迷宮踏破、貴種流離譚 1
『アーサー・ズライグ。
ネフィリム連合王国のコーンウォール公王領にて、公王アズルレリに仕えていた騎士ラウ・ズライグが公女と駆け落ちし、エクスワイア辺境伯領に身を潜めていた際に誕生した。公女は嫡男アーサーを生んだ後に産後の肥立ちが悪く逝去、以後は冒険者として生計を立て始めたラウの下で成長していく。
なお公女の家名ゴッホを苗字とした場合は、父の家名をミドルネームとしてアーサー・ズライグ・ゴッホが正式名称となる。
ラウが身を持ち崩して病死すると、アーサーもまた冒険者として活動を始めた。しかし公王領にて政変が起こり、エクスワイア辺境伯が冒険者の徴用を開始すると、アーサーは政争に利用されるのを嫌って出奔し福音王国へ身を寄せる。だが王国では折り合い悪く異変があり、突如発生した複数の〈迷宮〉を攻略するために招集を受けてしまう。斯くしてアーサーはバルトロメウス率いる一隊に加わり、ニューエムリンの〈迷宮〉攻略に挑む事と相成った――』
という筋書き。
こちらの世界ではアルトリウス。元の世界ではアルトリウス・コールマン。現在はアーサーという愛称を名乗る事にしている少年に、新たな偽りの出生が追加設定される運びとなっていた。
偽の父母の苗字二つを掛け合わせた『アーサー・ズライグ・ゴッホ』なるものが、自分の本当の名前という事になっているのだ。自身のために用意された嘘のバックストーリーは、少年へ軽度の頭痛を覚えさせるのに充分な破壊力を秘めている。
「思い返すだにツッコミどころが満載だな」
マーリンが用意した虚偽の来歴を、アーサーはそのように評するしかない。
――自身のブレーンとして働く気でいるマーリンがした事は、一言で纏めてしまうとクラッキングである。
クラッキングとはコンピュータへ不正にアクセスし、コンピュータシステムを改竄・破壊する行為の事を言った。
元の世界のコンピュータとは厳密には異なる媒体でも、担う役割や発揮できる機能は似通っているのがこの世界のルーン文明だ。故にマーリン、あるいはアリーアの行なった行為はクラッキング以外のなにものでもないだろう。どこぞのデータベースに侵入して、好き放題やらかしているのだから。
知りたい情報を集め、都合のいいように改竄した。言葉にしてしまえばそれだけの事で――しかし世間の目を避ける公子という、真実が微塵も含まれない素性にされた事は、今になっても納得がいっていない。
ほんの少し叩いただけで埃が舞い、簡単に事実が露見しそうな印象がある。大胆と言えば聞こえはいいが、単に杜撰で強欲な身分の詐称であるようにしか見えなかったのだ。これなら普通に名もなき村民として扱われた方がいいだろう。
そんな所感を抱いて呟いたアーサーに、マーリンは「またはじまった」とでも言いたげな声音で応じる。
『だーい丈夫だってぇ、安心しておくれよマイ・マスター。何度も言ってるだろう? バレないから安心していいってさ』
「………」
『ラウ・ズライグは実在したし、彼がゴッホ公女と駆け落ちしたのも事実だ。公女は子供を生んだ後に死んだ、ラウも冒険者になって何年か後に死んでる。子供もね。戸籍上死んだお子さんとマスターが入れ替わっていても、だぁれも気づかないし気にもしないよ。だってあの国は今とんでもない政変の最中で、些細な問題に気を配る余裕なんかないし?』
「些細?」
『そうだよ。公王は自分の娘が一介の騎士なんかと駆け落ちした事を醜聞だと思ってる。周りに知られたくないだろうから触れて回りはしないさ。箝口令を布いて家臣を黙らせてもいるよ。そもそもそれ以外の問題だって、本体が手を回してるから絶対にバレないんだよ』
「………」
マーリンがそう断言するから信頼できないのだ。
彼――否、彼女の能力を低く見積もっているのではない。むしろ能力面では信用している。マーリンが有用なのはグラスゴーフ最後の夜で、アーサーを異常な速度で強くしてみせた手腕を見れば疑う余地はないだろう。
