7. 人手不足はつらいよ
「え、大塚で営業? 私がですか」
「そうらしいよ、営業部が人手不足らしくて。大丈夫、持ち回りでみんなにやってもらってるから、再度君に代行してもらうってことはしばらくないと思うよ。来年採用枠増やすって言ってたのもあるし、これが最初で最後じゃない?」
ああ多分次は僕だね、と始業時間から二時間も遅れてやってきた先輩社員:華月知則は苦笑いしながら言う。
遅刻にどう文句をつけてやろうかと口を開いた瞬間にこれだ。
卑怯な野郎である。
「詳しい指令は営業部で聞いてね」
「はぁ、まあいいですが。持ち回りってことはいつかおネェさまにも回ってくるんですかね?」
コソコソと鋼屋おネェさまに聞こえぬよう華月さんに耳打ちすれば、彼は冷や汗を流し始めた。
一本取ったと微笑みながら、「じゃあ私の仕事引き継いでくださいね」と彼の仕事机の上に、精査していた記事を置く。
固まる先輩社員の横を通り過ぎ、五階の営業部へ。
アカデミック成分の強いジメジメした四階と違い、キビキビした雰囲気の五階に面食らいながらも、この時間で割と閑散としている仕事場を見て、「確かに人手不足っぽいな」と呟いた。
待ってたら美人なお姉さんに「ヘルプスタッフの方ですか?」と問われたので、頷き。
「ではチーフの元へ案内します」
という言葉に従って後ろに付いていくと。
「おお・・・」
歩き方が、出来る女性社員という感じで惚れ惚れとする。
四階にはない歩き方。
ここで疑問を抱き始める。
四階の統計ナメクジどもが、果たして営業なんて出来るんだろうか?
やってもいいんだろうか、と。
「こちらです」
「おっ、君が佐竹くんかな? 今から説明を担当させていただく川口だ。よろしくね」
「はい、存じております。よろしくお願いします」
優しそうな天辺ハゲとして四階でも有名な、川口チーフ。
二月に一度程度しかない定例集会では、段々と砂漠に侵食されてゆく彼の頭頂部が、四階では密かな話題となる。
なぜなら四階の住人たちは、砂漠化の進行度合いがどのくらいか、集会の度に賭けの対象にするからだ。
参加していない私は、不真面目な統計野郎共がこの温厚な川口チーフに激怒されるシーンを、今か今かと心待ちにしている。
「えーっと、これは聞いてると思うけど、今回君に頼みたいのは、大塚での営業回りね」
「ええ、それは」
「すっごい分かりやすい資料を向こうが作ってくれたから。私が説明するよりそっちを見てもらった方がいいんだけど、概要だけ言うとね。独自に集めた五年分の中小企業のデータについて、並べるだけじゃなくてちゃんと計量的分析したいんだって。自分たちで頑張ろうとしたそうだけど、残念ながらシンクタンクのようには行かず。それで我が社にお声掛けというわけだね。ありがたいことに」
パッと小冊子が渡される。
パラパラと捲れば、ご丁寧にイラスト付きで、なるほど分かりやすい。
「で、向こうさんはどういう人達なんですか? 計量系の知識ノウハウが充実した団体さんではないんですよね、もちろん」
「もちろんね、それなら自分たちでやるでしょ。なんかね、色んな中小企業の、経営・技術畑の兵たちが作った寄合みたい。取り巻く悪環境を改善する活動の一環としてデータ分析の力を借りるらしいよ。ホント、時代も変わったよね」
「そうですね」
苦笑いを浮かべる川口チーフに対して、少々おざなりな相槌を打った。
渡された小冊子を見ていたからだ。
そんな私に対して、チーフはキョトンとした顔を浮かべる。
「君、四階だろ? にしては、おとなしいよね。今までの連中・・・失礼、人達は、営業と聞くだけで拒絶反応を起こすわ、聞く態度は悪いわ、中には『俺の仕事は分析だけだ!』と逆ギレするのもいるわ・・・。その点君は、話は素直に聞いてくれるし、物分かりはいいし」
「す、すみません、四階のバカどもが・・・」
慌てて頭を下げる。
憶測ではあるが、逆ギレしたのは多分新谷さんだ。
「いや、いいんだよ。社会に出てまで学問にのめり込んでる人達は、七割ぐらいはどこか頭のネジぶっ飛んでるし。分かってたことだ。まあそんな人達を使わなきゃいけないほどに、営業部は今人手不足なのさ・・・」
