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第六話 陽と月 (10)

なんかいつもの二倍くらいの量になってしまいました…

読みにくかったらすみません。

第六話 陽と月 (10)





 玉座の主は、酷く焦っていた。


 魔術師に命じて魔物に襲撃させ、壊滅させた筈の、娘を筆頭とした反乱軍は、何故かこのダリスの眼前に突如として現れて、街に乗り込もうと攻め込んで来ている。


 今朝アルフィーノから唐突に、これ以上戦の準備をするならば攻め込む、という警告が発され、アルフィーノが事実を知っていた事に驚きを覚えながらも、対処に国境に兵を送った。しかし戦を止める気もなく、アルフィーノを抑えながらオルディアンへどう攻め込むかを案じていた所にこの状況だ。しかも、自らが手塩にかけて育てた魔術士団は、どこを探しても見つからない。


 魔術士団さえいれば反乱軍など一掃できたはずなのに、外門は突然の襲撃にパニックを起こし、今にも破られんばかりだ。


「セレナエンデめ…!」


 忌々しく娘の名を吐き捨て、苛々と肘掛けを叩く。


「やはり、殺しておくべきだったのです!」


 玉座の側に控える大臣が、血走った目で訴えた。他の大臣達も、驚天動地の展開に右往左往とするばかりだ。


 そんな主達の様子に、玉座の間の兵士達は不安を募らせていた。

 何故か城内の何カ所かで倒れている仲間達。敬愛する王女の謀反。魔術士達の失踪。数々の不安要素に、彼らの王への忠誠心は、とっくに揺らぎつつあった。


 その時、王側にとって最悪の報せが飛び込んで来る。


「外門が破られました!」


 息急ききって駆け込んできた兵士の報に、場は動揺に色めき立つ。


「こうなったら逃げますぞ、陛下!態勢を立て直すのです!」


 明らかに自分の保身が隠れた発言に、しかし皆あたふたと頷く。王も苦虫を噛み潰した表情ながら、立ち上がった。


「隠し通路へ参る。兵士は我らの護衛を…」

「残念、逃がす訳には行かないんだな、王様」


 苦々しさを隠さない王の声を、その場にそぐわぬ軽い調子の声が遮った。

 一斉にその場の視線が扉を向く。


 黒髪の青年と、フードを被った少女と思しき二人が扉の前に立ちはだかっていた。


「大人しく諦めなよ。もうじき王女達がここにやって来る。君達に逃げ場はない」


 リディが淡々と王に告げる。その横で、ルイスはこきこきと首を回した。


「魔術士は抑えたし、ここにいる程度じゃ俺達は倒せない。投降した方が身のためだぜ」


 唖然としていた王や大臣達に、徐々に怒りの形相が浮かぶ。


「貴様らがまさか魔術士達を…!」

「当たり。面倒だから全部捕らえさせて貰ったぜ。城内の兵はここ以外あらかた城門に集まってるし、残りは文字通りあんたらだけだ」


 す、と表情を真面目にして、ルイスは正面から王を見据えた。


「諦めろ。お前は王としての価値を失った。玉座に座るべきは――セレナエンデだ」

「わっ…若造が!!衛兵、何をしている!!捕らえろ!!」


 それまで二人に気圧されるように動けなかった兵士達が、王の怒鳴り声に我に返って剣を抜いた。頭のどこかでこの二人はヤバい、という警鐘が鳴るが、この部屋には二十人以上の兵士がいる。

