運命の秤が傾くのは 4
「――行ったようね」
空間干渉・改竄能力を有する独立型人工精霊を搭載した飛空挺、正式名称【リヴェンジ級航空戦艦ネイルソン】には一万人もの兵員が乗艦している。
全長216mの戦艦内には圧縮された空間が敷かれ、兵員が不自由なく活動と生活が可能な形となっており、兵員の移送や強襲に適した性能を有していた。
あの灰色の戦艦にはグラスゴーフの主力となる第27師団が乗艦している。例え人類圏の情報に疎くとも、長年戦禍の中で干戈を交えてきたモノなら、あれに相応数の兵力が備わっていることなど知悉しているだろう。
1km先にある軍事基地の、1mサイズに圧縮された円筒から玩具のような戦艦が発艦し、元の規格である216mの大きさに戻っていく。そうして航空を開始した戦艦ネイルソンが青白い魔力の煙を煙突から大量に吐き出した。
巨大な質量が突如として通常空間に現れれば、相応の衝撃波と爆音を撒き散らすことになる。それによって戦艦の存在に気づいたらしい魔族の男が、戦艦へ先制攻撃を仕掛けるため飛び去って行った。
それを隠れて見届けたマーリエル・オストーラヴァは、ホッと安堵の息を吐き出すでもなく淡々と姿を現す。
人類圏と魔境の境目、対魔戦線の最前線から遠く離れた内地に魔族がいたのには、さしたる驚きもない。最初から父が想定していたから事前に覚悟はあったし、奇襲を受けてからは意識の切り替えも済んでいる。そして此処に来るまでに【いるだろう】と心の準備も出来ていた。
ああも見事に奇襲を成功させたのだ。敵司令部を徹底的に叩くことを優先しているのは文字通り目に見えていた故に、こうしてグラスゴーフの首脳部があった天文台にも攻撃の手を加えるだろうと読めていた。だからこそマーリエルは、こちらに気づいていないらしい魔族へ即座に奇襲をやり返さず、彼が立ち去るまで息を潜め隠れていたのだ。
――あの一撃でマーリエルが受けた毀傷は大きい。
外観は綺麗に修復した。神経系、臓器、筋肉、骨格、全身の細胞の一片に至るまで全て元通りだ。だがマーリエルに限らず総ての魔導師、魔導騎士にとって重要なのは肉体ではない。
脳だ。
正確にはそこに宿る架空臓器の魔力炉心と、それを廻す魔力量こそが肝要なのである。ある種、そこだけが魔導師などにとって急所と言えた。そこさえ無事なら、究極的には脳がなくても構わないとすら言える。
自身とアルドヘルム、バークリーの三人の即死を避けるために咄嗟の判断で展開した魔力の障壁――術式も何もない純粋な魔力の放出は消耗が激しい。正規の防御術式による魔力消費量の実に百倍以上も損なわれ、後先考えない全力放出によってマーリエルの魔力は半減していた。
卓越した保有魔力量を誇るマーリエルである。不意打ちを受けていながら防御を成功させただけでも偉業であり、その上で自身の肉体の気体化・再構成を行なったのだ。魔力が半減しただけで済ませられる魔導師など、片手の指で数えられる程度しかいないだろう。
こんな状態では、爵位持ちであると思しき魔族を相手に勝ち目はない。いざとなれば勝ち目がなくとも挑めるが、生憎と今のマーリエルには軍人として敵に挑み、遅滞戦術によって足止めを行なうよりも優先することがあった。
アルドヘルムと、ついでにバークリーの治療だ。バークリーは貴重な長寿のエルフとはいえ、所詮は替えの利く人材である。しかしアルドヘルムはそうではない。現状、混迷を極めつつある戦局を制御し、魔族の企みを挫けるのは彼をおいて他にいないのである。そうでなくとも彼は父であり、そして王国と帝国ひいては人類守護をなす藩屏だ。むざむざ死なせるわけにはいかなかった。
墜落してくる人工精霊の総意体を抱き留める。
