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泥まみれの英雄たち  作者: 時雨
第一部 神童と喪失/第一章 泥まみれの英雄と魔術の芽生え
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第8話 薄いパンと長い冬

 雪は、朝起きるたびに少しずつ高くなっていた。

 窓の下の石に刻んだ目印が埋もれ、マルタが庭へ出るたび、扉の前の雪を掻かなければならない。

 その朝、食堂のパンはいつもより薄かった。


「昨日と違う?」


 僕が尋ねると、マルタは皿を置く手を止めた。


「粉を大切に使っているんですよ」


 兄さんは何も言わず、パンを二つに割った。片方を僕の皿へ置こうとする。


「僕のもあるよ」

「じゃあ取っておけ。昼に腹が減るだろ」


 そう言いながら、自分は先に薄いスープを飲んだ。

 僕はパンを返したかったけれど、兄さんが話題を変えてしまったので、受け取るしかなかった。

 午前の授業を終えたあと、廊下でゴードン爺さんを見つけた。いつもは水路のことを話すと楽しそうなのに、その日は重そうな帳面を抱えていた。


「北の集落は大丈夫?」


 昨日、父さまの執務室で聞いた話が気になっていた。


「荷を送る道が閉じておりましてな。兵を出すかどうか、旦那様が考えておられます」

「魔術で雪を溶かしたら?」


 爺さんはすぐに笑わなかった。


「坊ちゃん、一度外を見てごらんなさい」


 窓から見えるのは屋敷の庭だけだった。けれど爺さんが開いた地図には、庭の何十倍もの道が続いている。


「この道全部です」


 僕は指でなぞった。坂を上り、沢を渡り、森を抜ける。紙の上ですら長い。


「……僕には無理かも」

「無理と決めつける必要はありません。ただ、できることの大きさを知っておくのも大事です」


 僕が地図から目を離せずにいると、爺さんは「古い写しですから、しばらく持っていなさい」と地図を僕に手渡し、帳面を閉じて歩いていった。

 僕は借りた地図を持って中庭へ降りた。兄さんが雪を踏み固めた小さな場所で木剣を振っている。


「兄さん、前に見張り台までの道を教えてくれたよね。その先の北の村へ行く道も知ってる?」

「兵の人に聞いたことはある。どうした?」


 僕が地図を見せると、兄さんは手袋を外し、紙の端を押さえた。


「ここは冬に凍る。馬でも危ないって」

「じゃあ、こっちは?」

「橋が細い。荷車は通れないかもな」


 二人で道を探した。遠回りならどうか。見張り台で積み替えたらどうか。兄さんは道について知っていることを次々に教えてくれた。

 僕は、魔術で雪を消すより、馬をどこへ動かすか考えた方が早いのかもしれないと思った。

 夕方、思い切って父さまの執務室へ行った。


「見張り台に馬がいるなら、村まで荷物を運べない?」


 父さまは机に地図を広げ、僕らが引いた線を見た。


「お前たちで考えたのか」

「兄さんが道を知ってた」


 兄さんは隣で小さく頷いた。

 父さまはしばらく黙っていたが、やがて一本の線を指した。


「ここで馬を使い切ると、見張り台から急ぎの知らせを送れなくなる。敵が来たとき、領地全体が困る」


 僕は口を閉じた。


「なら、馬を半分だけ」

「半分で運べる荷はどれほどだ?」


 答えられなかった。どの荷がどれだけ重いのか、知らない。

 父さまは地図を畳んだ。


「考えたことは悪くない。だが、数字を知らずに決めてはならん」



 三日後、風が弱まった。

 父さまは少人数の兵と荷馬を送り、食糧と薬を運ばせた。すべての荷を積めたわけではなく、見張り台にも馬が残されたという。

 僕と兄さんは門で見送った。荷馬の背で袋が揺れている。


「あれで足りるかな」

「分からない」


 兄さんは正直に言った。


「でも、運ばないよりはましだろ」


 白い道に残った足跡は、雪が降り出すとすぐ薄くなった。

 僕は帰ってから、帳面の数字を読めるようになりたいとヴォルクに頼んだ。

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