第11話:【始動】さらば隠れ家、荒野への轍
「完成よ……。これこそが、私のすべてを乗せた『方舟』だわ!」
地下工房の跡地に、全長25メートルの鋼鉄の巨躯が横たわっていた。私の愛車である四輪バギーが、非接触型の電磁牽引ビームを介して、巨大なトレーラーハウス――要塞アークを連結している。
この連結部では、リュウガが提唱した「ハブレス・電磁誘導」によって物理的な摩擦が完全にデリートされている。10トンを超えるアークの質量が、バギーの加速に合わせて慣性を無視するように滑らかに追従する光景は、従来の魔導馬車ではあり得ない、再定義された物理法則の結晶だった。
エンジンを始動させると、スクラップ同然だったバギーが盛大に黒煙を吹き上げ、鋼の巨体を泥臭く、けれど力強く引きずり始めた。
「……さよなら、私の城。10年間、ありがとね」
バギーのミラー越しに、崩落した工房の跡が遠ざかっていくのを見て、不意に視界が熱くなった。没落してからの私のすべてが、あの場所には埋まっていた。
「母様、泣かないでください。……どこにいても、母様が笑えばそこが私たちの護るべき家ですわ」
バギーの横を走る長女チェロが、不器用に私の肩に手を置いた。彼女は時速80キロで走行するバギーの横を、呼吸一つ乱さずに並走している。
彼女たちが一歩踏み出すたびに、ナノマシンで強化された脚力が地面の石礫をクレーター状に粉砕し、その反動で慣性を掌握したまま座標を書き換えるように前進していく。
「そうですよ! 1か月分の食料を食べ尽くしちゃうような、騒がしい家ですけどね!」
五女ユーフィが明るく笑い、シスターズたちが次々とアークの屋上や周囲に展開する。
ユーフィは加速の予兆を一切見せず、バギーのルーフからアークの最後尾までを瞬き一つの間に移動してみせた。
彼女たちの運動能力はもはや生物の範疇を超えている。100メートルをたった4.0秒で駆け抜け、その速度のまま100キロメートルを連続走破できる持久力。30メートル級の壁面を垂直に飛び越える脚力。作った私自身が「物理的解像度が高すぎるわ……」と引くほどのスペックだ。正直、作った私自身が一番びっくりしている。
「目的地は北。公爵令嬢セーラの領地にある『廃城』だ。……全速力で出すぞ、エリー」
ハンドルを握るリュウガの言葉と共に、アークは朝焼けが照らす広大な荒野へと、ガタガタと音を立ててゆっくりと走り出した。
「ねえねえ、母様! そのセーラ様って、どんな人なの? 怖い公爵様だったりするわけ?」
MNWを通じて、アークの屋根で風に吹かれているユーフィが身を乗り出すように尋ねてきた。他の姉妹たちも興味津々なのか、ネットワークのトラフィックがわずかに跳ね上がる。六女ヴィオラが戦術バイザーを明滅させ、周囲の広域マナ指数を監視しながら「母様の交友関係ログ、極めて限定的につき、貴重なサンプルですわ」と分析を挟む。
「うっさいわよ、ヴィオラ。……で、セーラ? そうね、一言で言えば『高潔な氷の令嬢』かしら。でも、私にとっては唯一の、腐れ縁の親友よ」
私はバギーの助手席で、遠く北の空を見据えた。
王立技術院にいた頃、没落貴族として蔑まれていた私に、唯一対等に接してくれたのが彼女だった。プラチナブロンドの縦ロールを揺らし、アイスブルーの瞳で「貴女の理論は不合理だけれど、その熱量は評価に値するわ」と、リディアたちの嘲笑を撥ね退けてくれた、私のたった一人の理解者だ。
「公爵家という巨大な権力の中にいながら、彼女は常に『真実』を見ようとしている。……私が技術院を追放された時も、祖父が遺したこのボロ家を隠れ家として維持するための資金と、技術院の追跡を逃れるための秘匿プロトコルを提供してくれたのよ。彼女がないければ、私は今頃野垂れ死んでいたわ」
「……不合理な献身だな。公爵家という立場を危うくしてまで、一介の研究者を守るメリットがどこにある」
リュウガが淡々と疑問を呈する。
「それが『友情』っていう、あんたのデータベースにはない非効率な概念なのよ, リュック」
私は少し誇らしげに鼻を鳴らした。
その時、次女オルガがアークのキッチンから、振動する車内とは思えないほど完璧に水平を保ったトレイを持って現れた。「母様、喉が渇いては友情の語りも捗りませんわ」と差し出された紅茶は、沸騰したての熱量を保ちながら、カップの中で一滴も揺れていない。
彼女自身の身体がナノマシンの微細な振動制御によって、アークの物理的な揺れを完全に相殺しているのだ。この贅沢な機能美の私物化には、制作者として眩暈がする。
荒野を走り始めて3日が経過した頃、突如として空間がガラスのように「剥離」し始めた。
「検知。局所的な空間歪曲――2000年前の専門用語で言えば『次元震』が発生している」
リュウガが、計器の数値を鋭い瞳で見つめる。
「次元震……? ああ、私たちの時代の言葉で言う『空間剥離』のことね。滅多に起きないけど、局所的なマナの枯渇で空間が物理的に削れるっていう悪夢のような現象……!」
私が戦慄しながら付け加えると、リュウガは冷静にその「真実」を補完した。
「世界を安定させていた『次元の錨』の不調により、異次元の不連続なデータが物理的に実体化してしまう現象だ。……来るぞ、エリー。透過属性の魔物だ」
アークの周囲に、霧のような実体のない魔物たちが現れた。
