第七話 神の愛し子 (1)
第七話 神の愛し子 (1)
ゼノを北へ抜け、山地を越えた先は、ユーデルシア大陸の三大国家の一であるオルディアンが広がっている。
オルディアンは別名、水と森の国、と呼ばれている。国土の三分の一以上を森が占め、特に西側には、リヒトールの森と呼ばれる大陸最大の樹海が広がり、その森で膨大に蓄積された雨水は、地下水となって東へ、つまり低地へと流れていき、オルディアンのほぼ中央に位置する巨大な湖、イルリア湖を介して無数の川へと水を送り、豊かな国土を形成しているのだ。
鉱物資源などはないが、一次産業が大陸内でも群を抜いて栄え、その自然の美しさからラーシャアルドに次ぐ観光産業の発展を見せている。
「で、ここが首都リオーラ」
ルイスを振り向いて、リディが楽しそうに笑った。
オルディアンの首都リオーラは、『水の街』として有名だ。白亜からなる建物が広い街に整然と並び、街の随所に渡って余すところなく水路が張り巡らされ、澄んだ水が流れている。
王城はやはり白亜の石を細部まで彫刻し、繊細で美麗な造りで、街の荘厳さをより一層際だたせている。その様は街と共に、その風景だけでも観光要素だと称えられている。
オルディアン国民にとって、この首都を始めとした自国は、誇りなのだろう。それは例外なく、連れの少女も同じであるようだ。
前にも来たことがあるとは口に出さず、ルイスは素直に感嘆の声を上げた。まあ、こうしてじっくり街を観光するのは初めてだから嘘ではない。
「綺麗な街だな。なんか洗練されてる感じがする」
「何代か前の陛下が大改築したんだって。その時の借金がまだ残ってるとかないとか」
ゼノにいる時は全く見られなかった彼女の赤い髪は、しかしここでもフードに隠されている。まあ、彼女にとってこの国は故郷だし、その判断は正しいと言えるだろう。彼女の髪は、赤い髪が多いオルディアンの中にあっても、ひと際鮮やかで目を惹くのだ。一般のオルディアンの人々の髪を朱色と評せば、彼女の髪は真紅とすら言える。
「ルイス、何か買いたいものある?」
「飯」
「…言うと思ったよ。来て、おいしい店知ってるから」
即答したルイスに半眼を向け、しかし弾んだ足取りで通りを歩く少女は、久し振りに年相応に見えた。
リディに案内された店で、リディが頼んだ食事は確かにどれも美味だった。その割に値段も安く、舌鼓を打ったルイスはお代わりまで頼み、二人の前にはいつものように幾枚もの皿が積み上げられている。無論半分以上はルイスのものだ。
「で、本当にこれからどうする?ジルフェイに登るなら、それなりの準備をしないと。装備も少し頑丈にした方がいいと思う」
骨付き肉をかじりながらのリディの問いに、ルイスは一度食事を採る手を休めて顎に手をやる。
「そりゃあな。下手したら竜と戦る羽目になるかもしれねえし。…そんなことにならないに越したことはないけどな。差し当たり脛当てと篭手を新調して…後は鍛冶屋に行きたい。剣を見て欲しい」
「妥当だね。私も手袋をケドン革に換えるか…剣は行きつけの鍛冶屋があるから、連れてってあげるよ。この間研いで貰ったけど…大分斬ったしね。私も研いで貰おう」
骨付き肉を食べ終えてリディは水を飲む。その顔にルイスは胡乱げな目を向けた。
「…大丈夫なのか?」
「ああ、平気。おやっさんは告げ口とかするタチじゃないし」
主語も何もないルイスの言葉を正確に理解してしかしあっさり流し、リディは笑った。その意味をルイスは数時間後に知ることになる。
――――――――――――――――――――