それがどんな存在か、知識として識ってはいた。しかしこうして実物を見るのははじめてである。機会がなかったのもそうだが、関心がなかったというのが実情だ。
淡い光の粒子で形成された疑似生命。この都市の総ての人工精霊の大元。グラスゴーフの頭脳と言い換えてもいい。それだけ識っていれば充分で、故にこそマーリエルは自分に似ている風貌の人工精霊に既視感を刺激されながらもそれを無視した。
「まだ機能してるわね? 死ぬ前に役目を果たしなさい」
『………?』
胸の中心に風穴を空けられ、更にはその身を構成するデータが致命的な損傷を受けているのが見て取れる。その体にノイズが走り、実像を維持できなくなりつつあった。だがマーリエルは彼女を気遣うでもなく冷酷に命じる。
ぼんやりと瞼を開いたアビーロートの眼が、マーリエルに焦点を当てた。すると、彼女は若干の驚きを露わにし、次いで理解不能な微笑みをふにゃりと浮かべる。その顔に走るノイズへ、マーリエルは眉を顰めた。時間がない。
『ぁ……まり、ア……』
「……私のこと識ってるの? なら話は早いけど……気安く呼ばないで。人工の精霊なんかに愛称で呼ばれても不快なだけよ」
『ぁ、は……おとう、さんにそっくり……遊びがない……うん、うん……ちゃんと、それ……渡してくれた、んだね……あるど……』
「………?」
魘されるように呟くアビーロートの自意識は曖昧なようだった。その視線がマーリエルのベルトに吊るされている短剣型演算補助宝珠【ベレスフォード】に向けられている気がした。
やや困惑するも、嘆息してマーリエルはアビーロートの頬を平手で軽く張る。乾いた音が鳴り、アビーロートは目を丸くして、今度こそ目を覚ました。
「アビーロート、閣下とその従僕が危篤なの。早く【培養槽】に転移して」
『……? ……あ、あるど!? それにバークリーも!』
「聞こえなかった? 早くしないと二人共死ぬわ。私も遊んでる暇はない。早く!」
『う、うん!』
人工精霊如きが伯爵を呼び捨てに、それも愛称らしきもので呼んだのには目を瞑る。不敬だがいちいち指摘するだけの猶予もない。
人の生命エネルギーでもある魔力で構築されている疑似生命である。なんらかの付き合いがあって、親しくしていたのかもしれない。感情がある以上は不必要に抑えつけ、要らぬ反感を買い作業効率を落とすのは非合理だ。父はそう考えて愛称で呼ぶのを赦したのだろうと頭の片隅で思った。
マーリエルの指示に頷いたアビーロートだが、しかしその顔を曇らせる。
『【培養そう】が、今の衝撃で破そんしてる……!』
「……病院のものは?」
『モンすたーの襲げきで、壊されてるみたい! ど、どうしよう……あと一つしか、機のうさせられるものがないっ』
「……そう。なら閣下をその無事な方に転移させて」
『わ、わかった。……バーくりーは、どうするの……?』
問われ、マーリエルは沈思する。その間にもアルドヘルムが消えた。転移させられ、肉体を治癒するための培養槽に漬けられたのだろう。
黄銅の魔導騎士は冷徹な眼差しで意識のないバークリーを見る。彼は既に虫の息だ。ひどく苦しげで、呼吸一つすら覚束ない様子である。
知らない人ではない。むしろ数少ない暖かな記憶の中に、この男はいた。寂寥が瞳に過る。……過って、消えた。
「……彼は、いい人よ」
『う、うん……』
「小さな頃、遊んでもらった覚えがある。彼の娘さんと、息子さんも一緒に。友達とは言えない浅い関係だったけど……私は、彼を忘れないわ」
『マリあ……?』
マーリエルはその手に白い煉瓦のような魔導銃を精製する。そして躊躇う素振りもなく、アビーロートが制止できる間を置くことすらないまま引き金を引いた。
