第55話:【検問】国境、解析官エグゼの影
闇の中、10台の大型トレーラーハウスが音もなく荒野を這う。
王都を脱出し、私たちは帝国国境付近の「カオス・アイ」と呼ばれる領域に入っていた。ここはマナの潮流が乱れ、磁気嵐が吹き荒れる場所。一歩間違えれば次元の裂け目に呑み込まれる死の地帯だが、今はその「ノイズ」こそが私たちの味方だった。
「カイル隊長、1号車から速度調整の指示ですわ。これより熱源遮断フェーズに移行なさいまし」
バギーに並走するバイクの上で、十一女オーボエが冷静に通告する。
カイル隊長は無線越しに短く応じ、10台の車両にステルス行軍を徹底させた。最後尾の10号車からは、二女オルガが展開する広域冷却フィールドがキャラバン全体を包み込んでいる。
「ふぅ……。皆様、少し冷えますけれど我慢してくださいね。エンジンの廃熱は、すべて私が凍らせて差し上げますわ」
バギーのコンソール越しに、オルガの柔らかな、けれどどこか底知れない微笑みが見える。彼女が無理やり熱を奪うことで、私たちは帝国の赤外線監視網から「幽霊」のように姿を消していた。
車内では、息を呑むような隠密作戦の準備が進んでいた。
三女コルネや五女ユーフィ、十女ボーンといった「騒がしい組」は、今回ばかりはアークの奥で息を潜めている。代わりに、ヴォルフとリディアが突貫で組み上げた外装偽装キット『カメレオン』により、10台の車両は帝国の特権商団『黄金の歯車商会』の輸送隊へと塗り替えられていた。
私はといえば、バギーの助手席で横たわるリュウガの深層コードと格闘していた。彼の透け始めた右脚に触れる。冷たい。そこにあるはずの「存在感」が、指先を通り抜けていくような薄気味悪さ。
「……あ、あった……」
リュウガの意識の奥底、Admin権限の残骸の中に、奇妙なデータ群を見つけた。それは旧文明の共通語でも、クロノス文字でもない。今から4000年以上も前――旧文明が始まるさらに遥か昔の、超古代の死語に似た言語体系。
(ラテン語……だっけ。確か、歴史の地層に埋もれたはずの古い言葉……。『Mare(海)』……『Occidens(西)』……。リュウガ、あんた、本当はどこの出身なの……?)
その時、バギーのモニタに第4国境検問所が映し出された。
最新の「マナ・ジャマー」を備えた、巨大な鋼鉄の城壁。そのゲート前で、私たちのキャラバンは静かに停車した。
「これより検疫・偽装フェーズに入りますわ。……ルーテ、ヴィオラ、先行なさいまし。クララ、チェロ、私に続きなさい」
オーボエの静かな号令。
検問所の重厚なシャッターが開き、照明が夜の闇を白く焼き切る。立ちはだかったのは、顔に深い傷跡のある帝国の老練な士官――ブラウス隊長だった。
「止まれッ! 深夜にこのルートを通る商団など聞いたことがない。積荷と通行許可証を提示しろ」
ブラウスの鋭い眼光が、偽装された車両群を射抜く。
バギーから降りたのは、ナノマシンによるホログラム装甲で帝国の軍服を纏った十一女オーボエ、七女クララ、そして長女チェロの3人だ。
クララが完璧な事務官の無表情で、偽造された「帝国最高優先度・機密作戦指示書」をブラウスの眼前に突きつけた。
「貴公。この刻印が見えないのであれば、今すぐ軍籍を返上することをお勧めしますわ。これは宰相閣下の直轄任務――『プロジェクト・アトラス』の特別搬送です」
クララの声は、氷のように冷たく、傲慢だった。
「アトラス……? だが、そんな話は聞いていない。それに、この車両のマナ波形、わずかに不自然だ。……中を検めさせてもらう」
ブラウスが疑念を深め、腰の魔導剣に手をかけた。周囲の伏兵たちが一斉に銃口を向ける。
だが、その表舞台の影で、プロの仕事は既に完了しつつあった。
