幼い記憶 10
それからというもの朝起きては朝ご飯を食べたり食べなかったりしてそのまま一人で登園、一日を園で過ごして夕方過ぎにおやつを食べて帰宅。晩ごはんはあったりなかったり、我慢出来ないときにはそっと盗み食いしたり、時々男のとばっちりを受けて理不尽に殴られたり、床に叩きつけられたり、そうやって一日が終わり部屋で寝る。そういうサイクルの生活を繰り返していた。
帰る家には基本誰も居なかったが時々男が居たり、小学校に通う姉が先に帰ってきてたりする時もあった。
男が家に居る時は玄関先の駐車場に男のスポーツタイプの黒い車があったし、姉が居る時は電気が付いていて、玄関先に赤いランドセルが置いてあるのですぐに分かった。
男が家にいる時は大体、男は不機嫌そうで怒鳴る時以外は無口だった。
私を見てもときに声を掛けることもなく、居ても居なくても同じな顔をして通り過ぎていた。
よくタバコを吸う男で各部屋にある分厚いガラス製の灰皿にはもみ消したタバコの吸い殻が山のように積まれ、家にはホープの匂いが漂っていた。
男がなんの仕事をしているのかしていないのかわからないがいつも家に居らず返ってくるのも私が眠くなる夜遅くになってからが多かった。
珍しく家にいると思えば自分の部屋にこもってばかりで何してるかも知らない。
偶に部屋の扉の開閉時に部屋の様子がチラリと見えるがそこには天井に届くような本棚に大量の本が並べられ床にも薄い本や分厚い辞典の様な本が平積みされているような本だらけの部屋の様子が見えた。
姉は私と同じくらいか、私より早く帰ってきてたりバラバラだったが、私よりも遥かに遅く返ってくる時はいつも女と一緒に帰ってきてた。
私の時と違い、仲良さそうに女と姉が話し合ってる姿はひどく眩しく見えた。
同性同士だったからなのか、姉の性格なのか、女は姉に目を掛けていたし、男からも比較的受け入れてもらっているように感じた。
それは私に対する男女の態度が明らかに物語っていた。
男から理不尽な暴力を受ける時はいつも私だった。姉はいつもすぐに自分の部屋に引っ込み隠れていて、私は男女の喧嘩する部屋に取り残されたままいつも火の粉が降り掛かっていた。
一度、姉のマネをして私も部屋の押入れへ逃げ込んだこともあった。
しかしそれが男の逆鱗に触れたのか押入れから引きずり出され、そのままリビング連れて行かれた私にものすごい衝撃が身体を襲う。
歪む視界と朦朧とする意識のままフローリングに横たわる私。どうやらフローリングに叩き連れられたようだ。
意識もおぼつかないまま、またどこかへ抱えられ投げ込まれる。
急に重圧と呼吸が出来ない状況に焦る私。今度は浴室のお湯の入った浴槽に投げ込まれたようだ。
急いで水面に顔を上げて周りを見る頃には、男はすでに浴室には居らず、外の洗面所から浴室の扉が開かないようにしているところだった。
「舐め腐りよって…」
吐き捨てた男の言葉がやけに響いた。それから明かりもないただ換気扇の音だけがする暗い浴室で一晩過ごした。浴室だったので飲水には困らなかった。時々トイレに行くために近くを誰かが通るが、誰も私の居る浴室に気を留めることは無かった。
口の中に広がる血の味がやけにリアルだった。
それから私は姉の真似をするのを止めた。
その頃の姉のことで印象的なのは姉の赤いランドセルだ。
いつも通り一人で留守番をしていたある日、男女と姉が楽しそうに会話しながら帰ってきた。時々笑顔を見せる姉の手には大きな箱。
リビングのテーブルで男と女、姉が揃い、箱を開ける。中から出てきたのは赤い赤い目を惹くような赤いランドセル。
早速、色んな角度から観察してみたり背負ってみたり、そのまま飛び跳ねて喜びを表現する姉。笑顔で姉に目線を向ける男女。部屋の扉の隙間からその光景を眺める私。
感覚としてはテレビを見てる気分。所詮、別の世界の話。私には関係ない話。
羨ましいとか妬ましいとかそういう感情は沸かなかった。
「いつかあの人達は私を見てくれるのだろうか?」
「いつかあの光景を私も体験できるのだろうか?」
そういう疑問とも渇望とも言えない黄枯茶の心が揺れていた。




