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死に候え不思議の国〜モータル・ワンダーランド〜  作者: 飴玉鉛
序章「エピック・オブ・アーサー」
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富貴在天、俎上之肉 2





 ゆめのなかで、もがいている。









  †  †  †  †  †  †  †  †









 彼自身に自覚はない。

 自己の精神状態を客観的に分析する事を怠り、やる事がないからと時の流れに身を委ねたアーサーは、常に外部から受ける刺激に飢えていたのだ。

 常人類と同じである。

 復讐という目的を達成した今、アーサーは元の世界への帰還を渇望するべきだ。たとえ何度失敗しても、試行錯誤を繰り返し続けるべきなのである。

 にも関わらず時が流れるまま、状況に流されるままでいるのは、アーサーが霊峰に活力や気力といったものを吸入されているからに他ならない。

 アーサーは自分には影響がないと思い込んでいた。だが気づけないほど自然に、少しずつ気力を吸われ続けているのである。自覚がないだけで、能動的に行動するという発想が奪われていた故に、彼はアルドヘルムとの契約が効力を失ってもこの地に滞在し続けていたのだ。


 元の精神状態を保持したアーサーなら、アルドヘルムの魔術の縛りが解けた途端、元の世界に戻るための手掛かりを探しに走っただろう。

 そうしていない時点で、彼はもうとっくの昔にまともと言えない状態に陥っていたのである。


「ハ――」


 自身の兜の表面を掠め、地面に叩きつけられた獣の巨腕。爆発したように積雪が爆ぜ、光を食らう雪片が虚空を舞う。まともに喰らえば即死を免れない一撃に青年は嗤った。

 小山ほどの巨体から繰り出される腕のひと振りは、容易く人を肉片にしてしまえる。敢えて(・・・)自らを強化しない、素のままの肉体性能で立ち回る鴉の騎士は、己に重大な毀傷を与え得る獣の殺意に狂喜していた。

 なぜ喜んでいるのか。無気力なままではいられない、差し迫った事態の到来に、青年の生物としての本能が唸りをあげ気力が捻出されてきたからである。


「は、は……」


 家屋に匹敵する巨大な獣の突進は、その質量だけで金属であっても粉砕するだろう。それをひらりと躱し、闇雲に振り回される両腕を回避するアーサーは掛け値なしに本気だった。

 本気で、戦っている。大剣の柄に鉄棍を接続し、剣槍へ武装形態を変化させたアーサーは、嘘偽りなく本気で獣を斬りつけている。

 厚い黒毛に覆われた腕の皮膚を裂き、ワイヤーの如く強靭な筋肉に鎧われた胴を突き、醜い獣ブルドの全身を切り刻んでいく。

 アーサーは嗤った。嗤って、笑った。急激に生き返っていく感覚は、さながら枯れ果てたミイラが水を吸い、瑞々しい肉体を取り戻して蘇っていくかのようだ。


「はははははッ」

『   ?』


 もどかしげに黒獣が唸る。巨体に見合わぬ軽い所作で飛び退いて、距離を置いた魔獣は訝しげにアーサーを見据えた。

 その両眼に大いに含まれるのは困惑の色。ブルドは獣だ、だがそうであるが故に臆病でもあり、臆病な獣に相応しく鋭敏な危機察知能力を有している。

 ブルドはアーサーに、言い知れぬ悍けを感じ取っていた。この小さな獣は、己を殺められると感じていたのだ。

 これまでブルドが仕掛けた攻撃の全ては様子見に過ぎない。野生の獣が未知の物体を小突き、本当に危険か否かを判断しようとする行動の一部だ。

 しかしその結果明かされたのは、アーサーが本気の自分にまるで敵わない弱き獲物という実態である。


 目の前の人間は己を殺し得ると感じているのに、実際にはそうでもない。この齟齬に違和感を覚えたブルドは戸惑っていた。


「何をしている……? もっと、もっとだ。逢瀬はまだ始まったばかりじゃあないか。止まってくれるな、激しく来い。お前の命は私の物だ、擦り切れるまで構い倒してやる。さあ、来い。――来いッ!」

