8.恋とはどんな好きなのか
白狐商会の従業員兼友人と、シェード家の次代当主兼義兄と手紙のやり取りを日々交わしてはいるが、帳簿確認や在庫管理、仕入れなどが出来ない状態であるグレンは暇で暇で仕方がなかった。
お茶を淹れようにも侍従さんがしてくれる、何か手伝おうとしてもとんでもないと断られる。散策に出ても慣れない土地と道ですぐ疲れるうえに彼が歩き易い靴なんてこの避暑地には置いていない。
伯爵家に仕える侍従が着替えとして用意したのは、グレンが今まで着たことがないほど質の良い服と靴。袖を通すのすら恐ろしくなりそうで値段は聞けていない。
日がな一日、今後の商品展開と社交場での対応を考え続け、うろうろぐるぐると室内を歩き回るグレン・リーヴズ。
その様子を微笑みながら側の長椅子に大人しく座って見ていたベラドナだったが、使用人に合図を出し、木箱に山盛りにされた手紙を出させた。
「お手隙でしたら、こちらの御手紙に返答願えます?旦那様」
「…………なんですかこの山」
「私への恋文ですわ」
手紙の量とベラドナの微笑んだままの顔に辟易するグレン、新婚三日目、未だ何を考えているのかいまいち分からない妻に長椅子の隣を勧められ座らせられる。
抵抗する気もない彼の目の前に用意される便箋達、一度開封された跡は有るので目は通しているらしい。
一通摘んでみると、触り心地からして質の良い紙がグレンの指に高位貴族からの手紙だと伝えてきた。
「……モテる自慢は、少なくとも自分の旦那にするものではないと思いますよ」
「特にしつこい四通がこちらになりますわ。私をやり込めるその手腕で痛烈な一撃を喰らわす御手紙を書いて下さいましね、旦那様」
「僕のことなんだと思ってるんですかベラドナ先輩」
「うーん、羊の綿を巻いた雄山羊?」
「誰があくまで草食動物ですか」
「そういうお堅いところも好いてましてよ」
グレンの睨め付けにも微笑み返すベラドナは、彼が手紙の一つを抜き開き、中の文面に目を通してその卑猥で傲慢で嫌悪感を煽る内容に目を見開き口を歪めた様を見ながらも、美しい笑顔を崩さない。
「う゛わ……なんですかこの内容…………」
「ね?しつこいでしょう、面と向かって言う度胸はない癖に、自分の名前が分からないとたかを括って調子に乗った人間の末路の一つですわ」
「……こんなのを、毎回?」
「この程度で心を傷つけられる程弱くはありませんわ、それに、私の場合は味方が居ましたし」
ベラドナの手が、グレンの手紙を持つ、微かに震えている手に重ねられる。微笑みは崩れていない、が、彼女の目は少し怯えを含んでいた。
「……こんなの、も、歪んだ好意の一つではあります、ですから、グレン・リーヴズが考えるような不義など、私にとっては無いようなもの」
手が離れようと動き、お互いの結婚指輪が木目を当てる音が小さく響く。その音で新妻との距離の近さに気が付いたのか、後ろに長瓜長瓜を置かれた猫のように椅子から飛び退くグレン。
目の前から消え、椅子の向こうで威嚇し始めた旦那様を前にして可笑しそうに声をかけるベラドナ。
「それに、貴方は在学中、一回も私に対してそのような熱など向けなかったではありませんか」
「そんな余裕が無かったからですよ、只唯、白狐商会を立ち上げた後のことを考えて動くことしか考えていなかったので」
「ではそれが無ければ、私のことを好きになる可能性がありましたの?」
「……稀に学園内で話していたとしても雲の上の方、自分となど微塵も考えすらしなかったかと」
「…………そういう方でしたわね、貴方は」
残念そうになのか、それとも安心したからなのか、グレンには判別のつかない沈黙を挟み立ち上がるベラドナ。何故分かったのか部屋の扉を開き、ポットとティーカップを持ってきた使用人を招き入れる。
その手慣れた動作に驚いているグレンをよそに、使用人に道具一揃えを置かせ、退室させるベラドナ。
「なので其方からの婚姻の申込みは万に一つもないと思い、こうして強制的に娶らせたというわけですの、ご理解頂けまして?」
「返品申請って通りますかね」
「そんなにお嫌?私をお嫁にするのは」
「劇物の取り扱い資格まだ持ってないんですよ僕」
「私をなんだと思ってらっしゃるの?」
