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6 手紙




 屋敷に戻ったレイは、部屋に入ってすぐに長い手紙を書いた。


 アリーサの体調を心配していること、守りきれなかった謝罪、そしてアリーサの言葉が正しかったこと。つまり、母の体調を気遣うことのできなかった自分の幼さを、素直に認めて謝った。

 そして重ねて続けた。

 アリーサの体調が良くなったら連絡がほしいと言うこと。今後は三ヶ月に一度のペースになるかもしれないが、アリーサが嫌でなければまた学園の授業を彼女に伝えたいということ。


 一晩悩みに悩んで、書き上げた手紙を、翌朝レイは母へ持って行った。


「母さん、アリーサに手紙を送りたいんだけど」


 おや、とヴィオレットは目を丸くした。

 学園に入れてからというもの、怒ったレイは他人じみた敬語を崩さなかったというのに。

 やけに分厚い封筒に少し不安を感じたヴィオレットは、「……中を見てもいい?」と尋ねてみた。

 レイは少し嫌そうな顔をしながらも、「いいよ」と頷いた。


「ごめんなさいね、レイ。アリーサは今、情緒不安定かも知れないから……」


 何しろ彼女の姿を「化け物」と叫ぶような人間と初めて出会ったのだ。傷ついただろう。きっと落ち込んでいるだろう。

 まさか息子が彼女に追い打ちをかけはしないだろうと思いながらも、念のため確認しておきたかった。

 情緒が不安定ということは、彼女の中の魔力も不安定ということだ。

 なまじ強い魔力で守られているアリーサだからこそ、なんらかのきっかけで呪いと魔力が暴走しかねない。

 聖女の中には、幼い頃に魔力の暴走を引き起こした子もいる。

 感情が魔力に強い影響をもたらすことを、経験からヴィオレットは知っていた。


 申し訳なく思いながらも、ヴィオレットが手紙の封をあけて中を見ると、そこにはレイの素直な心情が語られていた。


『――アリーサ。体調は大丈夫?あの後、君が目を覚ます前に帰ってしまってごめん。

 僕は君が目を覚ますまでずっとついていたかった。起きてまず、君に謝りたかった。それが手紙となってしまったことを、心から申し訳ないと思う。

 アリーサ、君を守りきれなくて、本当にごめんなさい。

 僕は君と喧嘩けんかをしたあと、素直に戻れずに、腹が立ったまま、森の中で少年たちと喧嘩をしたんだ。喧嘩に負けて足をくじいて、少年たちに肩を貸されて森の入り口へ戻った。それで君を傷つけることになった。

 本当にごめん。僕がもっと強かったら。僕がもっと人の気持ちを思いやれるような人間だったら、こんなことにはなっていなかった。

 君は僕の母の体調を思いやってくれたね。本当に、その通りだ。

 僕は、無理矢理学園へと入れた母に対して、思い知らせてやりたいと思って、わがままを言ったり、言うことを聞かなかったり、配慮のないことをした。君が母を心配したことに、僕は自分が冷酷な人間なのだと、君に思われているような気がして、腹が立ったんだ。僕だってそれは気づいていると。でも、気づいても言わなかったら同じことだと、分かった。僕は最低だ。本当にごめん。母にもちゃんと気持ちを伝えて、謝ろうと思う。

 僕は、もう君の友達にはふさわしくないかもしれない。でもアリーサ、君さえよければ、僕の友達でいてくれないか。

 僕は、君にふさわしい友達になれるように努力をする。学園でももめごとを起こさないようにするし、剣術も武術ももう嫌がらない。

 君は心優しいから、少年たちの言葉に傷ついているかもしれない。僕は君のことを、化け物なんて思ったことは一度もない。君はとても可愛いと、僕は思う。最初に君のことを十人並みなんて言ったけれど、あれは嘘だ。本当に、どうしようもない僕ですまない。

 君の体調が良くなったら、僕に返事をくれないか。もう友達でいてくれないとか、そういうのでもいいから。君の返事をずっと待ってる。

 その間はずっと、君のために学園の勉強をまとめておくよ。今後は母の予定も鑑みて、三ヶ月に一度になってしまうかもしれないけれど、君が嫌でなければ、また一緒に勉強をしてくれないか。