だがそうであるからこそ不穏に感じるのだ。彼女に対する猜疑心は深刻な域にある。アーサーは鼻を鳴らして自身の装いを見下ろした。
アーサーの肉体は少年のそれから青年のものへと変化している。これは幻影などではなく、第五位階魔術〈変身〉による実体を伴ったものだ。
以前アレクシアが男体へ変化し、アレクシスと名乗っていた際に使用していた魔術と同じである。本来なら第六位階の真人でしかないアーサーに、第五位階魔術は扱えないはずなのだが、そこはマーリンが主人の潜在能力を引き出し発動させていた。これにより肉体年齢は二十歳そこらのものとなり、『コールマン』と今のアーサーを結びつける者は出てこないだろう。
とはいえ魔術による肉体の変化だ。術式の微弱な反応を察知し、アーサーの本当の肉体年齢を看破してくる者が出ても不思議ではない。が、マーリンに言わせるとバレても問題はないそうだ。騎士爵ラウとゴッホ公女マリューの死んだ嫡男も、アーサーとほとんど同年代だという。世間の目から逃れるための変装だったと言えば角は立たないとかなんとか。
そして、背中まで届く髪を束ね、胸元に流している姿。首元の蒼布をマントのように流し、纏った白銀の全身甲冑と特大剣は威容を演出している。艶のある無数の羽根を獅子の鬣のように兜へ取り付け、鴉を模した兜を被った姿は公子と名乗っても通じる気品があった。今は閑散とした酒場にいるが、自分がいるだけで場が華やいでいるようである。
――だからアーサーは嫌なのだ。何が悲しくて好きなアニメキャラでもない仮装なんかをして、堂々とした振る舞いをしなくてはならない。
アーサーは不機嫌だった。不満たらたらだった。そんなアーサーにマーリンは苦笑する。以前はともかく今は邪心なんてないのだから、今は少しでも早く主人の信頼を得ておきたい。そう思いながら少年を説得する。
これも何度か言ってるけどね、と前置きをして。
『あのね? マスターの希望の一つ、確かな立場と身分。それを手に入れるにはさ、普通にやってたんじゃ十年は掛かるよ? 手っ取り早く取っ掛かりを掴むにはこうするのが一番なんだって』
「どこでボロが出るか分かったものじゃないだろう」
『ボロなんか出ないって。マスターの世間知らずっぷりも、常識に疎いくせに矢鱈とアグレッシブなのも、ぜぇーんぶ生まれのせいだって事にできるんだからさ。目的を果たすための人脈の構築と知識の蒐集、そういったものの基盤を築き上げていくための最短経路がこれなんだ。わたしを信じてほしいな、マスター。グラスゴーフでだってマスターの望み通り、強くなるための道筋を示しただろう?』
「フン……私の率直な意見を伝えよう。『理解していないものは所有しているとは言えない』のさ」
『え?』
唐突にそう切り返したアーサーに、マーリンは目をぱちくりとさせる。
目なんてもの、マーリンにはないのだけども。しかしマーリンに人の体があれば、そんな反応をしているであろう声音だ。
「私は貴様を理解できていない。第五位階魔術の〈変身〉と、粗末だった武装のグレードアップ。どちらも私には出来ない芸当だ。だが貴様はそれを平然と熟す。貴様が発揮し得る性能の不透明さ、私を操り聖剣を握らせた過去、そして周到過ぎる手回しをしてのけている現状。全てが私の理解を超えている。そんな貴様を私の所有物だと認める事はできない。またぞろ私を謀り、なにがしかの企みに利用しようとしているのではないかと疑うのは当然だ」
『ふぅむ……ごもっともだね、けど腑に落ちないかな。なんだってそんな事を口に出すんだい? 黙って信じてますよって態度でいた方が、仮にわたしがマスターを誑かそうとした場合裏を掻き易くなるだろう? いや、騙したりとかしないけど。あくまで仮にね、仮に』
