バスケ部には入らない
この短期間でしかも、同じ地域で三体の悪魔が出現したのだが、殆どの原因は僕に合ったので、悪魔を召喚する妄想をしなければいいだけのことだった。
ここら一帯の悪魔の出現はなくなった。
デビューしようにも悪魔を倒さなければならないので、一向に先の話になってしまっていた。非公認がどうして自演をしているのか気持ちはよく分かった。
冴えない僕が、悪魔を倒す事で人の注目を浴びたのだから、最高の気分になれる。その体験を一度でも味わってしまうと病み付きになってしまう。しかし、真の正義のヒーローになるためには、自演などもってのほかだ。
そんな葛藤が生まれていた。
ヒーローの妄想をするのは控えていたので、たった一日だけでも精神的に参っていた。毎週発売される少年ジャンプを、親から取り上げられるくらいの精神的ダメージだった。
週を追うごとに周囲の話題について来られなくなる、このもやもやとした感じがあった。
続きが気になってどうにかなってしまいそうだ。
僕に妄想をとったら何も残らない。
失って初めて思い知った。
「僕はこんなにちっぽけな人間だったのか?」
「元々、ちっぽけな人間だろ」
妃影は相槌を打つようにツッコんだが、僕はボケている訳ではなかった。
幸い、他のシリーズの妄想を出来るので、明日生きる意義をなんとか見出していた。
つまり、僕が何を言いたいのかというと――妄想は素晴らしいってことだ。
悪魔の出現と反比例して、記憶消失の被害は後を絶たなかった。
関東一帯で起こっていた事件だが、その範囲が拡大していた。キリエ先輩と僕は躍起になっていたのだが、足取りは不明だった。
「公認ヒーローもやっと重い腰をあげてくれたわ」
「あの公認が……ですか?」
それほどの悪魔だという事になるんだろう。
雑魚は相手にしない。
そこがまた、かっこいいのだけれど。
キリエ先輩に教えてもらったことだが、公認ヒーローは倒せなかった悪魔を倒すためだけの組織だった。必然的に強敵を相手にすることになる。それで、勝ってしまっているのだから、ますます憧れてしまう。
「で、誰が動き出すんですか?」
「紅き鉄拳グレンよ」
「おおおおおお」
僕のお気に入りのヒーローだ。
これで一件落着だと、安心した。
***
安城は学校を休んでいた。
これでは、話し相手がいなくなってしまう。
一人になるのは慣れているが、寂しいことには変わりなかった。
「園嵜ぃ。オラオラ」
バスケ部のエース、峰岸晴彦は僕にちょっかいを出してくるようになってきた。弄りとか虐めではなく、単純に人として接してくるようになってきたのだ。
「なんだよ」
「バスケ部入ってくれよ」
こんなやり取りが日に何度も続いていた。
三十五回目の遣り取りで、僕は峰岸に訊いた。
「どうして、僕なんだよ」
「だから、お前のあの動きにだな――」
僕はうんざりしたので、峰岸の返事を遮って、こう言ったのである。
「バスケ部って、大勢いるんだろ。皆で頑張ればいいじゃないか」
峰岸はばつが悪そうに、目を逸らした。
わざわざ僕のような部外者を誘わなくても、十分強豪校になりえるくらいの実力者が大勢いるのは事実だ。というか、元々、S校のバスケ部は県外屈指の強豪だったのだ。
峰岸はスポーツ推薦で入学してきたと聞いたことがあった。体育の授業でも、全国レベルの実力はあるというのは身を持って知っている。
一人、強い人物がいれば必然的にチームのレベルも上がっていくはずだ。今更、僕の手を借りるまでもないだろう。
――なのに。
どうして?
