閑話 ミランダ・ヴィ・ビークロフト伯爵夫人
初対面から気に入らなかった、レジーナ・ヴィ・ブラックウェル。
何も知らないお姫様然としたところが。
打てば響くような反応ではなく、ふんわりとしたその雰囲気が、それなのに、主家の娘だからと、誰もが彼女をもてはやす。
あれはデビュタントの時だった。
今はもう廃止されたが、当時はダンスカードに自分の相手を書き、社交デビューのダンスを踊るというしきたりがあったけれど、そのカードの相手がことごとく、レジーナのことをわたくしを通じて探りをいれようとしていた。
なんであの女が。
父の借金はブラックウェル伯爵家が肩代わりをするだけでは事足りず、父は自分の年よりも上の伯爵家当主の後妻にわたくしを推した。
その間、レジーナの周りには、数多の貴公子が結婚の申し込みの列をなしていた。
この差にどれほど悔しい思いをしただろう。
おまけに父はわたくしを売り払うように伯爵家に嫁がせて、姿をくらませた。
そして肩代わりしたブラックウェル伯爵家も、その借金で窮地に追い込まれた。
お姫様然としたレジーナは借金まみれの惨めな生活を嘆くに違いないと思えば、年の差のあるこの結婚も悪くはないように思えた。
結婚相手のビークロフト伯爵には息子がいたけれど、わたくしより十歳下。
まだまだ子供だ。
そしてわたくしは、後妻といえ、ビークロフト伯爵夫人。
没落していくブラックウェル伯爵家を遠くから見て、あのレジーナのおっとりとしたすまし顔が歪むのを想像して溜飲を下げていた。没落は誰にも止められないものと思ったのに、歯止めをかけた者が現れる。
デイヴィス・ヴィ・アーチデール。
商爵から男爵に、王都で様々な事業を抱える富裕層の上でも上澄み。
爵位を男爵に上げることができた剛腕辣腕の実業家。
その男が、レジーナを娶ったのだ。
それでも伯爵令嬢が男爵夫人になったという事実、そして盛り返したブラックウェル伯爵家は当主の病によってその爵位を王家に返上となった。
ブラックウェル伯爵の爵位をアーチデール男爵に譲らなかったのは、様々な貴族家の思惑があって陛下に奏上したのだろうと、結婚したビークロフト伯爵が言っていた。
理由はどうであれ、レジーナの実家は消えて、おまけに、レジーナは二人の子供を産んですぐになくなった。
もう二度と、あのむかつくお姫様然とした女と会うことはない。
ほっとしていた。
伯爵夫人になった私は家政と社交にのめり込み、我が世の春を謳歌した。
結婚相手が年寄りだとしても、この立場は夢に見た立場。
苛立つ女も社交界には顔を出さない。
最高だった。
なのに……それなのに――……。
「私の亡き母の形見、ぜひ、今夜の夜会で身に付けてほしいと義母に願ったのです。ああ、名乗らず失礼を。私――アーチデール男爵家が長女、マリアンデール・ヴィ・アーチデールと申します」
レジーナの死後、時間を経てやってきたレジーナの娘――マリアンデール・ヴィ・アーチデールはレジーナの面影はなかった。
赤味の強い紅茶色の髪に、青みがかった鋼色の瞳。
その色合いは、先々代のブラックウェル伯爵そのものだった。
幼い頃に見たことのある、威厳と覇気を備えた、伯爵家当主。
時間を超えて、私の父がした――ブラックウェル伯爵家の没落の要因だった陪臣を断罪する当主の生まれ変わりなのかと思ったぐらいだ。
そしてその性格も――。
レジーナのように吹けば飛ぶようなたおやかさは微塵もなかった。
春の大夜会でデビューし、このブリタリウス王国社交界で知らない者はいない。
記憶喪失の令嬢――。
でも、記憶を失ってからのこの娘は、令嬢ながら父親の事業を譲り受け自身でも事業を展開して、それが貴族女性達の心を一気に掴んだ。
もちろん、女子供が事業なんて――そう囁く紳士達は多い。
レジーナの娘というだけで、わたくしの勘に触る娘、当然気に入らない。
紳士達の陰口に迎合する形をとって、あの娘をこき下ろした。
にも拘わらず――あの娘は、社交界に受け入れられていた。
淑女として、ありえない行動を容認するアーチデール男爵家もどうかしている。
だから、それをわからせるために、憲兵局に再開発の警備をボイコットするようにはたらきかけたのに――。
あの娘は自前で警備会社を設立した。
軍閥トップがこのことにわたくしの夫、ビークロフト伯爵の責任を追及し、伯爵家の世代交代を切り出してきた。
義理の息子も結婚して妻をもうけたけれど、凡庸で大人しいあの義息子夫婦に、軍閥貴族として伯爵家を支えるなんて無理だわ。
義息子の嫁は、大人しくて家政も社交もできていない。
それなのに、狩猟会のお茶会では、軍閥の貴族夫人はわたくしではなく、義息子の嫁に挨拶し声をかけていく。
わたくしを差し置いて、軍閥の貴族夫人のテーブルにつくとはどういうこと!?
