7.好意には理由がある
花嫁衣装に白い日傘、ベールを絹糸のような髪の上に被せ、崖から見える海を背にして微笑む彼女は、愛しい愛しい、何をしてでも手に入れたかった相手に問いかけた。
「馬車の中で聞くのを忘れていたのだけれど、グレンは私のどこが好き?」
ベラドナのお付きの侍女が居る手前、どこが好き、と、問われ、何も言わない訳にはいかない。
眉根を寄せ、唇を噛み締め、口元に手を当てゆらゆらぐらぐら視線を泳が…溺れさせ、何を言えば無難か、怒らせないか、答えた後先輩の両親や兄様に聞かれたとして問題無いか、そもそも好きな所とはどう言った意味合いでの好きなのか、人間としてか、恋愛的な意味でか、それとも性的な魅力でなのか、たとえ何かしら好きな所、部位、事を言い示したとして満足されなかった場合は、なんと答えれば正解なのか、自分に答えられる質問なのか、精霊の夢通りなのか確認するための質問なのか───
「……………………………………………………………ッ!」
「可愛らしい百面相、そこから海に突き落としてあげたくなってしまうわね」
「…………………………………………………ッッ」
「……10」
「ッ!?」
突如始まった時間制限に慌てるグレン、数字は容赦なく減り、ベラドナの顔から徐々に笑顔が消えていく。
わたわたと手脚を動かす彼を見つめながら、日傘を回して早く答えろと圧をかけるベラドナ。
「9、8、7、6」
「顔!顔が物凄い美人で!女神がその御手で自ら造られたようなお顔がとても好きです!!」
グレンがなんとか絞り出した答えに荷物持ちの侍女達は顔を見合わせ、ベラドナは満面の笑みに戻った。戻ったの、だが。
「………………5、4」
「もしかしてベラドナ先輩ってめちゃくちゃ面倒臭い女性ですか?」
「わたくし共からはなんとも」
「そこのあなた、顔を覚えましたからね」
つい、背後の侍女の一人に同意を求めてしまうグレン、そして正直に返す若い侍女。ピッ!とベラドナに指をさされたその侍女は、持っている鞄で顔を隠しながら他の侍女の背後へと隠れた。
ベラドナはそれ以上何も言わず、グレンの横を通り、目的地への道を優雅に歩き始める。その背中を軽く走って追い、隣に並んだグレン。
彼が指をさされた侍女を気にして、少し振り返ると、その若い侍女は一番後ろを歩くようになっていた。彼の口が、何かひどい理不尽を見たように歪む。
「酷いことをしますね」
「使用人の使い方としては妥当でしょう、商会の方にも何人か私の専属使用人を常駐させても?」
「そのつもりですよ、ベラドナ先輩、一人で着替えとか出来るんですか」
「服の形状によりますわ、貴方、今着ている花婿衣装を誰の助けも借りずに着れて?」
「……無理ですけど」
「でしょう」
「でも僕は耳飾りなら自分でつけられますので」
「あら、言うじゃないの」
「ええ、貴女の選んだ相手ですから」
人の手は一応入っているが、悪路、と、呼んでも差し支えない道を、踵の高い靴でよろけもせずに歩くベラドナ。
花嫁衣装の裾を軽く手で持ち上げ、ちらと覗く足首は細い、しかし足を踏み外しも、捻りもしない。グレンは不思議そうに彼女の足元を見、視線を上げ、涼しげな日傘の下の横顔を眺めた。
「顔以外は私のことお嫌いなのかしら」
「……そうではない、と、思いますが、想定していた人格との乖離が大きすぎて、混乱しています」
「私のことを聖人君子だとでも思っていたの?」
「いいえ決してそんなことは……でも、舞姫と呼ばれる貴女は、もっと、汚れのない百合の花のような人だとは、幻想を抱いていたかもしれません」
「知っていて?百合って花粉が服にべったりつくのよ、そして中々落ちない」
「百合のような方で合っていましたね、失礼しました」
「いい性格してるわね」
「先輩ほどではないですよ、足元、お気を付けて」
石が敷かれた段差、彼が先に一歩降りて手を差し出せるのは、王都の学園で三年間成績優秀者として表彰された成果だろうか。それとも、すぐに手を差し出せるほど誰かにしてきたことなのだろうか。
