第18話 二人のコミュ障と、一つの夢
「と、とりあえずここじゃアレですから…」
俺がそう促すと、彼女はこくりと小さく頷き、ロボットのようなぎこちない動きで向かいの席に腰を下ろした。
「あ、先に何か飲み物を頼みましょう。どれでも好きなのを選んでくれたら…」
そう言って渡したメニュー表から、彼女は震える手で一つの商品を指差す。
「…オレンジジュースですね」
俺が店員を呼んで注文し終えると、彼女はメニュー表を盾にしながら、必死に俺から顔を隠していた。
(…どうする。このままじゃ話にならないぞ…)
俺は意を決して話しかけてみた。
「えっと…改めて聞くけど、『R』さん…でいいんですよね?」
「…………っ」
こくり、とパーカーが縦に動く。
どうやら極度の人見知りのようだが、対話をする意思はあるらしい。
「いやその…DMの文章を見た時、勝手に男性だと思いこんでまして…」
「……しも……」
するとメニュー表の陰から、蚊の鳴くようなか細い声が聞こえた。
「え?」
「あ…あたし、も……同じ、です……」
ゆっくりと、メニュー表がテーブルのあるべき位置に置かれる。
未だパーカー越しではっきりとは見えないが、彼女の瞳がこちらを見ているのが分かる。
「……ナオさんのこと、おんなの、人、だと、おもってました…」
その発言に、俺は今更ながらハッとした。
自分の本名を流用してつけた適当なチャンネル名と、その投稿者名。
(…『ナオ』って、普通に考えたら女性の名前じゃん…!?)
確かに、そう捉えられなくもない。
なにせ俺の動画には自分の声が一つも使われていないのだから。
だが、そうなると今度は別の問題が浮上する。
「…という事はもしかして、『ナオ』が男だと知ってたら来なかった…?」
「……ぅ……」
小さくも、確かに聞こえた図星の漏れ声。
しかし、彼女はすぐにパーカーを横に振り回して否定を示す。
「……で、でも……怖い人…じゃ、なさそう…だから…へ、平気…です」
「そ、そう…?」
平気さをアピールしたいのか、顔の横でピースを作ってみせるが、ぷるぷる震えているせいで脅されている風にしか見えない。気のせいだとは思うが、周りの視線がやけに集まっているように感じる。通報されるのか、俺。
「…ところで、Rさんは俺の事を動画で知ってくれたとDMに書いていましたが、それは…本当ですか?」
いきなり来てくれた相手を疑うのも変だが、こればかりは聞いておきたかった。なにせあれだけのスーパープレイが出来る強者が一体俺の動画の何を参考にするのだろうか。
すると彼女は喋りづらそうにしていたマスクを外し、今までよりも強い意思を感じさせる声で語り始める。
「…あ、あの…あたし…今までFPS、やったこと、なくて…でも、せんせい…の、どうが、見たら…すっごく分かりやすくて……それ、で…強くなれた、から…尊敬…、してます…っ!」
「な、なるほどぉ…」
拙くも熱意のこもった説明に、俺は過去の解説動画に送られていたコメントを思い出した。
(…あのキッズみたいなコメントは、この子が送ってくれたものだったのか…)
そんな奇跡みたいな事が起こって良いのか。俺は自分の運の良さに恐怖すら覚えながらも、一つだけ確信した気持ちがあった。
(…なら、この子は絶対に逃せない。普段の喋りと、あの狂戦士じみたFPSの腕前。そのギャップこそ『配信者』として絶対的な強みだ…)
そうだ、俺は何のためにここに居るのか。
薄れていたマネージャーとしての思考が蘇り、自然と背筋が伸びる。
「分かりました…では早速ですが、今日お呼びした件の本題に入らせていただいても…いいですか?」
俺の問いかけに、彼女は再びこくりと頷く。
「…実は俺、今はナオとしてではなく、とある事務所の配信者として活動しているんです。そこでは近々エーペックスの大型大会がありまして…Rさんには是非とも同じチームで参加して頂きたく…」
「じ……事務所…、……は、…配信者…?」
すると、それまであった彼女の瞳の輝きが、すっと消えた。
代わりに聞こえてきたのは、弱々しくも確かな拒絶の答え。
「……はいしん、は……むり、です……」
「…え?」
「…かお、だせない…。ひとまえ、むり…。ごめんなさい…」
彼女はそう言うと、完全に心を閉ざすように深く俯いてしまった。
話はここで終わり。と言わんばかりの態度だ。
「…ま、待ってください!」
俺は思わず少しだけ大きな声を出してしまった。
対面に居た彼女の肩が、びくりと震える。
「…す…すみません、急に大きな声を出してしまって…。でも、これだけは見てください」
そう言って俺は自分のノートPCの画面を彼女の方に向け、一つの動画ファイルを再生した。
「…顔を、出す必要はありません」
画面いっぱいに映し出されたのは、黒木カナタの配信風景。
黒猫モチーフの少女が表情豊かに動き、笑い、悲しみ、そして楽しむ。
「俺たちがやっているのは――“VTuber”というものです」
それは俺が思う、完璧な「エンターテイナー」としてのカナタの姿だった。
「……え……?」
「なに、これ……」
「……かわ、いい……」
ボソリ、ボソリと口から溢れ出る感想が止まらない。
彼女の瞳が初めてキラキラと輝き始めた。
未知なる世界に憧れと可能性を見た、純粋な表情。
それこそ俺が求める仲間への条件だ。
「…見ての通り、俺も人前で喋るのは、苦手です…。だから…、一緒にやってみませんか?」
「…………」
「…その、俺でも一応、出来てますから…」
俺の不器用な言葉にどこまで説得力があるかは分からない。
それでも彼女は勇気を出して俺の誘いに応じてくれた。
「……できるか、わからないですけど……せんせいのためなら…、あたし、頑張ってみます…」
「…ありがとうございます、Rさん」
お互いボソボソと囁き合うだけの、奇妙な契約成立の瞬間。だが、そこには確かに、確かな信頼が芽生えていた。
俺は、心の底から安堵の息をつく。
…と、同時に。
次に何を話せばいいのか分からず、俺たちの間に再び重い沈黙が落ちた。
(き、気まずい…、何か話さないと…)
会話の糸口を探していた俺は、ふと気になっていたことを口にした。
「…ところで、Rさん。メールにも書いていましたが、『R』という名前には何か由来があったり…?」
良かれと思って捻り出した俺の一言。
それを聞いた途端、彼女の顔からさっきまでの決意の光がすっと消え、目がぐるぐるとパニックを起こしたように回りだす。
「あ……っ……ぇ……と……」
まずい。また、彼女を追い詰めてしまった。
それでも彼女は何かを伝えようと、必死に声を絞り出す。
「…あ、あの、R、は…その…り、りな、だから…なんとなく、本名で…そのぉ…」
「あ! す、ストップ! 分かりましたっ! 俺が悪かったです…っ!!」
初対面の女の子をパニックに陥らせた挙句、うっかり本名まで引きずり出す。
マネージャーとしての俺の適性は、どうやら絶望的にゼロらしい。
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