会釈するのが見えた。
祖母もまた、会釈を返す。
「よく分かんないけど、蹴鞠保存会に入ってくれるらしい、奇特な人達……かな?」
「そう、仲良くね」
「うん」
仲良くできるかは分からないが、祖母の手前だ、頷いてはおく。
「すみません、お待たせしました。それでは鞠庭に案内しますね。と言っても、目の前にありますが」
鞠庭は参道を挟んで社務所の反対側にある。テニスコート半分ほどに開けた空間があり、四隅にはそれぞれ木が植えられていた。
「あの空いてるとこがそうなの?」
「広さはどのぐらいなんだろう」
猪目と鹿戸が問う。
「そうですね。広さは七間……メートルだと12.7メートル四方になります」
「松に桜、楓に柳……風流ですわね」
と蝶名林。
「式木と言います。松は冬を、桜は春を、柳は夏を、楓は秋を表しています」
「なるほど、まさに四季木だね!」
猪目が頭に思い浮かべている字が違うことになんとなく気付いてしまう。
「春・夏・秋・冬の四季ではなく、入学式、卒業式などの式ですね。」
「あっ~!そっちか!」
「あのさ、靴はこんなんだけど、いいのかい?」
鹿戸が自分のスニーカーを指差しながら問う。
「そうですね。本来は私が履いているような蹴鞠用の皮靴を履くのですが、今日はあくまでも体験ですし、そのままで大丈夫ですよ」
「その靴、買ったほうがいいのかな?」
お高いんでしょう?というニュアンスもありそうな雰囲気で鹿戸は言う。
「そうですね。蹴鞠保存会に入会して、ある程度続けられるようなら購入しても損はないとは思いますが……」
「まずは入会し、そして継続し続けることが前提、という事ですわね」
「そういう事です」
菊鞠は三人を伴い、鞠庭の端を歩いて柳と楓とを線で結んだ、そのちょうど中央まで来る。
「ここが、鞠庭の南で、入口になります。鞠庭は本殿に対して真向かいの南の方角になるように設えていて、神様に相対するように入るのが習わしです」
そこで一礼して、鞠庭の中に入る菊鞠。三人もそれに倣うように一礼して鞠庭に入る。
「うわー、なんか緊張してきた!」
「剣道部や柔道部みたいだね」
「あ、その認識は間違いではないですよ。蹴鞠も柔道や剣道、華道や茶道のように心構えや所作について色々と決まり事があります。蹴鞠の場合は鞠道とか蹴鞠道と呼びます」
「なるほど。この鞠庭が鞠道における道場ということなのですわね」
「そのとおりです。今は特に言いませんでしたが、入る時は左足から、という決まりがあります」
「えっ、そういうのは先に教えてよ!」
「どっちの足から入ったかなんて覚えてないよ……」
「続けていくうちに、意識しなくても左足から入るように慣れていくことが肝要ですわね」
「はい、そのとおりです。代弁してくださり、ありがとうございます。……それで、蹴鞠をするプレイヤーの事を鞠足といいます。本来は八人の鞠足で行いますが、今は四人なのでそれぞれ式木を背にして対角線上に向かい合うように立ちます。えっと、皆さんどの位置にしましょうか?」
「そうですわね……まずは神酒盃さんが、ご自身の位置を教えてくださいます?これも、本来は鞠道の規則に則った順番があるのではないの?上位者の位置を把握してから決めましょう」
蝶名林が助け舟を出す。
「私が軒……あっ、軒というのは、この場での鞠足の一番手になります。私が軒でも構いませんか?他にやりたい方がいるのでは……」
「やりたい!……けど、今は神酒盃でいいよ」
「うん、まずは神酒盃さんが、その軒?をやってくれると助かるかな」
「萩子さんと椛さんもこう言ってますし、神酒盃さん、お願いいたしますわ」
「皆さんがそう仰るのでしたら、僭越ですが私が軒を務めさせていただきますね」
猪目と鹿戸、そして蝶名林の提案に、菊鞠も承諾する形となった。




