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近すぎる距離と、当たり前の日常

「いつまー、早く早く! アイス溶けちゃうじゃん!」


カラカラと自転車のペダルを鳴らしながら、藍庭鷗賀あいにわ おうかは振り返って俺を手招きした。

傾きかけた西日に照らされた彼女の髪が、きらきらとオレンジ色に輝いている。初夏の風が、彼女の着崩したセーラー服の襟を小さく揺らしていた。


「そんなに急がなくても、アイスは逃げないって。ほら、前見て運転しろよ、おうか。危ねえから」


俺――真名依真まな いつまは、呆れ半分、ため息半分の声を出しながら、彼女の少し後ろを歩いていた。


俺と鷗賀は、家が隣同士の、いわゆる青梅竹馬おさななじみだ。

幼稚園から小学校、中学校、そして今の高校に至るまで、ずっと同じ学校に通っている。お互いの黒歴史も、好きな食べ物も、炭酸飲料の好みの糖度まで、全部知り尽くしている。


学校の奴らは、俺たちの距離感を見て「お前らもう付き合っちゃえよ」なんてからかってくる。

だが、そのたびに鷗賀は決まってこう言うのだ。

「えー? いつまは家族みたいなもんだから無理無理! 男として見たことないってば!」

そう言って、お腹を抱えて大笑いして一蹴する。


家族、か。


彼女が俺に寄せる絶対的な信頼は、何よりも嬉しい反面、俺の胸の奥に小さく、けれど確かな痛みを刻みつける。

俺は一度だって、彼女を『妹』だと思ったことはないのに。


「ん、これ持ってて!」


駅前のコンビニで買ったソーダ味のアイスを口に咥えたまま、鷗賀は当然のように自分のスクールバッグを俺の手に押し付けてきた。


「おい、自分の荷物くらい自分で持てよ」

「いいじゃん、いつまは私の『お兄ちゃん』なんだから! 頼りにしてまーす!」


無邪気にピースサインを作ってみせる鷗賀の笑顔は、ずるいくらいに可愛かった。

彼女にとって、俺は『安全圏セーフティゾーン』にいる存在だ。絶対に裏切らない、絶対に自分を置いていかない、都合のいいお兄ちゃん。


俺がバッグを受け取ると、彼女は満足そうにアイスを囓った。

「あー、冷たくて美味しい!……あ、いつま、ちょっと一口食べる?」

「は?」

「ほら、これ。美味しいよ?」


鷗賀は何の躊躇もなく、自分が齧ったばかりのアイスを俺の口元に突き出してきた。

間近に迫る、ほんのり青いソーダアイス。そして、彼女の指先。

本人はきっと、間接キスなんてこれっぽっちも意識していない。ただ「美味しいから分ける」という、小学生の頃から変わらない感覚なのだろう。


「……いらない。お前が全部食え」

「えー、冷たいうちが美味しいのに。遠慮しちゃってさ」


俺の心臓がどれだけうるさく鳴っているかも知らずに、鷗賀はまた暢気にアイスを口に運ぶ。

いつもそうだ。彼女の無防備な行動に、俺の心だけが一方的に振り回される。


スクバの持ち手をぎゅっと握りしめながら、俺は心の中でそっと呟いた。


(いつまでも、その場所にいると思わないでよ、おうか――)


夕暮れの帰り道。影が長く伸びる中、俺は彼女の背中を見つめていた。

彼女の『安全な境界線』をぶち壊してでも、俺を男として見せつけてやりたい。そんな独占欲が、胸の奥で静かに鎌首をもたげていた。


その時、鷗賀が思い出したようにスマホを取り出し、画面をタップした。

「あ、そうだ。いつま、今日の昼休みにさ、1年の女子がいつまのこと探してたって噂聞いたんだけど」

「……あ? 誰それ」

「わかんない。でも結構可愛い子だったって。もしかして告白とか? いつまもついにモテ期到来?」


鷗賀はからかうような笑みを浮かべて、俺の顔を覗き込んできた。

その瞳には、一筋の焦りも、嫉妬の色もなかった。ただ純粋に、幼馴染の恋バナを面白がっているファンのような目だった。


――あぁ、やっぱり分かってない。


「もし、本当に告白だったらどうする?」


俺は足を止め、少し低い声で問いかけた。

いつも通りの冗談だと思って先へ進もうとした鷗賀が、おっと、と自転車を止めて振り返る。


「え? どうするって……」

「俺がその下級生と付き合って、放課後も、休日も、全部その子のために使うようになったら。……お前は平気なの?」


夕日に照らされた彼女の瞳が、微かに丸くなった。

いつもなら「そしたら寂しくなるじゃん!」と冗談めかして言うはずの彼女が、なぜか一瞬、言葉を詰まらせた。


俺の手が、いつかその『安全な境界線』をぶち壊すことになるなんて、今の彼女はまだ、これっぽっちも気づいていなかった。

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