『   、』


 ブルドに合わせ、足を止めたアーサーが熱望する。掛かって来い、早く遊んでくれと。


 足りないのだ、満たされないのだ。乾いていた砂漠の心にようやく慈雨が齎されたのである。寸止めなんて無体な真似はやめてくれ、暖機を終えるにはまだ早い。早くしないと元の木阿弥だ。こんなに心を枯れさせる土地にいたくない、早く出て行きたい、そのためには行動するための英気は不可欠だ。

 シャロウの仇討ちなんて空虚な名目は飾りに過ぎなかった。アーサーには余裕がない、生来の良心ゆえに本心から仇を討つ気はあるにしろ、まずは自分自身を救い出してからでないといけなかった。

 だからこそアーサーは欲している、自身の根源的本能を刺激してくれる、危険な敵を。真に立ち上がれたその時にこそ、シャロウの無念を濯ぐため一刀の下に両断してくれよう――人の言葉を解する知識はなくとも、仕草の意図を読み取り理解する知能はある。眼前の人間が何を訴えているのかを、言語を超えた領域で醜い獣は察知した。


 この人間は、己を侮り戯れている。


 そうと理解した瞬間である。ブルドは堪え難い屈辱に総身を震えさせ、全身の毛穴から膨大な魔力を解き放った。

 黒い毛が青黒く変色する。濃密な魔力が噴出し、衝撃波を発しながらブルドが雄叫びを上げた。この不遜な人間を屠殺せんがため、自らの持てる力の全てを使って掛からんとしているのだ。

 怒髪天を衝くとはまさにこれ。風もないのに揺らめく青黒い体毛が伸長し、全身の筋肉もまた膨張して一回り以上も体躯が巨大化していく。

 舐めるなと吼えるその威容、その迫力。口腔を開き咆哮する獣の力は最早、畜生の域を超越し真人の域にさえ手を掛けている。これでもまだ遊んでいられるのかと言わんばかりに、ブルドは人間に己の戦闘形態を見せつけた。


 如何なる侮りも決して見過ごさないという獣の誇りが、眼前の小さな真人(ケモノ)を威圧する。


 だが魔力の暴風が己を打ち付けるのに、アーサーは莞爾とした笑みを湛えるばかり。

 あたかも期待通りだとでも言いたげに、青年は枯渇していたはずの情動が湧いてくる感覚に感動していた。

 何度も見たはずの、光を食う雪景色を綺麗だと思える。

 屹立する木々の大きさに感嘆の念を覚えられる。

 肌に感じる冷たい外気が新鮮に感じられる。

 どれもこれも元の世界では絶対に見られないものだ。呪わしい現象に見舞われた故の今であるにしろ、これだけは素直に貴重な体験をしていると思えるのである。


「……ああ、私だけは霊山に活力を吸われていないなどと、どうして思い込んでいたのだろうな? こうしてみると、己の思い上がりが恥ずかしくてたまらない」


 感無量とはこの事だろう。アーサーは今の(・・)自分では逆立ちしても絶対に抗えない、巨大な獣の脅威に慄くことはなく、逆に腹の底に詰められた栓が破裂し、激流が噴出するが如き歓喜に打ち震えていた。

 鳥が翼を広げるようにして、剣槍をゆったりと持ち上げる。そして反対の手で首に巻いたチョーカーを掴むと、後先考える理性もなしに引き千切った――いや、引き千切ろうとした。


 その直前だ。ゾワリと背筋に悪寒が走り、アーサーは思わず手を止めてしまう。


「――ッ?」


 脊髄に氷柱を突っ込まれたような寒気に襲われたのだ。咄嗟に全力で強化した腕を掲げて首を防御する。

 直後である。

 カンサスの樹海の更に奥深く、霊峰の方角から斬撃が(・・・)飛んできた(・・・・・)

 それはアーサーを素通りし、今まさにアーサーに襲い掛からんとしていたブルドを捉えた。魔力とは違う形質の刃が飛来し、分厚い首を浅く裂いたのである。

 ブルドが絶叫し、もんどり打って地面を転がる。激痛に見舞われたのではない、不意打ちに等しい一撃に驚いただけだ。

 だがその驚愕の深度は脅威的である。ブルドは恐れた。たった今己を襲った物質に拠らない斬撃の主は、己を雑魚として処理してしまえる捕食者なのだ、と。理解の及ばない、姿なき捕食者に捕捉されているという事実を悟った獣の行動は、理性を挟まぬ故に迅速を極めた。


