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月見酒



巫児村はすっかり日も落ちて、鈴虫が歌い、すすきは風にその穂を揺らし、秋の音を重ねていた。


屋敷の寝室では、行燈のあかりがゆらりと揺れる。

その行燈のすぐそばに腰掛けていた伽耶は、読み終えた本を静かに閉じた。


「なんて素晴らしいのかしら……」


片手で本を抱いた伽耶は、まるで夢見心地といわんばかりに頬を抑える。


その声に、すぐ横で書き物をしていた誠は顔を上げた。


「この世にこんな素敵な物語があるなんて。わたし、知らなかったわ……作者の方にはお礼を言わないと」


「そんなにお気に召されましたか。確か、お隣から借りた本、でしたよね?」


誠は筆をそっと置くと、伽耶の胸に抱かれた本の表紙に視線を移す。


『万華鏡の恋空を、煌く血涙で染め上げて』


(……大丈夫な、内容なのでしょうか……?)


誠はごくりと唾と、口から出そうになる言葉を飲みこんだ。


伽耶は城にいた頃、読みたい本も読むことができず、恋愛小説に至っては十七歳まで存在すら知らされていなかったのだ。


(本の世界が広がることは良いことですから)


優しく見守る誠の手を、伽耶はきゅっと握った。


「誠、あなたも読むべきだわ!この、お姫様が月に攻め入る前夜の場面なんて、きっとあなたも気にいると思うの!」


「伽耶?何の本ですかそれは?」


さすがに口をついて出た言葉。

しかし伽耶は、はっと息を呑んだ。


「あっ」


口元に手を当て何か考え込む伽耶。


(……今の"あっ"は恐らくいいものじゃありませんね……)


長年共にいる勘が、誠の背筋を凍らせた。

そんな誠の様子はつゆ知れず、伽耶はニコリと微笑む。


「明日、やってみたいことができたわ!楽しみにしていてね?誠?」


伽耶はもぞもぞと布団に入り、誠に隣を促す。


(……先ほどの本、一応読んでおきましょうか……)


誠は嫌な鼓動を感じながらも布団に入り、ふっと行燈の火を消した。










翌朝。


「わたし、お隣に本を返しに行ってくるわね!」


元気に手を振り出かけていく伽耶とおこめ。

誠は何度かついていくと申し出たが、"すぐ隣だし、おこめもいるから大丈夫よ!"の応酬の末、諦めざるを得なかったのだ。


(結局、どんな本だったんでしょうか……)


昨晩の"あっ"が耳から消えない。


本を予習しておきたかったが、なんと伽耶はよほど気に入ったのか、本を抱いたまま夜を越えたのだ。

その幸せそうな寝顔に、さすがに、抜き取ることはできなかった。




「ただいま〜」


それから程なくして、薪を割っていた誠の元に伽耶は声をかけた。


誠は気づいていた。

伽耶が、玄関ではなく台所の方から帰ってきたことに。

そして、なにか企んだ顔をしていることに。


けれど。


「……おかえりなさい。なにか、いいことでも?」

「ふふふ、なんでもないのよ!さあ、今日もがんばるぞー!」


袖捲りをしながら水場に向かうその背中に、誠はなにかを問いただすことはできなかった。







そして夕食の片付けも終わり。

いつもなら、伽耶が先に湯浴みに行くのだが。


「誠、今日はあなたからどうぞ!」


にこにこと、先を促す、というよりぐいぐいと背中を押し、強引に誠を部屋から押し出した伽耶は、満足げに額を拭った。


「隣のおばあさまならお持ちだと思ってたの!」


隠していた七輪を庭にどすんと置く。


「えーと、炭をいれて、火をつけるのよね……囲炉裏の火を入れたら良いわね」


七輪に炭をいれたところで、伽耶ははっと息を呑む。


「いえ、待って……物語のあの姫君は、そんなずるはしなかったわ……!」


庭を見渡し、細めの木の棒と、平らな木を拾い上げる。


「こうなさっていたわ……!!わたしにも、できる……!」


平らな木を置き、細めの木を擦ってみる。


何も起こらない。


(?まわすって書いてあったかしら?)


細めの木を回してみる。平らな木を回してみる。


何も起こらない。


木の棒からの火おこしを、伽耶は見たことがなかったのだ。


「うーん。回す速度かしら……?」


細い木の棒を持って大きく腕を回してみる。

やっぱり何も起こらなかった。


伽耶が頭いっぱいに?を浮かべた、その時だった。


「伽耶?どこですか?」


焦ったような誠の声。


(あっ……!誠を、驚かせたかったのに……!)


慌てて七輪をその背に隠してみたものの。


「……伽耶?なにを、していました?」


庭を臨む縁側で、眉を寄せる誠。

慌てて上がってきたのか、髪はまだ少し濡れている。


「あ、あの……わたし……そう、木の棒で、その……」


しどろもどろになりながら視線を泳がせる伽耶に、誠は小さく息を吐くと、縁側から庭に降りた。


そして、そっと頬を拭い、伽耶の足元の七輪にちらりと視線を向けた。


「……煤がついてますよ。火を起こそうとしたんですね?」


「……だって、こういう火おこしやってみたかったんだもの……」


しょんぼりと眉を下げる伽耶に、誠はふっと笑みを浮かべると、庭の物置に入っていった。

すぐに戻ったその手には、紐付きの火おこし器。


「木の棒では難しいかもしれません。まずこちらから始めてみましょう」


伽耶の顔がぱぁっと明るくなり、大きく頷いた。








すっかり月が登った頃、ようやくついた七輪の火。

上にはスルメがかざされている。

焼き色がついて、香ばしい匂いが漂うそれを、伽耶は満足気に火から離した。


「はい、誠!少し持ってて!とっておきのものがあるのよ」


誠が縁側でスルメを持っていると、伽耶が小走りで台所から戻り誠の隣に座った。

片手には酒瓶、もう片手には杯を二つ持って。


「伽耶、それは……」

「隣のおばあさまにいただいたの!」


誠が何か言いたげに口をむずむず動かすのを他所に、伽耶は杯を並べ酒を注ぐ。


そして、そっと杯を月に掲げた。

杯の中では、酒が月を映していた。


「見て……!素敵ね……」


伽耶はうっとりと杯の中の月を眺めたあと、こほんと咳払いをした。


「わたしは、月をも飲み込むお姫様よ!」


そういうと、伽耶は杯に口をつける。


「う……甘くない……」


眉を寄せながらも飲み干すと、誠を見上げて微笑む。

月に照らされたその顔から、誠は目が離せなかった。


「物語の一節よ。月に攻め込む前夜に、お姫様がするめを手にこうおっしゃったのが素敵で、やってみたかったの」


誠はふ、と頬を緩めると、同じように杯を掲げた。

そして、月が映る酒を、飲み干すと、伽耶の方を向いた。


「……ならばわたしは、月をも飲み込む王様ですね。あなたの、夫ですから」


その言葉に、伽耶は二度瞬きをし、心の底から嬉しそうに笑みを浮かべ、誠の肩に頭を預ける。

誠はその肩をそっと抱いた。


すすきが風に揺れる。

七輪の炭がぱちぱちと燃える音だけが、心地よく響いていた。

ユニーク5000ありがとうございます。

今後も二人を見守ってもらえたら嬉しいです。

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