閑話 セドリック・ヴィ・バクスターの懊悩
「シーグローヴ領のバカンスは、ベティの希望だが……夜会の出席か」
やれやれと言った具合でセドリック・ヴィ・バクスターは肩をすくめる。
「身内だけの夜会よ。いつもより気が楽だと思うわよ。貴方には……それに、今、アデライドと一緒にマリアンデールも来ているから、貴方には話をする機会だと思うけど」
メイド達に囲まれて、夜会の支度している鏡に映った妻、ベアトリクスを見つめた。
「マリアンデール?」
「うん、もう、前に言ったでしょ? 王都に美容サロンを立ち上げた、アーチデール男爵家の長女よ」
「長男じゃなく?」
「長男じゃないわ」
「……ああ怪我をして記憶を失ったという……まさかとは思うが、アーチデール男爵は、その娘を後継者にするつもりじゃあるまいな?」
「どうでしょうね……」
「お前は、長男を夜会で見かけたことがあるのか?」
セドリック・ヴィ・バクスターはアスコットタイを緩めたい気分になるが堪える。
夫の言葉に、ベアトリクスは指先で自分の頬を押さえて考え込む。
アーチデール男爵家の長男はたしかアカデミーに在籍しているという噂は聞いている。
「そういえば……ないわ……」
社交デビューはしたはずだ、当時話に上った。
王都の経済界では有名なアーチデール男爵家、その長男ならば跡取り息子だ。
しかし、そのデビュー以後、夜会で彼の姿を見たことはない……。
「サマーホリデーシーズン中に、シーグローヴ公爵家主催で、お茶会や夜会が開かれるから、そこのところを聞いてくる。でも、マリアンデールは記憶喪失なのよ。いままでの記憶がないし、髪で見えない部分だけど、傷も残って、結婚は難しいらしいという話なの。私もヘンリエッタも彼女に縁を紹介しようとしたのだけど、その理由で断られたわ」
「本当に記憶喪失なのか?」
「アデライドがそう言っていたし、一応調べたわよ。昨年、サマーホリデーシーズンが終わっても一か月ほど休学していたの。学院の教師に知り合いがいるご夫人からも聞いたわ」
「ふむ……」
「セドリック、貴方、何を考えているの?」
「記憶喪失で傷を負った男爵令嬢でもよしという男はいるだろう?」
夫であるセドリック・ヴィ・バクスターの言葉に、ベアトリクスは考え込む。
結婚――貴族令嬢として生まれているならば、それは当然のこと。
ましてや彼女は元々は軍閥の一翼を担っていたブラックウェル伯爵家の血を引く。
アーチデール男爵家の者として、王都の経済界で少しずつ名前を上げ始めている。
経済界の者にも知らない顔はないから、マリアンデールの話は夜会では耳にする。
――アーチデール男爵家の後継者は、長男よりもその下の娘、マリアンデールの方がいいのではないか。私は長男の名前を覚えてないぞ?
――長男はオリバーだよ。だが、この春の大夜会でデビューしたばかりのご令嬢だぞ?
――跡取り息子よりも、社交に出席しているし、父親の事業を譲り受けたそうじゃないか。
――それは聞いている。デビュタント前よりも事業の下準備や小さい会社を買収して、地盤固めをしていた。
――小娘が事業の何かなんてわかるのか。
――貴族夫人やご令嬢をターゲットとした事業をてがけているらしい。同性の感覚はバカにできない。
――確かに服飾、雑貨、宝飾品関連は、昨年よりアーチデール傘下が勢いづいている。あの娘が譲り受けてからな。
――アーチデール男爵も、男女逆だったら憂いもなかっただろうに。
――嫁入り先を心配して、縁談を集めればいいものを。
――昨年頭に大怪我を負ったから、そこはあきらめているらしい。傷モノの娘を政略結婚の道具にはできないならば、手元でこき使うつもりなんだろう。
――アーチデール男爵も容赦ないな。
「最新の衛生用品については、うちも、従来の価格で卸してもらいたいんだがなあ」
アーチデールの息のかかった病院では、既にそれなしでは以前のような形で業務をしていたことを思い出せないほどに、それらは活躍していた。
セドリックも、なんとか割り増しで購入して、自分の軍病院に卸してみたら、病院側から「画期的です! 便利です! できれば、これを使いたい! 医師も看護婦も是非にという要望です!」と病院側から泣きも懇願が寄せられた。
「あの衛生用品……、マリアンデールの開発で販売よ」
「そうらしいな。ほんと何をしてこんなにこじれた」
「ビークロフト伯爵夫人が、盛大にディスったのよ。アーチデール男爵夫人とマリアンデールを」
「バカが! これだから事業に女が絡むと!」
とはいうものの、自分の名誉を傷つけられたら、当然、やりかえすのも貴族。
女だけではなく男でも、こういったことは大なり小なりあるはずだとベアトリクスは思うが口に出さず……。
「それだけじゃないわよ。ビークロフト伯爵は王都憲兵局に顔が利くから、王都港湾再開発で、住民ともめたのに、憲兵を押さえて差し向けなかったから、男爵自身も業腹らしいわ」
「……憲兵局の奴は頭を抱えていたよ」
――でしょうね。
と内心ベアトリクスも思うが声には出さない。
「ともあれ、マリアンデール・ヴィ・アーチデールは、一筋縄ではいかない娘よ。この後の夜会であってみればわかるわ」
お仕度、整いましたと小声でメイドに言われて、ベアトリクス・ヴィ・バクスター公爵夫人は立ち上がる。
「内々の夜会で、あの子がいると、何か起こりそうで、なんだかわくわくするの」
「アデライドみたいなことを言うな」
夫であるセドリック・ヴィ・バクスターは妻をエスコートして馬車に乗り込んだ。
シーグローヴ本城に到着して、セドリックはご夫人やご令嬢達に囲まれているマリアンデールを見つける。
「そうですね、貴族令嬢らしくないと、周囲からの視線は決して優しいものではございませんが、それでも、自由がありますから」
赤味の強い紅茶色の髪をした後ろ姿のご令嬢。
会話をしているのは、シーグローヴ公爵家寄子バーリー子爵令嬢だなと、セドリックは見当をつける。
「自由……そうね、だから、アデライド様は、貴女を側におきたいのかもしれないわね。アデライド様が手に入れられないものといったら、それですもの。自分の未来を、自分だけの意思でつかみ取れるマリアンデールを側において見ていたいのだと思うわ」
貴族令嬢など、親の指示に従って、家の為に政略結婚してしかるべき。
若いから、そう言った夢をみたいのか。
呆れて、赤味の強い紅茶色の髪をした彼女に声をかける。
「初めましてだな。アーチデール男爵令嬢、マリアンデール嬢」
「恐れ多く、ご挨拶申し上げます。バクスター公爵閣下」
彼女は振り返り、青みがかった鋼色の瞳をセドリックにまっすぐむけた。
マリアンデール・ヴィ・アーチデール。
自分の姪や妻の歓心を買うご令嬢との初邂逅は、セドリックの背筋に一瞬の悪寒をよびよせたのは、彼自身気のせいだと思いたかったが、この後の会話で、それは、気のせいではなかったと思い知るのだった。




