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泥まみれの英雄たち  作者: 時雨
第二部 凡人の再起/第四章 西谷補給所と石門砦への道
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第43話 足りない一日

 石門砦から、兵が一人やってきた。

 軍服の上に旅の泥が乾いている。名をラウルという若い兵士で、頬がこけて見えた。


「砦の食糧は何日もちますか」


 オルドの問いに、ラウルはすぐ答えなかった。


「配給を減らせば、あと二日。ただ、見張りが増えているので、兵たちが疲れています」


 僕は思わず聞いた。


「最初の二台は届いたんですよね」

「届きました。それでも、想定より人が増えたんです」


 ラウルはそこで言葉を切った。


「ほかの河岸の便も、雨と増水で数日止まっています。西谷からの荷だけが遅れたわけじゃない。それでも、食べる人数は減りません」


 僕は、別の道も同時に滞っていることを初めて知った。ひとつの橋が壊れただけではない。複数の補給経路が、同じ悪天候で細くなっていた。


「三日前、雪崩を避けて別の部隊が砦へ入ってきました」


 その人数は、僕らの予定表にない。

 オルドは腕を組んだ。


「増員を知らされていない」

「こちらも、昨日になって確定しました」


 ラウルの声には、疲れが混じっていた。

 誰が悪いのか決めても、腹は満たされない。僕は口を閉じた。

 砦へ送る荷をもう一度数えた。

 麦袋は足りている。ただし川を渡せない。

 旧街道を使えば、早くても二日はかかる。天候が崩れれば三日だ。


「少人数で運べるものを先に送れませんか」


 僕が提案すると、ロウは考え込んだ。


「荷車を使わず、荷馬だけで峠を越す道ならある。だが、運べる量は少ない」

「少しでも」

「少しで足りるのか?」


 僕は答えられなかった。

 ミラが紙を引き寄せた。


「ラウルさん、砦で今いちばん不足しているのは何ですか」

「麦と塩です。火を燃やす薪も減ってきた」

「薬は?」

「急ぎのものはあります。でも、まず食事が必要です」


 ミラは項目を並べ替え、必要な量を聞いて書き込んだ。

 僕はそこで初めて、残りの荷車一台分の袋を、一度に丸ごと送ろうとしていた自分に気づいた。

 必要なのは予定通りの袋数ではなく、砦の人が明日食べられることだ。


 オルドは荷馬で先に塩と乾パンを送り、麦は安全が確認された道で後便とする案を採用した。

 僕は荷の一覧を作り、テオと一緒に小分けの袋を縛った。


 昼過ぎ、荷馬を連れた三人が出発した。

 間に合ってほしい。

 僕は門が閉じるまで、何度もそう思った。

 夜、ラウルが砦へ戻る前に僕へ言った。


「補給の予定が遅れるって聞くと、兵は自分たちのことを忘れられたと思うんです」


 僕は顔を上げた。


「忘れていません」

「分かっています。でも、腹が減ると、人はそういうことを考える」


 彼は疲れた顔で笑った。

 僕は帳面の余白へ書いた。


『遅れるときこそ、相手へ知らせる』


 その字を書いても、砦の空腹が軽くなるわけではなかった。


 ◇


 荷馬の一行が出発してから二日目、補給所へ戻ってきたのは三人ではなく二人だった。

 僕は門のそばで、泥のついた袋を降ろす兵士を見ていた。


「もう一人は?」


 若い兵は唇を噛んだ。


「中継小屋で休んでいます。足を傷めました」


 オルドがすぐに詳しく聞いた。

 峠の北側にある石段で、荷馬が足を滑らせた。落ちそうになった荷を支えようとして、案内役のダニルが斜面へ転んだという。


「命に別状は?」

「ありません。でも足首がひどく腫れて、歩けません」


 荷馬一頭分の袋は、斜面を滑って谷へ落ちた。

 水に落ちた袋を拾いに下りることはできなかったらしい。

 報告を聞くうち、僕の耳には自分が言った言葉ばかり響いた。


『少人数で運べるものを先に送れませんか』


 あの提案がなければ、ダニルは怪我をしなかったかもしれない。


「僕が言い出したんです」


 僕がオルドへ言うと、彼は首を振った。


「運ぶ案を出したのはお前だ。送り出すと決めたのは俺だ」

「でも……」

「誰の責任か決めるのはあとだ。まずダニルを迎えに行く」


 オルドは救護用の担架を用意させ、峠の状態を知る兵を選んだ。

 僕も行きたいと言いかけたが、言葉を飲み込んだ。

 今そこへ出ても、人を増やすだけだと思った。

 ミラは怪我の報告と失った荷の一覧を別々に書いた。


「何を積んでた?」

「塩が二袋と、乾パンです」

「水に落ちた分は戻らないとして、残りは?」

「半分くらい、砦へ届いたそうです」


 僕が答えると、ミラは小さく頷いた。


「足りないことを隠さず知らせよう。向こうは届くつもりで待ってる」


 僕は新しい報告書を作った。

 負傷者一人。運搬途中で荷の一部を喪失。砦へ届いた量は確認中。

 数字を書き込む手が震えた。


 夜、ダニルが担架で帰ってきた。

 僕は診療室の前まで行ったけれど、扉の前で足が止まった。

 中から医師の声が聞こえる。


「骨が折れていなければ、しばらく休めば歩けるでしょう」


 その言葉を聞いて安心しかけ、自分が安心したことに腹が立った。

 歩けるようになるまで、ダニルは仕事ができない。

 家族がいたら、その人たちも困る。

 部屋へ戻ると、帳面を開いた。


『荷馬で先に送る案を出した』


 その下に何を書けばいいのか分からず、長いことペンを持っていた。

 やがて一行足した。


『危ない場所で何が起きるか、案内役に十分聞かなかった』


 それは事実だった。

 明日、オルドへそのまま話そうと思った。

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