第12話:【誘拐】リディアの罠と囚われの天才
「ちょっと! そこは私の指定席よ、どきなさい!」
アークの居住区――もとい、シスターズたちが勝手に改造した「移動式メイド喫茶」のソファで、私の絶叫が響いた。
私たちは、ラボを離れてパトロンであるセーラの、アストレイド公爵家の領地に身を隠すことに決めた。
アストレイド領へと続く平穏な旅路。数日前の透過魔物との死闘が嘘のように、車内は平和で騒がしい「幸せの騒音」に包まれていた。
争点はただ一つ。「誰が最初にマスター(リュウガ)の膝枕を得る権利を持つか」だ。
「母様、論理的に考えてください。長女である私が、父様のバイタルチェックを兼ねて膝枕を提供されるのが最も効率的ですわ(微笑)」
「チェロちゃん、それはずるいっしょ! あーしが一番最初にバギーの隣で走ったんだから、あーしが優先権持ってるはずだよぉ!」
「……計算済み。父様の膝の硬度は、私の睡眠導入に最適。……母様、どいてください」
「ルーテまで参戦するんじゃないわよ! あんたたちは私が作った娘でしょ! 製作者(母)であり、リュックの正式なパートナー(予定)である私が、一番に決まってるじゃないのよぉぉ!」
私は顔を真っ赤にして、娘たちに食ってかかった。29歳、独身、研究バカ。そんな私が、自分が生み出した10代の美少女型アンドロイドたちと、本気で一人の男を取り合っている。不合理の極みだが、今の私にはそれが何より重要だった。
「……不毛な演算だ。私の膝はただの関節構造体に過ぎない。……だが、エリーがそこまで主張するなら、10分だけ許可する」
読書中だったリュウガが、呆れたように膝を叩いた。
「ほら見たことか! さあ、リュック、覚悟しなさいよ!」
私が鼻を高くして、彼の膝に頭を預けようとした、その時だった。瞳の奥で黄金色のAdmin回路が、警告を示す赤色へと瞬時に塗り替えられる。
リュウガの指先が、ぴたりと止まった。
「……静かすぎる」
「え……? リュック?」
「検知。周囲の大気中ナノマシン濃度が、不自然に低下している。音が遮断されたかのような異常な静寂――。……総員、戦闘態勢! 回避行動を取れ!」
直後、アークの視界がガラスのように砕け散った。
いや、砕けたのは空間そのものだ。リディア・スカーレットが仕掛けた「鏡面結界」――高度300メートル制限を逆手に取り、光学迷彩と音響相殺を組み合わせた低空隠密技術。
そこには、最初からリディアの旗艦『レキシントン』が、私たちの目の前に音もなく居座っていたのだ。
だが、これはリディアによる「詰みの盤面」の序章に過ぎなかった。
「正面よりオートマタ部隊、100機接近! 波状攻撃が来ますわ!」
ヴィオラの報告と共に、旧型のオートマタ群が砂塵を上げてアークを包囲する。
「あんなの、シスターズの敵じゃないわ! 返り討ちにしなさい!」
私の指示で、チェロたちが迎撃のためにアークから展開する。それが「陽動」だと気づいた時には、すでに二手目が打たれていた。
「っ、攪乱煙幕!? センサーが死んだわ!」
上空からステルスドローン部隊によるナノマシン煙幕がアークを包み込み、光学的・磁気的なあらゆる索敵を無効化する。リュウガが「見えない敵」の処理に意識を削がれた、まさにその瞬間。
三手目――リディアが秘匿し続けてきた最新鋭のステルス・オートマタ部隊『ゴースト・プレート』が、アークの装甲を分子レベルで透過して車内に侵入した。
それは魔導兵器特有の「熱漏れ」も「オゾンの匂い」も一切伴わない、冷徹なまでに無機質な物理的浸透だった。
「エリー、後ろだ!」
リュウガの手が届くよりも早く、私の背後に影が躍った。
「……ようやく見つけたわよ、エリアーナ」
飛行船から一本のワイヤーで降り立ち、霧を裂いて現れたのは、リディア・スカーレット本人だった。彼女は燃えるような赤髪を揺らし、私を捕らえた『ゴースト・プレート』越しに、歪んだ情熱の籠もった瞳で私を見つめた。
「リ、リディア……! あんた、なんでここまで……!」
「あなたが憎いのよ、エリアーナ。没落してなお、そんなガラクタから『魂』を紡ぎ出してしまう、あなたのその汚らわしいほどの才能が。……そして、そんなあなたに焦がれてしまう、私自身のプライドもね」
リディアの細い指が、私の頬を冷たくなぞった。殺意ではない。それは、手に入れたくてたまらない宝物を汚そうとする、異常なまでの愛着と執着だった。
「やめて! 離しなさいよ! リュック! 助けて、リュッ――!」
叫びは強制的な猿轡によって遮られた。リディアは私を拘束したまま、無造作にワイヤーを巻き上げる。
「「「母様ぁぁぁ!!」」」
異変に気づいたチェロ、オルガ、コルネ、ルーテ、ユーフィ、ヴィオラ、クララ――7人の娘たちが、血を吐くような絶叫と共にアークへと駆け戻る。