食事を終えて狩人協会で、狩り溜めた核を換金すると、かなりの額が手元に残った。まあそれはいつもの事なのだが、この一年で溜まった額に、リオーラ狩人協会の主は呆れ顔だった。曰わく、普通の狩人が五年かけて集まる額を一年で稼いでいると言うのだ。が、他の狩人パーティが魔物と遭遇しても、適わないと判断すれば逃げる事があるのに対し、出遭う端から狩っていけばこうなるだけの話だ。
それに、狩人と言っても格差がある。『普通』の狩人と、ルイスやリディのような『トップハンター』達は稼ぐ額も実力も大幅に違うのだ。ルイスやリディの稼ぎは、『トップハンター』の中ではあくまで『普通』に入る。世の中には幾らでも強い人間がいるのである。
閑話休題。
次に二人は防具屋に赴くと、当初言っていた通りにルイスは篭手と脛当て、加えてブーツと外套を新調した。リディも指貫長手袋を、革素材の中では軽いながらも最高峰の頑丈さを誇るゲドン革に換え、ボロボロになっていたストールの代わりに、魔術抗力を持つという布を買い、ルイスと同じく外套を新調した。
財布の中身を大分軽くし(と言っても貯金しているので問題はない)、二人は一路リディの行きつけという鍛冶屋に向かった。
「…て、なんかやたらと奥だな?」
大通りから外れ、建物の奥の路地を迷いなく進んでいくリディに、ルイスは声をかけた。これまでに細い路地を何度曲がったことか。方向感覚にちょっと自信のない人間なら、とっくに道を失っていてもおかしくない。アルあたりならとっくの昔に迷子コースだろう。
「安心して。変人だけど腕は確かだよ」
「へん…」
それってどうなんだろうか…と限りなく微妙な顔付きになったルイスを余所に、えっと確かこっちだったかな、とか言いながらリディは一際狭い路地を曲がり、
「あったあった。ルイス、着いたよ」
にっと笑ってルイスを振り向いた。
ルイスはリディの示す扉を見て、ますます懐疑的な視線になるのを止められなかった。何しろその扉と来たら、この白亜の街にあわないボロい木で出来ていて、辛うじて脇の壁から『ジェインの鍛冶屋』と書かれたやはり木製の看板がぶら下がっているだけである。
が、ルイスのそんな様子に構わずリディは扉を開け、「おやっさん!」と声を上げてそのまま中に入っていく。ルイスも仕方なくそれに続いたが、中は案外普通の鍛冶屋だった。埃っぼいことを除けば、だが。
そして中では、中年の男が新聞を読んでいた。入ってきた二人に、男は胡乱げに目を遣ってくる。
「なんだ?お前さんら」
「久し振り、おやっさん。相変わらずみたいだね」
が、その表情は笑いながらフードを取ったリディを見て一変した。黒の目が丸まり、ばさっと手から新聞が落ちる。
「お、お前さんは…」
わなわなと手を震わせたかと思うと、突如その男はうおおおー!!と奇声を上げながら二人に突進してきた。
余りの勢いにぎょっとして、思わずルイスは剣に手をかけたが、リディはひょいと体の向きを変えただけだった。そしてそれは正しく、リディが向きを変えた事によって出来た空間に男はダイブし、そのまま凄まじい音を立てて入り口の扉に激突、なおかつドアを破壊してごろごろと転がっていった。
「お、おいリディ!?」
「大丈夫。おやっさんの生命力はゴキブリ並だから」
転がっていった男を一瞥すらせず室内に足を進めたリディと外の男を、交互にルイスは見比べたが、リディの言葉通り心配は杞憂だった。
先程よりも薄汚れているものの、大きなダメージを追った様子もなく男が駆け戻ってくる。
「りりりりリディ!!おおお前今までどどどこで何を!!!!」
「んー、諸国漫遊?」