 僕の大好きな友達、アリーサへ。レイより』




「……」


 読み終えたヴィオレットは驚きすぎて目が落ちるかと思った。

 そこにはレイらしい几帳面きちょうめんな文字で、切々と彼の気持ちがつづられていた。

 呆然と手紙から顔を上げると、ばつのわるそうな顔でレイは言った。


「……直接言おうと思ったんだけど。ごめん、母さん」

「レイ……」


 むしろ検閲のような真似をした自分を恥じて、ヴィオレットは「私こそごめんなさい」と謝った。

 息子をどれだけ信じていないのか。9歳の息子がここまで心をさらけ出しているというのに、自分は息子がアリーサを傷つけるのではないかとすら疑った。恥じいるばかりだ。


「ごめんなさい、レイ。二度とあなたの手紙を見ようとなんてしないわ。これは確かに、アリーサに送るから」


 母は頷いて、大切に手紙に封をしなおすと、使用人を呼んだ。


「奥様、どうなさいました」

「これをモニカ家に送ってちょうだい。速達と赤で書いて、特別料金は追加しておいてね」

「かしこまりました」


 使用人は言われたとおりにその手紙を丁寧に預かり、そのまますぐに外へ出かけた。


「アリーサは、きっと喜ぶと思うわ」

「そうかな……。そうだと、いいな」


 そっと頬の涙を拭いながら言う母の言葉に、レイは心配そうな顔をしながら、それでも素直に頷いた。




 しかし手紙は、アリーサへ届くことはなかった。




 * * * * * * * * * *




 速達と朱書きをされた手紙は、遠いアリーサの家へはそれでも一日以上かかる。

 途中の中継所で一晩止まるからだ。

 アリーサの家は人のいる集落を避けた、奥まった場所に屋敷があるため、定期的に食料や荷物を運ばせる以外の人の行き来はなかった。

 時々、彼女の家にヴィオレットが向かうことはあるが、それ以外は手紙すらろくに来ることがなかった。

 その手紙は集落にある、食料をモニカ家に運んでいる農家へと運ばれた。


「おやっさん、これを次にモニカ家に行くときに一緒に頼むよ」


 中継所の配達員は、僻地へきちまでは手紙を運ぶことはない。村の中心地へと運んだ後に、そこから村人が皆へ運ぶか、あるいは僻地にいるものが村まで降りてくるかのどちらかなのだ。


「おや珍しい。はいよ、モニカ家だね」


 配達員に頼まれた農家の男は、その手紙を忘れないように野菜の箱の一番上へと置いた。

 そして荷物を馬車でモニカ家の倉庫へと運んでいく。

 モニカ家との契約は、「破格の金額を払う代わりに、決して直接接触はしないこと。荷物は中継地点の倉庫へと置くこと。代金は使用人が毎月払いにいくこと」というものだった。

 貴族の中には人が嫌いな者もいるだろうと、農家の男はそれを気にしなかった。

 ただでさえこんな僻地に住むような変な貴族だ。よけいな手出しをして不興をかったら大変である。

 倉庫は道のはずれにあり、そこまで荷物を運ぶのは手作業になる。男は何度か往復をして、食料をすべて運び込むと、ふと思い出した。


「そういや悪ガキどもが、化け物がどうとか言ってたなぁ」


 半月ほど前に、村の中でもわんぱくな子供たちが、「化け物が出た」と泣きながら帰ってきた。詳しく話を聞いても要領を得ないので、村長が彼らに拳骨を落として「変なことに関わるな」と叱りつけたらしいが。

 なにしろ、少年たちが言うには、子供の顔が無かったと。無かったというか、真っ黒だったと。そしてその深い闇のような黒い場所から目がいくつも、子供たちを覗き込むように見ていたと。

