第1話 ネームドモンスター:モーリス
2026年6月16日から本作のコミカライズ配信が始まりました!
漫画家の先生は「びばる先生」です。なんと全編カラーで超豪華!
同じく本日から更新のweb版続編ともどもよろしくお願いいたします。
――ポーラと恋人のモーリスと同棲している部屋に、ポーラ以外の女性がいる。
玄関ドアを開けてすぐ脱ぎ捨てられたスカートに目を見開いて、ポーラは悪夢の始まりに身構えた。
◇
恋人のモーリスは、ポーラが外出すると寂しがる人だとわかっていた。
それを知っていながら、確かにポーラは魔力石の採掘許可証をとるために鉱山ギルドの試験を受け、そのあとの鉱山での現地講習の一ヶ月ほど留守にしていた。
だけどモーリスは〝自分の魔道具店を持つこと〟というポーラの夢を応援してくれていたし、講習も快く送り出してくれたはずだった。
でも目の前には、彼と知らない女性の脱いだ服が、玄関から寝室の扉へ点々と続いている。
出掛けのモーリスのあの笑顔は嘘だったのだろうかと、ポーラはそれを見て意識の浅いところで首を傾げた。
スカート、フリルのついたシャツ、モーリスの上着、小さなリボンのついた下着、モーリスのズボン――……それを目で追いかけながら寝室へと一歩近づくたびに、ポーラの目に涙が溜まっていく。
だって少しだけ開いた寝室のドアの向こうから、男女の睦み合う声が聞こえてくるから。
そしてドアの隙間から漏れるランプの光がチラチラと揺れているせいだ。
この不規則な灯りの揺れは、光に照らされた人間が一塊になって蠢いているからである。
光と影が繰り返し揺れるそのさまを見て、ポーラは唇を噛みしめた。
寝室にあるランプは庶民には高価な魔道具だ。
ポーラの祖父が作ったもので、少し傷があって取引先には納品できないB級品を、特別にねだってもらったもの。
ポーラの宝物だった。
その宝物が、ポーラの悪夢の根源を美しく際立たせている。
込み上げた涙があふれ出し、こぼれ落ちていった。
ポーラのモーリスへの気持ちはもちろん、祖父の優しさも、庶民のための魔道具店を開くというポーラの夢も踏みにじられたような気がしたからだ。
祖父の工房が老舗の百貨店に卸していた調理用魔道具やランプの魔道具は、とても高価だった。だけど機能美と装飾性を兼ね合わせ、とても美しいものだった。
子どもを置いて男遊びばかりする母親のせいで裕福ではなかった少女時代に、それはまさしく光のように輝いていた。
そしてランプの魔道具どころか蝋燭すら買えない困窮のなか、ポーラはいつか祖父の作るような魔道具を手に入れたいと思うようになる。
自分と同じような境遇の人たちへ、この煌びやかな美しさと便利さを提供できれば最高だとも思った。
だけどそれにはいろいろとクリアしなければならない問題がある。
その最たるものが魔力石だ。
魔道具が高価なのは核となる魔石が手に入りにくいことと、動力源として魔力をチャージしつつ使う魔力石が高価なせいでもある。
魔石は冒険者が狩った高ランクの魔物からしか採れないし、魔力石は鉱山からしか採れない。
魔力石の大半は王侯貴族や騎士団が使う武器や、転移門や大型の乗り物などの兵站に使用される。そのため鉱山ギルドも高ランクのものを優先的に採掘し流通させていた。
冒険者や貴族に繋がる裕福な家が使う魔道具へ使われる中ランクの魔力石の流通はそれに比べると少なく、さらに下の平民にとって魔力石に触れる機会はもっと少ない。
だからその採掘の部分をポーラが担えば、魔道具自体の価格を抑えられると考えた。
許可証があれば王侯貴族用の高ランクの魔力石を採掘する際に出た低・中ランクの魔力石の確保も楽になるし、鉱山ギルドとの連携も強化できるから資材や輸送の優先的な援助も受けられる。
採掘人の斡旋許可もあるから、迷宮都市で人員を募ってポーラの店の採掘人として鉱山に送り込めば人件費も抑えることができる。
さまざまな優遇を受けられる代わり、鉱山ギルドが採掘許可証のために課す試験はとても難しい。
受験にだってお金がかかるけれど、ポーラはろくでなしの母親の元を飛び出した十五歳の時から二十七歳になる今日までずっと勉強と貯金を頑張ってきた。
モーリスと付き合い始めた二十二歳の時に商業ギルドの魔力石の販売許可証もとったし、その時に開店資金として口座も作ってコツコツとお金も貯めている。
一ヶ月前にはようやく鉱山ギルドの筆記テストに受かり、つい三日前に現地の講習で合格をもらった。帰宅前にギルドへ寄って許可証も受け取ってきた。
