転生したみたいです
どうもはじめまして春と桜です。
あたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
銃声が、遠くで鳴った。
日本から遠く離れた紛争地。簡易的に設けられた医療施設には、国境を越えて集まった医師や看護師たちが詰めていた。壁の向こうでは砲撃が続き、そのたびに床がかすかに揺れている。消毒液の匂いに血の臭いが混じり、誰もが疲労を隠せない顔をしていた。それでも、手術台を囲む者たちの目には、医療従事者としての覚悟が宿っていた。ここにいる全員が分かっている。目の前の命を救うこと、それだけは銃声がどれほど近づこうと揺らがない。
「鉗子を。出血点は見えています。吸引を続けてください。まだ間に合います」
私は手術台の患者から目を離さなかった。腹部を深く損傷した男性で、ここへ運び込まれた時にはすでに大量出血を起こしていた。設備は十分とは言えず、血液も医薬品も限られている。それでも私たちは、その場にあるものを使い、できる限りの処置を続けていた。手術灯の下で患者の血圧が落ちるたびに周囲の空気は張り詰めるが、私自身は不思議なほど冷静だった。ここで焦れば、救えるものまで救えなくなる。それだけは、これまで何度も手術を経験してきた私が誰よりも理解している。
「九条先生、血圧が下がっています!」
「昇圧剤を。大丈夫です、まだ終わっていません。皆さんも慌てないでください」
声を掛けながら損傷した血管を探す。出血は多い。それでも、完全に手遅れというわけではない。指先に伝わる感触を頼りに慎重に血管を確保し、一本ずつ処置していく。医師になってから、私は何度この瞬間を経験してきただろう。目の前の患者が助かるのか、それとも自分の手の中から命が零れ落ちるのか、その境界に立つたびに恐怖はあった。それでも、恐怖を理由に手を止めたことは一度もない。
「……見つけました」
ようやく出血の原因を捉えた。私は迷わず処置を進め、周囲の看護師たちも私の指示に従って必要な器具を渡し、患者の状態を確認していく。誰も余計な言葉を口にしなかった。銃声が続いていることも、ここがいつ襲撃されてもおかしくない場所だということも、全員が分かっていたからだ。
「先生、出血が減っています!」
「そのまま維持してください。もう少しです」
緊張がわずかに緩み、患者の血圧が少しずつ戻り始める。私は最後の処置を終えると、傷口を確認した。まだ予断は許さない。それでも、少なくとも今この瞬間に命を落とす状態ではない。胸の奥に小さな安堵が広がり、私はようやく息を吐いた。
その直後だった。
施設の外で、ひときわ大きな爆発音が響いた。
手術室の壁が揺れ、天井から細かな砂埃が落ちてくる。誰かが顔を上げるのとほぼ同時に、複数の足音が聞こえた。銃声も先ほどより明らかに近い。遠くで続いていた戦闘が、こちらへ向かってきている。
「九条先生……」
看護師の声に、不安が滲んでいた。
「大丈夫です。患者さんを動かすのはまだ危険です。なので、私が残ります。皆さんは急いで避難してください」
私は患者の状態をもう一度確認した。今すぐ運び出せば、せっかく繋いだ命を失う可能性がある。けれど、ここに残れば襲撃に巻き込まれる危険も高い。それでも、どちらを選ぶかと問われれば答えは決まっていた。私は目の前の患者を置いて逃げることだけは選べなかった。
扉の向こうで怒鳴り声が響いた。
次の瞬間、手術室の扉が吹き飛んだ。
「動くな!」
銃を構えた男たちが室内へ侵入してくる。誰かの悲鳴が上がったが、私は考えるより先に身体を動かしていた。手術台の患者を庇うように、その前へ身体を滑り込ませる。
銃声が響いた。
胸に強い衝撃が走る。
続けざまに身体へ衝撃が重なり、足元から力が抜けていく。それでも私は倒れなかった。最後まで患者を覆うように身体を伏せ、手術台を守る。視界が次第にぼやけ、周囲の音も遠ざかっていく中で、それでも私は患者の状態だけを気にしていた。
「……大丈夫ですよ」
自分でも驚くほど穏やかな声だった。
「あなたは、まだ死んではいけませんから」
誰かが私の名前を呼んでいる。
九条菫。
それが私の名前だった。
私は医師だ。
だから最後まで、患者を置いていくことはできなかった。
そう思ったところで、私の意識は静かに途切れた。
次に意識が浮かび上がったとき、私は柔らかな寝台の上にいた。身体を包む寝具は驚くほど温かく、背中にはふかふかとした感触がある。鼻をくすぐるのは血や火薬ではなく、乾燥させた薬草と花を混ぜたような穏やかな香りだった。私は目を開けようとした。が、いくら力を込めても瞼は動かない。おかしいと思い、もう一度試してみる。それでも何も変わらず、そこで初めて私は、自分の目に何か異常が起きているのだと気づいた。
「……?」
私は手を顔へ伸ばし、目元に触れた。柔らかな布が巻かれている。その下を指先で確かめると、瞼が不自然に引っ張られているような感触があり、さらに慎重に指を滑らせたところで、細い糸の感触が伝わってきた。
「……瞼が、縫われている?」