「私は自分を過信していないつもりだ。以前は気づかなかったのに今度は気付けると、根拠もない自信を持ったりはしない。どんなに警戒していても、してやられるかもしれないだろう。だから話した。こう言えばマーリンも自分の言動に気を遣うんじゃあないか? 気を遣っていれば多少やり辛くなり、やり辛いと感じれば私が違和感を掴む手掛かりになる――というわけだ」
要するにマーリンによからぬ企みがあっても、迂闊に動かないように牽制してきたわけである。
マーリンは苦笑を深めた。
そんなに心配しなくても、本当に主人の意に沿わない事をする気はなくて、純粋に主人を尊重し助けになりたいだけなのだが。
まあ信じられない気持ちも分かる。それにマーリンはあくまで端末だ。本体であるアリーア・エンテオ・フィリアになんらかの企みがあったら、マーリンを遠隔操作するのなんて容易いだろう。であればアーサーがマーリンを警戒するのも、あながち臆病すぎるとは言えまい。
「それに設定が安直過ぎだ。政変のあった国の公子だって? 祖国の政変を避けて来た公子が、都合よく王国の騒乱に巻き込まれる? 下手な設定をしてくれたものだな。日本のクリエイターならもう少し捻ったものを練りそうだ」
『んんぅ……?』
主人が皮肉めいて呟いた。
時々アーサーは脈絡のない事を言う。ライトノベルだの王道だのと。それに日本という国について引き合いに出す事もあった。
日本って魔族側の国の事じゃないか、とマーリンは思うのだが。魔族は挙国一致した一枚岩の組織ゆえに情報漏洩もないはずで、彼が日本の事について知り得る情報はないはずだ。
どうだっていいか、と思う。追求する気も、詮索する気もなかった。
アーサーが聖剣コールブランドを毛嫌いし、放り捨てたとしても、聖剣はいつだって所有者の傍を離れない。アーサーの機嫌が悪い原因は、捨てたはずの聖剣が近くにあるのを感じ取っているからだろう。
アリーアの悲願が聖剣の所有者を創り出す事であった以上、アーサーは今後聖剣から離れる事はできない。その逆もまた然りだ。
故にもう運命は確定している。アーサーは王道を歩むだろう、そして自分達の満願成就も約束されている。マーリンは楽しみだった、主人が自分の使命に気がつくその時が。
なんの変哲もない宿屋に見える、国営冒険者組合の仮設拠点。アベルキヒの門を間近にした時、マーリンは主人へと囁きかけた。
『まあいいや。それよりマスター、目的の場所に着いたよ。巷じゃヤラレ役の踏み台、三流のかませ犬みたく扱われる聖剣の勇者って肩書が――ぜんっぜん安くないって事を証明しようじゃないか!』
「そういう俗な所は嫌いじゃないが……現実と空想を混同してくれるなよ」
というかこの世界でもそうした設定の漫画やらがあるんだな、とアーサーは内心で呆れる。元の世界でわざわざ英文に翻訳して、その手の作品を読ませてくれた日本の友人を思い出し、若干懐かしい気持ちにさせられた。
日本人の大学生だった彼、コウジロウ。日本語を教えてくれた彼は今、どこで何をしているのだろうか? もはや何もかもが懐かしい。
そう、『懐かしい』のだ。そう感じてしまうほど昔の出来事なのである。そうした感じ方一つに寂しい気持ちが湧いてくるのに、アーサーは目の前の現実へ虚しさを覚えつつ――新たな未来に続く門戸を叩いた。
はじめの第一歩を踏み外すわけにはいかない。『懐かしい』という過去を、『当たり前』という日常に戻すために、立ち止まる事だけはしないと心に決めているのだから。
† † † † † † † †
斬、と切り捨てるや湿った肉の音が奏でられる。
どちゃ、と。ひどく不細工な音色だ。だが白騎士は仔細構わず片膝をつけて屈むと、自身が斬り捨てた魔物に手を触れた。
切断面に手を突き込み、魔石を抉り取るでもなしに魔物の体を物色する。まだ辛うじて息があるらしい魔物は、ビクビクと身体を痙攣させながら呻いて、やがて電源が落ちたように息絶えた。