陰を帯びて言うチーフの頭から、髪が三本ほどハラリと落ちた。
今がもう秋と呼ばれる時期に入りかかっているからなのか、晩秋に散りゆく森の木々の葉っぱを彷彿とさせる。
東京には、温度以外の季節感はないところも多いのだが。
「苦労なさっているようですね」
「分かる? というわけで、大塚の件、頼んだよ。あと、終わったらこっちに報告だけメールでしてくれれば、今日は上がってもいいよ。その冊子の一番後ろに、僕の業務用パソコンのメールアドレスが入っているからね」
「了解です」
腕時計を見るに、時間は今、十一時。
向こうとのミーティングは、小冊子を捲って見る分には、どんなにかかっても三時間は行くまい。
かなり早く帰れそうで気分はいいが、早く帰ったところで何も楽しみなことがないのが残念だ。
哀愁すら漂う川口チーフに背を向け、四階に降りる階段へ。
一分ほどで自分の仕事机に辿り着き、早めに上がることを形式上詫びて、恨めしげな視線を浴びながら荷物を纏めてエレベータに向かう。
東京の地下鉄と言えども、この時間はかなり空いていることだろう。
そんな些細なことに喜びを覚えながら、ビルを出て大手町の駅に歩を進めるのだった。
午後三時。
「んー、終わった・・・」
帰途に着き、伸びをする私。
老舗っぽいラーメン店でネギ抜きの醤油ラーメンを食してから、午後一時に始まったミーティング。
特筆すべきことはない。
新大塚駅から徒歩十五分の背の低いビルで、五十代ほどのおっちゃんと二時間ほど話し合っただけだ。
提供するデータから、どのような結果を抽出してほしいかの意向を聞いたり、逆にどのような分析が有用かについて統計で食ってる人間の端くれとして意見を述べたりした。
マジで経営一色の人たちだったらしく、「こんな見方も可能なのか!?」と終始驚いていたのが面白く。
「目から鱗が飛び出る講義をどうもありがとう、今日は楽しかったよ」
と、自分より一回りも二回りも歳を経ているおっちゃんたちから感謝されるのも悪くない。
なんの冗談か、「君、ウチの会社に来ないか」と人生初のヘッドハンティングを受けたりしたものの。
「いえ、私よりももっと統計分析が得意な方たちはたくさんいます。なんなら、大学を卒業したばかりのひよっこにも、ね。シンクタンクや大企業に引き抜かれて研究室に籠もりがちな彼らを如何に採用するかも、今の時代は重要ですよ」
そう言って断った。
振り返って思うのが、もしこれを受けていたら、新天地で再婚相手を見つけられたかもしれない、ということ。
現在勤める会社SBLについて、男は絶望的である。
チャンスはないのだ。
断ったことを少し後悔すると同時に、フラッとなんの脈絡もなく、離婚の悲しい思い出が涙腺を襲撃する。
「うっ・・・」
吹っ切れてない。
全然吹っ切れてない。
再婚なんて、笑わせる。
涙を我慢しながら、大塚の町をボーッと歩いていたら。
「え、あれ・・・? どこ、ここ?」
迷った。
普段来ないところなので、土地勘がない。
そんなところをボンヤリしながら進めば、こうなるのも自然だ。
「阿呆か、私は・・・」
自嘲しながら、スマホを取り出し、「新大塚駅」と検索、地図というコマンドを押す。
すると駅の所在と、私の現在地をスマホが教えてくれるのだ。
「えーっと、とりあえず真っ直ぐで・・・次右か」
タッチパネル搭載の電子端末に毎日毎日翻弄される一消費者は、今日も今日とてスマホに盲従し、彼の言う通りにしようとした。
しかし。
「へ」
突然肩に、誰かの手が置かれた感触。
次の瞬間には重心を崩され、倒れそうになった途端ヘッドロックを決められた。
スマホを手から落とし、地面からパキリという音。
これは画面割れたな、と筋違いなことを考えた時にはもうすでに遅く。
口に手を当てられ叫べないようにされてから、私は脇の細道へと強引に連れ込まれた。
大学生が想像だけで営業を記述しようとしました。
現実と乖離しているとこ結構多い気がします・・・。