 獣は弾かれたように立ち上がるや、四肢をついて即座に駆け出してしまう。アーサーは呆気に取られるしかない。樹海の奥に消えていく青黒い巨獣を、何をするでもなしにポカンとしたまま見送ってしまった。


「………は?」


 ブルドが、逃げたのだ。

 これからという所で。

 逃げた。


「………」


 振り上げた拳の下ろし先を失くし、アーサーは呆然とする。予想だにしなかった展開に理解が追いつかない。

 いいや、理解を拒んだのだ。

 たっぷり一分以上そうして佇む。それでもなお一歩も動けない。無意識に降ろした剣槍の切っ先が、積もった雪に埋まった。


「……またか」


 絞り出された呻き声は、地の底から響く怨嗟に近い。地響きを伴う憤怒が青年の総身に充填されていく。


「また、なのか……?」


 顔を微かに俯かせ、小刻みに体が震えさせた。


「ダンクワースの時も、アルドヘルムの時も、水を差された。そして今度はお前も、私を白けさせるというのか、ブルド………」


 忌まわしい記憶が蘇る。ダンクワースは狂人だった、アルドヘルムは小賢しかった。どちらも爽快な達成感を齎してくれず、その時の蟠りはずっと胸の中に沈澱したままで。だからこそ獣に対して懐いた理不尽な怒りは、青年が芽生えさせた歓喜の分、根深い。漸く再起動した精神の高揚を無体に扱われ、堪えようのない癇気が脳髄を焼いた。

 癇癪を抑え込む。束の間の静寂は、溜め込んだ怒りを臨界に達させんがためのもの。そしてアーサーという青年は、怒りを内に秘めて蓄積させる性格だ。爆発の時を待ち、満身の赫怒を叩きつける人間だった。


 だが同時に、彼は理性的でもある。体が震えてしまうほど怒りを覚えても、立ち止まって損得を計算し、状況を分析するクレバーな性質を有してもいる。


(……今、斬撃が飛んできた。魔力とは違う、僕の知らないエネルギーで刃を形成し、僕の体を透過してブルドに直撃した……そんな真似が出来る奴が樹海(ここ)にいる? それは獣か、人か。斬撃であるなら、下手人は人間なのかもしれないが、決めつけるのは賢くない。僕が知らないだけで刃物を備え、魔力とは違うエネルギーを操れる獣がいる可能性もある)


 そこまで考えて、アーサーは失笑した。

 無駄な考察だ。並べた所で正体を掴めるわけでもなし、こうして突っ立っているだけ時間の浪費にしかならない。


(シャロウには、悪い事をした。あんなに小さな女の子に、おざなりな対応しかしてこなかった。しかも彼女の仇討ちを、あくまでオマケ程度にしか捉えていない自分がいる。まさかだ、まさか僕の性根がここまで腐っていたなんて、笑えない)


 とんだクソ野郎だ。

 今の今まで思い出しさえしなかったが、ダンクワースを始末する折に、彼の護衛に回されてきたという理由だけで一個中隊規模の兵士達も殺傷していたのだ。

 クソ野郎なだけではなく、人殺し。それが今現在の自分である。

 己をそう評価しつつも、しかしアーサーは鼻を鳴らす。後悔なんてしていない。同じ状況になったなら、何度でも同じ処置を下すだろう。故にアーサーが思ったのは一つ。


(……少しぐらい、真人間に戻る努力はしないとね。でないと父さんと母さんに合わせる顔がない。だから今は、ひとまず――)


