↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泥まみれの英雄たち  作者: 時雨
第一部 神童と喪失/第一章 泥まみれの英雄と魔術の芽生え
PR
5/45

第5話 冬支度の数

 倉庫へ入ると、薪と干し草の匂いが鼻の奥まで届いた。

 壁に沿って束ねられた薪の山は、僕の背丈の倍ほどあった。秋が深まり、倉庫では男たちがもう冬の話をしていた。


「今年の寒さは早いかもしれん」


 水路番のゴードン爺さんは、太い指で帳面の数字をなぞった。


「去年の冬は長かったからね。運べるうちに運ぶさ」

「こんなにあるのに足りないの?」

「足りるようにするために数えるんだ」


 僕は差し出された小さな板に、薪の束を一つずつ記録した。最初は十の次を間違え、二十まで数え直した。


「一束を二度数えたら、どうなる?」

「本当はないのに、あることになる」

「じゃあ、冬になってどうなる」

「……寒い」

「そういうことだ」


 ゴードン爺さんは頷いた。

 屋敷では、薪の置き場によって札の色が違った。食堂用は赤、台所用は黄、客室用は青。けれど、青い札のついた山だけが今年は小さかった。


「お客さん、来ないの?」

「来ないんじゃない。来たときには別の部屋から回す。今は使わない部屋を暖めないだけだ」


 帳面には数字が並び、その横には名前があった。食堂、厨房、執務室、母さまの居室、兄さんの寝室。そして僕の勉強部屋。

 僕の部屋には、去年までなかった欄が増えていた。


「先生の授業があるからな。手がかじかんでは筆も動かん」


 ゴードン爺さんは何気なく言った。そのとき、廊下から父さまの声がした。


「そちらの欄は減らせん。帝都からの客人にも見せられる教育だ」


 父さまは倉庫の入口に立ち、帳面を受け取った。僕の顔を見ると少し驚き、それから仕事を邪魔するなとだけ言った。


 ◇


 戻る途中、兄さんの部屋の前を通った。

 扉の下から冷たい風が流れていた。暖炉はあるけれど、灰が白く固まっている。兄さんは机で木剣の柄に布を巻いていた。


「寒くない?」

「今日はまだ平気」


 兄さんは手のひらを見せて笑った。霜焼けのように赤い。


「僕の部屋、朝から暖かいんだ」

「先生が来るからだろ」

「兄さんもそこで稽古したらいいよ」

「剣を振ったら窓を割る」

「じゃあ、書く練習だけでも」


 兄さんは返事をしなかった。僕がしつこく言うと、ようやく顔を上げた。


「お前が頑張ってるのは知ってる。だから、変な顔するな」


 変な顔をしていたのだろうか。僕には分からなかった。

 夕食のとき、父さまに聞いてみた。


「兄さんの部屋にも薪を増やせない?」


 父さまは食事の手を止めた。


「今年の薪は決まっている。どこかを増やせば、どこかが減る」

「僕の部屋から少し分ければ」

「魔術の訓練を休むつもりか」


 僕は口を閉じた。

 父さまが怖かったわけではない。僕が習っている魔術が、兄さんの部屋の暖かさと引き換えになっているのだと、数字を見てはっきり分かったからだ。


 食堂を出ると、兄さんが廊下で待っていた。


「怒られた?」

「ちょっと」

「別に寒くないって言っただろ」

「手が赤かった」

「剣を振ればあったまる」


 兄さんはそう言って僕の額を小突いた。でも、僕は知っていた。兄さんが寝ているあいだは、剣を振れない。


 その夜、帳面に薪の数を書き写した。何束あれば兄さんの部屋を一晩暖められるかを考えたけれど、僕にはまだ分からないことが多すぎた。

 翌朝、倉庫へ行ってゴードン爺さんにその帳面を見せた。もっと大きな火を出す魔術を覚えるより先に、火を消さないために必要なものを知りたかったからだ。


「一晩だけなら三束で足りる。だがな、坊ちゃん、冬は百日以上続くんだ」


 爺さんは僕の書いた数字の横に、冬のあいだに必要な総数を書き足した。一晩に三束なら、十日で三十束、百日で三百束になる。倉庫の山がどれほど高く見えても、春まで屋敷の全員が凍えずに過ごすには、最初からぎりぎりの数だった。


「……ひとつ増やすだけで、こんなに要るんだね」

「ああ。だから旦那様も、どこの火を残すかで頭を悩ませておられる」


 僕は帳面の数字を見つめたまま、すぐには言葉を返せなかった。自分の部屋で燃えている火の重さが、初めて分かった気がした。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

火を大きくするより先に「火を消さないために必要なもの」へと目を向け始める第5話でした。

少しでも面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや下の「☆☆☆☆☆」から評価・感想をいただけると執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。