 その事に愚かにも依存して、侵入者の二人に斬りかかった。


 が、結果は始めから見えていた。


「馬鹿だね、本当に」


 ルイスが剣を抜くまでもなかった。リディが目にも止まらぬ速さで床を蹴り、三分とかけずに二十人を地に下した。


 反動でフードが外れ、露わになった金の眼を冷たく凍らせ、リディは一息で王に肉迫した。


「なっ…!」


 驚愕した王が逃げようとする間もなく、その腕を取って背中に膝蹴りを入れ、体の正面から大理石の床に引き倒す。そしてその背中を、動けないように膝で抑えつけた。


「ぐあっ」

「き、貴様王に何をっ!!」

「動くな」


 悲鳴を上げた王に大臣達が怒声を上げるが、リディは冷えた声で刃を王の首筋に当てた。


「ルイス、そいつら逃がさないでよ」

「んなヘマするかよ」


 喋るだけで全く手を出すまでもなかったルイスは、肩を竦めた。城の外の騒ぎは、徐々に近付いてきている。どの道ここにいる者達に、逃げ場はない。


「ぐっ…貴様ぁ」


 対して王は、憎々しげに自分を抑えつける少女を睨み上げた。返ってきたのは、氷のような鋭さに炎の激情を秘めた視線。その視線に、王は何故か既視感を覚えた。


「本当に貴方は馬鹿だ。学習という言葉を知らないの?たった十年前の事なのに」


 その既視感を後押しするように低く囁かれた声。


 王はまさか、と目を見開いた。聞き覚えのある声。見覚えのある金の瞳。


「き、貴様…」


 先程と同じ、しかし含む意味も色も違う声音に、ふ、と金の眼が笑みを刻む。ご名答、とでも言うように。


「言ったでしょう? ”紅蓮の炎は常に貴方達の上にある”」

「――――っ」

「愚かな王。…今度は陛下も許さないよ。私は勿論、ね」


 他の人間に聴こえぬように囁かれた言葉に、ゼノ王ダグラスは全てを悟った。














 セレナが父親の待つ玉座の間に着くと、そこは既に到着していた反乱軍の兵士達の他に、部屋の隅で縮こまる王側の大臣達、昏倒している近衛兵、それを牽制しているルイス、そして王を抑えつけているリディの姿があった。


「ち、父上…」

「あ、ごめん」


 流石に顔を引き吊らせたセレナに気づき、リディがあっさりと王から退き、すたすたとルイスの隣に並ぶ。それによってどこか気まずい空気が漂っていた室内は、俄かに緊迫感を取り戻した。


「…セレナエンデ」


 ゆっくりと立ち上がった王が、娘であるセレナを睨みつける。その憎しみの烈しさにびくっと身震いしたセレナを、彼女より広い背が庇うように前に出る。その背の主を見、僅かに王の目が見開かれた。


「…貴様は…ラーシャアルドの…?」


 流石に一国の主ともなれば近隣国の王子の顔は把握しているらしかった。無表情に頷いたアルに呆然としてから、扉の前に控える少女に目を移し、不意にくくく、と王は嗤い出した。


「成程。仲間に恵まれたものだな、セレナエンデ」


 ぞっとするような暗さを含んだ声に、しかし軽くアルが反論した。


「そうだな。あんたと違ってな」

「貴様!王に向かってなんというぞんざいな口を!」


 王とは違ってアルの顔を知らない大臣の一人がヒステリックな声を上げた。王を擁護する事で、自らの終わりを認めたくないらしい。はっきり言って見苦しい。

 だがその言葉は、アルの後ろから進み出たセレナがきっぱり否定した。


「もうその男は王ではありません」


 部屋の全ての視線がセレナに集まった。セレナはしっかりと王を――父を見据えた。美しい顔は蒼白で、どこか泣きだしそうではあったが、声はしっかりと言葉を紡いだ。


「今この時をもって、ゼノの王位は私が継ぎます。そして――旧ゼノ国王、ダグラスを始め、現大臣達を謀反人として拘束します。――捕らえなさい」


 絶対的な王者の威厳を纏った声に、直ぐ様兵士達は従った。玉座の前で立ち尽くす愚かな男と、壁際で聞き苦しい喚き声立てる男達が、瞬く間に兵士達によって縄を打たれていく。


 玉座の間から引き出されていく際、王であった男は、王となる少女を見た。少女は彼と同じ色の瞳を、揺れそうになるのを必死で抑えながらそれを見返す。男は小さく息を付いて、広間を去っていった。かつて少女にとって、とても広いように感じていたその背は、酷く小さく映った。









――――――――――――――――――――





 その夜、セレナは一人、自室の窓の側で佇んでいた。


 あの後は、目も回るような忙しさだった。父親達を捕らえたあと、母と妹と再会し、母は自身と目を合わせられない娘を何度も頷きながら抱き締め、まだ幼い妹は単純に姉と会えたことを喜んではしゃいだ。


 ルイスとリディによって捕らえられた魔術士達は、ひとまず脱出禁止結界を張った部屋に閉じ込めた。あとでおいおい尋問する予定だ。


 ダリスの街は勿論、ゼノの国内全てに、反乱の結果セレナが王位に着いた事を公布し、また各国にも伝令を送った。中でもラーシャアルドとアルフィーノには丁寧な感謝を、オルディアンには陳謝を添えた。