駆け戻ってくるなり再びリディに突進していった男の顔を、リディは床に落ちていた新聞を広げながら、持ち上げた左膝で受け止める。
ゴンっ、という音にルイスは最早呆気に取られて立ち尽くすことしか出来なかったが、男は数歩よろめいただけで踏みとどまり、ふふふふ、と不気味な笑いを零す。
「か、変わらないようだなリディよ…!相変わらずの強くて美しい姿、安心…」
不自然に言葉が途切れる。なんなんだ!?と慄きながら見つめるルイスの先で、男はリディを凝視したままぶるぶると震え、三度、彼女に絶叫しながら飛びかかった。
「そそそそその髪はどうしたーーー!?そそそそんな短く切っ―――」
そして三度目は、リディの目を向けすらしないハイキックをもろに側頭から食らい、「げふぅっ…!」という呻き声と共に、再び、今度は家財道具を幾つか巻き込みながら、店の外へ吹っ飛んでいった。
ああ、だからこの店の扉はあんなにもボロいのだな、とルイスは最早現実逃避を始めた頭で思った。
「改めて。ルイス、紹介するよ。この人は鍛冶屋のジェイン。ジェイン、こっちはルイス。私の仲間だ」
「はあ…」
「うおう!?リディにも全く負けてない美しさ!!お前さん、なにも…」
「黙る。話が進まない」
初めてルイスを認識したのか、せっかく落ち着いた所に再度奇声を上げかけたジェインの腹を、容赦なくリディは肘で打った。
結構な勢いだったのだが、ジェインは「おうっ…!」とか呻いただけで倒れもしなかった。リディ曰わくの「ゴキブリ並の生命力」とはあながち間違いでもないらしい。
「ふっ…相変わらずいいキレだ…!」
「はいはい。おやっさん、早速だけど私の剣とこいつの剣、研いでくれる?」
「お前さんのはいつもとして…こいつはお前の何だ?」
年頃の男女にしてみれば際どい問いであるが、リディには効をなさない。
「言っただろ。ルイス・キリグ。狩人で、私の旅の仲間だ」
「ほーう…って、おおお前さん狩人なんかやってたのか!?そりゃお前さんなら楽勝だろうが…お前さんが他人と組むとはねえ」
「成り行きでね。でもルイスは剣術は私より強いよ」
ほう、と唸ってジェインがルイスを見つめる。その目に先程まで奇天烈さは見あたらず、どこか品定めめいた色が宿っている。
「お前さん、その剣見せてみな」
不意にジェインがルイスに要求し、ルイスは一瞬躊躇ったものの、素直に鞘ごと剣を渡した。剣を他人に渡す、というのは剣士にとって少なからず恐怖を覚えるものだ。しかし、これまでの会話でリディがこの男を信頼しているのは解っていたし、自分を見つめた目は、一流の職人を思わせたからである。
「ふむ…」
ジェインはルイスの剣を一度じっくり見つめてから、ゆっくりと鞘から刀身を引き出した。シンプルなようでいて芸の細かい鍔を見、刃を見てその目が細まっていく。
「…お前さん、ひょっとしてエーデルシアス出身かい?」
ルイスは少なからず驚いた。まさか剣を見られただけでそこまで見抜かれるとは思っていなかった。そのルイスの様子をジェインは肯定と受け取り、
「この特徴的な金属加工はエーデルシアスの秘伝だからな。それに最高級のミスリル。使い手の重心に合わせたバランス。リディ、お前さんのと並ぶ一級品だぞ」
「そんなことわかってるよ。てかさり気なく自分の作品の自慢するな。はい、私の」
ジェインはリディの剣も受け取って眺め、渋い顔をした。
「お前さん少し前に研がせたろう」
「よくわかったね。でもその後魔物凄い数斬ったからちょっとね。ジルフェイに登るなら不安要素は削っておきたい」
ジェインの顔は見物だった。