「それが出来たらいいんだけどな」
峰岸は続けた。
「今年は全国に行きたいんだ。あわよくば優勝したいと思っている。そんな夢を抱いちまうくらい、才能があるやつが揃った可能性のあるチームなんだ。監督だってそう言ってくれた」
「なら、僕なんか必要ないじゃないか」
「才能はあるんだよ。だけど、一番大事なところが欠けちまっているんだ。世の中には本物っているだろ? 努力したところで、手が届かない絶対的な存在だよ。テレビで見る分には、ああなりたいって憧れの対象になるけど、身近にいると、絶望するんだよな。どう足掻いた処で、あいつには敵わないから、諦めよう。そんな後ろ向きな気持ちが生まれてくるんだ。今のバスケ部はまさにそんな感じだ」
「峰岸は頑張っているじゃないか」
「こうなったのは、俺の所為だから、頑張りせざるを得ないんだ」
「……俺の所為ってどういうことだ?」
「根源を作っちまったのは俺ってことだよ。――運動神経がよかった廻間を仮入部でもいいからって、俺がバスケ部に誘ってみたんだ。そしたら、めちゃくちゃ強くてさ、最初は廻間スゲエなって皆言っていたんだよ。助っ人として廻間を非公式の大会にも出場することにしたんだ。そしたらライバル校にも簡単に勝てた。その日からだよ。皆がやる気をなくなったのは」
「簡単に勝てるから周りが怠けてしまったってことか」
「ああ、廻間がいるから大丈夫だって、心のどこかにあるんだ。別に悪口を言うつもりはないけど、あいつを誘わなきゃよかったって後悔しているんだ。全国には行けるだろうが、廻間一人じゃあ、勝てるわけない。バスケは五人でやるもんだ。廻間に徹底してマークつけられたら、終わりだよ」
だから、それなりに強くなった僕を誘ったというわけか。
「もう、俺にはどうすることも出来ないんだよ」
「そうなんだ」
「だから、お願いだ! バスケ部に入部してくれ。廻間に正面から立ち向かったのは、お前くらいなんだ。惚れこんだのは技術云々だけじゃないんだよ。強い気持ちがあるお前なら、きっと元のバスケ部に戻してくれるんじゃないかって、俺は思っているんだ!」
「ふうん。まあ、入らないけどね。君は責任を押し付けたいだけじゃないのか?」
「それは……」
「頑張りたいのか、勝ちたいのか。それともどっちもとるのか。どれを選択するのかは個人の自由だろ。楽して勝ちたいから、頑張っていないだけじゃないか。それの何が悪いんだよ。もし、勝ちたい気持ちの方が大きいのなら、このままじゃあ、勝てないって教えてあげるのが、君のやるべきことだと思うけどね」
「色々試したさ。だけど、無理だった」
「ふうん」
峰岸は本音で語ってくれたんだろうけど、結局僕はあしらうように断った。雰囲気が悪いチームに誰がわざわざ入りたいと思うのだろうか。峰岸はけっこう要領の悪い人なんだな。嘘を重ねれば、どうにでもなることだったのに、正直すぎるんだろう。
少しだけ僕に似ている。
そんなことを今更気付いた。
僕はトイレの個室に籠った。
便座のふたは座るためにあるというのを知っていたので、僕は便座のふたに座った。
そして、妄想をする。
理想の自分ではなく、とっくの昔に消え去った運動音痴の自分を思い描いた。まともにドリブルが出来ない、パスすら取れない、百発百中ゴールを外す自分を創造するのは、この上なく簡単だった。
昔の僕に戻ればいいだけの事だった。
放課後、やることがないので体育館に寄った。ドリブルするリズムカルな快音が聞こえてくる。シューズと床が擦れてなる音も、僕は好きだった。
だらけて、遊んでいる部員が多かった。壁に凭れて携帯を弄っている者や、談笑をしている者までいる。バスケをしているのは数名だった。
3ポイントシュートを決めた峰岸は、ゴール下で弾んでいるボールを取りに行く最中、体育館から一歩引いて見学している僕の事を見つけた。
「そ、園嵜! 来てくれたのか!」
「うんまあね」
「皆、こいつが園嵜だ!」
どうやら、バスケ部の間では、ちょっとした有名人になっていた。とてつもなく強い奴がいると、峰岸が大袈裟に噂を流していたらしい。
興味本位で、だらけていた部員たちが集まってきた。
そして、話が進んで、練習試合をすることになってしまったのだ。
「皆に、お前の力を見せてやってくれ!」
「頑張るよ」
試合は始まった。
僕はアクションを起こすことなく静かにしていた。
ただ、コートを往復しているだけだ。
峰岸はここぞとばかりに、刺すようなパスをしてきた。少しバスケが出来る者なら、このパスを受け取り、得点に結びつけるだろう。