ベラドナは自分に向けられた手のひら、ではなくて、彼の手首を掴む。不可解、と、顔に出したグレンの身体が重心の移動で大きく揺れた。
「気をつけるのは貴方のほうよ、そこだけ敷いてある石が揺れるの」
「うっわっっ!?」
そんなことがこの後も二回ほどあり、すっかりヨロけてしまったグレンは、素直にベラドナに手を借り、危なげに散策路を進んでいく。
「割と歩きますね……」
「貴方と少しでも長く話すためにね、着いたら寝てしまうじゃない?」
「……そういうの、言っていて恥ずかしくなりません?」
いくら平民の孤児院育ちとは言えど洒落た式典用の靴で長時間歩くなんてことはしないため、ふらふらになっているグレン。
やっと見えてきた屋敷の玄関に安堵しつつ、片手に日傘、片手に自分の手を持つ涼しげな顔をしたベラドナの顔を見た。
「どうして?好意も、意思も、口に出さないと相手に伝わらないのに、羞恥に惑わされて、伝えたい時に伝えられないのが一番後で困るのよ」
「…………ベラドナ先輩」
「どうしたの旦那様、無理なさらないで?伝えるのは二人きりの時でも良いのよ?」
「学生の時に物静かな方との評価でしたけど、もしかして物凄い猫被ってたんですか」
「ふふふ!生意気!」
楽しそうに笑うベラドナは掴んでいるグレンの手を大きく振ってやり、疲れているうえに振り回されて物凄く嫌そうな彼の顔を少しの間楽しんだ。
クルクルと日傘を回し、再度優しく彼の手を引く体制に戻ったベラドナは、あいも変わらずヒールでよろけることもなく歩き進む。
「はぁ…学生時代はあんなに先輩先輩と懐いてくれていたのに、あの友好的な視線は嘘だったのかしら」
「全部では無いですが嘘でしたね、思っていたより接しやすい方だと判断して、この地域への出店の足掛かりにしようとしてました」
「強かだこと、知っていたわ、全て嘘ではないけど思惑があることぐらい。それでも好きだったの」
「はぁ、お優しいんですね」
「でしょう、好きになった?」
「今のところは疲れ過ぎてて何も考えられません」
「うふふ、正直者ね、そんなところも好きよ」
屋敷の玄関口に近づく二人、不意に誘導のために繋がれていた手が離され、グレンの腕が下に落ちる。
「……気付きますわよ、微塵も好かれていなかったことぐらい、貴方は嘘が苦手なんですもの……」
距離が故に耳へと入った細く小さく寂しげな声、驚いたグレンが隣を見るが、笑顔も声色も好きよと言った状態から何も変わらない。
愛しい人からの視線に微笑み返したベラドナは、扉を開けさせると、中で待っていた使用人に指示を出し始める。
「あの」
「着きましてよ、あなた、旦那様をお部屋に先にお通しなさい、ベッドメイクの確認はした?」
「はい、すべて整っておりますお嬢様」
「湯浴みの用意は?私、早くコルセットを脱ぎたいの、荷物を他のに任せたら着いてきなさい」
「こちらへ、お化粧を落とす間に御用意いたします」
「手早く頼むわね」
伯爵令嬢然とした姿に何も言えなくなってしまったグレン、その隣に若めの侍従が一人立ち、部屋へと彼を案内した。
「グレン様、どうぞこちらへ」
「あ、はい…」
抵抗もせず大人しく着いて行くしかない、だって彼は一人ではここから帰れやしないのだから。夢のように美しい屋敷の中、木々の隙間から見える木漏れ日が、徐々に橙へと変わるような時間。
今日一日で彼の運命はきっと大きく変わった。目の前を歩く侍従の後ろを伸びた影のように着いて歩くグレンは、目の前を歩くシェード家の使用人へと話しかけた。
「……少々、お伺いしたいことがあるのですが」
「はい」
「ベラドナ様は、あなた方、使用人から見てどのような方なのでしょうか」
「良い主人だと思いますよ、掛け値なしに。少なくともわたくしはお仕えしてきたこの七年間、ずっとそう感じております」
「…………そうですか」
