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僕が小笠原をメモする七日間  作者: 細間低人
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僕は、出発する


 暫く旅行には行っていなかった。日常は変化がなく、毎日少しずつ取れない疲れが蓄積されていく感覚から逃れられない。飽きたという表現は少し違う気がするが、努力するための気力は少しずつ削られていた。そんなとき、年末に家族で小笠原諸島の父島に行くことになった。


12月29日


9:00


 走り続ける車の中からぼーっと外を眺めながら、曇った窓を指で拭いた。結露が拭き取られ鮮明に見える一筋の外の景色と、冷たい指先が僕をなんだか悲しい気分にさせた。これは悪い意味ではなく、僕はいつも旅行の前にワクワクと悲しさが混ざった寂しい感覚に襲われるのだ。だから、旅行は楽しみだ。一週間だけ、僕が現実から、日常から、逃げる事を許してくれ。


 僕の住んでいる街に、しばしのさよならを。


11:30


 そういえば、今回の旅行では、リアルタイムでメモを取ることにした。帰ってきたときに思い出として残りやすいし、文章を書く練習にもなると思ったからだ。


 竹芝客船ターミナルで乗船手続きを済ませ、これから僕を島まで運んでくれる、おがさわら丸を目の前にした。あまりの大きさに、何故これが海に浮かぶのか疑問に思う。

 船内に入る前に靴を綺麗にした。外来の生物を持ち込まないようにするためらしい。これ、意味あるのだろうか。船内に入ると、船内の広い空間にかわいい柄の入ったブルーシートをひいている者がいた。

 寝台のちょうどよく狭くてすっぽり入れる空間に荷物を置いて、展望デッキで外の景色を見に行くことにした。さっきのブルーシートに人が集まっていて、酒盛りを始めていた。よくやるなあ、船酔いは大丈夫なのだろうか。


 外に出ると風は冷たく、年末特有のなんともいえない雰囲気を感じて目が覚めた。大きく、長く強い汽笛が鳴らされて、おがさわら丸は動き出した。船は揺られている。ごうごうと音を立てて進む船は僕たちを目的地へと運んだ。船の揺れのせいなのか、心はぐらぐらぴょんぴょん弾んで落ち着かない。

 ここから南へ千キロ、二十四時間の船旅であるが、ただただ船酔いだけが心配であった。


12月30日


6:15


 船内でずっと布団に入って寝ていたから時間感覚は無いが、朝。まだ到着していないが船から日の出が見られると知って展望デッキへと出た。南へと大きく移動し、明らかに東京とは違う生温い風が僕の目を覚ました。


 人が集まっている東側、進行方向から向かって左側を見ると、地球最後の日の様な恐ろしく低い暗雲と、その隙間から見える素晴らしい綺麗なオレンジの朝日と果てしない水色の空。後方をむけば船に揉まれた白い波がうねる。人々は、日の出がつくりあげた絶景に対して手を上に伸ばし、人混みを避けてスマホで写真を撮っている。


 ふと気になって逆側、誰も注目しない西側を見ると、そこには果てしない水平線と、ほかに何も無い世界が広がっていた。なんとなく、僕はこっちの誰も見ていないほうに興味を持った。何も無いただ広いだけの海は、僕が見たい景色にぴったりな気がした。

 西側の端まで早足で行き、身を乗り出して景色を見た。手すりは塩でザラザラで、船に揉まれて舞い上がった海水がむき出しの顔に当たる。そんな、誰にも注目されない悲しき絶景をたったひとりで見ていた。十二月だというのに風は暖かく、心地よかった。


9:30


 朝食を済まして展望デッキに出ると、すっかり日も登っている。

 昼間の海は恐ろしさがなく、ただただ雄大である。船の排気と海からの風が混ざり、身体がぬるい風で覆われた。

 地平線が綺麗に見える。あの隅っこの見えない所で僕は生活しているのだ。なんとなく、この海上が隅っこではなく、僕らが生活している所が隅っこのような気がした。地球は丸いが、多分これは合っている。