意識がなく、また士道位階の加護のない彼の肉体は脆弱だ。風を凝縮しただけの【空砲】でも充分に殺傷できる。空砲が鳴り、螺旋回転する空気弾が虚空を走った。
バークリーの眉間に風穴が空く。即死だった。その頭から赤黒い血と脳漿が流れていく。
『あっ、バーくりー……!? マリあ、なんてことをするの!?』
「現時刻2252、アダルバート・バークリーの戦死を確認。……惜しい人を亡くしたわ」
彼女の体感時間は正確だ。一秒の狂いもない。故に死亡時刻に誤りはないだろう。
慈悲の一撃だった。助かる見込みがないのなら、苦しみを長引かせるだけ酷というもの。マーリエルはこれまでも、致命傷を負った戦友を幾人も介錯してきた。
躊躇った分だけ苦しみが増すなら、引き金を引く指と感情を切り離して合理的に動けばいい。冷酷な判断だと思われるかもしれない。アビーロートにはそう取れた。人工精霊は弾劾する。
『なんで、殺したの……?! まだ助かったかもしれなかったのに!』
「どうやって救けるの?」
『惚けないで! あなたなら、救けられた! 回ふく魔じゅつ、使えるでしょ!?』
「ええ、使えるわ。でも無駄よ」
『む、むだ……?』
アルドヘルムは転移した。ひとまず命に別状はないはずである。
尤も時間系の術式を使える魔導師か、回復系の術式を扱える医療者の手に掛からない限り、培養槽に漬けているだけでは二日は絶対安静でいなければならないだろうが。
故にアビーロートの戯言に付き合う精神的余裕が生まれたのである。といっても、現在も時間的猶予はあまりないのだが、面倒なことにまだアビーロートには用がある。彼女を納得させ、最後の仕事に移らせる必要があった。
「グラスゴーフに魔族が現れた。街にはザッと見ただけで千を超える雑魚がいて中には危険な魔獣も含まれてる。数に関してはもっと増えるかもしれない。そして、あの魔族。原理や仕組みはさておくとして、一人でこれだけのことができるものかしら? 私は不可能だと思うわ。ましてやアレは、どう見ても戦闘に特化した魔族よ。各種系統の魔術を阻害する結界の張られてる街の中に、多数の手勢を召喚できるような空間系の魔術を扱えるとは思えない。だから最低でもあと三体……いえ、五体。特異個体なら一体は他にもいるはずよ。分かる? 伯爵閣下を守るために消耗した魔力は決して少なくないわ。どれだけの戦いになるか分からない中で、これ以上戦えない人員に割ける魔力はないの」
『そ、そんな……』
「付け加えるとバークリーや閣下を焼いたあの焔は、魔族の体内で精製されたものよ。ただの火に炙られたのとは訳が違う。猛毒に侵されてるのと同義。単純な回復魔術じゃ治し切れない。それなりに手間を掛ける必要がある。私には余裕がないって言ったわよね? バークリーは救けられたかもしれない、けど私がいち早く戦闘単位として機能した方が更に多くの命を救けられる。……納得した?」
『………』
蘇生魔術の使い手は王国と帝国を合わせて僅か三人。かなり希少だ。そこから更に、蘇生される側にも適性が要求される。実質的に生き返れる人間は極僅かだ。
そして回復魔術、回復魔法の使い手は全体の五割近いが、その効果のほどはまちまちでしかない。ここに癒し手がいれば救けただろうが、いないのだからどうしようもなかった。それぞれが対応に追われているのだから。
黙り込んでしまったアビーロートに、マーリエルは淡々と命じる。
「それじゃあ、アビーロート。貴女は予備機にデータと全システムのコントロール権を移しなさい」
『……え?』
「貴女はグラスゴーフの頭脳部よ。その貴女をむざむざ機能停止させるなんて冗談じゃないわ。さっさと今の人格を放棄して予備機に移れと言ってるの」
『そ、そんな……そんなことをしたら、わたしが消えちゃう! 今のわたしと同じ性かくでも、同じ記ろくを持ってても……それはわたしじゃない! わたしのコピーでしかないんだよ!?』
