第1話 幸せワイン。
「で、どうなんだい?女王陛下の御容態は?」
「ん…医師団もじーさんも口が堅くてな」
「お前にもか?」
ざわざわとした飲み屋の店内はいつものことだが、今日はいつもにも増してうるさい。
騎士養成学校の卒業式があって、配属先の上司が景気付けに卒業生、というか新入を歓迎するために宴会を開いているらしい。
こんなうるさいところでまさか密談するはずはないだろう、とみんな思うだろうし、ましてやこいつの身バレは決定的だ。分かってやっているんだろう。
カウンターに座ったエリーアスはすぐ後ろのテーブルの話に耳を傾けながら眉間にしわを寄せると、チッ、と舌打ちした。
(うるさすぎて聞こえねえ…。)
隣に座った茶髪のラルフはのんびりとエールのお代わりを頼んでいる。
使っているのはたどたどしいフルール訛のブリア語。ぱっと見はフルールの小金持ちの商人風だ。指に金の分厚い指輪を3つもしてきた。さしずめやはり茶髪の俺はそのボンボンの小間使い、と言ったところか。
「まあ、二人そろって塔から出てこないところを見ると…伝染病か?肺病、とか?顔があばたで人前に出てきたくないとか?」
「うーん…可能性はあるか。エリーアス殿下の仕事のチェックが細かすぎて…ストレスたまるよ。わははっ。あの小僧…まだ14才だろう?信じられないぐらい仕事ができて…しかもあらさがしが上手でな?離宮から出てきた王太后も小うるさいしな。」
「おやおや。幸せワイン、でも買って帰るしかないな」
「くくっ」
後ろで話し込んでいるのは、第2近衛師団の副師団長と、宰相秘書官。
副師団長に至っては制服姿だし、先ほどから店に入ってきた部下たちに挨拶されている。しかも、今の今そいつが話題にした”幸せワイン”と呼ばれる薬物が混入されたワインの取り締まり担当者だ。規制しても規制しても名を変え品を変えて、市場に出回ってくる。飲めば憂いを忘れられる、という中毒性のある高価な飲み物。
(冗談でも言うなよな…。しかも、小僧ってなんだ?)
エリーアスは自分の手元に置かれたレモネードをグイっと飲む。
先ほどからひときわうるさい一団が、自分たちのテーブルを片づけてそこで腕相撲大会を始めたらしい。うるさくて…背後の会話が全くと言っていいほど聞き取れない。
「モースケに掛けるぞ。1万ガルド」
「いやいや、負けんなよドナシアン。お前に掛けたんだ!」
第1近衛師団の連中だ。かなり飲んでいるようだ。しかも軍の大御所まで一緒になって賭け事かい…。
向かい合って構えている二人は、騎士学校の制服を着ているところを見ると…今回の卒業生らしいな。
…ドナシアン、は見たことがある。クレーメンス侯爵家の次男坊だったな。奴は騎士になったんだ。エリートコースだな。もう一方、モーと呼ばれた黒髪の奴は…。
そんなことを考えながら、ちらりと邪魔な前髪越しに腕相撲大会を見た。
「くくっ。僕ならもーちゃんに掛けますね。」
振り向きも起き上りもせずに、隣でエールを飲みながらカウンターで寝こけていたラルフがぼそっと言った。
二人の組みあった両手を押さえていたレフリー係の男が、「レディー、ゴー!」
と掛け声をかけた途端に勝負がついたらしい。ワイワイと歓声が響いて…これまたうるさい。
「次は俺とだ、モースケ」
難なく勝ったその黒髪の奴に第一の師団長が挑むらしい。
「えー両手でいいですか?」
「いいぞ。なんならドナシアンと二人掛かりでもいいぞ?」
「あははははっ。そこまでではありませんよ」
そう言いながら二人はセットアップしている。
「レディー…」
と、声がかかったあたりで「あっ!」と、黒髪の奴が俺の方を見る。瞳も真っ黒だ。つられて俺を視界にいれた師団長が…ぎょっとした顔で俺を見て…モーというやつに自分の手の甲をテーブルに押さえ込まれている。早わざだな。
「え?おい…」
「いやだなあ…試合中は常に集中!って学校で習いましたよ?私の勝ち、ですね?」
(…なんというか…なかなか面白い奴だな。上司相手に怯みもせずに…。)
「オヤジさん、エール、もう一つ、デスネ」
くすくす笑いながら、ラルフがようやく起き上ってまたビールを頼んでいる。




