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年下の余裕と、年上の不安

土曜の午後。

紗季はクローゼットの前で腕を組んでいた。


「……決まらない」


ベッドの上には、いくつかの服が並んでいる。

仕事用のきれいめなワンピース、休日用のカジュアルなニット、少しだけ若作りに見えそうなスカート。


“コーヒーだけ”。

それなのに、どうしてこんなに迷うのか。


――年下だから。


理由はそれだけだ。

張り切っていると思われたくない。

でも、手抜きにも見られたくない。


結局、紗季は落ち着いた色のブラウスと、シンプルなパンツを選んだ。

鏡の前で髪を整え、薄くリップを塗る。


「……よし」


自分に言い聞かせるように頷く。

これはデートじゃない。

仕事の延長でもない。

ただの、コーヒー。


待ち合わせは、駅近くの小さなカフェだった。

ガラス張りで、木のテーブルが並ぶ、落ち着いた店。


店の前に着くと、すでに律がいた。

黒のシャツに、ラフなジャケット。

仕事のときより少し柔らかい雰囲気。


「紗季さん」


名前を呼ばれただけで、心臓が跳ねる。

こんなの、完全に意識してるじゃない。


「待った?」


「いえ。僕が早かっただけです」


律はそう言って、自然にドアを開けてくれた。

その動作があまりにもさりげなくて、紗季はまた“年下”を忘れそうになる。


カウンターで注文を済ませ、窓際の席に座る。

向かい合うと、急に距離が近く感じた。


「……私、カフェって久しぶり」


「そうなんですか?」


「だいたい、打ち合わせか、コンビニか」


「極端ですね」


笑われる。

でも、馬鹿にした感じじゃない。


コーヒーが運ばれてきて、湯気が二人の間に立ち上る。


「誘ってくれてありがとう」


紗季が言うと、律は少し驚いた顔をした。


「こちらこそ、来てくれて」


「正直、迷った」


「……ですよね」


律は苦笑する。

それが、少しだけ救いだった。

彼も、何も考えずに誘ったわけじゃない。


「年下だし、取引先だし」


紗季が正直に言うと、律は視線を落としたあと、ゆっくり口を開いた。


「僕は……紗季さんが年上だから、誘いました」


紗季は思わず目を見開く。


「え?」


「年上なのに、無理してるのが分かるから。放っておけなかった」


真っ直ぐな言葉。

飾りがない。


「それ、年下が言う?」


「年下だから、言えることもあります」


また、その台詞だ。


「……私ね、甘えるの苦手なの」


紗季はカップを両手で包む。

少し震えているのが、自分でも分かる。


「分かります」


「ほんとに?」


「はい。だから、甘えさせてもらえないなら、僕が勝手に世話します」


「なにそれ」


笑いながらも、胸がきゅっとする。

そんなふうに言われたの、初めてだ。


会話は途切れ途切れだったけれど、沈黙は苦しくなかった。

仕事の話、休日の過ごし方、好きな映画。


「紗季さん、恋愛は?」


不意に、核心を突かれる。


「……しばらく、してない」


「ですよね」


「なんで分かるの」


「余裕がない顔してます」


失礼。

でも否定できない。


「律くんは?」


「僕も、最近は」


「年下なのに?」


言った瞬間、しまったと思う。

律の表情が、一瞬だけ固まった。


「……年下でも、忙しいんです」


「ごめん」


「いいえ」


律は一息ついてから、続けた。


「でも、年下だからって、軽く見られるのは、少しだけ嫌です」


その声は穏やかだったけれど、真剣だった。


「……ごめんね」


今度は、ちゃんと向き合って言う。

紗季は、自分が“年上”を盾にして、距離を取ろうとしていることに気づいていた。


店を出ると、夕方の空気が涼しい。

歩きながら、二人は並ぶ。


「今日は、ここまでで」


紗季が言うと、律は頷いた。


「はい。無理はさせません」


駅に着き、人混みの中で立ち止まる。


「……律くん」


「はい」


「今日は、楽しかった」


言葉にすると、少し照れる。

でも、本当だった。


律は、はっきり笑った。


「よかった。じゃあ、また誘ってもいいですか」


「……考えさせて」


そう言いながら、断る気はなかった。


別れ際、改札の前で、律が一歩近づいた。

触れそうで、触れない距離。


「紗季さん」


「なに?」


「年下ですけど、ちゃんと本気です」


胸が、強く打った。


「……それ、ずるい」


「知ってます」


いたずらっぽく言われて、紗季は負けた気がした。


電車に乗り込み、扉が閉まる。

ガラス越しに、律が小さく手を振った。


紗季は座席に座り、胸に手を当てる。


――不安は、消えない。

――でも、それ以上に、期待してる。


年上だから、守らなきゃ。

そう思ってきた人生に、年下の彼は、違う選択肢を差し出してきた。


それを受け取るかどうかは、まだ分からない。

けれど――もう、目を逸らすことはできなかった。

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