ミサンガ
夢で逢いたい、さくらは眠りながら夢の中でさえも、コウと夢で逢いたい、そう願っている夢を見た。そして、長い夜が明け、朝七時、さくらは起床した。顔を洗おうと化粧台の鏡を見ると、眠りながらも泣いてしまったせいなのだろうか、瞼は赤く腫れているさくらの顔が鏡に映し出されたのだった。
『ヒドイ顔…… 今日はせっかくコウと二人っきりで映画に行くのに……』
さくらは鏡を見ながら目薬をその瞳に落とした。乾いた目が潤いを求めていたのだろうか、瞳に落とされた目薬の薬液がジーンと瞳に浸透していく様子がしっかりとさくらに伝わる。こんなにも目薬が気持ちの良いものだったのかと実感してしまうほど、さくらの瞳は乾きから潤いへと伝わる変化を感じているのであった。
『じゃあ、さくら、たまにはのんびりとリラックスしてきて、電車に乗って遠くまで行くんだから気を付けて行ってらっしゃいね。』
『嫌だ、お母さんったら、小学生じゃあるまいし映画観に行くくらいで大袈裟すぎるんだから。心配しなくても大人なんだから…… じゃあ、映画、観に行ってくるね。』
さくらの母は無意識ではあろうが、あの日以来、何かと、さくらの行動には気を遣ってしまうのである。娘であるさくらが人生の中で最も辛く悲しい思いをしているのを目の当たりにしてき母であるからだろう。また、さくらもその事に対して母には申し訳ない気持ちでいっぱいである。お互いがコウの死という辛い現実については触れないでおこうという思いやった気持ちがこのような不自然な思いやりという形で表現されてしまうのである。
《コウ、今日は久しぶりのデートだね。 一緒に映画観に行くのって今日で二回目だよね…… 何年振りかな…… そうだね…… まだ知り合って間もない頃だったよね……》
揺れる電車の中、さくらはコウと初めて映画に行った日の事を思い出した。さくらは毎日歳を重ね成長して行くが、さくらの中のコウは何日経とうが歳を重ねることは無く、ずっとその時のコウである。さくらのペンダントホルダーの中にはコウの笑顔の写真があり、さくらが肌身離さず持っているお守りの中にはコウが生前、さくらと一緒に付けていた濃茶と白二色の同じ柄のお揃いのミサンガがある。
願いが叶うミサンガ…… 結ばれたミサンガは自然に切れてしまうとその願いが叶うという言い伝えがあり、コウとさくらはお互いが結ばれる時に切れるんだよと結ばれる日を夢見て一緒に付けたお揃いの柄のミサンガ……
だが、さくらの腕にはそのミサンガは切れる事も無く今もしっかりと結ばれたままである。そして、コウの手に結ばれていたミサンガはコウが荼毘に付される前にさくらの手によって鋏で切られ、今はコウの形見としてさくらの手の中にあるのである。
《コウ、ごめんね…… 鋏でなんか切ったりして……》
さくらはコウの形見であるミサンガを握り締めると、電車の中、堪えていようとしていても自然と目から涙が零れ落ちようとするのである。
《ダメだよ! せっかくお化粧したんだから!》
ハッとその時さくらは我に返った、コウの声が耳元で囁かれたのである!しかし、その耳元の方向を見ても隣に居るのは電車に揺られ心地よく眠っている老婆の姿であった。
《コウ……? コウなの?》
空耳ではなく、確かにさくらの耳元にコウの声がそのよう飛び込んできたのである。さくらは心の中で必死にコウを呼びかけた。しかし、返事はなく電車は降車駅である千日前へ到着した。
《泣き出しそうだったからコウが私に呼びかけたんだわ、きっと……》
さくらの胸は熱く何やら感じているのであった。
《私は今は一人じゃないんだ。きっとコウが一緒に居るんだ、一緒に私と映画を観にコウはここに来てるんだ》
さくらの顔に笑顔が戻った瞬間でもあった。コウが病魔によって、遠くへ連れて行かれてから完全に消え去っていた笑顔がさくらの顔に戻った。
《コウ…… ありがとう》
さくらはこの日、一人ではあるが、たった二人きりの楽しい時間を、時が経つのを忘れるくらい精一杯楽しんだ。コウののミサンガと共に……
『ねぇ~ コウ、映画楽しかった? あんまりコウの好きそうな映画じゃなかったけど、どうだった? 楽しかった?』
さくらは日が暮れる戎橋の上で、道頓堀川の流れる川の水面を眺めながらそっとそのようにコウに語りかけた。