内臓に触れ、血管を探り、それらを辿って体組織の構造を脳裏に描く。そうしてぐちゃぐちゃとグロテスクな音を立てる白騎士へ、共に来ていた冒険者が顔を顰めながら訊ねた。
「なあ、何してんだ?」
特徴的な武装で身を固めている白騎士は、緑の体色を有する小型の魔物、小鬼の遺骸へ魔力波長を流し込み、全体図を精査しつつ応じる。
その語調はあくまで平静そのもの。死んでいるとはいえ生物の体内を弄っているというのに、嫌悪感をまるで感じずに落ち着き払っていた。
「人型のモンスターは関節の箇所、数、可動域が人間のものと同じだ。なら内臓の数と位置は? 痛覚の程度はどれぐらいだ? 机上の知識として知ってはいるが、やはり自分の体感として知っておきたいと思ったのさ」
「お、おう……」
「なにしろ魔石という魔力の結晶体がモンスターの中にはある。これは人間の身体には存在しない物質だ。モンスターに固有の物であるなら、この魔石を結晶化させる器官が身体のどこかにあるはずだろう……だがそれに言及している資料にありつけた試しがない。私は勉強不足だと自覚しているが、知識を蓄える姿勢を欠くつもりもないし、故にこうして実地で調べているわけだ」
とは言うものの、グラスゴーフで迷宮に潜った際にはこんな事をしてはいなかった。
だがあの時はこうした発想ができる、精神的な余裕がなかったのだ。〈この世界の自分〉の側面が強く引き出されていたという事情もある。
心のゆとりと元の自分の思考形態を取り戻した今、好奇心を刺激する事象に手を出さない気はなかった。
『心の強度も二乗化してるんじゃない? 普通は気持ち悪くてこんな真似はできないよ?』と、マーリンが思念を飛ばしてくる。
一瞬手を止めて、そう都合が良ければいいのにな、と内心呟く。心の強さまで強化されるなら、それはむしろ望ましい事だからだ。変に躊躇ったりするような情けなさを、敢えて保持するのは愚かとしか言えまい。
だが残念なことに、心の強さとやらが二乗化している気はしない。生憎とこれは地の性格だった。
例えば学業の一環でネズミの解剖を行なわねばならない場合、それを苦痛に感じたりする人がいる一方、平気な人も少なくない数が存在するように、アーサーは後者に属する感性の持ち主というだけのことだ。今のアーサーは魔物を生物だと見做していない、無機的なまでに冷たい視点で事に当たっている。それだけのことでしかなく、何もおかしくはなかった。
「ひぇぇ……オメェさん、ぶっ飛んでんなぁ……そういうのは研究畑のマッドどもに任せときゃいいだろうに……」
「人任せにする気はない。教えてもらえるなら素直に教わるが、自分で学べる機会が目の前にあるのに見過ごすのはバカバカしいだろう――っと、これか」
ゴブリンの身体から魔石を抜き取る。透明な宝石のようで、握り拳の半分ほどの大きさだ。
無色石と呼称される、純粋な魔力の塊である。魔石を失うや溶けて消えていくゴブリンを一瞥して、アーサーは深々と嘆息する。
「魔石を精製すると思しき器官は無い、か。魔石を抜くと体が溶けて蒸発するという事は……むしろ魔石の方こそがモンスターの本体なのかもしれないな」
「どういうことだ?」
「魔石がモンスターの体や魔力を精製し、形作っているのではないかということだ。原理としては魔術の術式が、モンスターの形として独立している可能性がある。根拠となる理論は無いが、そんな気がするな」
「へぇ……おれぁバカだからな、んなこと考えたこともなかったけどよ……一応筋は通ってるんじゃねぇの? おれとしちゃあどうでもいいけどな。それよりあれ見ろよ、そろそろ行かねえとバルトロメウスに叱られっぞ?」
「む」
言われ、顔を上げる。
本来は光源の存在しない、真っ暗闇の〈迷宮〉だが、数名の魔導師が魔力の光球を生み出し辺りを照らしていた。