「放っておいたら結果は同じになるわ。なら最低限システムは残さないといけない」
『い、嫌……わたし、消えたくない……! だって、だってまだ!』
「煩いわね。さっさとしろって言ってるの。時間がないって分からないの? もういいわ。自分で出来ないなら私が代わりにやってあげる」
『嫌! やめてよマリあぁ!』
「っ……だから、気安く呼ばないで!」
泣き出したアビーロートに酷く動揺してしまいながら、動転した事実に苛立ちを覚えて声を荒げた。
狼狽してしまっている理由が思いつかないまま実力行使に移る。アビーロートの体を抑えつけその頭に右手を突っ込んだ。すんなり貫通した手で、アビーロートの頭蓋の中のデータを掌握した。
血は出ない。ただびくりと体を痙攣させ、呻き声を上げる女の姿に、平常心を必死に保ちながら黄銅の魔導騎士は作業を続けた。
脳裏に走る膨大なデータを処理していく。グラスゴーフという都市全体を司るシステムを廻すのだ、長時間の演算は如何なマーリエルといえど疲弊を免れない。だが短時間なら問題なかった。ほんの少し頭痛が発生する程度だ。
マーリエルは中尉の階級を超えたところで特権を持っている。それはエディンバーフ領の領主、ユーヴァンリッヒ伯爵の娘としての権限だ。
彼女には軍籍の兄がいる。そして歳の離れた次期伯爵たる弟も。もしもこの二人が斃れ、マーリエルだけが残った場合、伯爵となるのは自分だった。その時のためにエディンバーフ領での権限を与えられているのである。
教えられていた暗号を素早く打ち込み認証画面を呼び出し、登録していた魔力形質と魔力波長による認証を終え、軍事基地に保管されている予備機にグラスゴーフの管制下にある空挺戦艦、並びに都市の全防護機能、兵装などの制御権の移譲を済ませた。次いでそれらを統括する予備機の人格データを起動し――
「え――?」
そこでふと、マーリエルは気づいた。
人工精霊とは、魔力によって象られるもの。疑似生命。しかしその一番最初の作成時には、モデルとなる人柱を必要とした。
つまりアビーロートの元になったオリジナルの人間が――記録に残されていた遺伝子情報が――マーリエルに類似しているということ。それが意味するのは、アビーロート作成の人柱になった者がマーリエルの。
「……おかあさん?」
顔も知らなかった、肉親だという事実。
唖然として。呆然として。マーリエルは、実像を保てなくなり崩れ去ってしまったアビーロートの体を見詰める。
光の粒子となって霧散したアビーロートが虚空に舞い上がり、消えた。少女は空白の瞳でそれを見上げる。
千切れてしまいそうな何かが、衝動的に胸の奥底から迫り上がってきて。
だから、切り替えた。凪いだ湖面のように、平坦な心を保つ。戦場では心を乱した者は死ぬのだ、メンタルコントロールは必修技能である。
(まさか、ね。そんなはずないわ)
稀にある、遺伝子情報の近似例に過ぎない。あるいは見間違いだろう。
強く否定して動揺を打ち消し、母を殺したことを忘れる。そうして黄銅の魔導騎士は浮遊した。
個よりも群としての適性が高いマーリエルだが、軍に合流する気はない。グラスゴーフの指揮系統に組み込まれていないのだ、却って持て余される可能性が高かった。それが分かっているから、父アルドヘルムもマーリエルを指揮下に置かなかったのだ。
マーリエルが実力を発揮する条件は、同じ隊の仲間か、よく知っている人間と組まねばならない。その条件に該当する人間は、父を除けばグラスゴーフには二人しかいなかった。なら最初から独自の判断で動くまでだ。
どう動くべきか。マーリエルは考え、そして翔ぶ。彼女の意識には、既にアビーロートの存在は一片たりとも残されていなかった。
