森の呼び声
揖斐の山中で相次ぐ変死事件には人外が関与しているに違いない。地元の陣屋からの要請で現地を訪れた池鯉鮒衆。
自身が筆頭をつとめる初陣には手裏剣の名手・栄吉と、大柄で力持ちの地元出身、庸司が帯同した。
調査の結果、黒谷が怪しいと睨んだ雲二郎たちは早速山道を歩いて向かったが、同じ道をぐるぐる回るばかりで目的地に辿り着けない。
地図の間違いでも、道の分岐を見落としたわけでもない。
どうやら人外の仕業。
「確かに…聞こえるっ」
急に空が暗くなり、木々がざわめきはじめた。吹きすさぶ冷たい風の音に紛れるように、かすかに聞こえる低い呻き声。
「気味が悪い…」
「右か…左か…」
瞬きを止めた目がレーダーのように動く。わずかな動きも見逃すまい、と。呻き声の方向、距離を割り出そうと耳を研ぎ澄ませる。
「来る…のか?」
呻き声は右へ、左へ。しかし確実に近づいてきているように思える。
「ううう、ううううっ」
一段と呻きは大きくなった。唸り声のようでもあり、叫び声のようでもある。低くしゃがれた、背筋を寒くするような、生理的に嫌悪を感じる声。
「どこだ…どこなんだ」
庸司は自身の武器、仕込み杖を抜き、切っ先を身体の前に構えた。はやる心がそうさせるのだろう、しきりに歯軋りしている。
冷たい風が、次第に三人を取り囲むように渦を巻き始めた。舞い上がる落ち葉がぐるぐる回り、その半径は次第に狭まってくる。
「な、なんだっ…」
栄吉が身を低く構えて目を凝らす。
「ひゃあああっ」
風の渦の中から何かが飛び出してきた。反射的に栄吉は懐の手裏剣を飛ばした。
「うああっ、ああっ、ああ…ううっ?」
回転しながら飛んだ栄吉の十字手裏剣は、一枚の木の葉を貫いて立ち木にグサリ。
「こ、木の葉…?」
「ああ、どうやらつむじ風だったようだな…」
風の渦はほどなく消え去ったが、手裏剣を木の幹から引き抜く栄吉の腕はまだ鳥肌が立ったまま。
「とりあえず、落ち着こう…」
もちろん雲二郎だって胸が破れそうなほどに鼓動は高まっている。しかしチームの頭として自分が浮足立つわけにはいかない、と自らに言い聞かせていた。
「平常心を失っちゃダメだ」
「うああっ」
今度は庸司が叫んだ。
後方の木がガサガサと揺れ、何か黒い影の一団が向かってくるのが見える。つんざくような声が幾重にも重なって山に響いた。
「来たっ」
飛び出した雲二郎、咄嗟に刀を抜き振り回す。木の葉が舞い散り視界もままならない。とにかく何でもいい、向かってきたヤツは全部斬ってしまえ。
「あっ…」
バサ、バサッ、と血飛沫の残像を空中に残して何かが足元に落ちてきた。
「斬った、か…んん?」
雲二郎の肩から力が抜けた。
「ムクドリ…ムクドリの群れか」
ズタズタにされた何羽かが、枯れ葉の上でヒクヒク虫の息。どうみても普通のムクドリ。
「おおかた冬を間近に、人里に群れで移動する途中だったんじゃねえか」
「驚かせやがって…」
難を逃れたムクドリたちは飛び去って行った。ギャアギャアとけたたましい鳴き声も、今はなんだか可愛らしく思える。
「鳥にビビって抜き身を振り回したなんて、恥ずかしい…兄者には内緒にしておいてくれよな」
木立を通り過ぎる冷たい風も収まり、再び木漏れ日が差し込んできた。
「あ、あれ…」
庸司が辺りを見回す。
「栄吉は?」
「ん?」
確かに見当たらない。鳥の群れを相手に肝を冷やしている間に、先頭を歩いていたはずの栄吉はさらに先に歩いて行ってしまったのか。
「おおい。おおい栄吉」
「どこだあ、栄吉っ」
雲二郎と庸司は辺りを探してウロウロ。さっきまでの喧騒はどこへやら。風はすっかり凪ぎ、静寂が森を包む。
「そう遠くにゃ行ってないはずだ」
「この道を下ったのかな、あっちの岩場は険しそうだし」