「ふげっ」
ボールを取り損ね、顔面にボールが直撃してしまった。
部員たちの噴出し笑いが聞こえた。
「だ、大丈夫か?」
峰岸は言った。
「どうにか」
赤くなった鼻を摘まんで、僕は言った。
その後、赤子でもとれるようなパスをもらい、ドリブルをしようとするが、手の動きとボールのバウンドがかみ合わず、手を振っているだけのような感じになってしまった。
赤っ恥である。
試合は終わった。
僕は駄目なところしか見せられなかった。
「ぶっはー。こんなに、下手くそな奴初めて見た。峰岸、お前負けたって嘘吐くなよ」
「いや、俺は嘘なんか……。こいつは本当にすごい奴なんだって」
「またまた。俺たちにこいつを見せたくて連れてきたんだろ?」
「……」
「世の中にはこういうやつもいるんだな。あいつじゃなくて本当によかったって思うぜ。なんだか、やる気出てきた。練習始めるぞー」
「おい、違うんだよ! 本当に園嵜は凄い奴なんだって!」
「確かに凄い奴だったな。思い出すだけでも笑えてくる。そんなことより、早く練習始めよう。そろそろ、大会だろう?」
「あ、ああ」
部員たちは、上着を脱ぎだし、練習に入った。
僕は汗を拭って、いそいそと鞄を持った。汗を随分掻いてしまったので、家に帰ってお風呂に入りたい。
峰岸は僕を引きとめた。
「どうして、あんなことしたんだよ。ワザとなんだろ?」
「いいや、これが僕の全力。あれは偶々だったんだ。峰岸は僕に期待しすぎだったんだよ。それに、見てみろよ。みんな、頑張っているじゃないか」
「ほ、本当だ。俺がどんなに訴えかけても、やろうとしなかった奴等なのに」
「……じゃあ、そういうことだから」
「待ってくれよ」
「まだ何かあるのか?」
「ありがとうな」
そう言って、峰岸はコートに入っていった。
人には役割というものがある。
僕はきっと、周りに優越感を持たせることが役割だったのだろう。
その才能に長けているんだと悟った。
人を幸せにすることと同じことだ。
僕はそう自分に言いかせて、ひりひりと痛む鼻を撫でた。
「あれでいいのかよ」
妃影は僕に言った。
「元々、ダメな奴だったんだ。戻ったってどうってことないよ」
「甘すぎるだろ。あたいだったらぶちのめして、一生、立てないようにしてやんのによ」
「バスケで!?」
「ほとんどの球技は、ボールを使った殺し合いのようなもんだろ」
「殺し合いかは兎も角として、それじゃあ、ファールだよ。危険退場だ」
「相手に容赦なくパスすればいいだけの事だっつーの。てか、ボールで殴っても大丈夫だろ? だったら、頭頂部にダンクを決めてやるぜ」
「それじゃあ、得点にはならないけどね」
「根毛が逝った数が点数になるんだよ」
「お前! それは絶対やっちゃだめだ! 男にとってデリケートな部分なんだよ。ワックスを付けている男は気がしれないね」
「そう言う奴が一番禿げやすいんだけどな」
「この話はもうやめよう」
「そういや、お前の親父とじじいは禿げているんだっけな。サラブレットじゃねーか」
「それだけじゃない。うちの女系はみんな美人なのに男は残念だねーってばあちゃんから、言われた事があるんだ。あの時の妹の勝ち誇った表情は忘れられないよ」
「まあ、禿げるのを楽しみにしているからよ」
「僕をこれ以上悩まさないでくれ」
そんな他愛もない話をしていたら、何時の間にか家に着いていた。
「汗臭い」
萌の第一声で、僕は自分の脇の臭いを嗅いだ。
確かに、汗臭いので反論の余地はない。
「カ・ブリーズで存在自体消えないかな」
カ・ブリーズとは臭いを消す、消臭剤のようなものだ。
「アメリカ軍の兵器かよ」
「あんたは汗の臭いで構成された人外だって言ってんのよ。読解力は中学生並みですか?」
「……僕は汗の臭いか」
カ・ブリーズを幾度となく浴びせられ、雨に打たれたように濡れてしまった。
「どうして消えないの?」
萌はカ・ブリーズを見つめて、小首を傾げていた。
「てか臭い。刺激臭がする。これだけ、ふりかけても臭くなるだなんてどういうこと? あんたって何者なの?」
「これは、カ・ブリーズの臭いだ」
「早く、どっか行ってよ」
「そのつもりだよ。風呂に入るんだ」
「私が先に入る」
「……」
「文句あるの?」
「いえ、ないです」
僕は一時間以上、刺激臭に耐えながら萌が出るのを待っていた。
その日の夕食は、マツタケご飯だったのだけれど、鼻がおかしくなってしまったので、マツタケの気品に満ちた匂いを堪能することは叶わなかった。