 また、戦った兵士たちや協力者への慰労を含めて、城内では盛大に宴が開かれている。セレナも先ほどまでそこにいたのだが、わずかに疲れをにじませていたらしい主の顔に目ざとく気付いたルーベンス伯によって、強制的に休むように自室に戻されてしまった。


 だが眠れる気もせず、こうして窓からダリスの街を眺めている。


(父上…)


 自分と同じ色の瞳で自分を憎々しげに睨み付けた父。何も言わずに何度も何度も自分の頭を撫で、抱き締めた母。まだ何もわかっていない幼い妹。


――本当にこれしかなかったのだろうか、と心が叫んでいる。父は塔の最上階に軟禁し、大臣達は牢屋に送った。しかし父はもう一生日を見る事はないだろうし、大臣達は恐らく極刑だろう。もはや王であるセレナが謀反人、と断定したのだから。数ある国、数ある法律の中で一番重い罪――それが、大逆だ。


 本当にこういう形でしか戦を止められなかったのだろうか。もう二度と家族四人で過ごす事はない。まだ妹は五つにもなっていないのに、父と会うことは最早叶わない。


 十年前まで、父はそれなりに良い政治を敷いていた。自分に父を超える政治が務まるのだろうか。民を失望させることがないような政治が出来るのだろうか。実力もないのに王位を簒奪した愚かな娘と謗られないだろうか。


 とめどない不安が心を満たし、胸をかき乱す。夜の闇という物理的なものだけでなく心理的にも押し寄せてくる暗闇に、セレナが押し潰されそうになった時、不意に部屋のドアが叩かれた。


「…はい」


 咄嗟に声を絞り出すと、遠慮がちな声が届けられた。


「オレ。…入ってもいいか?」


 まだ変声しきっていない声に、セレナは慌てて己の姿を見下ろす。――が、部屋に押し込められてからこっち、ただぼんやりしていただけなので、寝間着などではなく朝からの変わりない姿でありほっとする。


「どうぞ」


 答えると、ガチャリとドアが開いてアルが顔を覗かせた。その瞳が驚いて見開かれる。


「暗っ。何で何も点けてねーんだよ」


 ぼやきながら、壁のスイッチ――火魔術が仕込まれていて、灯りが点く――を押そうとしたアルを、咄嗟にセレナは止めた。


「点けないで下さい!」

「…へ」


 きょとんとその手が止まり、訝しげな視線がセレナを捉える。が、その表情が急に静かなものになった。無言で手を下ろし、窓際に立つセレナに歩み寄る。戸惑うセレナの体を、何も言わずに引き寄せた。


「…泣くなよ」


 突然の事に息を詰めていたセレナは、その言葉にはっとした。そっと指を頬にやる。そこには確かに、湿った感触が流れていた。


「どした?」


 優しい、でも不器用な声は、しかしセレナの中の何かを決壊させた。


 ぽつぽつと、けれど堰を切ったようにセレナの喉から言葉が溢れ出す。


 本当にこれしかなかったのか、自分は酷い親不孝者だ、自分は為政者となりうるのか――。アルはセレナのそんな心の内を、じっと黙って受け止めていた。


 やがてセレナが少し落ち着くと、アルはあやすようにセレナの背を撫でて、言った。


「お前、今この街を見てたんだろ?」

「…はい」

「あのな。お前の親父がもしこのまま王だったら、この街はきっとなくなってた。オルディアンはきっともう容赦はしなかった。…アルフィーノやエーデルシアスも、見逃さなかったかもしれねえ」


