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第1話 神の知らない物語

目を開けると、知らない天井が見える。


石を組んだ梁に、煤けた漆喰。頭が割れそうに痛い。体を起こそうとしたが、鉛でも詰められたみたいに動かなかった。


なんだここ、と思った瞬間、頭の中に映像が流れ込んでくる。


早回しのダイジェストみたいだった。

それも、俺じゃない誰かの人生の。


初めて魔法を教わった日のこと。

先生は火魔法で名の知れた男で、俺の指先に灯ったライターほどの火を見て、つまらなそうに言った。


「才能がありませんな」


その一言で、俺は出来損ないだと決まった。


二つ下の弟、クレメンスが生まれてからは、もっとひどい。

両親の目は弟にしか向かなくなり、食卓で名前を呼ばれることもなくなっていく。

廊下ですれ違っても、使用人ですら俺を見ない。

家の中で、俺はいない物だったらしい。


学園でも同じだった。

射程十メートルの魔法しか撃てない俺を、派手な魔法を撃てるクラスメートたちは「無能」と呼んで笑う。


そして昨日。

訓練場で、寄親である伯爵家の嫡男が杖を掲げた。


「無能に教えてやるよ。本物の魔法ってやつをな」


周りの笑い声。飛んでくる炎と風。見せしめだった。


そこまで見せられたところで、ふっと、何かが抜けていく。

さっきまで確かにこの体の中にいた誰かの気配が、消えたんだ。


「……ああ」


かすれた声が出た。


「原作だと、ここで心が壊れたんだな。今は俺が入ってるから、こうなってるのか」


そう、原作だ。俺はこの話を知っている。


前世の名前は桜庭大樹。

三十くらいで、自宅で死んだ。


上司に手柄も特許も持っていかれ、訴えたら握りつぶされた。

家に帰れば、妻は別の男と会っていた。


そんな毎日の唯一の楽しみが、夜中に読むウェブ小説で、その中でも一番読み込んだのが、後にアニメにもなったこの作品だ。


で、よりによって俺はシンクレア・ヴォートか。


勇者になる主人公に、意地悪く絡むポジションの伯爵嫡男。

その取り巻きの端にいて、学園で主人公に見せつけるためだけ見せしめの魔法を食らって心を壊され、退学。


そして男爵家の跡取りから外されて、弟に嫡男の座を奪われて、僻地の教会に放り込まれて物語から消えるモブ。


笑えるなあ。

たしかに俺はこいつが好きだったんだよ。


境遇に共感できて、出番のシーンも魔法の描写も、何回読み返したか分からない。

肝心の主人公には、ろくに思い入れもしなかったのにな。


「主人公にもっと入れ込んどきゃよかったかなあ」


天井に向かって呑気に呟いた時、扉が開いた。


入ってきたのは、栗色の髪のメイド。


ネイルだ。


原作では、シンが物語から消えるその時まで寄り添い続ける、ただ一人の女性で、読者の間でも「ネイルだけは救い」と言われていたし、俺の推しでもあった。


誰からも見捨てられたモブに、最後まで優しくしてくれる子。

あのシーンで何回泣いたか。


声をかけようと、口を開きかけた。


「あーあ、貧乏くじ引いちゃったなあ」


……はい?