四女ルーテと六女ヴィオラが、光学迷彩を纏って音もなく車外へ滑り出していた。
ルーテは影から影へと飛び移り、検問所の警備兵2人の背後に密着する。囁きと共に、彼女の指先が兵士の頚椎にある魔導神経の接点を的確に突いた。殺しはしない。だが、数時間は物理的に意識を再起動できない、深い昏睡。
その隙にヴィオラがメインサーバー室へ侵入。指先からデータケーブルを射出し、帝国のシステムを直接侵食した。
「接続完了。……通行記録、宰相府直轄としてバックデート入力。……ブラウス隊長の個人端末へ、偽の承認コードを送付……完了です」
ヴィオラの書き換えが完了した瞬間、ブラウスの持つ端末が低く鳴った。
彼は画面を覗き込み、眉を寄せた。
「……宰相府からの直接命令か。なぜこんなタイミングで……」
「それが『機密』というものですわ、隊長。これ以上の遅延は、貴公の演算誤差として記録されますが?」
クララの冷徹な追撃。オーボエがハルバードの柄をカツンと地面に打ち鳴らし、チェロが重厚なプレッシャーを放つ。
ブラウスは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、しぶしぶと手を挙げた。
「……通れ。だが、北の路面状況は最悪だ。精々、荷をぶちまけんようにな」
「ご忠告、感謝いたしますわ」
クララたちが優雅に一礼し、バギーへと戻る。
キャラバンはゆっくりと、勝利を確信した静かさでゲートを通過し始めた。……だが、その瞬間に事件は起きた。
「――っ、リュウガ!? しっかりして!」
突然、バギーの中でリュウガの身体が激しく明滅した。
Admin権限の喪失によるエラーが物理的な干渉を起こし、彼の周囲の空中に真っ赤な『エラーログ』が結晶となって一瞬だけ実体化し、浮かび上がった。
「なんだ、今の赤い光は……!?」
ブラウスが振り返る。しかし、それよりも速く九女ハープが車窓から音響干渉波を放ち、光の結晶を粉砕、同時に兵士たちの視神経を一瞬だけ麻痺させた。
「……皆様、お疲れのようですわね。少々、幻覚でも見られたのかしら?」
オーボエが平然と言い放ち、キャラバンは加速した。
ゲートが背後で閉まる。私たちは、完璧に帝国を出し抜いた……そう確信していた。
しかし、誰も気づいていない。
上空100m。次元の歪みに隠れて滞空していた、単眼の監視ドローンがあったことを。
帝国の特務解析官、エグゼ。
姿は見えないが、その冷徹な「思考」は、今この場で起きた『0.0001%の計算誤差』を、確実にアーカイブしていた。
「演算終了。……偽装商団の確率、98.2%。……管理者の生存を確認。……ふむ、面白い。追跡を継続せよ」
エグゼの影は、音もなく闇に溶け、私たちの轍をなぞり始めた。
「……ふぅ。なんとかやり過ごせたわね。クララ、ヴィオラ、ルーテとハープも。助かったわ」
私は、砂のように崩れ始めたリュウガの手を、折れそうなほど強く握りしめた。
彼の右脚はもう、膝のあたりまで透けて見えない。触れているはずなのに、その温もりがデータのごとく希薄になっていく。
「リュウガ、目を開けて! あんたをこの世界からデリートなんてさせない……私が、あんたの存在を何度だって『再定義』してやるんだから!」
「エリー……。温かい……。君に触れられていると、ノイズが……静まるんだ……」
リュウガは、うっすらと目を開け、力の入らない指で私の手を握り返した。
私たちは「成功」した。その思い込みが、これから始まるエグゼとの命懸けの知略戦の前触れであることを、まだ誰も知る由もなかった。
救済キャラバンは、エグゼの見えない視線に晒されながら、凍てつく北の深部へと突っ込んでいった。
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