第75話:【萌芽】灰の中から芽吹くもの
朝日が、瓦礫の隙間から差し込んでいた。
戦いが終わって三日。帝都ガレリアは、静かに息を吹き返し始めている。
「はい、そこのパイプ、もう少し右。……違う、右よ右! あんたの右は世界の左なの!?」
私は泥まみれの作業着で、行政区の配水管の復旧作業に没頭していた。ハンダごてを握り、錆びたパイプの継ぎ目を一つずつ繋いでいく。
魔法で一瞬で直せる時代は、もうすぐ終わる。リュウガが感知した次元震の兆候は、この世界のマナそのものが不安定になりつつあることを示していた。だからこそ今のうちに、魔法に頼らなくても動くインフラの基礎を作っておかなければならない。
「エリー様、第4区画の浄水場、復旧完了しました」
カイルが報告書を片手に歩み寄ってきた。彼の従者隊は、戦闘の後片付けから物流の再建まで、一貫して裏方の仕事をこなし続けている。
「ありがとう、カイル。……あんたの従者隊、本当に優秀ね。表に出なかったけど、あんたたちがいなきゃ被害ゼロなんて絶対に無理だったわ」
「過分なお言葉です。……ですが、セーラ様にご報告できる結果が出せたことは、素直に嬉しく思います」
カイルが僅かに目を細めた。鉄面皮の彼にしては、珍しい表情だった。
◇◆◇◆◇
各所に散っていたシスターズたちが、一人、また一人とアークに帰ってきていた。
最初に戻ったのはオーボエとチェロだった。バルガスの軍に派遣されていた二人は、クーデター後の軍再編の基礎だけを整え、あとは帝国の将校たちに引き継いで身を引いた。
「将軍には、もうわたくしたちは必要ありませんわ。あの方の下には、十分な人材が育っています」
オーボエがハルバードを肩に担ぎ、淡々と報告する。
「兵站の管理マニュアルも残してきましたわ。三冊、手書きで。……読まなかったら許しませんわよ」
チェロが眼鏡を光らせて付け加えた。三冊の手書きマニュアル。委員長の執念が詰まったそれは、おそらく帝国軍の宝になるだろう。
次に帰ってきたのは三馬鹿だった。
「ただいまー、母様! ボク、スラムの子供たちにお別れしてきた!」
コルネがアークのハッチを蹴り開けて飛び込んできた。その手には、子供たちから貰ったらしい手紙の束が握られている。拙い文字で「またきてね」と書かれたそれを、コルネは宝物のようにポケットにしまった。
「ウチもさー、あの子たちにデコパーツ全部あげてきちゃった。……でも、いいの。また作ればいいし」
ユーフィが髪をかき上げながら笑う。いつものギャル口調だが、目元が少しだけ赤い。
「あたしの実況を楽しみにしてくれてた子がいたんだよ。『おねえちゃんの声、元気が出る』って。……あたし、泣かなかったよ。泣いてないからね」
ボーンが拡声器を抱きしめながら、明らかに泣いた跡のある顔で言い張った。
「泣いてるじゃないのよ、あんた」
「泣いてないってば! これは汗だよ、目から出る汗!」
ルーテとハープは、いつの間にか自室に戻っていた。ルーテはベッドで丸まって眠り、ハープがその隣で装備の最終消毒をしている。エグゼを仕留めた夜から、二人は一度もその任務について語らない。語る必要がない。それが、二人の流儀だった。
ヴィオラとクララは通信室で、元老院の不正記録を新政権への引き継ぎ用にまとめ終えたところだった。
「データの整理は完了しましたわ。これだけの証拠があれば、市民議会は十分に機能するでしょう」
ヴィオラが扇子を閉じ、珍しく満足げな表情を見せた。
「記録は全てバックアップ済みですわ。……あと、戦闘中に撮影したバルガス将軍とオメガ様の握手の写真、額装して新政権の執務室に贈りませんか?」
クララが鉄扇で頬を仰ぎながら提案する。
「……あんた、いつの間にそんなもの撮ってたのよ」
「ふっふっふ、侮ってはいけないのです! 記録は、わたくしの最優先の使命ですもの!!」
◇◆◇◆◇
アークの食堂に全員が集まったのは、その日の夕方だった。
久しぶりの、全員揃っての食卓。
