銛を持った妻
黄色の花々が鮮やかに咲き、白い蝶がその間を軽やかに舞っている。
誠は受け取ったばかりの郵便物を手に、庭を眺めて頬を緩めた。
その時だった。
「……頑張らないと。素敵な奥さんになるんだから。わたしなら、やれるんだから……!」
部屋から漏れ聞こえてきた切羽詰まったような声に、誠はぴたりと足を止めた。
そっと部屋を覗くと、部屋の隅に正座して座る伽耶。足元の何かを真剣に見つめている。
(……長い付き合いが告げていますね……“止めるべき何か”の発生を……)
誠は目を細めた。
そろり、と静かに部屋に入る。
「……大丈夫。みんなもやってるって言ってたわ。簡単よ。怖くない」
そうとも知らない伽耶は勢いよく顔を上げた。
何かを、決したかのように。
「よし!いざ!!」
立ち上がると、振り返りーー
「ひゃっ!」
甲高い悲鳴とともに、カランと音を立てて何かが床に落ちる。
「せ、誠……っ!いつから、そんなところに……!」
慌てる伽耶はしゃがみこみ、"何か"を掴み背後に隠そうとする。
が。
「……伽耶……それは、まさか……」
誠はしゃがみ、郵便物を脇に置いた。
想像していたものとは百八十度方向の違うそれに小さく息を呑む。
「銛……ではないですよね?」
誠は何度か目を擦る。
だが何度見ても、棒の先には銛先があり、返しまでついている。
「ふふ、銛よ」
伽耶は恥ずかしそうに笑いながら銛を背中から出す。
「……魚釣りに?」
なんとか絞り出した声は、そうであってほしいという祈りを含んでいるようだった。
けれど。
「突きに!!お友達がね、教えてくれたの!」
伽耶は目を輝かせ満面の笑みで銛を握っていた。
「伽耶。……伽耶。少し話し合いましょう。釣りにしませんか」
誠は銛を握る伽耶の手に手を添える。
「釣りはだめよ!わたしいつも釣れないもの。大丈夫、わたし、誠のために大きなお魚突くわ!みんな簡単だって言ってたから!」
伽耶の目がキラキラと輝く。
(……わたしの、ために……)
そのことが想定外に誠の胸に沁みる。
(本音を言えば反対ですが……まあ、わたしが、ついていけば……)
誠が銛に添えた手をおろしかけた時。
「わたし、鮪を突いてみせるから!」
「出航なさるおつもりですか」
即座の言葉に、伽耶は雷に打たれたようにぴたりと動きを止める。
「……え?」
「……海の魚です」
「そんな……以前お城でとてもおいしかったから、誠にも食べさせてあげたかったのに……」
みるみるうちに肩が落ちる。
(そもそも鮪をそんな銛では突けないと思うのですが……それを伝えるのは酷ですね)
誠は静かにその肩に腕を回し、優しく抱き寄せる。
「では伽耶、銛はまたの機会ーー」
「でもね誠!」
誠の言葉を遮るように伽耶が顔を上げる。
その目には、再度輝きが宿っていた。
「この銛、猪も突けるんですって!」
誠は一瞬目を閉じる。
「お肉、食べさせてあげる!」
伽耶は誠の背中に腕を回す。
手に持つ銛の硬さが誠の背中を刺激した。
「伽耶。……伽耶。危険です。猪は反撃します」
「そうなの?それは怖いわ……」
伽耶は眉を下げ、誠の肩に頬をつける。
(早く、銛から注意を逸らさないと……!)
誠は己の背中に手を回し、伽耶の手から銛を取ろうと手を動かす。
が。
伽耶がゆっくりと顔を上げた。
なにやら神妙な顔で、誠を見上げている。
「……鹿、なら?」
「いけません。蹴ります。角で突きます。死にます。わたしが困ります」
「もうっ」
伽耶は誠の肩に顔を埋め、誠は天を仰いだ。
一瞬、銛を手に鹿に襲いかかる伽耶の像が脳裏をよぎる。
だが何度考えてみても、上手くいきそうにはなかった。
「伽耶。……なぜ急に銛を?我が家にはなかったはずです」
以前、伽耶が興味を持ちそうな危険物はあらかた撤去したのだ。
「お友達がね、お魚美味しいし、簡単だから誰にでもできるよって、くれたの。……だからわたし、誠に美味しいもの食べさせてあげたかったの」
「……」
誠は小さく息を吐くと、伽耶の頭を撫でた。
「伽耶。……十分いただいております」
誠のもう片手にはいつのまにか取り上げた銛。
「お気持ちを。本当に嬉しいです」
誠は額に口付けた。
「ですから、今日のところは……」
伽耶は顔を上げる。
「誠。重視すべきは成果よ。お気持ちではご飯は食べられないの」
(王族教育の成果がいまここに……!?)
伽耶は呆気に取られる誠の手から銛をするりと取り返した。
「仕方がないからまず川から行くわよ!ふふ、楽しみだわ!」
伽耶は袖捲りをしながら玄関へと向かっていく。
(……要は魚突きが、してみたいと、そういうことですね?)
誠は呆然とその背を見つめていたが、
(いいでしょう。怪我一つさせませんよ……!)
その目には熱が宿っていた。
「きゃっ……逃げたわ、そっちそっち……!」
「伽耶ちゃん、そこよ、そこ!」
「鋭く突く!」
「えいっ……!あーもう、また逃げられたわ」
河原には女性達のはしゃぐ声。
裾を捲った女性が四人、銛を手に川に足をつけている。
誠と大慶、景陽はその少し下流で枯れ木に腰掛けその様子を眺めていた。
誠と伽耶、二人で始めた魚突きだったが、通りがかった村の若者達が加わったのだ。
大慶は川に足をつけた女性達の足元をじっと見つめ、満足気に口角を上げた。
そして、隣に座る誠の肩を肘でこづく。
「おい……伽耶ちゃん人妻だぞ」
景陽もまた、誠の肩を組む。
「どうなんだよ新婚。最高なんだろ?おい」
にやつく二人に、誠はふっと息を吐く。
「そうですね。……貴方の言葉を借りれば、最高ですよ」
誠は伽耶から一切目を離すことなく淡々と答える。
二人は呻き声を上げた。
(想像していた結婚生活とは異なる部分もありますが……)
視線の先では伽耶が真剣に川を見つめて銛を構えている。
(可愛いです。……彼女が笑っている。それが、全てですから)
誠の目の前を白い蝶が横切る。
その時。
川の女性達が歓声をあげた。
「誠ー!みて!!みて!!突けた!!」
その輪の中心で伽耶が満面の笑みを浮かべながら銛を掲げ、誠にむける。
「どじょう!!」
「……どじょう」
誠はゆっくり立ち上がる。
(どじょう調理は……初めてですね……)
伽耶の元へ歩いていく。
その口元は、僅かに緩んでいた。