† † † † † † † †
ゔぃ、ゔぃぃ――警報が響き渡る。ピンと張り詰めた空気が蔓延していくのに、馬車の中は不気味なほど静まり返っていた。
警報が聞こえていないわけではない。はっきり聞こえている。この静寂は、中にいる人間が醸し出す緊迫感による錯覚でしかなかった。
黒髪の青年は思案し、紅髪の少年は能面のような表情で虚空を睨んでいる。幼い姉妹はポカンとしていて、いまいち現状を把握できていないようだった。
把握できていないのはコールマンも同じだが、マズい事態が起こったのは理解している。というよりこの警報の音が駄目だ。本能的な危機意識を喚起させられ、いてもたってもいられない心境にさせられる。気を強く持って冷静さを保たなければ、きっと無駄に騒ぎ立てていたかもしれない。
この世界に来たばかりの頃なら、きっとそうなっていた――半年もしない内に随分と変わったものだと、自身に対する認識を改めて上書きする。
「――流石はユーヴァンリッヒ伯爵閣下、とでも言うべきかな」
アレクシスが無表情を崩し、不敵な笑みを浮かべて口火を切る。
「どういうことだ」
わざわざシートの背もたれに腕を回し、後部座席のコールマンに向けて言ってきた少年へ低い声で詰問する。
どうしてそこであの男の名が出てくるのか。嫌忌に染まった心情を隠す努力もせず、どろりとした瞳で少年を見詰めた。
するとアレクシスは肩を竦める。彼にとって望ましくない事態とはいえ、起こり得ると聞かされていた以上は心の準備は済ませている。それにアレクシスにとって、奇襲や想定外の出来事など、戦場では当たり前に起きるものでしかない。何が起こったとしても取り乱すことはまずないと言えた。
「閣下の懸念の通り、魔族が侵攻して――いや潜入して来ていたという事だ。連中の破壊工作の結果、この騒ぎが起こったんだろう」
「それで間違っちゃいねえだろうよ。見てみろ、随分と好き勝手やらかしてるみたいだぜ」
運転席にあたる御台でキュクレインが顎をしゃくる。釣られてそちらに視線を向けるも、慌てたように家から飛び出してきた近隣住民が、何処かへと走っていっているだけだ。
何を見ろと言うのだろう。怪訝に思い、しかしすぐに気づく。肉眼で捉え切れない遠方を彼は示しているのだ。
そうと気づけたなら話は早い。強化魔法【誕生】を発動し、強化した視力で道路の先を見遣る。すると、そこにはいた。
モンスターだ。
距離で言えば1kmは先だ。ザッと数えられるだけで三十体以上のゴブリンがいる。鋼の剣や槌を手に、見境なしに逃げ遅れた人間を殺し、目に付く建造物を手当たり次第に破壊している。
転倒した子供の頭を踏み潰し、子供を守ろうと挑んできた親を殴り、斬り。その短い脚で建物の壁を蹴り崩して。そこに存在する全てを赦さぬと言わんばかりの苛烈な殺気を撒き散らし、都市の中心を目指して進んでいた。
いるのはゴブリンだけではない。それ以外にも見たことのない魔獣が散見された。顔を険しくさせるコールマンの傍で、トレーターとハンナが不安げに身じろぎする。
「……私には何が起こっているのか、正確なところは理解できない。だが非常事態が起こっているのは分かった。これからどうする?」
コールマンが誰にでもなく意見を求めると、キュクレインは即断し応えた。
「オレは帰る、悪いが嫁さんがいるんでね。エウェルは戦闘員じゃねえから、もし怪我の一つでもされたら堪ったもんじゃねえ。まずは嫁さんを避難させてから、オレんとこにきた依頼をこなす――そういうわけだ、この車はやるよ。手動で運転して行け」
「………?」