迷いなく言い切った使用人にグレンは顔を顰め、なんともいえない表情を浮かべた。そんな彼に品の良い微笑みを浮かべた侍従が、ある部屋の前を示し、扉を開いた。
「グレン様のお部屋はこちらになります、何か御用がございましたら遠慮なく部屋に備え付けてあるベルでお呼び下さいませ」
「ありがとうございます、あっ、すみません」
「はい、如何致しましたか」
「便箋と、封筒をくださいませんか、便箋はいくつか、えぇと…二通分書きます、手紙を出したくて……」
「畏まりました、すぐにお持ちします」
侍従の返答はあくまでも客に対する愛想の良さに包まれている。快諾されたと思ったらその場から姿を消し、グレンが部屋に入ってすぐに持ってこられた幾つかの便箋と封筒。
質の良い封蝋まで用意されてしまい目を白黒させるグレンに侍従は少々不思議そうな顔をしながらも、不足等がないか確認した。
「えっ、これ、ほんとに使っていいんですか」
「?はい、何か足りない物等あればお申し付けください」
「や、いまは、大丈夫、です……」
「そうですか、それでは失礼致します、御呼びの際はそちらに備え付けてあるベルをお使い下さいね」
深々と頭を下げて退室した侍従を見送り、恐々と長椅子に腰を下ろしたグレンは尻の沈む感覚と、疲れた背中を柔らかく支える背もたれに長い長い息を吐きだした。
煤汚れ一つない天井を見つめ、グレンはぽつりと呟く。
「……………………結婚か……」
彼の脳裏に過ぎるのは馬車内での会話と、屋敷に入る直前に見たベラドナの顔。
自分の家のベッドよりも上質な柔らかさを備えた長椅子に倒れ込んだグレンは、机の上に広げられた便箋の白を見ながらとろとろ瞳を揺らめかせた。
「…………物凄い笑われるだろうなぁ……」
商会に居る友人に送る手紙を書かなければいけないのに、きっと、笑って笑って肺が潰れるほど笑った後、現状をなんとか乗り越えるために一緒にもがいてくれる筈だから。
そう思いながらも疲労に負けてしまったグレンは、長椅子の上でひとり、無防備に眠り始めた。
ところ変わってベラドナの部屋、避暑地故に自室がある彼女は、屋敷中の使用人を玄関広間に集めさせた。
湯上がりの身体を冷まさないようガウンを羽織り、使用人達へと強い声で問うた。
「あなた達、グレン・リーヴズ様のご様子を見て感じたことをすべて、正直に、正確に、話しなさい」
その言葉に近くの者と顔を見合わせた使用人達は数秒の沈黙の後、肩を竦めたり首を振ったり、好き勝手に声をあげ始める。
「微塵も脈が有りませんお嬢様」
「話されていたあの反応は恋ではなく一種の憧れだったのではないですか?有名人とかに対する」
「恋愛相談として聞いていた話と全く違うのですが」
「下手をしたらトラウマではないです?誘拐軟禁婚姻ですよ?」
「准男爵なので口を挟む間もないまま好き勝手に決められてと、可哀想ですね」
「将来の大店にしては気の弱い方に見えましたね、胃薬の用意をしておきましょうか、多めに」
「でもお嬢様と言い合いできる豪胆さは持ち合わせているので、それなりに強いお方では?胃が」
ベラドナが大きく手を二回叩いて話すのをやめさせ、涙目のままほとんど叫び声のような命令を出す。
「はい!終了!お前たちはお付きクビよ!!本館に戻って別な使用人をよこしなさい!!」
それに使用人達は首を振り手を振り、口々に拒否しながら勝手に解散し始めた。哀しいことに慣れているのだ、ベラドナお嬢様の奇行と、本気で言っていない冗談には。
ここにいる全員が。だ。
「皆様手が埋まっておりまして……」
「お嬢様のお世話は最低限の人数でと……」
「マトン侍女長離れの練習を致しましょうね……」
「私の言うこと聞くのが一人もいない!!」
我儘なお嬢様らしく叫んだベラドナ、その隣で苦笑いをするのは顔を覚えたと指をさされた若い侍女。
八つ当たりをしない、不当にクビを切らない、お礼を言う。
ベラドナが前世の記憶から学んだ対応により、シェード家の使用人達は正直で生意気で、なにより忠義に厚い者が多いのであった。