 ゆっくりと、アルの言葉がセレナに染み込んでいく。一つだけ年上の少年の声は、とても温かい響きを帯びていた。


「他の奴らだってそう。あの時お前が戦ってなかったら、皆死んでた。お前は皆の命を助けたんだよ」


 だから、と言葉を紡ぐ。


「お前は精一杯やったんだよ。お前の親父にはもうこうなるしかなかったんだ。生きてるだけでもいいんだぜ?オルディアンと戦したら、確実に死んでただろーしな」


 言いながらアルは、アルフィーノの王に聞いた話を思い出し身震いする。


「アルフィーノの王が言ってたけどな。オルディアンは烈火の鬼姫だけじゃなくて、王太子も超強ぇんだってよ。どんな国だってんだチクショウ。…って違くて」


 ああ話が逸れた、とアルはぼやき、ぎゅっとセレナを抱き締めた。


「要は、お前が後悔するような要素なんてどこにもねーってことだ。信じられないってんなら…ほら、あそこ見てみ」


 アルが体を離して窓の外を指差す。その先を追って、セレナは息を呑んだ。


 城のすぐ下の広場で、夜遅い時間だと言うのに、大勢の人が集まって何かを騒いでいる。その顔は遠目から見ても、いずれも楽しげで、晴れ晴れとしている。

 ――ずっと遠くを見ていたから、気づかなかった。


 呆然とするセレナに、アルが微笑んで窓を開けると、微かに風が声を運んで来た。


「…セレナエンデ王女万歳!…」

「…新陛下誕生万歳!…」

「…ほらな?」


 アルは肩を竦め、窓際から下がった。セレナは食い入るように眼下を見ている。


「皆、お前に感謝してる。誰がなんと言おうと、民が示す王は、お前だ」


 セレナは涙を溜めた目で、こくりと頷いた。自然と笑みが浮かび、どっと安心感と希望が心を満たした。民に愛されている。その光景は、どんな言葉よりもセレナの心を癒やした。


「あと…お前が良い政治が出来るかって話だけど」


 微かに躊躇うような響きに、セレナはくるりとアルの方を向いて、それを制した。


「事が終わったら、貴方に言いたいことがあると私は言いました」


 闇の中でもはっきりとわかる程、綺麗な笑みをセレナは浮かべた。アルが息を呑む。


「…私も、貴方が好きです。どうか、この国に留まって、私と共にこの国を支えて下さい」


 固まっていたアルは、やがて反則、と呟いて髪をかきあげた。少し恨みがましそうな目でセレナを見る。


「…オレの台詞取るなよ」


 子供のように拗ねた口調に、思わずセレナは笑っていた。ぶすっとしていたアルは、不意に悪戯を思い付いたとばかりに笑みを浮かべる。セレナがそれに首を傾げたと同時に、ぐいっとセレナはアルに抱き寄せられ、彼女の唇に何か柔らかいものが触れた。


「……!?」


 すぐに離れたその感触に、しかし彼女は事象を正確に理解して、瞬時に白い顔を赤に染め上げた。悪戯成功、とばかりにアルは笑い――ただし暗闇にセレナは誤魔化されたが、その耳は真っ赤――低い声で囁いた。


「喜んで」


 月明かりの下、少年と少女はゆっくりと顔を寄せ合う。


 もう少女は迷わない。

 もう少年は逃げない。


 まるで二人の行く先を祝うように、晴れた星空がダリスの街を包んでいた。














―――――――――――――――――――――――






 

「こんなところにいらっしゃったのですか」


 背後からかけられた声に、リディは振り向いた。夜の冷たい風が、今は長い栗色の髪を揺らして通り過ぎ、背後の男の髪も嬲っていく。立っていた壮年の男に、リディは内心で眉を寄せた。


「ルーベンス伯。どうかなさいましたか」


 リディは体を起こすと、怪訝な顔をしながらも壁の内側に飛び降りて男と向かい合った。


 ここは王城の、中心に聳える塔の頂点、というよりかは鐘楼の下である。少しばかり高い壁が囲むばかりのそこは、狭いが、ダリスの街を隅まで見渡せそうなほどの高さを有し、高所に脅える者ならば、まず身がすくんで持たないだろう。が、リディにそんな心配は無縁で、落ちたらただでは済まない壁の上に腰をおろしていたのだが。


「いえ。…ひとつ、お聞きしたい事がありまして」


 リディは実際に眉を寄せた。この男が自分に話しかけてきたことは、限りなく少ない。しかも、敬語ではあるものの、対等なものに寄せる類のものだったはずだ。それが、いまや上の者への口調と化しているのは、どういうことか。