ポーラはこの嬉しさを、他でもないモーリスと分かち合いたかった。ポーラの夢を笑顔で応援してくれた恋人なら、きっと喜んでくれるはずだと思った。
早くモーリスに会いたかった。
だから本当なら現地でもう一泊する予定だったけれど、現地のギルド員に無理を言い、合格をもらった直後に荷物をまとめてリュインに帰ってきたのだ。
夢の実現が近づいたことを、愛する恋人と一緒に祝いたい。
そう思って天にも昇る心地で帰ってきたというのに、自分の恋人と知らない女性の喘ぎ声にさらされて、天国から地獄へ叩き落とされてしまった。
ポーラはまるで叩き潰された蠅のような気分になって、寝室のドアの前で呆然と立ち尽くす。
落ちたモーリスのズボンからふと視線を横にそらすと、ポーラの商業ギルドの口座の預金明細書が床に落ちていた。
拾い上げて見てみれば、預金は半分に減っていた。
ポーラは一ヶ月この部屋にいなかったのだ。
誰がポーラのお金を引き出したかなど、考えなくともわかった。
「……ッ!」
ポーラが拳を握りしめて寝室のドアに叩きつけると、薄い板はすごい音がして開き、人影がベッドの上で驚いて固まった。
「これはどういうこと?」
全裸で固まるモーリスへ、握りしめたせいで皺ができた預金明細書を突きつけると、彼は視線を泳がせたあとすぐにシーツに包まる女性を庇いながらため息をついた。
「君が僕を放って外泊した罰だよ。わからないかなあ?」
モーリスはさも当然という顔をして、泣きながら自分の前に立ちふさがるポーラへ肩をすくめた。
「君のミスなんだから仕方がないよね? だってこのロジーヌみたいに、僕と付き合いたいという子はいっぱいいるんだからさ。僕のような優良物件から目を離すなんて、どうかしているよ」
ハッと鼻先から息を吐き出し、裸の胸に自分の手を当ててモーリスが続ける。
「僕はあの老舗のバシュラール百貨店に勤めているんだよ? 他の店員と違って僕は商業ギルドのギルド員だし、そのおかげでもうすぐ昇進もする。見た目通りの貧相なネズミみたいな君にはもったいない男だよ。わかるだろう?」
「……あなた何言っているの? 放っておいたって、どういうこと? 事前に試験のために現地講習を受けに行って、一ヶ月間留守にするって言っておいたはずだよ」
それに……と、ポーラは息を吸った。
「留守にしたからって、私のお金を使い込むなんて理由にならないよ! 泥棒じゃないかそんなの!」
ポーラはモーリスに今まで怒鳴ったことはなかった。
ずっとモーリスのためになるようにしてきた。
彼の言う通り、モーリスと自分では容姿も、勤め先も何もかもが違いすぎると思っていたからだ。ポーラには遠慮があった。
モーリスが望むならどんな時でもモーリスを優先してきたし、夢のための貯金とは別に、彼の小遣いを捻出するためアルバイトも増やした。
ポーラが外で休日を過ごすのを彼が嫌がるから、友人たちと連絡をとったり遊んだりすることも控えた。いつだって彼の言う通りにしてきた。
友達はいつの間にか疎遠になったけれど、モーリスの笑顔に癒されていたからそれでも良かった。
今までずっとポーラは従順だったのに、ほんの少し彼より自分の夢を優先しただけでこの仕打ちはあんまりだ。
鉱山ギルドの試験を受けることにモーリスが本当は反対していたなんて知らなかったけれど、気に入らなかったのならなぜ笑顔で送り出したのか。
事前に言ってくれていたら、彼が以前に否定していた女性らしい服装や化粧を控えたように、彼のために譲歩できることもあったかもしれない。
たとえば講習先の鉱山から毎日手紙を出すとか。
鉱山は不便なところにあって、そのぶんお金はかかるけれど、モーリスが安心するならきっとそうした。
不安だと一言、言ってくれさえすれば。
けれど何も言わず笑顔で「頑張れ」と言って送り出しておきながら、「罰」だといって開店資金の半分をとってしまうだなんて信じられない。
ポーラが涙を流しながらそう言うと、モーリスは目を見開いて「は?」と言って眉をひそめた。
「金? 僕は今、君の女性としての至らなさ、恋人としての不出来を諭していたんだよ? それなのに金を盗られたって怒鳴るのかい? 信じられないな! 君は愛より金が大事なのか!」
今度はポーラが固まって、一瞬のちに「え?」と眉間に皺を寄せた。
「僕が自分以外の女性と一夜を過ごしていることには何もないのか? はあ……君にはがっかりだな」