 心が疲れてしまった人や、忙しくて逃げたい人がいるなら、想像して欲しい。僕らが必死で生きているのは地球の端っこだ。どうでもいい事から逃げたって、少し休んだって、地球の中心からしたらきっとそれは些細なことだ。何も変わらない。もっと気軽に生きたほうが良いのかもしれない。そんな事を考えたけれど、ちょっと偉そうだな、と思ったので聞かなかったことにして欲しい。


 船が巻き上げる海水の色が変わってきたのがわかる。出発時は深い緑色だったのが今では綺麗な明るい水色だ。父島の海の綺麗さには期待出来そうだ。ただ、快晴という感じではなく、上を向けば空を雲が覆っているし、遠くの方には雨がカーテンの様に降っているのがわかった。


11:00


 おがさわら丸が父島に到着した。二十四時間の船旅はなんだかんだ言って疲れが残る。久しぶりに踏みしめた揺れていない大地は、安定感と安心感がありすぎて抱きしめたくなった。無理だが。

 そのままダイビングに行くために二見港船客待合所で弁当を食べる。生暖かい風を受けながら食べる弁当は美味かった。というか揺れてない地面最高。今ならなんでも美味しい。彦摩呂も大絶賛。知らんけど。


12:00


 体験ダイビングの為の小型船が出港した。

 小さな船で、考えられない程の高い波を越えて進んでいく。舳先は大きく振られ、空中に高く上がったと思えば、すぐに海水面に強く打ち付けられた。ダイビングポイントに到着するまでに殆どの人が酔って、これは修行か何かかと思うほどである。


14:00


 波の無いポイントへと到着した。さっきまでの荒波からは考えられないほど静かな海が広がっている。ゆっくりと船は揺られ、波の音はかすかに聞こえ、船の機材がぶつかり合う音だけが聞こえる。ダイビングが始まった。


 重い機材を背負って、緊張と興奮を抑えながらゆっくりとおりていくと、ふわっと砂を少し巻き上げて海底に着いた。

 ガイドがボードに「9.1mの世界へようこそ」と書いたので上を見ると、ホールの天井のように高い水面。現実感が無かった。そこからは、考えられないくらいのゆっくりとした時間。不思議な感覚だった。息を吐いたら泡はころころと転がって九メートルを登っていく。まるで僕の事が見えていないように、ゆっくりと魚が前を横切る。ゆっくりどころか、沈没船は時の停止すら感じた。考えられないくらいゆっくりとした時間が、考えられないくらいあっという間に過ぎて行った。


 僕が水面に上がって来た時、オレンジに輝く太陽は少し低くなっていて、雲の隙間から顔を出していた。太陽から海面を伝って僕の所まで、金色に輝きゆらゆら揺れる一筋の道を作った。僕は目を細めながらそれを見て、全てを忘れて感動した。


19:00


 船酔いの余韻を感じながら、茶里亭という和風居酒屋で夕食をとる。目の前に並ぶのはマグロの刺身、島サラダ、亀煮、カキフライなどの島ならではの絶品達だ。手を付けようとしたとき、カラカラと引き戸の開く音がして、三味線を持った少年が入って来た。

 性格の良さそうなその少年は、聞いた話では世界の大会で優勝するために日々三味線を練習していて、観客慣れするためにゲリラライブを行い、回っているとのことだった。

 僕は、その演奏を聴いて、正直に凄いと感じた。彼は、三味線なのにも関わらず今にあったアップテンポな曲を、涼しい顔で披露した。

 本当に凄いと感じた。

 ただ、僕はその少年が世界と勝負しているというだけで、たったそれだけの理由で素直に演奏を楽しめない馬鹿野郎だった。

 でも僕は、それがくだらない嫉妬心だと知っている。僕だって登れるものなら、もっと、もっと上へと登りたい。それは、関係ない。関係ないのだ。流れるような演奏、力強い演奏、世界へ、世界へ羽ばたいてくれ、こんな知らない奴の知らない心など知らずに生きて、


 その三味線を鳴らせ。


 僕もこの心とその音色をしっかり覚えて、しまい込んで、


 いつか、君のずっと前を走ってみせるよ。



 そう思ってしまえば、僕はようやくいい気持ちで演奏を聴けた。

 気分良く亀煮に手を伸ばし、あまりのクセの強さに笑いながら苦い顔をした。


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