丸い黒い瞳が、きょとんますます丸さを深め、ついでざあっと音が聞こえる程の勢いで、痘痕の浮いた顔から血の気の引き、色が赤から青、紫から白へと目まぐるしく変化。
果てにはわなわなと唇を震わせ、
「おおおおおおおお思い留まれリディィィィィィ!!死ぬくらいならワシの」
「早とちりしてんなよ色ボケオヤジが」
飛びつこうとしたリディに、渾身のアッパーカットを食らった。
(…もうツッコむのやめよう…)
視界の隅でのたうち回る姿を捉えながら、いい加減諦めたルイスは、店の主人に黙ってテーブルの上を片付け始めたのだった。
気を取り直して。
「しかしお前さんら、なぜわざわざジルフェイに?あそこは今」
「知ってるよ。竜の群れがいるんだろ?」
ルイスによって綺麗に片付けられ、コーヒーまで淹れられた卓で、三人は比較的穏やかな会話をしていた。だがいつ均衡が崩されるかわかったものではない、とルイスはティーソーサーごと持ち上げて飲んでいる。
「何のことはない、只の興味だよ。単独行動が常と言われている竜が徒党を組んでるなんて、普通じゃない。上手く行けば上位竜だって見られるかもしれない」
金の眼を輝かせるリディには、間違いなく好奇心しかない。付随する危険など二の次だ。
「…好奇心は猫をも殺す、と言うぞ」
「おやっさんからそんなマトモな言葉が出るとは意外だね」
渋い顔のジェインだが、リディにはさして堪えた風もない。額を抑えて、ジェインはルイスを見た。
「お前さんも。いいのか?竜だぞ。好奇心だけじゃ割に合わん」
しかし、ルイスはカップから唇を離すと、にやりと笑った。
「狩人は冒険者なんだ、オヤジさん」
そして冒険者の最大の行動理由は好奇心、だ。
「……」
ジェインは天を仰いだ。
なんて事だ。ただでさえトラブルメーカー、好奇心から首をつっこんでは厄介を背負って帰ってきて、しかし全部力ずくで解決してしまうのがリディなのに、それと組んでいるのが全く同類の人間だなんて。誰が止められるというのか。否、誰も止められない。
泣きたい。いっそ号泣してもいいだろうか。
うっうっと目元を抑えて俯くジェインに、しかしリディは気にも留めずに言った。
「てわけで、研磨よろしく。二日あれば君ならできるだろ。明後日の朝取りにくるから」
後光が見えそうなイイ笑顔でのたまったリディに、ルイスは
(鬼だなコイツ…)
とカップの中身を飲み干しながら、内心で呟いた。
そして二人は立ち上がって、そのまま出て行こうとしたのだが、沈んだ声が呼び止める。
「よぉく解った、お前さんらにゃ何言っても無駄だって…。けどリディ、交換条件と言っちゃなんだが…せめてラグ連れてけ」
「……え」
「ラグ?」
驚いた顔になったリディに、ルイスは首を傾げる。どうやら人名のようだが、話が見えない。
「お前さんら二人と、ラグがいれば、万が一にも死ぬ事はないだろう。それにラグはいま旬のものならついてくだろうよ」
「まぁそれは…確かに」
驚いた顔をしながら相槌を打った彼女に、ルイスはますます首を傾げた。旬…とは恐らく竜の事だろう。生態系に興味があるなら、それは研究者なのだろうが…死ぬ事はないとはどういう事だろう。
「わかった。行ってみるよ」
だがリディの中では何かしら完結したようだ。首肯すると、ルイスに顎をしゃくって、今度こそ店を出た。
「で、誰だ?ラグって」
「私の幼なじみ」
再び曲がりくねった路地を進む。行きで大体道筋を覚えたルイスは、今度はそこまでの不安なしにリディについて行く。
「幼なじみ?」
「うん。今は研究者やってる」
「…研究者?」
「そ。でも魔術士だよ。ま、行ってみれば解るよ」
第七話です。ジェインさんは紙一重の変態です。