「………………………………」
「なんですのその沈黙は」
ポットから紅茶を注ぎ入れるベラドナ、使用人にやらせないのか、気紛れか、と、邪推するグレン。
機嫌良さげな彼女から視線を外し、気分の悪くなる手紙を封筒内に戻し、居心地悪げに座り直した。
「……領地への利益を予知夢で、後輩として気に入っていたから、そこまでは理解できました」
「理解して頂けたようで何よりですわ、紅茶でも差し上げましょうか、砂糖とミルクはどうなさいます?」
「その上で恋ではなくないですか?」
「目が醒めるよう渋めにお淹れしておきますわ」
もう一つのカップに注ぎ入れる前に一度ポットを置き、冗談にしては面白く無いことをのたまい出したグレンの方を向くベラドナ。
しかし、彼女の旦那となった彼はあくまで真顔で、真剣に、大変失礼な事を続けて話してくる。
「いえ冗談でなく、今の所、ベラドナ先輩が僕のことを好きと仰る部分が面白いかどうかの判断でしかないので」
「ほほほ、自分を卑下するのが板についておりますのね、あの顔ぶれの中で唯一の平民出身、と、なると、そうもなりましょうけれど」
「まぁ、今のところ何も成せていない男なので」
「メイベル様に選ばれなかったからかしら」
グレンの口が止まり、一度だけ喉仏が上下に動いた。ベラドナはカップへと向き直り、ポットを再度手に取って、まるで赤子でもあやすように何回か揺らしてみせる。
「教えてあげるわグレン、貴方の初恋は彼女、に、なる予定だったんですのよ、夢での話だけれどね」
「…………彼女は、妹のようなもので、違います、そういうのではないですよ決して」
「賭けだった、彼女が貴方を選んでいたら、私は絶対に勝てなかったもの」
「違いますよ、先輩、だって彼女はサラトリア王子と、一緒に」
「見る目がない娘。自分のことを後回しにしてまでも助けてくれていた相手を、こんなにあっさり切り捨てて地位だけの男を選ぶだなんて」
隣のカップよりも色の濃くなった紅茶が注ぎ込まれるもう一つのカップ。雫が跳ね、敷かれている白いクロスに染みを二つ作った。
「ねぇ旦那様、恋に落ちる描写は、死因と近しく描かれることが多いのはご存知かしら」
「…演劇などはあまり観ませんので、分かりかねます」
「電撃が走る、身を焼かれる、弾ける、貫く、刺さる……私があの時感じた胸の痛みが恋でないと言うなら、この貴方に対する執着は一体なんと呼べば良いんでしょうね」
二人分淹れ終わり、ソーサーを持ってグレンへと近づくベラドナ。
まるで何度も同じ事をしているような安定した足運び、配膳、裾を直して椅子に座るその動きまで、伯爵令嬢が絶対にしないだろうことを彼女は当たり前のようにして見せた。
「私は貴方のことが好きだけれど、貴方は私のことを好きでなくてもいいの」
「…………寂しい恋愛観ですね」
「勿論、好きになってくれたら嬉しいわ、私も他のご令嬢達のように恋物語に胸躍らせる時期もありましたし、それに、結婚してからでも恋は出来るもの」
「僕を惚れさせる算段がついているということですか」
「いいえ?でも、グレンは恋愛感情でなくとも、もうだいぶ私のことが好きでしょう?」
そう言って一口紅茶を飲むベラドナ、その横顔を実に意味が分からないといった面持ちで見つめるグレン。その視線に気付き、微笑みながら賭けに勝った彼女は言った。
「覚えていないの?貴方の女性の好み、自分のことを好きになってくれる女性、って」
暫くの沈黙。グレンの視線が隣の無理やり娶らされた妻から外れ、カップの中の液体を覗き、顎に手を当て長考の姿勢に入った。
「…………貴方でも、忘れてたっ、て顔するのね」
「…………間に受けたんですか、あれ」
「可哀想な旦那様、あの時歳下の天真爛漫な娘とでも言っておけば、私に攫われることもなかったのに……どうぞ」
「…ありがとうございます……しッぶ!!」
「わざとでしてよ」
中々に味が濃く出た紅茶を飲んで顔を顰めるグレンと、その隣で機嫌悪そうにカップを傾けるベラドナ。
この夫婦が両想いになるにはまだ時間が必要そうだ。閉められた扉の向こうで聞き耳を立てていた使用人が一人、抜き足差し足忍び足、そろろっと部屋の前から逃げていった。