「…何でしょう」


 小さく問えば、ルーベンス伯はしばし沈黙し、それから一つの言の葉を口に乗せた。


「“紅蓮の炎は、常に貴方達の上にある”」

「――――っ!」


 リディは目を見開いた。その反応を視界に収めつつも、ルーベンス伯は続ける。


「“結ばれた約定が守られるなら、それは貴方達を包む暖炉の光。守られぬならば、焼き尽くす地獄の業火。――前者であることを、願ってる”」

「……」

「我々は、前者と成れたのですかな」


 神妙な顔のルーベンス伯に、リディは当初苦虫を噛み潰したような顔で、だがやがて苦笑を浮かべる。


「いつから気付いて?…炎は、使わなかったのに」


 ガートに魔物が襲撃をしてきた時。彼女は決して火魔術を使用しようとはしなかった。だから、気付かれまいと思っていたのに。


「ガートにいたころから、薄々は。髪の色が違うので最初は思いもせんでしたが、纏う空気や、面差しが重なり申しておりましたよ」

「…他に気づいている人は」

「おりませんでしょう。貴方のお顔を近くで拝見したのは、私ぐらいでございましょうし」

「…参ったよ。…それで、私にそれを今言って、どうする?あと二日もすれば、何も言わなくても出て行ったのに」


 ふっと自嘲の色を浮かべ、リディは腕を組む。相対するルーベンス伯は、対して穏やかな笑顔を浮かべて、――深々と、頭を下げた。


「ゼノの民を代表し、心より御礼を。炎を業火とせず、我らが民を見守り、導いてくれたことを、感謝いたす。――烈火の――否、リディ・レリア殿」


 リディは軽く絶句して、白髪交じりの頭を見下ろしていた。それから慌てたように姿勢をただすと、わからないんだけど、と押し殺した声で呟いた。


「なんで?私は――頭を下げられるような立場じゃない。今あなたにここで刺し殺されても文句は言えないんだ」

「殺されるおつもりもない方がよくおっしゃる」


 少女は黙り込んだ。男は軽い笑い声を立てる。


「確かに十年前、私の友人達の中にも貴方に殺されたものはおります――けれど、戦とはそういうもの。私は貴方を畏れこそすれ、恨んだことは一度もありません」

「……」

「そして貴方は今、確かに滅びようとしていたこの国を救ってくださった。貴方がやろうと思えば、三日で壊滅させられたものを。…ありがとうございます」

「…私は、何もしなかっただけだよ。救ったのは貴方達自身の力だ」


 半ば言い訳めいたように言うリディに、ルーベンス伯は年長者の温かみをともして見下ろした。


「それでも。唯一気付いた者として、御礼を言いたかったのですよ」

「…じゃあ、…どういたしまして」


 不貞腐れたようにそっぽを向く頬は、夜の闇に紛れてしまってよくは見えないが、赤いに違いない。不思議とルーベンス伯は確信できていた。


「しかし、貴方も人が悪い。潜入するならするで、狩人などと嘘をつかなくても」

「嘘じゃないよ」


 冗談交じりに口にしたルーベンス伯に、リディは淡々と否定を乗せた。


「……は?」

「私は今は狩人だよ。家出中だもん」


 呆気にとられる男に対し、リディはにやりと笑みを刷いた顔を向けた。それこそ本当に人の悪い笑みで、だ。


「だから間違ってもオルディアンに私のこととか言わないでね。せっかく追手も撒いたんだから」


 軽やかに笑いながら、リディは立ち尽くすルーベンス伯の横を通り過ぎる。あんまりそこにいると風邪ひくよー、などと嘯きながらそのまま少女は立ち去ってしまうが、男はそのまましばらく凝然と直立し。


「はあああああああ!?」


 夜の町の上空に、絶叫を響かせたのだった。










――――――――――――――





 二日後。


「本当に、ありがとうございました」


 ダリスの街の外門には、大勢の人々が集まっていた。門の外側にはずらりと兵士達が並び、それより少し外側には、新しくゼノの重臣となった、ルーベンス伯を始めとする反乱軍の中心メンバー、そして更にそこから数メートル飛び出した所には、セレナとアル。


「あなた達がいなければ、この国はきっと取り返しのつかないことになっていました」


 彼らの前に佇むのは、今回の陰の立て役者と言っても良い狩人の二人。二人の協力なしにはこの反乱はありえなかった事を、この場の全員が知っている。だからこそ皆、仕事をほっぽりだしてここに集まっているのだ。


「何言ってんだ。俺達がいなくてもお前たちなら成し遂げられたさ」


 しかし当の二人は軽く受け流し、短い間ではあったが、彼らの旅の同行者を微笑んで見つめた。


 アルとはここでお別れだ。いったん彼はラーシャアルドに戻った後、ゼノに戻り、セレナを助けるという。その先にある報せを聞くのは、そう先の事でもないだろうな、と密かにルイスもリディも思っていた。だからここで別れる事も、寂しさは在っても悲しさは無い。