オルガが腕を振るった大鍋のスープが湯気を上げ、テューバがパンを無言で配っている。コルネとユーフィとボーンが「最後の三馬鹿漫才」を始め、ヴィオラが「騒がしいですわね」と言いながらスープのお代わりをし、クララがその様子を静かに撮影していた。ルーテがいつの間にか起きてきて、ハープの隣に座り、無言でパンをちぎっている。
オーボエが全員の着席を確認し、チェロが人数分のスプーンが揃っていることを点検してから、ようやく「いただきます」の号令がかかった。
「……こうやって全員で食べるの、何日ぶりかしら」
私はスープを一口啜り、目頭が熱くなるのを堪えた。
隣ではリュウガが無言でパンを千切っている。反対側にはピッコが小さなスプーンでスープを上品に啜りながら、「味付けが粗雑ですわ」と文句を言いつつ、お代わりをしていた。
リディアとヴォルフは向かい合わせの席で、油にまみれた手を洗いもせずにスープを飲んでいた。
「なあリディア、この後で整備工場の基礎設計を見てくれないか。お前の意見が欲しいんだが」
「……別にいいわよ。あんた一人に任せたら、壁が全部鉄板になりそうだし」
「鉄板の何が悪い。堅牢で合理的だろう」
「住む人間の気持ちを考えなさいよ、この筋肉工学バカ」
二人のやり取りを聞いていたセフィラが、ヴォルフの皿にそっと自分のパンを載せた。
「……お父様、もっと食べて。痩せた」
「お、おう……ありがとな、セフィラ」
ヴォルフが照れ臭そうに頭を掻く。リディアがそっぽを向いたが、その口元が僅かに緩んでいるのを、私は見逃さなかった。
賑やかな食卓。世界で一番不揃いで、世界で一番温かい家族の時間。
食後、私は通信室に向かった。やるべきことが一つ残っている。
ファーファが長距離秘匿回線を繋ぎ、ホログラムにセーラの顔が浮かんだ。
「セーラ。終わったわよ。ロジウスは倒れた。帝国の新しい指導者はバルガスとオメガ。……死者はゼロよ、両陣営とも」
セーラが一瞬だけ目を閉じ、深く息を吐いた。
『……よくやったわ、エリー。信じてよかった』
「でも、まだ終わってないの。帝国との正式な和平がなきゃ、極東は安定しない。それに、私たちは近いうちに西へ旅立たなきゃならなくなりそうなの。……セーラ、あんたに直接こっちに来てほしい。バルガスたちと、対等な立場で手を結ぶために」
セーラの瞳に、公爵令嬢としての鋭い光が戻った。
『……分かったわ。聖騎士を護衛につけて、すぐに発つ。……待ってなさい、エリー姉』
通信が切れた後、私は小さく呟いた。
「……全部、繋がってきた」
◇◆◇◆◇
通信室を出ると、ブリッジにリュウガが立っていた。
「エリー。全員を集めてくれ。報告がある」
その声に、私は食堂の余韻で緩んでいた気持ちを引き締めた。
五分後。ブリッジに一家が再集結した。
リュウガの仮想アームが、帝都のマナ分布図をホログラムで展開した。青い光の中に、不穏な赤い点滅が混じっている。
「次元震の周期が短くなっている。ロジウスを倒しても、根本的な問題は何も解決していない」
ピッコが補足する。
「この崩壊は帝国だけの問題ではありませんわ。世界全体の因果律が歪んでいる。アリスが設計した管理システムの根幹が、二千年の負荷で限界に達しつつあるのですわ。極東も、この帝国も、全てが同時に崩壊する可能性がある」
沈黙が落ちた。
「……つまり、ここを直しただけじゃ足りないってこと?」
コルネが不安げに尋ねる。
「ああ。世界の大元……アリスが最初にシステムを設計した場所へ行き、因果律そのものを書き換える必要がある。それが西の彼方――かつてアリスが逃れてきた土地だ」
リュウガの言葉に、全員の視線がホログラムの地図に集まった。帝都から西へ、まだ見ぬ広大な大陸が広がっている。
「……行かなきゃ、ダメなのね」
私は拳を握った。
ようやく直した帝都。ようやく灯った窓の明かり。バルガスとオメガが作り始めた新しい国。スラムの子供たちの笑顔。
それを、消させてたまるか。
