1.魔法使いのレシア
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レシアは倒れている青年を見つけて駆け寄った。首筋に指を当てて脈を確認する。微かに反応がある、まだ生きている。
仰向けに横たわらせ手をかざすと、淡い光が青年の体全体を包み、やがてしっかりとした呼吸が戻ってきた。もう大丈夫だろう。
レシアの安堵のため息とひどい爆音があたりを支配するのは同時だった。誰かがまだ魔物と戦っているようだ。レシアは杖を片手に音の震源と思われるほうへ急いだ。
話は数日前に遡る。
その日、レシアは久しぶりに村に降りた、薬草を卸す為だ。
「レシア、無事だったかい?」
店の従業員に開口一番そう言われて驚きながらも返答する。
「もちろん大丈夫です、なにかあったんですか?」
「大型の魔物が出た、王都からヒュートマスターが来るって噂になってる」
従業員は幾分声をひそめて話をした。
魔物討伐を専門とする部隊、それは『ヒュート』と呼ばれている。この国には、人々の治安を守る部隊として騎士団とヒュート隊が存在するが、対人が騎士、対魔物がヒュートにすみわけされている。
血筋を重んじる騎士とは違い、ヒュートは身分に関係なく誰でも入隊することができる、ただし恐ろしく剣術に長けていれば、の話。
魔物は人や獣などを食した分だけ強くなっていく。剣技を持ち合わせない隊員は捕食され、敵の強化に利用されるだけだ。そのため、ヒュートの入隊試験のレベルはかなり高いと聞く。
そんな彼らを統括しているのが数人のヒュートマスターだ。マスターが出張ってくることは滅多にない、ということはそれだけ強い魔物が出現したことになる。
レシアは普段、森で生活しており、そのため安否を気遣われたのだ。
そこに村長がやってきた。
「やぁ、レシア」
「ご無沙汰してます」
「魔物の話は聞いたか?なんならしばらくうちで寝泊まりしてもかまわないよ」
村長はレシアに幾度となく村への移住を勧めている。レシアに家族はすでに亡くなっており、村長はレシアの保護者のようなものだ。
「ありがとうございます、でも今は薬草が採れる季節なので逃したくありません」
レシアがそう言うことはわかっていたのだろう、村長は少しため息をついて、気をつけなさい、とだけ言った。
薬草を卸し、いくつかの必要なものを購入し、レシアは再び森の山小屋へと帰っていった。
眠っていたレシアは何かが結界に触れた気配を感じて目を覚ました。まだ外は暗い。
そういえばヒュートが来ると言っていた、魔物は夜、活発に動く。おのずとヒュートの活動も夜になる。
基本的に魔物は結界を嫌うから、触れたとしたらヒュートだろう。様子を見に行くことにしたレシアは急いで身支度を整えた。
外はかなり寒く身震いするほどだった。歩いていると足元でジャリジャリと音がして霜柱が割れる音がする。今年に入って初めて霜だ、やがて雪も降るだろう。
冬の間、レシアは村で生活する。根雪になる前に下山しなければならない。その時期が近いことを感じながらレシアは結界の境界へと歩みを進めた。
結論から言うと、結界にはなにもなかった。正確に言うならば、結界の外でなにかあった後、だ。
おびただしい血が残されており、それは魔物のものでおそらくヒュートがここで争ったのだ。
魔物は息絶えるとその形が崩壊し、残った血肉も含めて、煙の様に消えてなくなる。その流血があるということはまだ生きているのだろう。これだけの血を流してもなお倒れない魔物とは相当な強者だ。
ヒュートマスターはまだ到着していないのか、それともマスターでさえ手こずる相手なのか。
レシアは耳に着けていたイヤリングを外し、握り込んだ。淡い光を放ったそれは杖へと形を変える。レシアが杖の先にふーっと息を吹きかけると灯りがともる。
昨今ではすっかり珍しくなった、本当に魔法が使える魔法使い、それがレシアだった。
灯りを頼りに、魔物の血痕をたどっていく。すると少し広い場所に出た。そこで冒頭の青年を見つけたのだ。
見慣れない服を着ていることから察するに、彼がヒュートかもしれない。治癒を終えたレシアは爆音のしたほうへ駆けていった。
たどり着いたそこは河川敷で、魔物はおらず、代わりに輝くような金色の髪をした男性が倒れていた。先ほどの青年と似たような服を着ている、ということはこの人もヒュートか。