「元気で。ちゃんと勉強しろよ」

「頑張れ王配」

「…最後まで引っ張るのかよそれ!」


 軽口を叩きあって、ルイスとリディはじゃあ、と手を振った。


「またいつかな。手紙は出すよ」

「セレナもまたね」


 そう言って馬に飛び乗ろうとした内の一人に、アルが不意に真面目な声で言った。


「リディ。最後くらい、カツラ取れよ」


 え、カツラ?とはセレナ以下ゼノの人々の心の声である。リディはというと眉を上げてアルを見――ったく、と肩を竦めた。


「悪知恵つけちゃってまあ。――ま、君の女装記念でもあるしね」

「ちょ、おまっ!」


 三倍程になって返ってきた逆襲に目を白黒させるアルを余所に、リディはフードを下ろすと、勢い良く栗色の長い髪を剥ぎ取った。陽光に照らされて、肩より少し長くなった赤い髪が舞う。


「ほら、あげるよ」


 セレナ以下ゼノの人々が呆気にとられている間に、にっとリディは笑ってカツラをアルに投げ、馬に飛び乗った。そこから手綱を打とうとして、ふと思い出したようにリディは振り返る。視線の先には、眩しげに彼女を見遣る壮年の伯の姿があった。


「ルーベンス伯」


 赤い髪を自由な風に靡かせて、リディは言った。


「“貴方達が今の志を忘れぬ限り、紅蓮の炎は暖炉の光であると誓う”。――また来るよ」


 そうして、先に馬に騎乗していたルイスに頷いて、二人は駆け出す。


「ルイス、リディー!またなー!!」


 声の限りに叫んで、二人の背を見えなくなるまで見送り、それからアルは後ろを振り返った。そこには同じような色を浮かべた無数の顔が彼を見つめていた。


「あの、アル…リディ、様は」


 全員の心を代表したセレナの問いに、アルは爽やかに笑って。ルーベンス伯は穏やかに耳をふさいで。


「そ、あいつは――」


 その台詞の結果として、その日一日、ゼノ王宮は機能しなかった。
















「さー、待ってろオルディアン!」

「急に元気になったなお前…」


 二頭の馬が荒野を駆けていく。


「この国には、来たい気持ちと、来たくない気持ちと半々だったんだけど。――今は、来てよかったと思うよ」

「――そう思えたなら、来た価値はあったんじゃないか」


 ルイスは先ほどの彼女とルーベンス伯の会話から、彼女が何を背負うのかを察した。彼女があの夜苦しんでいたわけも。

 けれど彼女がそれを言われてくないとわかるから、何も言わない。代わりに、いつか自分のことも話そうと思う。これからも彼女と一緒に時を過ごしていきたいから。


 誰かと、見る景色、経験する事象、重ねていく思い出を共にしたいと思ったのは、彼にとって初めてだ。そういう想いに夢も希望も持ち合わせていなかった彼は、しかし今、それを何よりも大事にしたいと思いを馳せる。


(…ま、こいつの鈍感ようじゃ、言わないと伝わらないと思うが)


 こっそり胸の内に芽生えた気持ちに苦笑して、ルイスは蒼穹を見上げた。







 この国にはまだ何もない。それこそ、他の国にあって当たり前のものが、何も。けれどあの二人が一つ一つ積み上げていくだけ、未来は広がるのだ。


 何もない、という事は逆に、何にでもなれる、という事だ。これからこの国がどんな道を歩むのか。それはただ、二人の若者にかかっている。




「がんばれ」


 最後にそう、遠くなった城を振り向いて呟き。

 祈りと願いを胸に、ルイスとリディは手綱を打った。








 痩せた土地で、それまで何の特産物もなく、他国からの支援の有無で景気を左右されていたゼノは、新たに発見されたユーダ山脈のミスリル鉱脈により、急激な発展を遂げ始める。そのうちユーダ山脈だけでなく、その近隣の山地や、新たに東にも鉱脈が発見され、数年後にはエーデルシアスに次ぐ資源大国とまで呼ばれるようになった。

 そのゼノの玉座に座る女王と、献身的に女王を支え、やがて生涯を共にすることとなる異国の王子とを、人々は尊敬をこめて後世、こう呼んだ。女王は、その美貌と穏やかさから。王子は、その明るい笑みと、どんな者の心も照らす温かな心から。


『陽と月の名君』――と。


…分けた方が良かったかもしれないと思った。

第六話にお付き合いくださり、ありがとうございました。


後日談をあげたら、キャラ紹介を書きなおそうかと思います。


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