その光球の中心部では、無数の情報集積文字が緩やかに乱回転しており、それなりに難度の高い魔術式であるのが伺える。
グラスゴーフの生体型迷宮とは異なり、地面や壁、天井は灰色の石壇で構成されている。通路は意外なほど広く、人間が横に十人並んで戦っても余裕があり、天井にしても高さが百メートルはありそうだ。
外観からして大きな〈迷宮〉であるのは分かっていたが、実際に中に入ってみると、現実離れして広大な領域を有しているのが分かる。これでは迷宮というよりも、神話に出てくる神の城、神殿といった風情だ。
如何にも高貴なる白騎士といった風体のアーサーは、少し奥の方で五十数名ほどの冒険者達が固まっているのを見つけて嘆息する。
広い空間に出たらしい。〈迷宮〉攻略の経験値が皆無なアーサーは、経験者であろう他の冒険者に合わせるつもりでいた。足並みを揃えないで睨まれるのも面白くはない、アーサーはさっさと広間に向かうことにする。
先程から声を掛けてくれたり、相槌を打ってくれていた親切な冒険者に礼を言った。わざわざありがとう、と。ひらひらと手を振って感謝を受け流し、バルトロメウスと同じ服装をした青年は進んで行った。
それに付いて行くと、丁度最後のゴブリンが金髪碧眼の少女に斬り捨てられるところで、長大な鋼の柄に巨大な処刑刃を取り付けた物を武器にしている少女は、ドン、と地面を石突で叩いて澄んだ声を張り上げる。
「掃討完了。第一層大広間、クリア」
「おう」
太い眉とキツい印象の吊り目、整っていながらも鋭角的な輪郭の顔立ち。
風貌はまさしく凛々しい女騎士である。だが大振りのバルディッシュじみた武具と、どこかアーサーの物と似通った衣装の黒い全身甲冑を纏った姿は、さながら強力な暗黒騎士といった印象を想わせた。
黒騎士は何故かアーサーを一瞥すると状況を告げる。それにバルトロメウスは端的に応じた。そして部隊員全体を見渡して、なんとなく思案している様子を見せながら言う。
「全員集まってるな。ここまでは雑魚しかいなかったが、こっから先はそうもいかねえだろう。見な」
手振りで示したのは、奥へと続く通路である。
ここまでは一本道だったのに、先に進む道は五つに枝分かれしていた。
城門を象ったそれへ、冒険者達は胡乱な目を向けることなくバルトロメウスを見詰める。
「見ての通りだ。こっから先には隊を六つに分けなけりゃなんねぇ。俺を含めた七人が一旦ここに居残って、後は十人ずつに分けて別途に進んでもらう。異論はあるか?」
「おー、あるぞぉ。なぁんで分散するんだぁ? こんなもんはよぉ、壁ぇぶっ壊して進んだ方がよかねぇかぁ?」
「あ? あぁ……んな分かりきったこと聞く奴がいやがるたぁな……」
妙に間延びした声を上げたのはデカい男だった。
巨漢である。それも人の規格に収まらない桁外れの大きさだ。身長は十メートルと半ばほどもあり、筋骨逞しく筋肉の塊といった体躯をしている。
簡素な鎧とバーゴネット兜を被っているが、どちらもかなりの質量があるのが分かる。それにも増して無骨な斧を担いでおり、神話生物とでも言うべき存在感を有していた。
巨人。種族でいえばそれであり、バーゴネット兜の隙間からざんばらに伸びた黒髪がはみ出ている。アーサーは隣にいる親切な冒険者に小声で訊ねた。彼は? と、短く。すると「あぁ、あいつはムウ・ガリバーだ。巨人は平民でも苗字を持っててな、あいつはその中でもとりわけバカって事で有名さ。その馬鹿力もな」と教えてくれた。
「ガリバー、テメェにも分かり易いように教えてやっからよぉーく聞け。んで絶対に忘れんな。いいな?」
「おぉ……」