思わず声が震えた。外科医として、これまで数え切れないほどの傷を見てきたからこそ、自分の瞼に施されている処置が何なのかも理解できてしまう。両目の瞼は閉じた状態で縫い合わされていた。ただ、普通の縫合糸とは明らかに違う。指先に触れる感触は滑らかで、硬さもなく、まるで皮膚に馴染むことを前提に作られたような不思議な糸だった。誰が、何のために、こんな処置をしたのだろう。疑問は次々と浮かんできたが、それ以上に私の頭を占めていたのは、もっと根本的な問題だった。
私は、なぜ生きているのだろう。
ついさっきまで、私は紛争地の手術室にいた。患者を庇った瞬間に銃声が響き、胸に強い衝撃を受けた。その感覚も、身体から急速に力が抜けていったことも、そのまま鮮明に覚えている。それなのに、今の私には傷一つない。胸元へ手を当てても銃創はなく、呼吸をしても痛みは感じられない。ならば、これは夢なのだろうか。そう考えながら身体を起こそうとしたとき、今度は別の違和感が私を襲った。
腕が細く手も小さい。
私は自分の手を撫でるように触れながら、ゆっくりと身体を起こした。掛け布団の上に置いた手は、長年手術器具を握り続けてきた私の手とは似ても似つかないほど小さく、腕も驚くほど華奢だった。そこでようやく、私は自分が見知らぬ子供の身体に入っていることを理解した。
「……何、これ」
口からこぼれた声は、記憶にある自分の声よりずっと高かった。あまりにも幼い。私は思わず喉へ手を当てたが、触れたのは確かに自分の身体だった。混乱している。それでも、長年医師として働いてきた習慣は、そんな状況でも感情より先に身体の状態を確認しようとする。呼吸は正常、脈拍もある。胸部に銃創はなく、腹部にも目立った外傷はない。少なくとも、死の間際にあった身体ではない。私は小さく息を吐き、もう一度、自分が置かれている状況を整理しようとした。
そのとき、足元に何かが触れた。
冷たいものが、足首をするりと撫でる。
「……っ」
私は反射的に身体を引いたが、それは逃げるよりも早く、足首から脛へ、さらに膝へと這い上がってきた。衣服の上を滑る感触は細長く、人の手とは明らかに違う。私は息を殺し、その正体を確かめようとした。けれど、目は開かない。手を伸ばそうとした、その瞬間だった。
腕に鋭い痛みが走った。
「――っ!」
反射的に腕を振ったものの、すでに遅かった。何かが私の腕へ牙を突き立てている。焼けるような痛みが広がり、私は思わず息を呑んだ。
「蛇……?」
呟いた直後、身体の内側を異様な熱が駆け抜けた。毒だと理解するのに時間はかからなかった。血管へ入り込んだ毒が全身を巡り、心拍が乱れ、呼吸が次第に苦しくなっていく。指先から力が抜け、身体の感覚まで少しずつ遠ざかっていくのが分かった。それでも、私は不思議なほど冷静だった。
死ぬ。
その感覚なら、私は一度知っている。
だからだろうか。恐怖より先に、妙な諦めが胸へ落ちてきた。
「……また、死ぬの……?」
声を絞り出した瞬間、意識が大きく揺らいだ。そして、次の瞬間には頭の奥で何かが弾けるような感覚が走り、知らない記憶が一気に流れ込んできた。
城。陽の光が暖かい広い庭園。自分を抱き上げ、嬉しそうに笑い声をあげる男性。優しい手で髪を撫でてくれる女性。少し年上の二人の少年たち。そして、温かな食卓を囲む家族の姿。どれも私には覚えのないはずなのに、そこにいる人々の声も、触れられたときの温もりも、胸の奥に残る幸福さえも、姿形こそは見えないがまるで自分自身の記憶のように鮮明だった。
その中で、何度も呼ばれている名前があった。
――リリアーナ。
「……私、は……」
九条菫。
そして、リリアーナ・フォン・エーデルシュタイン。
二つの名前と二つの人生が、混ざり合うように私の中へ流れ込んでくる。私は十歳の少女だった。エーデルシュタイン王国の王女で、二人の兄を持つ末っ子。家族に愛され、美しい少女として育てられた。その記憶を受け入れた瞬間、私はようやく、自分が今どこにいるのかを理解した。
「……知ってる」
私は、この名前を知っている。
この世界を知っている。
なぜなら、前世の私は、この少女の物語を読んでいたからだ。
それは、一人の少女の悲劇を描いた物語だった。王女として生まれ、家族に愛されていた美しい少女が、十歳のある日を境に人が変わったように冷酷になり、周囲の人々を次々と傷つけていく。やがて彼女は国そのものを傾けるほどの存在となり、人々から「傾国の悪女」と呼ばれるようになり、彼女はこの王国全てを石に変えてしまう。
最後には、大国の王子にして漆黒の英雄と呼ばれる男が彼女の前に立ち、その首を落とす。
その少女の名前は――。
「リリアーナ……」
震える声で呟いた。
私が、そうなのだ。
そう理解した瞬間、毒に侵された身体から完全に力が抜けた。意識が再び闇へ沈みかける。けれど、その直前、すぐ傍から場違いなほど明るい少女の声が響いた。
「やっと見つけましたぞ、姫君!!」
私は薄れゆく意識の中で、その声を聞いた。
蛇が、喋っている。
それが、私がこの世界で最初に知ったことだった。
ブックマーク 評価 応援よろしくお願いします!