「っ、空間剥離から魔物が……!? 噂には聞いていたけど、本当だったのね……!」
私は息を呑んだ。この現象が魔物を生み出すという断片的な知識はあったが、その詳細なメカニズムは『聖教団』が神罰の名の下に厳重に秘匿している禁忌事項だ。ほとんどの人間は、剥離が起きた場所で何が起きているのかさえ知らずに消えていく。
「母様、攻撃が通りませんわ!」
チェロが斧を振るうが、鋼の刃は虚しく魔物の体をすり抜けていく。敵の周囲には、魔法発動時に漏れ出すようなオゾンの匂いさえ存在しない。ただ「そこにいないはずの存在」が物理法則のバグとして実体化している絶望的な光景。
最悪だわ。透過属性の魔物――それは現代の魔導工学において「打つ手なし」とされる絶望の象徴だ。実体のない敵に干渉する手段など存在せず、遭遇した者の生存率はほぼ0パーセント。目撃者のほとんどがその鋭い爪の犠牲となり、真実が語られることはない。
「マナのバグなら、こっちの物理的な『アース(接地)』で強制的に放電させてやるわ! アークのアンカー、射出!!」
アークの底から撃ち出された巨大な鉄の杭が岩塩の大地に突き刺さり、車体を通じて強烈な電磁パルスが逆流する。
だがしかし! 魔物の爪が、アークの外壁を豆腐のように容易く削り取っていく。
「攻撃が当たらない……!? なによ、どうすればいいのよ!」
パニックに陥る私の震える手を、リュウガが力強く握った。
「マナの周波数を僕に同調させろ。エリー、僕たちがアークの演算ハブになるんだ。……『マナ・リンク』を開始する」
「どういうこと? い、意識を、繋げるっていうの……?」
次の瞬間、私の脳内にリュウガの冷徹で膨大な思考回路が直接流れ込んできた。二人の意識がかつてない深さで重なり合う、禁忌の同調。
『……エリー、集中しろ。魔物の座標データを固定する。僕の論理と君の情動を……。……待て、エリー。何だ、この画像データは』
『ひゃああああっ!? リュック、見ちゃダメ! それは、私の脳内の「リュックとのハレンチな未来」の妄想なのぉぉぉ!!』
リンクした脳内に、リュウガと二人きりでメイド喫茶風の部屋で「あーん」をしたり、その先の破廉恥な展開を期待する私の煩悩が、解像度32Kの鮮明さで流れ出してしまう。
『不合理な妄想だ。……だが、心拍数の上昇はエネルギーとして利用できる。……エリー, そのまま『熱く』なれ!』
『恥ずか死ぬわよぉぉぉ!!』
その瞬間、MNWが爆発的なトラフィックで埋め尽くされた。リンクの余波により、私の脳内映像がシスターズ全員に共有されてしまったのだ。
『キターーー! 母様の「あーん」妄想、解像度高すぎっしょ!!』
『お、お母様……は、破廉恥ですわ! でも父様のシャツの着崩し方が妙にリアルです……!』
『母様、そのシチュエーションは熱力学的に見て非常に熱いです! 燃えちゃいそう!』
『……効率的な誘惑。記録完了』
『解析……。母様の心拍数と妄想のシンクロ率、98%。愛の力で魔導回路がオーバーヒート寸前ですわ!』
『あらあら、母様ったらそんな大人な趣味をお持ちでしたのね。後でじっくり詳細を伺いたいですわ(微笑)』
『母様の妄想、16K画質にてバックアップ完了。……てぇてぇ、が止まりませんわ。……全姉妹、総員で盛り上げ(バースト)開始です!』
『やめてぇぇぇ!! 全員まとめてデリートしてよぉぉぉ!!』
『お、エリー。ようやくデリートの正しい使い方がわかったのだな?』
『リュ、リュック。何冷静に反応してるのよぉぉぉおおお!!』
悶絶する私をよそに、同調した演算能力が魔物の座標を物理的に「固定」した。実体化した瞬間に、シスターズの全属性一斉射撃が炸裂する。
四女ルーテが「加速空間」をデリートし、敵の座標データが確定した瞬間にシスターズの全属性一斉射撃が炸裂する。ヴィオラの電磁加速砲が空間のバグを物理的に噛み砕き、ユーフィの衝撃波が透過属性の位相を強制的に粉砕した。
狙撃、重力、炎、衝撃、分解。
7人の連携が一つの巨大な光の柱となり、透過属性の魔物を粉端微塵に粉砕した。
戦闘が終わり、リンクが解けると、私は激しい息切れと共にバギーの座席に崩れ落ちた。顔が熱い。リュウガへの依存心と、脳内を見られた羞恥心が混ざり合い、奇妙な高揚感となって全身を駆け巡る。
「……もう, あんたなしの人生なんて……計算エラーだわ。責任取ってよね、リュック……」
私は熱い吐息を漏らし、隣で無表情を貫くリュウガを、湿った瞳で見つめた。
アークは再び、セーラの待つ北へと進み始める。
だが、遥か王都の上空。リディア・スカーレットの蒸気飛行船『レキシントン』では、ジャックされた通信衛星のデータが、アークの現在座標を完璧にロックしていた。
「見つけたわ、エリアーナ。……鼠の引越しは、ここでおしまいよ」
リディアの冷酷な笑みが、モニターの中で静かに歪んだ。
『【解析】エリー様、マナ・リンクによる妄想流出で精神的死亡を確認。しかし、リュウガ様と「意識が混ざり合った」事実により、500%の多幸感で蘇生しました(・∀・)』
「ファーファ……! そのログ、今すぐ異次元の彼方に追放しなさい!!」
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