「アリ。ヨウ。オウ。」
「アリ。」
ぽん。
「ヨウ。」
ぽん。
「オウ。」
ぽん。
ようやく寒さも和らいだ春の曙。
徐々に昇っていく朝日に照らされ燦めく桜がはらはらと散る神社の境内で、少女の声に合わせるように鞠が宙に跳ねる。
跳ねる、いや“舞う”と表現したほうが正しいだろうか。
少女のいでたちは白い着物に緋色の袴。いわゆる巫女装束と呼ばれるものだ。
ただし、その足元だけは異質だった。
緋色の鼻緒がある雪駄ではない。
しなやかな革で作られた、格式高き伝統の革靴――『鞠沓』を履いていた。
現代の履物とは一線を画すその独特な沓が、桜吹雪の舞う神社の土をトーン、トーンと小気味よく踏み締める。
少女が蹴り上げる度に、軽やかな音が響く。
腰まである黒髪も、巫女装束の裾も、ふわりと舞ってその風景に彩りを添えていた。
それはさながら桜の精か、はたまた鞠の精か。
このおっとりとした巫女装束の少女――神酒盃菊鞠が興じているのは、まさしく鎌倉時代から我が家に伝わる神事、『蹴鞠』であった。
同じ姿勢、同じ軌道、同じ高さに蹴り続ける練習。
「アリ、ヨウ。」
ぽん、ぽん。
「アリ、ヨウ、オウ。」
ぽん、ぽん、ぽん。
蹴る速度、高さ、軌道、そして姿勢さえも変える。
ひらりひらりと蹴る様子は、まるで舞を舞うかのようだ。
朝の春風に散る桜の花びらを伴う蹴鞠の舞は、幻想的でさえあった。
「アリ。」
足の甲で蹴り上げたかと思えば。
「ヨウ。」
今度は足の内側で蹴る。
「オウ。」
逆に足の外側で蹴り。
「アリ。」
時にはトリッキーに、背面へ落ちる鞠を後ろ足で蹴り上げて正面に戻す。
「ヨウ。」
鞠を高く蹴り上げ、それが落ちる前に、くるり、と一回転。
それは、菊堂神社に伝わる《蹴鞠の舞》のうち、今では舞われることのなくなった所作だった。
例祭では舞人が力量不足ゆえに、年々簡略化されていった伝統。
それを菊鞠が舞人として奉仕するようになってから、少しずつだが復元しているのだ。
人のいない早朝の境内に、ただひたすら少女のかけ声と、鞠を蹴る音が響き続ける。
それから、およそ一時間ほどが経った頃。
「菊鞠ー、朝ご飯食べてそろそろ支度しなさい!」
「はぁい!」
居宅から上がる母親の声に返事をすると、最後にもうひと蹴り。
ぽん。
蹴り上げた鞠を、鞠沓の甲にすっと載せて受け止め、そのまま数秒間停止する。
これが難しい。
だが、幼い頃から何度も練習し続けた今なら、目を瞑っていてもできる。
それからまた軽く蹴り上げ、宙に浮いた鞠を手に取った。
小脇に抱えると、拝殿――御神前に向けて一礼して、朝の練習を終える。
おっとりと微笑み、長い黒髪をなびかせながら、菊鞠は居宅へと足を向ける。
さて、そろそろ高校の入学式の支度をしなければならない。
今日から、新しい学園生活が始まるのだ。
真新しい高校の制服を前に、菊鞠はふと、中学時代の苦い思い出を振り返る。
(思い返せば中学時代は、蹴鞠を愛するがゆえに、どうしてあんな災難続きだったのかしら……)
目鼻立ちの整った長い黒髪の少女に進学先で言い寄る男子は少なくなかった。
だが、特に「リフティング程度、俺にも簡単」とマウントをとって交際を申し込んでくるサッカー部の男子たちが、どうにも鼻についた。
菊鞠からすれば、蹴鞠とサッカーは似て非なるもの。
我が伝統を侮られたことは看過できなかった。
『私に、蹴鞠で勝てたらお付き合いしますよ? ただし――あなたが負けたら、菊堂神社の蹴鞠保存会に入会してくださいね?』
現在、保存会の会員は自分を含めて十名ほどだが、そのほとんどがおじいちゃん。
高齢化社会の縮図のような場所に、自分に近い年頃の「若い生贄(会員)」が欲しかったのだ。
彼氏という肩書きくらい、そのための必要経費である。
菊鞠の打算を知ってか知らずか、サッカー男子たちは我こそはと殺到し――。
そして、一人残らず玉砕した。
『ば、化け物かよ……! なんで一回もボールが落ちてこねぇんだ……っ!』
十年近く毎日鞠を蹴り続けて「落とさないことが呼吸と同じ」であるガチ勢。
その前に、男子たちは空中から一向に降りてこないボールを絶望の目で見上げ、全員が膝から崩れ落ちて全滅した。
しかし、本当に憤慨すべきはそのあとだ。
増えるはずだった若い会員たちは、神前での約束を反故にして逃げ出す、不義理な幽霊会員ばかり。
そればかりか、人気者のサッカー部員をことごとく振ったことで、菊鞠は女子グループから理不尽な妬みや嫌がらせを受ける羽目になったのだ。
約束を破る不誠実な男子と、理不尽に妬んでくる女子。
その温床である『サッカー』という競技そのものが、菊鞠にとって嫌悪の対象になるのは、当然の帰結だった。
(高校生活くらいは、サッカーのサの字もない、平穏で優雅な世界で過ごしたいですね。あそこなら、勉強と《蹴鞠の舞》の復元に集中できそうですし)
そんなちょっとしたトラウマと打算を胸に、菊鞠は居宅のドアを開けた。
――まさかその数時間後。
進学先の女子校で、彼女の平穏な野望が、初日から木端微塵に打ち砕かれるとも知らずに。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
次回予告――
【(ああ、神さま仏さまあやめさまっ!)】
どうぞお楽しみに!
――
「菊鞠のおもてなし無双がもっと見たい!」
「サッカー同好会のドタバタが大好き!」
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