21 そして、呪われた聖女の娘
2話同時更新です。(2/2)
真っ暗だ。
真っ暗な世界で、私は佇んでいた。
しかし世界の端から、少しずつ光が差し込んできている。
目の前には金髪の女の人がいる。彼女はもう鏡は見ていない。私を見ている。
「ほんの、ちいさな、ことだったの」
彼女は綺麗な顔を歪めて、泣いた。ずっとずっと泣いていた。
「私は友達に、鏡を贈った。冗談だったの。悪気はなかったわ。彼女はとても愛らしいのに、いつも下を向いているから」
鏡の背飾りは薔薇にした。彼女に似合う花だった。
自殺したと聞いたのは、彼女に鏡を贈ったことすら忘れたときだった。
そう話を続ける彼女の顔が徐々に黒く染まっていった。
「私は自分を呪ったわ。綺麗と称される私の顔が、何とおぞましいことでしょう。何度鏡を覗いても、私の顔が見えない。真っ暗よ。真っ黒で、私の心のよう」
私は黙って彼女の言葉を聞いていた。
「もっと鼻が高ければいいのに。あなたのように。そうあの子は言ったわ。全部あげるから、ぜんぶ、私の顔なんてあげるから、生き返ってほしい」
彼女は遠くを見た。闇に差し込む光は明らかに輝きを増していた。
「私の顔じゃだめなら、もっとたくさん死体を作るわ。その中にあの子と同じ顔があれば、きっとあの子を生き返らせてあげる。ちがう顔なんていらないの。あの子の顔が、私は、あの子の顔が好きだった」
闇の中で、太陽が昇ったようだった。どんどん、明かりがつくように闇が晴れていく。
「あなたは、あの子によく似ていた」
ぼろぼろと目の前の彼女が、崩れていった。
* * * * * * * * * *
目が覚めると、ベッドに横になっていた。
私は何度か瞬きをした。
死ぬほど体が重い。指の一本も動かせそうにない。
私の左手はレイが握っている。まるであの日の再現のようだった。
でもその部屋には母もヴィオレットのおばさまもいなかった。
「……起きた? アリーサ」
心配そうな声が聞こえた。レイだ。ベッド脇で目を閉じていたので眠っていたのかと思ったら、そうではなかったようだ。
彼は私の額にそっと手を置いた。
「熱はなさそうだね。具合が悪い? ……アリーサ、泣かないで」
私はぽろぽろ涙を流して、首を横に振った。
「レイ、いやだ。取って、覆面……」
私は起きあがって覆面をとろうとしたが、全身がすごい筋肉痛になっているようで、体が動かなかった。
代わりにレイに取ってもらおうとしたのだが、彼は動いてくれなかった。
「もういらないよ。アリーサ」
「レイ」
なにを言っているのかと尋ねようとすると、彼は私の脇に手を置いて、顔を近づけてきた。
目を丸くしていると、彼は私の頬に軽く口付けた。
私は混乱したまま、涙声で尋ねる。
「……お別れのキスなの?」
「どうして。君は僕と別れたいの? 離ればなれになってもいいの?」
「いやよ」
わがままって言われてもいい。もういい子だと言われなくてもいい。
もう動くのが口だけなんだから、私は心をぶちまけた。
「どこにもいかないで。私のそばにいて。他の人なんて見ないで、他の誰も好きにならないで」
「……うん」
彼は私をじっと見つめたまま、私の言葉を受け止めてゆっくりと頷いた。
私の頬から涙を拭う彼の手が、すごく優しくて、苦しい。
「私は、レイのことが――」
言い掛けた私の口を、彼がふさいだ。
なにを、と私が目を見開くと、彼は微笑んで言った・
「――ごめん」
殴られたような衝撃を受けた。私の言葉を遮って言った彼の言葉は、私を絶望させた。
しかしすぐに彼は何かに気づいたように、私に顔を寄せた。
「ああ、ごめん。違う。そういう意味じゃない。君を拒絶したい訳じゃなく――僕はいつでも卑怯だから、君の言葉が聞きたくて、試すように聞いてごめん」
動かない私の左手に、彼は自分の右手を絡めるように握った。
彼の表情はとても穏やかで、言いしれぬ喜びに震えるように、声は甘さに満ちていた。
「僕に先に言わせてくれる? アリーサ――君が好きだよ。僕と、友達じゃなく……恋人同士に、なってくれる?」
声が出なかった。胸がいっぱいで、喉をふさいでしまったのだ。
少ししか体が動かないので、私は必死で頷いた。実際にはちょっとだけ頭が上下に動いたようだった。