言うや否や、キュクレインは御台に立て掛けていた黒槍を引っ掴むなり一閃した。馬車と二頭の巨馬を繋げていた手綱を斬り、連結を解いたのだ。そうして灰色の巨馬に跨ると気合を発して馬腹を蹴り、瞬く間に駆け去っていく。
凄まじい速度だ。ものの数秒で影も形も見えなくなってしまった。黒い巨馬もまたそれを追って走り去り、コールマンは呆気に取られる。
馬のいない馬車をもらってどうしろと。意味が分からずに困惑していると、アレクシスが微笑して嘯いた。
「流石、最高位の冒険者は太っ腹だな。こんなに良い車を残してくれるとは」
「馬のいない馬車になんの価値が? まさか人力で牽いて走れとでも……?」
「まさか。コイツは帝国でも百台しかない特上の高級車だぞ? 聞いて驚け、メーカーはあのトユタだ」
「………」
車のメーカー名なんかを聞いても分からないのだが、そんなコールマンの反応を気にするでもなくアレクシスが運転席に移動した。
そしてカーナビのように見える液晶画面のパネルを指で押し、モード選択を済ませると、画面に『自動車方式に移行します』と表示される。すると俄かに車体から駆動音が聞こえ、車が変形していくではないか。
馬車が、コールマンの見知っている自動車へ変形したのである。
車のハンドルが現れ、ブレーキとアクセル、シフトレバー、サイドミラーやバックミラーが車体から出てくる。唖然としてしまうコールマンに、アレクシスがなんでもないふうに問い掛けてきた。
「アルトリウス、車の運転はできるか?」
「あ……ああ。すまないが、できない……」
「そうか。まあ馬がいないとなると普通に脚で走った方が速いが、これはこれで味がある。それにそこのおチビちゃん達を抱えて走る訳にもいかないから、コイツで移動した方がいいだろう。アルトリウス、私の隣に。運転の仕方を教えてやる」
言われるがまま一度車の外に出て助手席に移った。理解不能なテクノロジーを突然見せられ、頭が処理落ちしかけていたから素直だった。
なんとなしに、モンスターのいた方へ目を向けると、駆け付けた兵隊達が必死に押し留めていた。だがどう見ても圧されている。押っ取り刀で駆け付けたせいで、敵の数に対処できていない。
警報が未だに鳴り響いていた。コールマンが助手席に来ると、アレクシスは懇切丁寧に運転方法を教示してくれる。……意外と簡単だ。というより、元の世界で父が運転していた車のそれと同じで、後は実践して慣れるだけでいいように感じる。
「これでいいな。私には行く所が出来た、君はおチビちゃん達を連れて避難した方がいい。避難先は……闘技場で良いだろう。自衛するにしても武器がないのでは話にならないからな」
「……アレクシスはどうする?」
「私か。私は――」
運転席の少年は、意味深に微笑む。そして質問にすぐには答えずに言った。
「――そういえば、まだ君に用があった。うん、これは言っておかないと君も気分が悪いままだろう」
「………? 何を……ッ!?」
一瞬、アレクシスの全身を薄い炎の膜が覆った。突然のことに身を固まらせるコールマン。次の瞬間、彼の隣に居たのは少女だった。
驚愕するコールマンに、その白皙の美貌をスッと寄せて。翡翠の双眸を意地悪げに細め、白く冷たい手で少年の顎を掴むと接吻を交わした。後ろの席から幼い姉妹の黄色い声が上がる。
軟らかい感触が、唇に触れている。目を限界まで見開いて、その美貌を見詰めた。
「――私は女だ。名前はアレクシア。アレクシア・アナスタシア・アールナネスタ。故あって君の全てを貰い受けたい。まあ……それはまた別の機会だな」
「っ……!?」
アレクシス――いや、アレクシアはにやりと笑い、運転席から出て行ってしまう。そして男装の麗人の姿のまま、車の外からコールマンの質問に答えた。