 頭を振る。

 無用な熱を頭の芯から振り払い冷静な己に立ち返ると、剣槍を肩に担いで歩き出した。

 向かうのは名前のない集落ではない。

 醜悪な獣が逃げ去った、カンサスの樹海の奥深くである。


「――シャロウの仇を取ろう。遊ぶのは、無しだ」









     †  †  †  †  †  †  †  †









 くい、と裾を引かれた。それに伊勢守朝孝は微かな驚きを覚え、危うい足取りで付いてきていた祈祷の巫女を振り返る。

 どうかしたのかと裾を引いた真意を伺うも、赤い包帯に覆われた目からは感情を読み取れない。鬼柳千景が訝しげに口を開いた。


「伊勢守、どうかしたのか?」

「いや……巫女が儂の裾を引いたのでな。なんぞ申したき事でもあるのかと」

「巫女が?」


 剣豪らが向ける二対の疑惑の目に、巫女はたじろがずにいる。彼女は薄っすらと艶やかな唇を開いた。


「………」

「なんだ、はっきりと申せ」

「……あなた、じゃない」


 祈祷の巫女は拙い語調で、朝孝を否定していた。

 意図が読めず困惑する彼に代わり、千景が巫女に訊ねる。


「私か?」

「あなたじゃ、ない」


 光を吸う闇の雪が降り注ぐ中、朝孝と千景は顔を見合わせた。正直に言って意味が分からない。しかし巫女は高熱に(うな)されるように、曖昧な語調で語る。

 彼らはこの時、巫女の声をはじめて聞いていた。朝孝はともかく、世話役の千景ですら彼女が声を発したのを聞いた試しがなかったのだ。

 故に信じられない気持ちで千景は耳を傾ける。言葉を教わる事もなく育った巫女が、どうして話せるのだと驚きながらも。


 暫しの沈黙を挟み、ややあって巫女は再び口を開いた。


「救けて」

「………?」

「………」


 千景は意味を理解しかね、朝孝は無言で眉を顰める。

 たすけて、と彼女は言った。何から救けろと言うのか、彼女を案じていた朝孝であるからこそ察してしまったのだ。

 だが分からないのは、自分や千景に向けた救難信号ではないという事。

 いったい誰に向けて言ったのだろう。誰に対して求めているのだ。


「……巫女よ。何から救けろと言うのだ?」

「………」

「黙っていては分からぬ」

「……あなたじゃない」


 巫女はもう一度、繰り返し朝孝を否定した。そして唐突に明後日の方に向くと、よたよたと頼りない足取りで歩き出したではないか。

 戸惑うばかりだった千景が慌ててその腕を掴む。「どこに行く」と問うも、巫女は何も言わずに藻掻く。離して、と。だが離す訳がない。彼女の身柄は貴重なモノ、儀式に身命を捧げてもらう必要があった。