駆け寄ったレシアに気づいた彼は口を開いた。
「君は?」
「魔法使いです、治癒します」
こうして会話ができることが奇跡と言っても過言ではないほどに彼は重症だった。レシアは腰に差してあった小刀で指先を傷つけ、出血させる。
「なにを」
「あなたは重症よ、強い術でないと助からない」
レシアは自らの血を彼の額、両手首、足首につけ、先ほどと同じように体に手をかざした。しかし溢れる光は圧倒的に強く、治癒力は段違いであった。それでも流血はなかなか止まらない。
「俺の仲間を見かけたか?」
「少し離れた場所に青年を、彼の処置は終わっています。もう黙って、血が止まらないわ」
それを聞いた彼は少し微笑んで、
「そうか、ありがとう」
と言った。
自分の命すら危ういこの状況でまだ他者の心配をするとは、ヒュートというのはお人よしの集団なのだろうか。髪色と同じ黄金色の瞳を持ったこの男性にレシアは呆れたような安心したような、なんとも言えない感情を抱いた。
なんとか血が止まり、浅い呼吸を繰り返していた彼のそれが落ち着いたところでレシアは宣言した。
「もう大丈夫です。といっても医師の診察は受けられたほうがよろしいかと思います」
レシアの言葉に彼は起き上がり礼を言う。
「助かった、ありがとう」
そう言って差し出された手にレシアは好機を見た。
「それでしたら、謝礼を頂けますか?」
彼と握手を交わしながら言ったレシアに一瞬驚いていたが、すぐ笑顔になって、もちろんだ、と言う。
「では、忘れてください」
握った手をぐっと引き寄せ彼の額に自分の額を軽く当てると、彼は今度こそ気を失った。
レシアは忘却術をかけたのだ。
『普通の暮らしを』
母はこと切れる寸前、レシアにそう言い残した。
本当に魔法が使える魔法使いは、今となってはかなり珍しい存在になってしまった。そんなレシアに『普通』はひどく困難なものだ。
それでも今までどうにかやってきた。そしてそれはこれからも変わらない、変えさせない。
魔物狩りを専門とするヒュートと関わることは、普通の暮らしを望むレシアには歓迎できない事柄だ。
この男に忘却術をかけたのはそういうわけだ。レシアは気を失って眠る男を一瞥し、空が白み始める中、その場を後にした。
山小屋に戻ってすぐ、レシアはことのあらましと相談があることを記した手紙を書き、伝達用の鳥に持たせた。
「村長に渡してね」
レシアの声に鳥は了承を伝えるように一声鳴き、それから村の方角へと飛び立っていった。
村長がレシアの山小屋を訪れたのは手紙を送って三日後のことだった。
「遅くなってすまない」
「わたしこそ、村に行かなくてすみません」
「いや、来なくて正解だった、マスターの状態に皆が不審がっていた」
村長の言葉にレシアは驚いた。
「あの人、マスターだったんですか?」
「あぁ、数名のマスターの中でも特に優秀な方らしい」
そんな人でさえ生死をさまようような重症を負った、どれだけの魔物だったのだろう。
「意識は戻っていないが移送に問題はないとの判断で、今朝、王都に帰っていった」
「そうですか。それで魔物は?」
「あのマスターがひとりで始末したそうだ、いや本当に大したもんだよ」
村長は長いため息と共に賞賛の言葉を口にした。
「彼に治癒魔法を使ったと手紙に書いてあったが」
「ひどい怪我だったので止む無く」
「そうか、だが良い判断だったと思う」
ヒュートマスターを失うことはこの国にとって大きな損失になっただろう。それを食い止めたのだからレシアは間違っていない。しかしそのおかげで、これからの身の振り方を考えねばならなくなった。
レシアは、村長の来訪と同時に用意したお茶を飲みながら、この三日の間に考えていたことを口にした。
「ここを離れようと思います」
レシアの言葉に長い沈黙の後、村長は言った。
「それしかないのか?」
レシアの宣言が予想の範疇だったらしく、村長は驚かなかった。彼はレシアが魔法使いであることも、母の遺言も知っている唯一の人物だ。
「いろいろ考えましたが、やはり身を隠すのが一番だと」
「どこへ行く?」
「せっかくですから、まずは母の墓へ。それから先のことはまた、考えます」
吹っ切れた様子のレシアの笑顔とは対照的に、村長は暗い表情で、そうか、と言葉少なく応じた。