「直した景色を消させない。世界の大元がバグってるなら、そこまで行って私のスパナで叩き直してやるわ」
「……その言葉を待っていましたわ、母様」
オーボエが静かに頷いた。チェロが「旅の準備リストを作成しますわ」と即座にペンを取り、ヴィオラが「西方の地理データ、残っている限り集めますわ」と端末を開く。
「あたしの実況が世界規模になるってことだよね! やったー!」
ボーンの能天気な叫びに、コルネとユーフィが「スケールでかすぎじゃん」「でもワクワクするよね」と顔を見合わせて笑う。
「……旅。……また、母様と一緒に行ける。……嬉しい」
テューバが小さく、本当に小さく呟いた。チェロの背中に隠れるようにして。
だが、次の旅立ちの前に、もう一つ。帝国の中で片付けるべきことがあった。
「セーラが来るまでに、バルガスとオメガへの引き継ぎを完了させるわよ。それと、西への旅の準備。アークの整備と物資の補充も。……やることだらけね」
「応よ。アークの整備は任せろ。……だが、その前にちょっとだけ、やり残したことがある」
ヴォルフがゴソゴソとポケットを探り、何かを取り出した。油まみれの布に包まれた、小さな金属の輪。
「リディア。その、あれだ。旅に出る前に、けじめを――」
「ちょっと、何よそれ。まさか――」
リディアの顔が、帝都の全モニターに映し出された不正データよりも赤く染まった。
「きゃーーーー! プロポーズだよ! ヴォルフのおじさんがプロポーズしてるよ!」
コルネが飛び上がり、ユーフィが「マジ尊い、写真写真!」とデバイスを構え、ボーンが「実況開始だよ! 世紀のプロポーズだよ!」と壊れた拡声器を振り回す。
「あんたたちうるさい! ていうか、こんな場所で、こんなタイミングで――」
「タイミングなんて待ってたら、一生来ねえだろ。俺もお前も不器用なんだから」
ヴォルフが照れ臭そうに、しかし真っ直ぐにリディアを見つめた。
「俺は油臭い筋肉バカで、お前は毒舌のドローン女だ。お似合いだろう」
「褒めてるの? 貶してるの?」
「褒めてる。世界で一番!!」
リディアが目を潤ませ、口をパクパクさせ、そして――ヴォルフの胸を思い切り殴った。
「……バカ。……受け取ってあげるわよ、その不格好な指輪」
ブリッジが歓声で揺れた。シスターズ全員が「てぇてぇ!」と叫び、セフィラが「おめでとうございます、お父様、リディア母様」と無機質な声で涙を一筋流し、ピッコが「非合理的ですが、嫌いではありませんわ」と顔を赤くした。
『てぇてぇ最大値を史上最高に更新だお! ファーファ、全データ永久保存だお!』
ファーファが狂ったように明滅する中、私はリュウガの肩に頭を預けた。
「……ねえリュウガ。私たちの結婚式、砲弾の下でのドタバタだったじゃない。……あの二人の方が、ずっとロマンチックね」
「勝負は回数じゃない。密度だ」
「……何よそれ。褒めてるの?」
「褒めてる。世界で一番!!」
同じ台詞で返されて、私は顔を真っ赤にしてリュウガの肩を叩いた。
◇◆◇◆◇
翌朝。アークの屋上。
私は復興途中の帝都を見渡した。瓦礫の合間に仮設の屋台が並び始めている。子供たちが走り回り、元帝国兵とスラムの住人が同じベンチに座って朝食を食べている。
「……綺麗な景色ね」
「ああ。だが、この景色を守るためには、もっと遠くまで行かなければならない」
リュウガが西の空を見つめた。
セーラが来るまで、あと数日。その間に、引き継ぎと旅の準備を終わらせなければ。
「行きましょう。世界を丸ごと直しに」
私は振り返り、アークの甲板に出てきた家族を見渡した。
11人のシスターズ。セフィラ。ピッコ。リディアとヴォルフ。カイルと従者隊。そしてリュウガ。
不揃いで、騒がしくて、不完全で。
でも、この一家がいれば、どこへだって行ける。何だって直せる。
帝都の灯りを背に、アークのエンジンが静かに唸り始めた。
不完全な修理屋の旅は、まだ終わらない。
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