 どこからか、倉庫の中に風が吹き込んできて、ぞくりと背筋が寒くなった。

 男は腕をさすると、馬車へと慌てて戻った。そしてふと思い出す。


「そうだ、いけねぇ、手紙手紙、と」


 慌てて手紙を見つけやすいように野菜箱の上に立てかけて、男はさっさと馬車を走らせた。

 倉庫の中に風が吹く。

 それは野菜箱の上に置かれた手紙のバランスを崩して、そのままぽとりと一つ下の箱の中に手紙は入り込んだ。


 数日経って、モニカ家の使用人が野菜箱などの食料品を取りに来た。

 当然、手紙が来ているなど思いもよらず、そのまま野菜の箱はモニカの倉庫へと運ばれる。冬に向けた貯蓄用の野菜は、倉庫の闇に埋もれるように、静かに眠ることになった。




 * * * * * * * * * *



 レイが、来ない。


 いつもならば月の中頃には、ヴィオレットのおばさまといっしょに来るというのに。


 あれから一月経っても、私は用心のために屋敷から出ずに過ごしていた。

 場合によっては、引っ越しも考えていると母が言っていたが、村人はあれ以降特に騒ぐようなこともなく、私と母は普通にすごしていた。


 私はあの日レイが残していった宿題を見ては、ため息をつきながらも、じりじりとその日を待っていた。

 月の中旬、14日には、自分の部屋から何度も窓の外を見ては、影も見えない外に、がっかりと肩を落とした。

 15日は、今日こそはきっと、とちゃんと終えた宿題を手に、玄関の見える階段に座って、訪れる馬車の音を聞き逃さないようにずっと待っていた。

 16日は、玄関の外に小さな椅子を置いて、母のショールを借りて外で待っていた。


 でも、レイは来ない。


 落ち込む私に、母は「きっと何か事情があるのよ」と何度も慰めてくれたが、どんな事情なのだか私には想像ができなかった。

 「嫌われてしまったのではないか」という嫌な想像が、絶えず私を苦しめた。


 そして、17日の午後。

 母はパンと手を叩いた。


「そうだ、手紙を書きましょう。アリーサ。もしかしたらレイのほうが、体調を崩しているのかもしれないじゃない」


 母の名案に私は顔を輝かせた。

 そうだ、それだ。手紙を書こう。そういえばちゃんと謝れなかったこと、私のせいで迷惑をかけたこと、それを伝えたい。


「名案ね、お母様! 待ってて、一番お気に入りのお手紙セットがあるのよ!」


 今まで誰に送ることも無かった手紙のセットが、やっと活躍する時がきたのだ。

 私は自分の部屋に駆け戻ると、鏡の前の引き出しから手紙のセットを取り出して抱きしめた。

 ふっと、何かの違和感を覚えた。

 それを探るようにきょろきょろと左右を見ながら引き出しを閉めようとしたときに、私は気づいた。気づいてしまった。


 鏡には、真っ黒な顔をした少女が映っていた。


「――ひっ……!」


 悲鳴をあげたつもりだったが、喉の奥から小さな声が漏れただけだった。

 とさっと封筒を落とすと、鏡の中の少女も封筒を落とした。

 そうだ、鏡だ。それに映っているのは……私!?


「いやああああああ!!!」


 引き絞られたような悲鳴が、喉から漏れた。

 鏡の中から、少女がこちらを見ている。真っ黒な顔からは、小さな目がいくつも覗いている。

 ぎょろぎょろと辺りをうかがう瞳が、なんとおぞましい。

 凝視しているのは私なのに、見られているのが分かった。目を閉じようと思っても、逸らせない。

 がくがくと私の足が震える。数歩下がってソファにすがりつくようにして、私は床にへたりこんだ。


「……サ、アリーサ!?」


 遠くから慌てた母の声が聞こえる。私はソファのクッションを掴むと、鏡に向かって力一杯投げつけた。


「消えて! 消えてよ!!!」


 恐怖と、それを越える怒りに、私は震えた。


 こいつのせいだ。こいつのせいで私はやっとできた友達すら、失わないといけないのだ。


 真っ黒な顔は、鏡の中から私を見ている。鏡の中の私の体には、ぼんやりと黒いものが見えた。

 こいつが私の中にいることを、いったい誰が許したというのだ。私だって許していない。許せるはずがない。

 ぎゅうと手を握りしめて、鏡の中の「真っ黒なもの」に向けて、私は叫んだ。


「あんたなんか、消えて!! 私の中から、出て行って!!」


 その瞬間、部屋に飛び込んできた母が悲鳴をあげた。


「ダメ、ダメよアリーサ! その言葉は、ダメ!!!!」


 一瞬、光のようなものが見えた。そしてぐらりと地面が揺れた。

 いや、揺れているのは私の体なのだろうか。


 真っ黒なものが私の視界を、一瞬にして包み込んだ。

 何かを思う間もなく、私の意識はその黒いものに刈り取られた。





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