彼はそれを見て、至上の宝石を見つけたかのように顔を輝かせた。端正な顔が緩んで、嬉しそうに笑う。
「嬉しい。アリーサ。アリーサ。可愛い、好きだよ。本当に、好きだ」
「レイ……!」
私はまた泣いてしまった。私も、とか、好き、とか、伝えるべきだというのに、壊れたように涙腺が決壊してしまって、嗚咽しか出ない。
私の頬に、額に、レイの柔らかな唇がそっと触れて、彼は微笑んだ。
「唇には、扉の外の人達がいないときにね。ああそうだ、アリーサ。君の呪い、もう解けているから」
「……!?」
驚いて彼を見ると、彼はまた私の頬に口付けた。
「久しぶりの君の顔だ。会いたかった、アリーサ」
「レイ……、私、私も……」
嗚咽の間に小さな声で、好き、と伝えたが彼にはちゃんと伝わったようだった。
彼の瞳はゆるりと細められ、私の左手を絡める彼の手の力が強くなった。
* * * * * * * * * *
「……すごいな」
語彙力が死んだベルナンは、早々にその場を後にした。
目が覚めたアリーサに、呪いの気配がしないか心配で扉の外にいたのだが、杞憂で済んだようだ。
同じように「良かった」と泣き続けるモニカを連れて、彼らは居間へと戻っていった。
「どうだった、二人は」
居間で待っていたヴィオレットが心配そうに言うのを、ベルナンはただ頷いて返事とした。
「それは良かったわね。隣国に引っ越さずに済んで」
「……まあ家の手配もなにもしていないからな」
ヴィオレットがホッと息をはくのに、ようやくベルナンの頭が動いた。
「レイは気づいていたようだが、いつ刺されるのか冷や冷やした」
衣装棚の中からの殺気を思い出して、ベルナンは腕をさすった。
アリーサを、罠にかけようと大人達は談合した。汚い、大人はさすが汚い。アリーサももうちょっと汚くなったほうがいい。それがベルナンの結論だった。
平和な日常を突如壊すようなアリーサの引っ越し。そして意に染まぬ縁談。
さすがに趣味が悪いと自覚はしていたが、ここまでやってもなおアリーサが、この話を受け入れるようならもう仕方ない。彼女は天使だったと諦めて、本当に隣国へ引っ越すしかないと覚悟をしていた。
予定通り衣装棚にアリーサを誘導して、自然と昔の盗み聞きを思い出させ、レイを送り込み、大人はわざとらしくその部屋で話をした。
彼女はついに無垢なままではいられなくなった。
ベルナンはホッとするのと同時に、少し残念な気持ちを覚えてしまった。
アリーサを見守りつづけるうちに、変に保護欲が沸いてしまっていたようだ。お役ご免を手放しで受け入れられない程度には。
モニカはひたすら良かったと泣いていた。彼女の姿を目を細めて見つめていると、彼女はそれに気づいてベルナンに駆け寄ると、頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます。ベルナンさん」
「いや、たいしたことはしていない」
浄化は成功した。呪いは消えたのだ。
ベルナンの仕事は終わった。彼はもうここにいる必要はなく、いずれ彼女らと別れて隣国へ戻るだろう。
それに名残惜しさを覚えて、ベルナンは付け加えた。
「またアリーサが新たな呪いにでもかかったら、声をかけてくれ。いつでも来る」
縁起でもない、とヴィオレットに怒られて、ベルナンは自分の口があの少年ほどに上手ければ、と思いながら謝った。
* * * * * * * * * *
眠りについたアリーサの顔を、じっと見つめながらレイは微笑んだ。
本当に、久しぶりの彼女の顔だ。
いつまで見ていても、見飽きない。
あの黒い女の顔は消えてしまった。呪いと一緒に。
少しだけ惜しいと思ってしまう自分が呪わしい。あの顔ならば彼以外の普通の男は彼女に近寄らない。残念ながら聖女と聖人という例外がいるため、彼が唯一になれるわけではないのだが。
ベルナンは以前彼に、レイがアリーサを呪っていると言っていた。それはそうだろう。認めよう。呪わしいくらい愛おしい。
しかし一つ反論したい。自分だって呪われているようなものだ。この心はすっかりと囚われてしまって、彼女以外のことを考えられない。
「まあ別にいいよ。いつまでもずっと、僕のことを呪っていてほしい」
レイは彼女の頬に口付けをして、もう一度微笑んだ。
<呪われた聖女の娘 完>