「返事ぐらいまともにしろウスノロが。壁をぶっ壊して進んで行くのも一つの手ではあるがな、それをしねぇで律儀に道沿いに進んでやんのには訳がある。〈迷宮〉ってのは魔族共にとっちゃあ楔みてぇなモンでな、存在してるだけで人類圏を汚染して魔境に近づけていきやがるのさ。んで〈迷宮〉の主はこの楔を維持する役割があるから迂闊に動けねえが、〈迷宮〉そのものが破損していくにつれて自由に動けるようになっていく。維持に回してる力を迎撃に当てられるようになってくんだ。んなもんで、イスイヴトプスの奴には拠点の維持に注力してもらうために、内部構造は可能な限り破壊しない方針でいく。……一応訊いとくが、この〈迷宮〉が出来上がった経緯は知ってるな?」
「知らないぞぉ……?」
「……尻尾巻いて逃げやがってる魔族のアバズレが、軍や俺らの追撃を打ち切るための障害物にするために〈迷宮〉を作ったんだよ。アルベドのヤツを利用してな。つまり、できるだけ時間稼ぎをするのがイスイヴトプスのお仕事で、ヤツが積極的に打って出る必要は無い。まともにやり合っても、なりふり構わずにやり合っても、人類圏の只中に取り残されたイスイヴトプスが死ぬのは既定路線だからな。時間稼ぎに徹した方が相手にとっても都合が良いわけだ。んで、俺らの仕事はここの攻略で、魔族の追撃はよその仕事だろ。無駄な時間稼ぎに付き合ってやる代わりに、必要最低限の労力で深層まで進んで行ってやるわけだ。俺を含めた七人がここに残るのは、それぞれ進んだ連中が危なくなったら、援軍として回す人員を確保するためってな寸法だよ。分かったか?」
確かに分かりやすい。意外なまでに丁寧な説明に、アーサーは内心頷いた。
だが、肝心のガリバーは駄目だったらしい。曖昧に「ぉぉぉ……」と呻き声じみた返事をしている。
「チッ……メンドクセェ。まあいい、馬鹿に構う暇はねえし、隊を分けるぞ」
可能な限り噛み砕いた説明をしたのに理解されなかった事へ、バルトロメウスは露骨に舌打ちした。
アーサーとは違い、彼はガリバーの事を知っているだろう。にも関わらず一度はちゃんと説明する労を割いたところに、バルトロメウスの人の好さが滲み出ている気がして苦笑する。
バルトロメウスが切り替えて話を進めると、それを遮るように黒騎士が口を開いた。
「バルトロメウス、待って」
「……あぁ?」
「私を彼と同じグループに入れてほしい」
アーサーはギョッとした。何故なら黒騎士が巨大なバルディッシュで指し示したのが自分だったからだ。
だが怪訝に思ったのは冒険者部隊の部隊長、バルトロメウスも同じである。どういう事だと視線で訊ねると、無骨な手甲の指先で髪を払いながら答えが返る。
「彼のあの甲冑を見て。私のと意匠が同じ」
「……そうだな。だが色は違うぞ」
「私のは黒く塗装してるだけ。本当は白い。彼は私と同じ一族かもしれない。だから、話がしたい」
重ねて驚いたアーサーだったが、辛うじて表には出さないでいられた。しかし内心は穏やかではない。慌ててマーリンに思念を飛ばす。
(マーリン、どういう事だ?)
『どう、って何がだい?』
(とぼけるなッ! 私の防具をこの形にしたのは貴様だろう、狙ったのか!)
『うん。公王家に連なる人間はね、今のマスターが着てる甲冑と同じ型式を着用するものなんだ。知ってる人からするとバレバレな格好だったりするよ』
(……貴様)
『怒んないでよ? 十年規模の時間短縮、そのためのコネ作りには必要な事だからね。ちなみに彼女の名前はベディヴィア・スライシス・ゴッホ、子沢山なコーンウォール公王の娘さんだ。母親は第四夫人だったかな? 頑張ってやり過ごしてねー』
マーリンはそう言って思念を打ち切る。何度か呼び掛けても反応がなく、だんまりを決め込まれてしまった。
どこぞのデータベースに侵入して、必要な情報を集めたり作ったりしたのはマーリンだ。彼女の素性だって、案の定知っていたのである。にも関わらず大事な事を黙っていたマーリンへ不快感を覚えた。
コイツはアーサーの信頼を得たいと思っているようだが、こんな調子で本当に信頼を得られると思っているのか? 有能なくせしてコミュニケーション能力に難があるとでも言うのだろうか?