その足取りは、石畳を粉砕するいつもの優雅なステップではない。焦燥によってナノマシンの制御が乱れ、踏み出すたびに大気を爆発的に震わせる、制御不能な「暴力」そのものの突進だった。
だが、リディアは冷酷に指を鳴らした。
「無駄よ。……行きなさい、ガラクタども。盾になりなさい」
リディアの命令一下、残存していた100機のオートマタたちが、文字通りの「肉壁」となってシスターズの前に立ち塞がった。それだけではない。彼らは自らのマナ蒸気炉を過負荷状態にし、自爆を前提とした密集陣形を組む。
「どきなさいよ、この鉄屑どもぉ!!」
コルネの炎が、チェロの斧がオートマタを粉砕するが、次から次へと重なり合う鉄の死体が彼女たちの足を数秒だけ、致命的な数秒だけ止めた。
さらに、加速空間をデリートして座標を書き換えようとした四女ルーテの目前で、密集したオートマタの残骸が磁場エラーを引き起こし、彼女の進路を物理的に塞ぐ。
その隙に、リディアを乗せたワイヤーは『レキシントン』へと吸い込まれていく。
「いきましょう、エリアーナ。……次は、王都の地下深く、私だけの檻の中で会いましょう」
数分後。爆発の煙が晴れ、リュウガとシスターズが『レキシントン』を見上げた時には、すでに旗艦は最大加速で空の彼方へと消えていた。
そこには、踏み潰され、フレームの歪んだ私の「丸眼鏡」だけが、虚しく地面に落ちていた。
◇◆◇◆◇
網膜に投影されたエリーのバイタルサインが、通信圏外を示して消失した。
1秒。
たった1秒の判断ミス。
俺がステルスドローンの陽動にリソースを割きすぎた結果、彼女を奪われた。
俺の演算プロセッサが、経験したことのないエラーログを高速で吐き出し続けている。論理的な最適解が、彼女を失ったという不合理な事実に塗りつぶされていく。
空を見上げれば、最大加速に転じた『レキシントン』の推進炎が、網膜に焼き付くような残光を残して消え去っていく。
「……ぁ、母様……母様ぁぁぁ!!」
爆発の煙を突き抜け、アークへ辿り着いたチェロが絶叫を上げた。彼女の碧い瞳の虹彩が、処理不能な後悔と怒りによって細かく明滅している。
「あーしのせいで……あーしが、守れなかったからぁっ!」
ユーフィが大地を叩いて号泣し、その拳が叩きつけられるたびに衝撃波が荒野の岩肌を粉々に粉砕する。
シスターズたちのMNWは、本来なら完璧に統制されているはずのデータリンクが、悲鳴のようなノイズの奔流と化して俺の脳内を荒れ狂わせている。誰もが自分を責め、その情動がナノマシンの出力を暴走させ、彼女たちの周囲の空気を異常なまでに過熱させていた。
俺は動かずに立ち尽くしていた。
足元には、踏み潰され、フレームの歪んだ丸眼鏡が落ちている。
エリーがいつも大切にかけ直し、驚くとすぐにずり落ちていた、彼女の欠片。
それを拾い上げる指先が、微かに震えていた。
2000年前の「管理者」として設計された俺のボディに、震えなどという不要な挙動はプログラミングされていないはずだ。……これは、システムエラーか? いや、これはエラーではない。俺の全ナノマシンが、対象の奪還という唯一の目的に向けて全出力を固定した結果の「共振」だ。
「……静粛に」
俺の声が、荒野の空気を物理的に凍らせた。自分の声とは思えないほど、低く、地響きのような響き。ナノマシンによる音響制御すら放棄した、剥き出しの質量を伴う圧力。その声に、シスターズが一瞬で静かになる。
眼鏡を懐に収め、俺は空――リディアが消えた方角を見据えた。
瞳の奥で、黄金色のAdmin回路が臨界点を超えて輝き出す。視界の端々で、無数のシステムリミッターが強制解除され、真っ赤な警告ログが滝のように流れ落ちていく。
「管理(Admin)」という名の秩序が、今は「復讐」という名の破壊プロトコルに書き換えられていく。
世界を管理するための力ではない。世界を破壊するための力が、俺の指先から漏れ出し、周囲の岩や大気を分子レベルで分解していく。俺の立っている場所から、同心円状に物質が砂となって崩れ去り、物理法則そのものが俺の怒りにひれ伏していた。
「エリーを――俺のパートナーを返せ」
それは論理的な命令ではない。2000年の眠りから覚めた俺が、初めて剥き出しにした「意志」だ。
「計算外の事象が発生した。……これより、障害となる全データを、この世界ごと削除する」
俺の足元から、荒野の大地が分子レベルで崩壊し、黄金の光の柱が天を突いた。
『【警告】リュウガ様の感情指数、計測不能。Admin権限、リミッターを完全解除。……てぇてぇ、が絶望に上書きされました。……全姉妹、殲滅プロトコルを開始します』
ファーファの無機質な声が、俺の聴覚レシーバーに世界の終焉を告げる序曲のように響き渡っていた。
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