嫁のくせに、わたくしを差し置いて?
公爵令嬢と並んで、談笑を交わすアーチデールの娘を見つけ問い質す。
「これはどういうこと!?」
「席にお戻り下さい」
「わたくしはビークロフト伯爵夫人よ!」
「この茶会を機に、新たなビークロフト伯爵と伯爵夫人の交流を優先させるように、要望がございましたので、この席で間違いございません。お戻り下さい」
「この……っ! 公爵家が目をかけてるからって!」
生意気な!
公爵家の威を借りて、つけあがる小娘をわからせてやる為、扇を手に振り上げる。
打ちおろしたと思ったら、私の手に痛みが走る。
この小娘! わたくしの甲を扇で叩くとは!!
「なっ……わたくしの手を!」
「王家主催を代行するシーグローヴ公爵家主催のこの狩猟祭の茶会で、なりふり構わず感情のまま振る舞うとは……出自が知れるというものだな。貴女は引退する伯爵の奥方だ。本来なら、この場はアイリーン様の今後の交流に配慮すべき立場だろう」
青みがかった鋼色の瞳が――わたくしの知るかつてのブラックウェル伯爵を彷彿させる。
「なんですって!?」
そんな亡霊などに、わたくしが怯むとでも思っているの!?
わたくしが小娘に掴みかかろうとすると、警備の者が取り押さえる。
生意気な娘は扇の先端を掌で軽く叩きながら近づく。
「私の手を振り払って階段から落ちたお酒に酔ったご友人から聞いておられないようだから、改めて言おう。私は年齢や爵位などに遠慮はしない。現在のビークロフト伯爵家の状況は、全てお前の考えなしの行動が引き起こした! それも理解できないのか!!」
このわたくしに説教する気!?
「たかが男爵令嬢の癖に生意気な! 離しなさい!」
護衛に向かって叫ぶも、アーチデールの小娘は間髪容れずに声をあげる。
「離すなよ! 私の傍にはアデライド様がいらっしゃる。何かあったら、首が飛ぶどころではないと心しろ!」
ああ、レジーナよりも性質が悪い!
地位が、爵位が低いくせに、何故このように人を動かせるの!?
わたくしは引きずられるように馬車停の場所まで連れていかれた。
振りほどくために抗うも力で押さえつけられて、思う通りの動きができない。
自分の体力が失われていくのを感じながら、ついてくるアーチデール家の娘を睨みつける。
「この、たかが男爵令嬢の分際で――……!」
「黙れ! この痴れ者がっ!! 王族に連なる方々もご臨席する場で御宸襟を騒がせるとは何事か! 貴様の所業がビークロフト伯爵家の品位を貶めていることを自覚しろ!」
「なっ!」
「それと――私を男爵令嬢に貶めた貴様に「たかが男爵令嬢の分際で」とは言われたくはない。貴様の実家は、主家である私の実母の実家、ブラックウェル伯爵家の足を引っ張り没落に追い込んだ張本人。このことを知る私が、今、貴様を生かしている現状に感謝するべきだ。グリフィス、用意はできたのか?」
「Yes, My Lady」
「よし、馬車に押し込めろ」
「はあ!? ちょっと! 離しなさい! わたくしはビークロフト伯爵夫人よ! こんなこと許されるわけがないわ!」
馬車に乗せられまいと抗うけれど、拘束はきついままだった。
「二度と貴様は王都の土を踏むな」
アーチデールの娘は、青みがかった鋼色の瞳を向けて、冷淡に言い放った。
アーチデール家の誰にも似ていない――ブラックウェル伯爵家の血を色濃く出したその小娘は、かつての当主のごとき威厳と冷徹な瞳を私に向けていた。
許されないわ……こんなことは……。
「離しなさい無礼者! わたくしの言葉がきけないの!? わたくしはビークロフト伯爵夫人よ! お前も何か言ったらどうなの!」
一緒に馬車に乗り込んでいる侍女を叱りつけるけれど、侍女はばつが悪そうな表情でわたくしから視線をそらしている。
わたくしの拘束を解かない連中が言った。
「貴女はこのまま領地に向かうことになっています。書類が先ほど受理されたと連絡が、今回の騒動を鑑みて、伯爵家は世代交代となり、先代と貴女は領地に謹慎蟄居の沙汰がでております」
ショックで頭の中が白く濁った。
そんな中に強い感情だけが、よりどころになった。
――こんなこと……許されない……許さないわ……。




