幼い記憶8
若い女性がいう。
「あの子が不憫だ、かわいそう。」
無邪気な子供がいう。
「なんであの子は一人ぼっちなの?かわいそう。」
誰かの親がいう。
「こんな時間まで残ってるなんてかわいそう。」
近所の誰かがいう。
「あそこの家庭はいつも喧嘩ばかりで子供がかわいそう。」
かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。
かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。かわいそう。
保育園に行くようになってからなにかとそう言われることが増えた。
きっと言ってる方は、ついなんとなくポロッと言っていたり、私に聞こえないようにこそっと言っていたりするのだろうが、案外私の耳は良かったのか聞こえていた。
「可哀想」
その意味を知るのはもっと後になるのだが、幼いながらに言葉のニュアンスが青鈍で聞くたび嫌な気分になるのだった。
幼稚園へ登園すると、まあ当然の事ながら毎回家に帰る必要がある。
夕方になるとどこでも見かける親が迎えに来て
「〇〇ちゃーん、帰るよー」
というあれだ。
私の居た園でも園に親のどちらか、もしくは祖父母なんかが迎えにきて、子どもたちがだんだんと減っていく。
「〇〇ちゃんまたねー!せんせーさよーならー」
賑やかだった部屋も園庭の影が伸びていくにつれ、ぽつりぽつりと明かりが消えていく。
鉛丹の勢いが弱まり竜胆の空の強さが増し始めた頃には私は一人ぼっちになっていた。
昼間はうるさくて狭いと思っていた部屋も今は深紫に染まり、無駄に広く感じた。
若い女性は部屋が暗くなると電気をつけてくれるが、特に声をかけるわけでもなく、自分の机に座り黙々となにか作業をしている。
私は邪魔しないように静かに過ごす。
無言の空間にかすかな息遣いとカリカリとなにかを描く音が響く。
別に私は一人でいてもかわいそうと言われようとも寂しくはなかった。なぜなら初めから私は私だったから。誰かが私の世界に入ってくることはなく、私が誰かの世界に行くこともなかった。
初めから求めなければ、持たなければ、失うことなく私が確立出来ることを私は知っていた。
とはいえ、寂しくないにしても多少の心細さはあったので偶に園庭に続く段差に座り、空と門扉を交互に眺めながら時間を過ごした日もあった。
陽も落ち、星もよく見えるようになった頃、疲れた顔した女が私を迎えに来る。
若い女性と二、三言話し、私を見ることなく
「ほら、帰るよ」
そうぶっきらぼうに私を呼ぶ。
すぐに私は荷物を持って園を出る。
気だるそうに前を歩く女に言葉は無い。行きのときみたいに私の手を引くこともない。
なので私も遅れないように無言で月を踏んで歩く。
木々を抜け、マンションの間を通り、駐車場を横切り、家に着く。
少し軋んだ音を立てながら玄関は締まり、私の居場所の無い家に着く。
そんな日を何度も繰り返す内、女は私にこう言った。
「明日から一人で通ってもらうから。」




