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鏡館殺人事件  作者: 東堂柳
エピローグ
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エピローグ

 完全に下りた跳ね橋を通って、俺たちは鏡館から遂に生還した。

 朝日を浴びた鏡館は、きらびやかに光り輝いて、森の中に異様さを放ちながら鎮座ましましている。

 あの現代美術のような様相の館の中で、血みどろの連続殺人が行われていた。

 忌まわしい記憶だ。消そうと思っても、一生消えない傷のような記憶が、脳に刻まれたような気がした。それなのに外の新鮮な空気を吸った今、まるであれが夢の中の出来事のようにおぼろげに感じる。

 何もかもが異常で、非現実的。

 しかしあれは、夢でも幻でもなく、事実起こったことなのだ。

 英介と片郷とで湯木を連行しながら、俺たちは林の中に入った。

 自頭が運転してきたマイクロバスが、そこに止められている。だが、運転できるのは挟丘だけだった。彼に最近の集落まで行って、警察に連絡してもらうことになった。

 日本の警察は優秀で到着するのも早い。とはいうものの、流石にこの森の中だ。パトカーが赤色灯を回転させながら、サイレンを鳴らしてやってきたのは、挟丘が出発してからおよそ一時間経っての事だった。

 最初に到着した刑事と思しきいかつい人物も、この辺境の地に建てられた奇妙奇天烈な館に、面喰っていたものの、やはりそこはプロだ。すぐに自分の感情など押し殺し、職務を全うしようと活動を始めた。

 すっかり泣き腫らした湯木の手からリモコンを押収した彼らは、図書室の奥へと入り込み、そこから晶の胴体部を発見したという。そこには黒峰が監禁されていた時に食していたパンの袋や、糞尿の入った簡易トイレ、さらには犯行に使用したと思しき、血痕のこびりついたナイフや鋸、そしてテトロドトキシンも見つかった。

 館が孤立している間は、指紋の採取も出来はしないと思っていたらしく、凶器には彼女の指紋がべたべたと付着しており、一連の事件は彼女の仕業であると警察も断定したらしい。


 俺たちは地元の群馬県警に暫くの間事情聴取され、帰路に就くことができたのは、それからさらに二、三日経ってからだった。


「またこんな事件に巻き込まれることになるなんてなあ……」


 警察署から出た英介が背筋を伸ばして、やれやれとばかりに溜息を吐いた。

 しかし俺は、それに同調して愚痴を呟くことさえできなかった。事情聴取で色々と話を訊かれているうち、結たちや夜熊を助けられなかったことが、ありありと思い出されて、心臓を鷲掴みにされるような思いに駆られていたからだった。

 あの冷たい部屋で、刑事の話に耳を傾けるうち、俺は自分もまた湯木の手助けをしていたのではないか。それは犯罪者と何ら変わりないのではないか。そんな風に自分を責め続け、俺は自分自身が殺人を犯したような錯覚に囚われていたのだ。

 その感覚が今も続いていて、とてもそのまま日常に戻れそうになかった。


「どうしたんだよ。お前といると事件が起こる。いつもの事じゃないか。そんなに気負う必要ないって」


 英介は無理矢理俺と肩を組んで、励まそうとしているらしい。


「それは……わかってるんだけどさ……」


 だが俺は、それにもはっきりと答えることができなかった。

 その時――、


「ねえ、ちょっといいかな?」


 背後から突然声を掛けられた。

 思いもかけないことに、俺たちはびくっと身体を震わせ、一気に振り返った。


「に、西之葉さん……!」


 そこにいたのは、相も変わらずマスクを着けた薄化粧の、女っ気のかけらもない恰好の西之葉だった。


「挟丘さんから聞いたんだけど、君って、こういう事件に他にも遭遇してるんだって?」


 いきなり何を言い出すのだろうと不審に思いながらも、俺は頷いた。


「ええ、そうですけど……」


「せっかくだから、その体験を基にして、本でも書いたりしない?」


「えっ!?」


 俺も驚いたが、英介のほうがよっぽど驚いているようだった。


「私だって、一応は出版社の人間よ。面白そうな話を書けそうな人を見つけるのも仕事。どう、やってみない?」


 彼女は俺に詰め寄ってきた。その語気は冗談ではなく、真に迫っている。

 だが、俺は……。とても今、そんな事を考える余裕がなかった。


「有難い話ですけど……でも、俺――」


 断ろうとしたとき、俺の声に被せるようにして、西之葉が柄にもなく声を張った。


「本に書くことで、昇華できる気持ちっていうのもあるんじゃないかなって、私は思うの。自分のこれまでの気持ちを整理するのに、丁度いいんじゃないかな?」


 自分の気持ちを整理する、か。

 半年の間に五件もの殺人事件に遭遇した俺の神経は、もうすっかり疲弊しきっていた。だからこんな風に、弱気になってしまっていたのかもしれない。あるいは、自分の力を、どこかで過信していたのかもしれない。事件を解決するだけでは駄目なんだ。人命を助けなければいけないんだ。そんな強迫観念に駆られていたのかもしれない。

 俺は黙りこくった。考えている間、西之葉も英介も、一言も発さず、ただ俺の言葉を待ってくれた。

 そして俺は――、


「ちょっと、考えさせてください」


 そう返事をしていた。

 西之葉も別にそれに残念がるわけでもなく、淡々と事務的にそれに応えた。


「わかったわ。じゃあ、もし気が変わったら、連絡して」


 名刺を渡して、そそくさとどこかへ行ってしまった。

 残された俺と英介は、取り敢えず駅に向かって進み始めた。

 数日前に初めて訪れた湯檜曽駅から、電車に乗り込んだ。更に新前橋で湘南新宿ラインに乗り換え、東京を目指した。

 平日だが、昼間という事もあって、あまり人の数は多くない。そんな車内で揺られながら、一駅一駅進んでいく毎に、俺の中で気持ちが次第に固まりつつあった。


「俺……、やっぱりちょっと書いてみようと思うよ」


 独り言のように、そう呟いていた。

 英介にもその声は届いたようだが、俺の気持ちを察したのか、喜びを前面に押し出すようなことはしなかった。


「そうか……。まあ、いいんじゃないのか」


「だな……。後、暫く俺、大学休むわ」


 ちょっと疲れていた。本当の休みを心底切望していた。何者にも煩わされない、静かな日常を。


「そうか……。単位大丈夫か?」


 英介の声はどこか力なかった。

 単位の事まで考えてなかった。だが、自分の身体と単位。どっちが大事かと言われたら、それは自分の体調だ。それに代えられるようなものなんてない。


「まあ……、それは後で考えるよ」


 そう言って英介のほうを向いたときには、彼はすっかり大口を開けて寝息を立てていた。

 あまりに阿呆のような顔をしていたものだから、彼の口を無理矢理閉ざしてやり、俺も少し眠ることにした。東京に着く頃には目が覚めるだろう。

 目を閉ざすと、ほんの数秒の内に俺の意識はすうと眠りの底に沈んでいった。


 しかし、俺たちが乗っているのは湘南新宿ライン。

 仮に乗り過ごしても、精々湘南までだろうと思っていたのが運の尽き。新宿と言いながら、遥か北方の群馬まで延伸している路線なのだから、南もさらに延伸している可能性に思い至るべきだった。

 俺たちの目が覚めた頃には、何も知らない電車は律儀に終点まで来ていたのである。

 その終点とは、静岡県熱海市――。

 すぐそこが海で、磯の香りが感じられる、全く本当に気持ちが良くて堪らない駅なのだが、それはまた別のお話である。

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