すぐ見つかる、そう思った二人だったが何度声を張り上げても返事は無い。
やけに長い時間が経過したように思われ、二人の顔に憔悴の色が。
「何かおかしい…」
「この違和感」
「そうだ、とりあえずさっきのところに戻ろう。栄吉はそこで俺たちを待ってるのかも」
「まずはそうしよう」
「…しかし」
振り返って二人は顔を見合わせた。
「しまった」
森の奥深くに足を踏み入れていた彼らは、戻り道が判らない。
方位磁針は役に立たず、地図を広げたところで現在地も知らない。
「ええと…」
目印は無いかと見回す二人。
だが深い森ではどちらを向いても同じ景色。鬱蒼とした木々があざ笑っているよう。
「マズい…マズいな」
時間だけが過ぎてゆく。
闇雲に歩いてみても、同じような景色。
進めど進めど、似たような景色。
いや、もしがしたら本当に同じ処をぐるぐると回っているのかも知れない。
「ど、どうします、雲さん」
「俺だってこの山は初めてだ…お前、地元だろ、何とかならないのかっ」
じわじわと恐怖と焦りが、心を支配してゆく。
「やっぱり栄吉を探しましょうよ。とりあえず返事があれば、その声を頼りに」
「そうだな…おおい、栄吉っ、栄吉いいっ」
二人は声の限りの大声で叫び続けた。
「栄吉っ、どこだ」
「返事してくれ、栄吉いっ」
木々にこだまする声。
呼んでは、耳をそばだてる。だが一向に返事は無い。
「どこなんだ、どこなんだ栄吉…」
またあの薄ら寒い風が、木立を縫うように吹きはじめた。
「栄吉っ、どこだっ」
ふと、別の方角から、思いもかけず呼び声が聞こえてきた。
二人は顔を見合わせて首をひねる。
「ん?」
確かに、その声も栄吉を呼んでいる。
「おおい、栄吉」
間違いない。ハッキリと「栄吉」と呼んでいる。
「誰だ…あの声」
「いや…知らんな。ここへ来たのは俺とお前、そして栄吉の三人だけ…」
「じゃあ。あれは…?」
雲二郎と庸司は、謎の呼び声が聞こえる方角に足を向けた。
栄吉を呼ぶ声はまだ続いている。
「おおい栄吉、聞こえるか…栄吉…」
「ああ、聞こえる。誰だ?」
返事があった。
「今の声…」
確かに栄吉の声だ。
雲二郎と庸司は目を輝かせながら顔を見合わせる。
「聞いたか」
「ああ間違いない、栄吉だ」
もう一度、謎の声が栄吉を呼ぶ。
「おおい、おおいっ」
返事をする栄吉。
「おおいっ」
雲二郎と庸司は、声のする方へ駆け出した。
直後、突然耳をつんざくような叫び声。二度、三度。
「あの悲鳴…」
「栄吉…?」
その後は、何事も無かったかのような静寂に包まれた。
丈の高い下草をかき分けながら歩を進めた雲二郎と庸司は、ぐったり横たわった栄吉を見つけた。
「栄吉、ほらっ。寝てるのか?」
ピクリとも動かない。
「起きろって。何だ、さっきの悲鳴は。驚いて気を失いでもしたか?」
何度か頬を張ってみたが、まったく起きる気配は無い。スヤスヤと眠るような、穏やかで幸せそうな顔。
「うっ…まさか」
横たわる栄吉の胸に耳を押し当てた雲二郎の額に、冷や汗が噴き出した。
「死んでる…」
心の臓は完全に動きを止めていた。
「そ、そんな…」
庸司が栄吉の身体を揺さぶる。無理やり目をこじ開ける。しかし瞳はすっかり開き切っていた。
「なぜ、どうしちまったんだ…?」
「…人外、人外の仕業だ」
雲二郎が唇を噛む。
「陣屋で調べた事件の状況と酷似してる。見ろ、この顔。安らかで、むしろ微笑みさえ湛えてる…みんなこうやって死んだんだ。黒谷の怪死事件の被害者たちは」
「ちくしょう…」
仲間を失った悲しみ、悔しさに浸っている間はなさそうだ。敵は姿さえ見えず、道に迷ったまま。
また、声がした。
「おおい、おおい…」
つづく




