菊堂神社縁起
本編の前提として、主人公の家の神社の設定です。
寿永二(一一八三)年、源頼朝公の坂東平定の際に勃興した朏氏が居宅を構え、この地を治めた事に端を発する。鎌倉時代は鎌倉幕府に仕えるものの、弘元三(一三三三)年、新田義貞の挙兵に応じてこれに参加した。
その後、後北条氏に恭順するが、天正一八(一五九〇)年、豊臣秀吉の小田原征伐の際、時の領主、朏喜久は豊臣秀吉の本陣に単身赴き、所領安堵を請願。蹴鞠の名手であった朏喜久は所領安堵の条件として一度も鞠を落とさずに三日三晩蹴り続けるよう命じられる。
喜久は卯月朔日から三日後の夕刻まで鞠を蹴り続け、秀吉公より所領安堵を約束される。
彼の奇跡を称え、屋敷には喜久堂と呼ばれる御堂が建てられ、後に喜久の字は菊にとって代わり、また御堂の周りには菊が奉納されるようになり、屋敷は寺社仏閣となり、朏家も神職を生業とするようになった。
宝暦年間、朏家は領地の産業の一つとして酒造に着手し、当地の銘酒である「菊ノ鞠」が誕生した。「菊ノ鞠」は明治二〇(一八八七)年、明治天皇の御在位二〇年の記念として献上したところ、明治天皇から菊紋の盃を下賜されることとなった。
これを記念して、朏家から神酒盃姓を名乗るようになる。
例祭は朏喜久の命日である九月九日で喜久祭、菊まつりとも呼ばれる。
祭祀では“蹴鞠の舞”が奉納される。
かつては朏喜久の故事に準え、三日三晩舞の奉納が行われ、「三日三晩、一度も鞠を落とさずに舞えるとその年は豊作となる」とも言われたが、舞に当たる者がその責任に耐えられない事が増えた為、舞は数分ほどの舞に変更、実際に鞠を蹴る所作も削られた。
歴史的考察としてはわりと浅いので、深掘りしないでください。