「私はこれから魔族を探す。都市部にこれだけの雑魚が蔓延っているんだ、警察は市民の避難誘導、軍は魔獣共への対処で忙しいだろう。単独で対処できる私が魔族を斃す。……キュクレインとマリアもそちらに回るはずだからな。出来なくはない」
「―――」
「ふふ。私が女だったことに驚いて声もないみたいだな。誤解が解けたようで実に結構。私とまた会うまで死んでくれるなよ? ファーストとセカンドのキスまでしたんだ、負債を回収するまでに死なれたのでは割に合わない」
以前から名前だけは識っていた少女が颯爽と背を向け、地面から足を離す。空に浮いたのだ。彼女の手には、いつの間にか手提げ鞄があり、それを虚空に投げると鞄の中から二つの手甲が落ちてくる。
鋭銀と、錆色の演算補助宝珠だ。それに両腕を伸ばして装着したアレクシアは、そのまま空高く飛んで行った。呆然とした目でそれを見送っていたコールマンだったが、トレーターの声で我に返る。
「お兄さん! わたし達も早く避難しないと!」
「で、でもお姉ちゃん! お父さんを探すんじゃないの……!?」
「おバカ! お父さんは兵隊さんでしょ! きっと今頃大忙しなんだから邪魔しちゃいけないの!」
「――そう、だな。うん……避難しないと……」
トレーターとハンナの遣り取りを聞いて、するべきことを思い出す。
それでもどこか夢心地だったが、そんな自分に気づくと頭を振って邪念を払った。
――アレクシスが、アレクシアだった。少年だったはずなのに少女だった。
それを見ても余り驚いていないトレーター達の様子から、性別を替える、あるいは姿を替える魔法なり魔術なりがあるのだろうと納得しておく。
現金なもので、相手が超がつくほどの美少女だったと知ると、コールマンの中の彼女への悪感情は綺麗さっぱり消えていた。むしろ言語化できない痒さを覚えてしまっている。そんな自分に苦笑して、コールマンは運転席に移動するとハンドルを握った。
キーは刺さっている。セルを回してエンジンに火を点け、駆動させると口頭で習った通りに車を動かす。サイドブレーキは下ろしているままだ。アクセルを踏み、なんとか車を走らせた。
「……意外とやれるものだ」
はじめての車の運転だが、さほど難しく感じない。車をUターンさせて闘技場がある方角に向かった。
――そんな彼らの乗った車が走り出したのを上空から認め、高所の風に吹かれながらアレクシアは苦笑いを溢す。グラスゴーフの全貌を見渡せる位置に来て、彼女は差し迫った現状の危機を正しく認識したのだ。
「はぁー……まったく。いるのは雑魚ばかり、脅威になる魔族を片付けたらそれで終わり……そう思っていたんだがな」
やれやれと首を左右に振って嘆息すると、紅の魔導騎士はネクタイを外し、手甲に覆われた手で腰元まである真紅の髪を束ねる。
手甲内部の指に嵌めている指輪が光った。演算補助宝珠の補助人格『ドゥーチェ』が起動したのだ。
『侵食領域と精神汚染波の拡散を感知。貴女はどうする』
「イスイヴトプスまでいるとなると……厄介だな。まずはあれから殺す。自律支援を頼むよ」
『了解』
軽やかな口調で命じたアレクシアだったが、その顔は険しい。彼女の目は、北の方角に向けられていた。
そこには――いた。体長69m、目算で体重110t以上はあろうかという、巨大な白い魔獣が。
姿は、白い四足歩行の恐竜だ。首長竜の長い首と愛嬌のある頭、白い尾を九つ有し、球体状の丸い体の全身に収縮した穴が空いている。
外見だけ見れば醜悪で、鈍重で、デカいだけの竜にしか見えない。だがデカいというのはそれだけで武器だ。特大の脅威である。見かけに反して機敏に動けるのは、過去に取れたデータからも明らかだ。
あれの名は、イスイヴトプス。人類圏の領域を、魔境のそれへと塗り替える侵食領域の形成を行える、世界型の大魔獣である。
