第32話 髪を切る。
イルマはモニカの傷に塗る軟膏を取りに、久しぶりに軍の病院に向かった。
馬車を待たせて、軍医のゲオルクの部屋を真っすぐに訪ねる。
「おや、イルマじゃないか?久しぶりだな?」
「ええ。ゲオルクもまだ生きていたのね。」
「あははははっ。相変わらずだな」
すっかり白髪にはなってしまったが、まだまだ元気そうだ。イルマは勧められて椅子に座り、ゲオルクが自ら出してくれた紅茶を飲みながら、古い友人を眺める。
「モニカの軟膏を取りに来たのよ」
「ああ、アダンのとこの娘な。さすがというか…なかなかの娘さんだな。あのケガで泣きもしなかったぞ?」
「…ええ。それで、あの子の額の傷なんだけど、治るかしら?」
「え?うーん、少し難しいな。跡は残るだろう。出血もひどかったし、生きていただけよかったと思ってもらうしかないな」
「そうか…そうよね」
…そうとは思っていたけど、やっぱりダメか…。
「でも、まあ、」
そう言いながらゲオルクも自分のカップを持って、向かいの席に座る。
「アダンのとこの男衆なら、あのくらいの傷は気にしないだろう?嫁には行けるさ」
「そう…。そうね…。」
早々に退院して来たモニカが仕事に出ると言うので、椅子を持ち出して座らせて、イルマはザンバラになったモニカの髪を姿見の前で切っていた。黒々として綺麗な髪だったが、闘争中に髪を掴まれたので、自分で切ったらしい。そこに合わせて、随分と短く切ることになった。
「…イルマさん、私ね…好きな人がいたんです」
ぽつりとモニカが言った。
「そう」
モニカの髪を切りそろえながら、頷く。
「平民なんだけど、剣が強くてかなわなくて、…優しくて、」
「そう」
「いつか…その人と領に一緒に帰りたいなあ、って思っていました。」
瞬きもせずに、モニカがぽろぽろと涙をこぼすのを、姿見で見る。
「いつ、気が付いたの?」
そう聞くと、モニカは泣きながらふっと笑った。
「…なんとなく…ひょっとしたら?と思っていたんですけど、見ないふりしていたんです。でも…殿下が剣を構えるのを見ました。ああ、やっぱりなあ、って…。」
「そう」
「いもしない人を、好きになっていました。滑稽ですよね?」
「……どうするの?実家に帰る?」
「いえ。私は王太子殿下の護衛ですから。」
そう言って、モニカは自由になる右手で涙を拭いた。
だから…こんなに傷が深くなる前に…殿下には申し伝えたのに。
それから…モニカは何事もなかったかのように勤務している。まあ、左腕はまだまだ固定する必要があるが。
イルマがふうっと一つため息をつくと、
「なんだい?恋のお悩みかい?」
そう言ってゲオルクが茶化す様に笑った。
「そうなのよ。ままならないわね?」
「おやおや。そう言えばあの子が、殿下を誰かと勘違いして…まあ、薬で朦朧としてたからな…プロポーズしてたぞ?身分も、髪色も瞳の色も気にしないから、一緒に帰ろう、ってな?好いた相手は平民かな」
「まあ…そんなことが?」
窓の外には灰色の雲が低く垂れこめている。
「…竜の加護、か…」
イルマは独り言を言って、お茶を飲んだ。