肩を縮こまらせた女性がベッドからこそこそ下りて、肩をすくめたモーリスの横を通り過ぎていく。
浮気相手の女性に思うところはたくさんあったけれど、今ポーラの胸を引っ掻くのは彼いわく〝愛〟ではなく〝金〟だったから、彼の言う愛にくっついている浮気相手のことなどポーラにはもうどうでもよかった。
「だいたい、夢夢夢とうるさいわりに、君は金の使い方がなってないんだ。僕に君の夢を任せてくれたら、すぐにでも貯めてた開店資金を倍にして店を構えられたさ! だから僕は今日、それを証明してみせようと夢を叶える施設に行って……」
「博打につぎ込んだの? 私の夢のためのお金を? いくらすったの?」
今までだって生活費や家賃をモーリスの通う〝夢を叶える施設〟に吸われて消えたことはあった。
だけど百貨店の横柄な客相手に心が疲弊したかわいそうなモーリスを慰めるために、ポーラはそれを黙って許していた。
だってモーリスが自分でそう言ったから。
「僕は君と違って上流階級の客の対応で常に気を張っていて、気が安らぐ時がないんだ。かわいそうだろう?」と。
それこそ愛があったから、そんなふうに暗い顔をするモーリスを見ていたくなくて、夢の施設で少しの発散をするくらいなんてことないと思って過ごしてきたのだ。それなのに。
「返しなよ!」
「おいおい、君は僕と結婚したいんだろう? そんな態度じゃ結婚式なんて夢のまた夢だよ?」
そう言われて、ポーラの中にわずかに残っていた彼への〝愛〟が一瞬で色褪せた。
まるで琥珀のように輝いて見えたモーリスの瞳はただの茶色だったと気がついたし、襟足に爽やかに伸びた髪は引っこ抜いた雑草の土まみれの根っこのようだと思った。
「私の夢は、あなたとの結婚なんかじゃないよ……」
幸いギルドの講習から返ってきたばかりで、最低限の身の周りのものは旅行鞄に入っている。
部屋の小さなタンスから通帳やギルド証といった貴重品を取り出して、一度部屋を出て玄関に投げ出してあった鞄に詰めた。
床に落ちていた女物の服はきれいさっぱりなくなっていて、玄関のドアは開いていた。
浮気相手の女性が出ていったのだろう。だけどポーラには女性の正体や行方など、やはりもうどうでもよかった。
魔道具のランプを取りにもう一度部屋へ戻ったポーラは、唖然とするモーリスへ冷めた視線を送った。
「私は出ていくから、私物は処分して。盗ったお金はちゃんと返すんだよ。じゃなきゃ憲兵に通報するから」
「待て! 君はまだそんなことを言っているのか? 愛の話を金とすり替えるなんて、君はなんて薄情な女なんだ!」
立ち上がってポーラの腕を掴むモーリスへ、ポーラはランプを落とさないよう大事に抱え直しながら向き合った。
「私はお金じゃなくて愛の話をしてたよ。ずっとね。でもあなたは私の夢ごと愛を踏みにじった。だからお金はきっちり返してもらう。じゃなきゃあなたのご自慢の勤め先にも言う」
「なっ、お前……いや、君はなんで、急にそんな……」
全裸で真っ赤になって憤り、言葉に詰まるモーリスの滑稽さにポーラは静かに笑った。
「夢から醒めたの」
帰宅直後、床に散らばった服を見た時は悪夢の始まりだと思ったけれど、間違いだったとポーラは気づく。
今までがずっと悪夢の中にいたのだ、と。
ようやく今、その悪夢から醒めたのだと知った。
ポーラは貴重品を詰め込んだ鞄と大事なランプを抱きかかえて、小さなアパートを出た。
最後に見たモーリスは真っ裸で立ち尽くしていた。
悪夢から醒めて、大事な夢を叶えるための日々がこれから始まるのだと思うと心は軽く……――だけど、ひどく泣けた。
◇
――……十三年後。
ポーラは玄関に小さな花束と花柄の封筒が置いてあるのを確認し、首を傾げた。
ひっくり返して差出人の名前を確認し、眉をひそめて開封する。
『……――あの刻から僕の刻は止まったまま、君がいない寂しさが僕を狂わせた……。
でも今ならわかる、君の愛、君のぬくもり、君の笑顔……。
君が僕に笹げてくれた全てが寂しい僕を満たしてくれてた……って、ネ……。
13日後の祝日に思い出の場所に君を連れてくよ……。
そこできっと僕と君、きっと遺書に笑い合えると信じてる……二人で遺書に愛の力で羽ばたこう……!
……君だけの多いなる愛の守護天使・モーリス』
ぞっとした。
遺書ってなんやねん、死ぬんか愛の守護天使…?
とツッコミを入れたくなった方は、かわりに★を入れていただけると嬉しいです!