ネイルは俺がまだ意識が無いと思っているらしい。

布団を乱暴にめくって、ため息まじりに寝間着の紐を引っ張る。


「たとえ貧乏男爵家でも、愛妾くらいになれれば贅沢できるかと思ったのに」


とっさに目を閉じた。

意識のないふりをするが、心臓がうるさいくらい鳴っている。

固まった体は、うまい具合に意識のない人間に見えるらしい。


腕を雑に持ち上げられ袖を抜かれる、物の様な扱いだ。


「まあ、旦那様もコイツ嫡男から外してクレメンス様を跡継ぎにって言ってたから、お手つきされてる私は安泰よねー」


鼻歌でも歌い出しそうな声で着替えを終わらせると、ネイルは桶の水で布を絞り、さっさと出ていった。


扉の閉まる音。


しばらく、そのまま動けなかった。

それから目を開けて、天井に向かって呟いた。


「…そうか、本ではわからなかったけど、こっちの世界も現実を見てみりゃクソって事かよ」


原作に嘘は書いていない。


ネイルはたぶん本当に、シンが消えるまで寄り添うんだろう。

ただしそれは優しさじゃなく、愛妾の座と安泰のためだ。


作者が書いたのは表に見える部分だけ。

その裏で、ネイルはネイルの都合で、勝手に生きている。


当たり前の話だ。現実になれば、キャラにはキャラの人生がある。本を読んでいるだけじゃ、分かるわけがない。


上司の顔が浮かんだ。握りつぶされた訴えも。妻のことも。


そして、唯一の癒しだったはずの推しまで、これなのか。


腹の底から、笑いがこみ上げてきた。


一回りして、どこかおかしくなってきた。

張りつめていたものが、ぷつんと切れてスッと楽になる。


「そうか、俺ってもう誰にも何にも気を遣わないでいいのか…」


声に出してみると、拍子抜けするほど軽い。


「……すっげえラクだわ!」


笑うたびに頭が痛んだが、止まらなかった。


ひとしきり笑ったあと、ふと、本を読んでいた頃にずっと引っかかっていたことを思い出す。


あの作品は、魔法の説明になるとやたらと「魔法はイメージの具現化です」と書いていた、そこが重要ですと。


だったら、シンクレアの魔法は本当に無能なのか?


適性は、収納魔法が一立方メートル。

水魔法は十リットルで、火はライター程度、風もドライヤー程度、土魔法も一立方メートル。

しかも射程は十メートルしかない。確かに、派手さはゼロだ。


でも、イメージの具現化なら話は違う。数字は量の上限であって、使い方の上限じゃないよな。

読みながら、何度もそう考えていた。


俺なら『こう使うんだけどなあ』って


「じゃあ、試してみるか」


枕元のテーブルに、洗面器が置いてある。


作中の魔法使いは、まず手に水を作り、それを動かして飛ばす。

作る場所と、届ける距離が別の工程になっている。


じゃあ、座標を指定したらどうなると、ずっと思っていた。

手の先を通さずに、狙った場所へいきなり出したら?。


洗面器の底を思い浮かべて、水を出す。


ざあっ、と音がして、洗面器の縁から水があふれ出した。

シーツが濡れていくが、知ったことか。


「出た……ヨシッ!座標指定、通るのかよ!」


もう一度、今度は水の中に土を出す。

握りこぶしほどの土の塊が、水のど真ん中にぽんと現れた。


狙った場所に、狙った通りの場所に。

手の先から出すなんて、ただの思い込みだったわけだ。


次は風。

ドライヤー程度の風を、水の中でぐるりと回す。

茶色い渦ができて、水はあっという間に泥になった。


最後に、一番試したかったことをやる。


出したものを、元に戻す。


泥が消えた。洗面器は空っぽで、あふれた水も、シーツの染みも、どこにもない。

何もなかったみたいに、全部が出す前に戻っている。


「……よし、出来た」


口角が上がるのを、抑えられなかった。


なるほどな。

この物語の神、つまり作者は、「魔法はイメージの具現化」って設定を強く書きすぎたんだ。


そして、シンクレアには「しょぼい適性」だとキャラ設定した。


設定が甘いんだよ。

まあ、まさかモブ本人が、自分の魔法のイメージを再定義するとは思わなかったんだろうな。……そりゃそうか。


作者が想定もしていなかった穴を、俺は読者として、何度も何度も覗いていた。


ここまでは、神が書いた通りの物語だった。

俺は心を壊され、退学して、廃嫡されて、僻地の教会で消える。


でも、神の書いたシンクレアはもういない。

代わりに、この先を全部知っている俺がいる。

ここから先は、神も知らない物語だ。


窓の外で、鳥が鳴いた。


「俺は、この世界で好きに生きてやる」


濡れてもいない手を、握りしめる。


「ザマア? 当たり前だ。てめえら、みんなふざけんな」

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