【小さなアルベド】と称される規格外のモンスターであり、全人類に有害となる精神汚染波と身体陵辱呪詛を常時発する、存在そのものが危険な怪物だった。あれを放置すればそれだけで周囲は人の生息できない猛毒の空間となる。魔族や悪魔が生活できる魔境に変じるのだ。
その真価は純正と人工の精霊種が有する空間拡張・改竄の異能を持つこと。
そして総ての魔獣、魔物の母であるアルベドの下位互換となる【白濁の生体工場】を有することだ。
それにより閉所であっても自らの巨体を充分に活動させ、更には下位の眷属を万単位で生み出し、死んだ生命体の骸を自身の眷属に新生させる感染拡大の力を行使して猛威を奮う。
一時間もあれば、あれ単体で一個師団級の眷属を産み出すだろう。
生誕と同時に微小空間を1km超にまで拡大、三十分刻みで胎内で精製した生命を排出し拡散するイスイヴトプスは、かつて分断されたアルベドの五体の一つ【アルベド・ブランケット】を討伐した際にもその脅威は十全に発揮させた。
【アルベド・ブランケット】はイスイヴトプスを三体〈召喚/出産〉し、王国軍に甚大な被害を与えた記録が残されているのだ。教本にも記されている大魔獣を、アレクシアは当然知悉している。
絶対に、放置は出来ない。
触れた者の身体を、異形のモンスターへと変貌させる身体陵辱呪詛と、精神汚染を全く受け付けないある種の欠陥を持つアレクシアは、その翡翠の瞳に激烈な殺気を宿して呟いた。
「防護術式甲冑、開展。――約二百年前、私はまだ生まれていなかった。さあ、あのデカブツに教育してやろう。私と同じ時代に出てきてしまった愚かさを」
『決め台詞は要らない。ボクはさっさと行くべきだと思う』
「フン。相も変わらず調子の出ない奴――!」
機能性を追求したスリムなフォルムの甲冑を纏った紅蓮の魔導騎士は、紅い残光を残して飛翔する。
向かう先は言うまでもなく。距離で言えば音速を遥かに超えて翔ぶアレクシアなら、ものの数秒と経たずに到着するはずだった。
だが、そうはならない。
イスイヴトプスが空間を歪め、拡張したが故に。白い大魔獣の周辺空間は歪み、例え音の壁を突破して駆けつけようとしても、到着するまでに四半刻は時を要する距離が出来ていた。
マーリエルは溶岩の男以外の魔族を探している。アレクシアならイスイヴトプスを討ちに行くと読み、進んで役割を分担した。キュクレインはエウェルの避難を優先させた。アレクシアはイスイヴトプスを討ちに向かった。
そして、コールマンは避難した。
自身には戦う力がある。だが自らの命を危険に晒してでも戦う理由がない。そんな義理も、義務もない。
罪もない見知らぬ人間を助けようとする義理人情はあるにせよ、それをするのは兵隊などの公的機関の仕事だ。横からしゃしゃり出て邪魔になったのでは笑い話にもならない。
だからコールマンは戦わない。まだ死ぬわけにはいかないから。トレーターやハンナを逃さないといけないから。
――故に、コールマンを戦わせたいモノは、悠然と語りかける。
『やあ、久し振り。また会ったね。いや久し振りって言うほどでもないかな? マイ・マスター』
コールマンが闘技場に着き、幼い少女たちを連れて中に入って。慌ただしい雰囲気のエントランスまで駆けつけると、一人の男が声を掛けてきた。
それは受付の席に座っていた男だ。彼はコールマンにマーリエルからの預かり物と、落とし物である、魔族の少女に破壊されたはずの演算補助宝珠を渡してきたのだ。
魔力派共鳴式魔導管制杖。搭載された人格【ダーム・デュ・ラック・マーリン】が、中性的な声音で艶然と微笑んでいるようだった。
ブクマ、感想等、くだされば作者のモチベになります。
何卒よろしくお願いします。




