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泥まみれの英雄たち  作者: 時雨
第一部 神童と喪失/第三章 破滅の吹雪と凡人の歩み
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第27話 破滅の吹雪

 十歳の誕生日を迎える前夜、屋敷の外では雪が降り続いていた。

 夕食には母さまの用意した甘い菓子と、約束の焼き栗が出た。父さまは帝都へ持っていく書類の話をし、ヴォルクは僕に食べすぎるなと言った。

 兄さんはいつもどおり、僕が取ろうとした栗を先につまんだ。


「それ、僕の」

「一つくらいいいだろ」

「あとで返してよ」

「栗を?」


 僕たちは笑った。

 寝台に入ってからも、なかなか眠れなかった。明日で十歳になる。帝都に行って、たくさんの人に力を調べられる。それが怖いのか楽しみなのか、自分でもよく分からなかった。

 窓の外で風が鳴っていた。


 眠ったのか、まだ起きていたのかは覚えていない。

 急に部屋が遠くなったような気がした。

 呼吸に合わせて感じていたマナの流れが、いつもと違う方へ引かれていく。

 誰かが何かを言ったような気もする。廊下から聞こえたのか、夢の中だったのか、分からない。


 瞼の裏に細い光が広がる。手を伸ばそうとしても、指先の感覚が曖昧だった。

 そのあとのことは覚えていない。

 あとになって何度思い返しても、残っていたのは雪の音と、胸の内側がふいに静かになった感覚だけだった。


 ◇


 目を覚ますと、母さまが寝台のそばにいた。

 部屋には見慣れない薬草の匂いが満ちていた。窓の向こうには、まだ雪が残っている。


「……母さま?」


 母さまは泣きそうな顔で、僕の額を撫でた。


「よかった」

「どうして泣いてるの?」

「三日も眠っていたのよ」


 三日。僕は身を起こそうとしたが、身体に力が入らなかった。

 何があったのか尋ねると、母さまは高い熱が出たのだと教えてくれた。医師とヴォルクが交代で看ていたらしい。

 雪の音。胸の内側が遠くなった感覚。ぼんやりした光。

 それだけが残っていた。夢を見ていたのかもしれない。


「兄さんは?」

「兵舎へ出ているわ。あなたが目を覚ましたと聞けば、来るでしょう」


 僕は頷いた。三日も眠っているうちに誕生日が過ぎてしまったことを、早く誰かに話したかった。

 午後、ヴォルクが来た。


「アルヴィス、いつもの呼吸をしてみろ」


 僕は目を閉じ、胸の奥の温かさを探した。

 何もない。

 もう一度息を吸った。心臓は動いている。身体も温かい。それなのに、いつもそこにあった細い流れが見つからなかった。


「先生」

「どうした」

「分からない」


 必死に息を整えた。


「前は、ここにあったのに」


 胸へ手を当てると、ヴォルクは答えず、僕の手を下ろさせた。

 夕方、父さまが来て、火をつけてみるよう言った。

 机に置かれた油皿を見つめた。いつもなら火の揺れが分かるのに、今はただの冷たい皿だった。

 何度試しても、何も起きなかった。


「もう一度だ」


 父さまの声が硬くなる。


「やめましょう」


 ヴォルクが僕をかばうように立った。


「今はまだ身体を休ませるべきです」


 父さまは長く黙ったあと、油皿を片づけさせて出ていった。



 その夜、母さまは小さな甘い菓子を持ってきてくれた。誕生日に食べられなかった分だという。

 僕は一口だけ食べた。


「きっと熱が下がれば、元に戻るよね」


 母さまは僕の肩を抱き寄せたが、答えはくれなかった。

 あの夜何が起きたのか、僕には分からなかった。ただ、胸の奥にあった温かさだけが、戻ってこなかった。

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