彼女にはどこか抜けてるところがあるのは承知しているものの、流石に唐突な無茶振りには怒りを禁じ得ない。
だが怒っている場合ではないだろう。アーサーは自分を横目に見る黒騎士の視線に気づくと、咄嗟に激していた感情の波を抑え込む。
バルトロメウスはベディヴィアの顔を見ながら、考えを纏めているらしい。その様子に、今の内にベディヴィアとどう接するかを思案した。
若き帝国士官のような背格好の青年、バルトロメウスがポツリと呟く。
「……お前はここに残すつもりでいたんだがな」
「嫌。気になる」
「……チッ、しゃあねぇな。だがよ、ベディヴィア……お前をそっちに回してやる代わりに、お前んとこの人数は削るぜ」
「五人でいい」
うむ、と鷹揚に頷きながらベディヴィアが歩み寄ってくる。アーサーは無意識に生唾を飲み込み、緊張から体が固くなり掛けているのに気がつくと、意識して無駄な力を抜いて自然体のまま黒騎士を迎え入れる。
「や」
シュタッ、とフレンドリーに片手を上げて挨拶してくる彼女に、アーサーは無言で応じる。自然体を心掛けつつも、敢えて微かな警戒心を覗かせた。
無視される形になったベディヴィアが眉をひそめる頃に、ゆっくりと片手を差し出して握手を求める。彼女はそれに応じて手を握ってきた。
「よろしく。確か、アーサーだっけ」
「ああ。こちらこそよろしく……と言いたいがな。本音で言うと私は、君と距離を置いていたかった」
「なんで」
「言わなくても分かるだろう」
言葉短く質問してくる様に、わざとそれらしい言い方を選び煙に巻く。言わなくても分かるだろう、僕は分からないけど――アーサーは手甲の下で、手汗がびっしりと浮かび上がっているのを自覚していた。
握手していた手をするりと抜き取り、一歩後ろに下がって距離を置いたアーサーに、ベディヴィアは何か物言いたげな顔をして口を開く。だが二人が悠長に会話を交わしていられる場所でもない。白と黒の騎士達のやり取りを無視したバルトロメウスが、よく通る声で残りの三人を寄越してきたのである。
「ムウ・ガリバー。スカイランナー。ローディアン。テメエら三人はアーサーとベディヴィアについて行け。スカイランナー、分かってると思うが――」
「へぇへぇ分かってやすって隊長。進んでる途中で異常がありゃ報告、次の広間に着いたら連絡、判断がムズい案件に遭ったら相談の報連相だろ? 任せとけって」
軽薄に応じながらやって来たのは、先程アーサーに声を掛けてくれた親切な冒険者である。バルトロメウスと同じ軍服を纏った彼はスカイランナーというらしい。そしてもう一人は、ローブを被って顔を隠している小柄な人物だ。
しかし、ガリバーはやって来ない。あれだけの巨体だ、どこにいるかは一目瞭然で――彼が斧を振りかぶっているのを見たバルトロメウスが深々と嘆息する。
ガリバーが五つある城門の内の一つを、その斧で粉砕したのだ。
一撃である。凄まじい轟音と衝撃波に、その場にいた全員が唖然とした。
彼の膂力の凄まじさに驚愕したのではなく、考えなしに動いた軽率さへ呆気に取られたのである。
ついさっきバルトロメウスから説明された事を、もう覚えていないらしい。美貌の王子様と言っても通じる容貌のバルトロメウスは、頭痛を堪えるような顔をしてアーサー達に言った。
「――お前ら、あのバカの手綱を握って離すなよ。いいな、他の連中に迷惑だけは掛けんじゃねぇぞ」
重々しく頷く面子を置いて、巨人は勇壮な雄叫びを上げて奥へと突貫していく。その様はどこかコメディーめいていて、密かに緊張していたアーサーは思わず噴き出してしまうのだった。
ブクマありがとうございます!