「貴殿の到達点、山頂までもうすぐだ。与えられた使命を果たせ祈祷の巫女」


 巫女は何も言わない。嫌々と幼子がするように頭を振る。千景は苛立った素振りは見せず、冷徹な目で彼女を見下ろしていた。

 当て身でも食らわせ、気絶させた巫女を運ぶかと思惟を働かせる。女武者は朝孝を一瞥し、やむを得まいと彼も頷いた。だが、巫女は言う。


「いまは、だめ」

「何? 今は(・・)、とはどういう意味だ」

「――魔神教団がいる(・・・・・・・)。いま開いたら(・・・・)、とりかえしがつかなくなる」


 マジン教団。聞き覚えのない名に、朝孝と千景は再度顔を見合わせる。

 マジン。それは魔族が真人を指して言う魔人の事だろうかと考え、しかしはたと朝孝は思い至った。

 魔神。彼女はそう言ったのだ。真人である自分達を指して、魔の字を冠する者など魔族以外にはいない。であれば同じ響きでも、巫女は魔神と口にしたとしか思えなかった。

 魔神教団。字として起こしたらそう書くのだろう。聞くだに悍ましい響きである。朝孝が慄然とするのに、千景は顔を強張らせながらも疑念を浮かべる。


「魔神教団だと? ……詳しく話してくれ。我々はそんなものの存在など、見たことも聞いたこともない。出鱈目を口にしているのではないだろうな?」

「……あなた(千景)じゃ、むり。あなた(朝孝)も、むり。どうにもならない」

「っ……何が無理だと言っている。私や伊勢守を軽んじているのか?」


 巫女は否定する。小さくかぶりを振って。

 もどかしげな光が千景の瞳に過る。いまいち要領を得ない巫女の語り口に、彼女は言い知れぬ焦りから詰問した。


「魔神教団とはなんだッ、言わねば分からん! 救けろと言ったな、だが何から守ればよいのかも伝えてくれねば、我々にもどうしようもないぞッ」

「あなたじゃむり」

「………!」


 元が融通が利かず短気な性分である。普段は鋼の如き自制心で抑え込んではいるも、地の千景は堪え性のない性格だった。

 カッと頭に血を昇らせる。思わず怒鳴ろうとした千景を、しかし朝孝が制した。


「落ち着かれよ。巫女の言には不安を煽られるが、怒りを抱えてもよい事など一つもあるまい。ここは巫女の意向に沿い、暫し時を置いて様子を見てはどうか」

「伊勢守……」

「ぁ……だめ。だめ。ここにいちゃ、だめ……!」

「なッ!?」


 祈祷の巫女は今、権能のほとんどを封じられている。しかし直近の未来程度なら、ほんの少しでもその気になったら好きに視れるだろう。

 彼女が危険を訴えるなら一考の余地はあるはずだ。朝孝は千景と意見を擦り合わせようとするも、とうの巫女が待ちきれなくなったらしい。巫女が自身の手で、己の双眸を包む赤い包帯を解いた。

 明確な意志を持って巫女が行動した事などないのだろう、千景の意識は驚愕に彩られ、初動が遅れてしまう。対して朝孝は瞬時に手を伸ばして巫女の手を掴んだ。

 だが侍の手が触れた瞬間、拒絶するように視えない力に弾かれる。手が痺れ朝孝は瞠目した。虹色に煌めく双眸を見開いた巫女が、忽然とその姿を消したのだ。


「消えたッ? て、転移!?」

「違う。魔術ではない。魔術であれば初動を読み、式を斬れば阻止できたであろう。あれは恐らく〈瞳の御子〉の権能だ。だが転移に類した権能など、巫女は有しておらんはず。どういう事だ……?」

創った(・・・)のか? 位置情報を書き換える魔眼を。しかしあの呪符は巫女の手では外せぬはず……いや、悠長に予測している場合ではない! 伊勢守、すぐに巫女を探さねばッ!」

「繰り言となるが、落ち着かれよ鬼柳殿。何もそう焦る事もない、どうやら巫女は近くに跳んだようだ」


 朝孝の諫言を聞いた千景は動揺を抑え、祈祷の巫女であり〈瞳の御子〉である女の気配を探った。

 すると彼女がまだ自分達の知覚範囲に留まっているらしい事を感知する。

 ホッと安堵の吐息を溢し、気を持ち直すと巫女を連れ戻すべく身を屈めた。文字通りの意味で跳んで向かおうというのだ。


「解せんな。なぜ巫女は山の麓へ? 樹海の只中ではないか」

「考えるのは後だ。今は急ぎ巫女を連れ戻す。いいな伊勢守」

「うむ……承知している」


 訝しむ朝孝を急かし、千景は一足飛びに巫女の許へと跳んだ。闇雪が積もる地面を、些かも散らす事のない見事な歩法である。

 同じ師を仰いだ妹弟子に遅れ、朝孝もまた同様に跳躍する。冷たい外気を切り裂き、掻き消えるようにして、彼らは暴走した巫女を回収するべく跳んだのだ。


 そして彼らは邂逅する――巫女に縋りつかれ、絶句している一人の青年と。









     †  †  †  †  †  †  †  †









 突如目の前に出現した女に、アーサーはひっくり返りそうになるほど仰天した。

 そして、その女の顔を見て更に驚愕する。


「たすけて」


 唐突に現れ、突然救けを請う女に、彼は言葉を見失った。


あなたじゃないとだめ(・・・・・・・・・・)


 何を言っているのかなんて、耳に入らない。ただただ愕然とする。

 その女の顔を知っている――気がした。

 その女の声を知っている――気がした。

 その女の名を知っている――忘れていない。二度と忘れないと心に刻んだから。

 いつ、どこで知ったのかなんてどうでもいい。覚えになくたって関係ない。


 だって彼女は。


「君は……調月(ツカツキ)扶桑(フソウ)?」


 無意識に口を衝いた名前。その女はいつかどこかで夢に視た、少女の成長した姿そのものだったのだ。









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