戎橋から見つめる道頓堀川の水面にはネオンの明かりが虹色に反射し煌びやかに輝く。その水面にコウの笑顔を思い浮かべると、さくらの心はふと現実へと戻ってしまい、ポッカリと心にエアポケットが出現してしまうのである。そして、何やら切なさがさくらの胸に込み上げてくるのであった。
どれだけの時間が経過しただろうか。流れる道頓堀川の川の流れに気を取られている時、さくらの携帯電話が鳴り響いたのである。
『さくら、どうかしたの? 何かあったの? 今はどこにいるの? さくら、大丈夫なの?』
携帯電話の相手はさくらの母であった。帰宅時間が遅い為、様子が気になって、さくらの事が心配で電話をしてきたらしい。
『あっ、お母さん、今、道頓堀にいるよ。大丈夫だよ、心配しなくても大丈夫だから……』
『大丈夫だって…… こんな時間まで何の連絡も無いままなら母さんだって心配するわよ……』
さくらは時計を見て驚いた、何と夜の十時半を回ろうとしている時間だったのである。さくらは映画を見た後、暫くはミナミの繁華街のショッピングモールを散策したものの、その後はずっと、この戎橋の上で何時間も道頓堀川の流れる水面を眺めていたのである。
『お母さん、ゴメン! 久しぶりにミナミまで出てきたから時間の事なんか全然忘れちゃってたよ! 今から帰るから安心してね、ゴメンだよお母さん。』
さくらはそのように母に話すと、電話を切って慌てて家路に就こうとした。するとその時、急ぐさくら呼び止めようと誰かが声をかけるのである。その声に目をやると、いつの間に存在したのだろうか、さくらは気付かなかったが橋の上で露天を営んでる外国人の姿であった。
『お姉さん、よかったらどうアルか? 願いが叶う魔法のミサンガアルよ。何でも願い事が一個だけ叶う魔法のミサンガアルよ、一個五百円アルよ。 願いごと二個叶えたければ二個買ってくれたら二個願い叶うアルよ! 但し、その場合は千円アルよ!』
さくらはその外国人露天商の声に足を止めた。普段のさくらならそのように声をかけられても一切足を止める事など無いが、不思議とさくらの耳にスッとその露天商の声が何の障害も無くナチュラルに入ってきたのである。
その商品がミサンガとい事もあったからであろうか…… さくらはその商品に目をやった。するとその商品の中にはさくらの気持ちを強烈に引きつけるミサンガがあるのである。
そのミサンガとは、あの日、コウとお揃いで買ったミサンガのお店に売られていた、もう一つのミサンガ…… 今さくらの手に付けられているミサンガとは別に売られていた、もう一種類のミサンガにそっくりな青と水色の二色柄のミサンガである。
さくらがコウとお揃いで買ったミサンガはさくらの好みの濃茶と白の二色柄のミサンガだったが、コウはもう一種類の別に売られていた青と水色二色のミサンガの色柄がお気に入りだったのである。
コウはどうしてもその青と水色二色の色柄の方が良いと言ってはいたが、さくらはさくらで今、手につけられている濃茶と白二色が良いと好みが別れたのである。
その時はコウとジャンケンで勝った方が選ぼうという事でジャンケンに勝ったさくらが選んだ色柄のミサンガが今、さくらの手に付けられているミサンガでありコウの形見となっているミサンガも同じ濃茶と白のミサンガである。
結局、その後にどうしてもコウが青と水色のミサンガがお揃いで欲しいというので、また別の日に一緒にコウとそのミサンガを買いにその店を訪れるとそのミサンガはもう店頭から姿を消していたのである。
その時、コウが気に入っていた色柄とそっくりなミサンガが今、こうして目の前で売られているのである。
『どうアルか? 願いが何でも叶う魔法のミサンガアルよ。 一個五百円。 二個買ったら願い事二個叶うアルよ。 ただし、その場合は千円アルよ。』
『おじさん、その青と水色のミサンガ二つくださいな。』
『ありがとうアルよ。 あなた願いごと二個叶うアルよ!! きっと叶うあるよ!! いやいや、絶対に叶うアルよ!! その代わりお金も二個分の千円アルよ!!』
さくらはミサンガ二個の代金である千円を露天商に手渡し、その場を後にした。
《何でも叶う魔法のミサンガ。 コウの願い叶ったね! コウが欲しがってたミサンガと一緒だよ。 よかったね、コウ……》
さくらはそう心に呟きながら、ミナミの夜の街を後に、家路へと就いた。




