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紅に咲く ― 鳥籠の姫君と誓いの護衛 ―  作者: ゆき
第二章 春に咲く舞
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第五話 黎明のふたり

窓の外は、今日も朝から雨が降っていた。


伽耶は、のそりと寝台から身を起こす。

ここ数日、誰にも会いたくないと人払いをしている。


――こんなふうに抵抗したところで、何も変わらない。


それは、きっと伽耶自身が一番よく分かっていた。

けれど、今の彼女は「何のために頑張るのか」が分からなくなっていた。


トン、トン――

控えめに戸を叩く音が響く。


「わたしよ。入ってもいいかしら?」


華蘭の声だった。

いまは誰にも会いたくない――

けれど、身体が動かないうちに、そっと扉が開いた。


「起きてたのね。もう……こんなに痩せて……。身体は大丈夫なの?」


華蘭は苦笑を浮かべながら、そっと伽耶の寝台に腰を下ろした。


「原因不明の病なんて……とんだ役立たずの医官たちね」


怒ったような声と裏腹に、その手はとても優しく、伽耶の背を撫でてくる。

その柔らかさに、もう枯れたと思っていた涙がにじみそうになり――伽耶はそっとまぶたを伏せた。


「今まで、よく頑張ってきたから。きっと今は、休むときなのよ」


華蘭の言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。


「……そういえば、誠。出兵することになったのよ」


「えっ……?」


その名を耳にした瞬間、伽耶の瞳が大きく見開かれる。

誰かの口から「誠」と聞くのは、それこそ久しぶりのことだった。


「賊が甚大な被害を出していてね。誰も策が出せずに困っていたの。誠ったらすごかったのよ。軍議で突然策を出して、その場にいた誰もが言葉を失って……。結局、誠の策が採用されたの」


華蘭が、にこりと微笑んだその瞬間だった。


――ポロ、と。

堰を切ったように、涙が頬を伝って落ちた。


一度溢れ出した涙は、もう止められなかった。


「……やだな……どうして……」


声が震える。唇も、指先も、微かにふるえていた。


「誠は、頑張ってるのに……私だって、がんばらないといけないのに……もう、なんのために頑張ったらいいのか、わからなくなってしまったんです」


その背に、華蘭の手が優しく添えられる。

ただそっと――温かく、包み込むようだった。


「ねえ伽耶、以前私に縁談きたの、覚えてる?」


そう問いかける華蘭の声はとても優しく、穏やかだった。

伽耶は、こくんと小さく頷いた。


「わたしはね……誰かの“奥さん”というだけの自分になるのが、どうしても嫌だったの」


その横顔は、ふだんの快活さよりも、少しだけ真剣で、けれど、どこか柔らかかった。


「だから、自分に価値を持たせようと思ったの。

武芸を極めて、“将”になって――縁談は断ってやった。誰にも文句を言わせなかったわ」


伽耶が何も言えずにいると、華蘭は優しく笑って、彼女の手をとった。


「私たちが“姫”に生まれてしまったのは……

もうどうしようもないこと。

でもね、自分の“生き方”を変えることは、できるかもしれない」


その手は、とても暖かかった。


「……ちなみに、これはね。

昔、お父様がわたしに言ってくださった言葉よ」


伽耶がはっと顔を上げると、華蘭は優しく微笑んだ。


「今年の冬――同盟国を迎えての宴が開かれるわ。

その催しとして、姫舞を披露せよと命じられているの」


「わたしがやります」


伽耶は華蘭の言葉に被せるように声を上げた。


先ほどまで翳っていたその瞳には、確かに、強い光が宿っていた。


「もう、大丈夫ね」


そう言って、華蘭はそっと伽耶の髪を撫でた。


「わたしは、いつだってあなたたちの味方よ」






それからの伽耶は、まるで人が変わったようだった。


これまでだって、努力はしていた――そう思っていた。

けれど、それだけでは足りなかったのだ。

自分の限界は、まだその先にある。


もっと美しく。

もっとしなやかに。

もっと――!


靴はすり切れ、足はあざだらけになった。


全身が悲鳴をあげても、伽耶は舞の鍛錬をやめなかった。


陽が昇る前に起き、誰もいない中庭でひとり身体を動かす。


気が遠くなるような繰り返しの中で、ようやく、ほんの一瞬だけ“理想”が見える瞬間がある。


それを信じて、伽耶は踊り続けた。









山中に、しとしとと雨音が降りしきっていた。


その静けさのなか、誠は岩陰からじっと前線を見据えていた。

甲冑の隙間から入り込む冷たい雨にも、眉ひとつ動かさない。


「陸誠様!こちら、準備整いました!ご確認を!」


「……ああ、これで問題ない。もう一分隊の進路は?」


「迂回路にて待機中とのことです!あとは、合図を待つばかりです!」


部下の報告に、小さく頷く誠。


その耳に、師の言葉が静かに蘇る。


『お前が本当に欲しいものは、なんだ。

そのために、今お前がなすべきことは?』


誠は目を閉じ、ひとつ、深く息を吸った。


それはまるで、心に宿した火を確かめるような呼吸だった。


「――作戦、開始」


その声は、雨を切り裂くように、静かに、しかし力強く響いた。


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