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僕の日課は妄想だ

 妄想だけが僕のより所だった。

 一日の大半を妄想で過ごし、最早、日課となっていた。

 空想の世界こそが僕の全てだったんだ。

 今日もまた、寝たふりをしながら妄想に没頭していたら、何時の間にか放課後になっていた。

 帰りの挨拶をした覚えはないので、クラスの皆が起立をしている最中、きっと僕だけが机で寝ているような痛々しい光景だったんだろう。

「またやってしまったか」

 僕は常習犯だった。休憩の時間はトイレに行く以外、全て寝たふりだ。こうすれば、人との付き合いを最小限にとどめられるし、何より邪魔されることなく日課の妄想が出来る。

 外をみると日が暮れていて、かなりの時間妄想に浸ってしまっていたんだろう。教室には僕だけしかいないとばっかり思っていたら、隣の席にすやすやと寝ている女の子がいた。

 ここにも常習犯がいました。

 彼女の場合、寝たふりではなく、本当に眠ってしまっているんだろうけど。

「むにゃー」

 安城麻衣は天使のような寝顔をしていた。少し垂れた目で、明るい茶色のセミショート。愛嬌のある可愛らしい顔。どこにでもいそうで、なかなかいないタイプの女の子だと僕は勝手に解釈している。

 安城の豊満な胸が机に圧迫されているのが見えた。

 生まれて初めて机になりたいと思ってしまった。憎たらしい机にこれ以上いい思いをさせて堪るか。さり気無く安城の柔らかい背中を叩いて、机から胸を引き離した。

「ん? おはよう。ってあれ? みんながいない! 次の授業、なんだっけ!?」

 安城は、まだ寝ぼけていた。

「もう放課後だぞ」

「ええっ! あ、そうだ。園嵜君が中々起きないから、私まで寝ちゃったよ」

 その理屈はおかしい気もする。

「早く行かなくちゃ」

 安城は急いで帰りの支度を始めた。ソフトテニス部なので、部活にでも向かうのだろう。

「ほら、園嵜君も」

「僕も? 女の子たちと一緒にボールを追っかけるのは、やりたいことなのだけれど、僕の運動神経知っているだろ? 全球空振りして、笑われるのが落ちだよ」

「なんのこと?」

 あれ? どうやら、部活の勧誘ではないようだ。まあ、そうだろうな。僕は男だし。

「約束したじゃん」

 果たして、僕は安城となにか約束をしたのだろうか。記憶力が悪いので、上手く思い出せない。そもそも僕は全てに対して適当なので相槌を打つように約束をしてしまったのだろう。

「なんだっけ?」

「今日、悪魔が出現するんだよ。だからヒーローが登場するかもしれないんだって。――来てくれるんだよね? こういうこと頼めるのは園嵜君くらいしかいないから……」

 わざわざ、悪魔が出現する場所に行くのは安城のようなヒーローマニアか、自殺志願者くらいだろう。だけれど、潤んだ目で懇願されたら断るわけにはいかなかった。

 今日が僕の命日なのかもしれない。

 


 ひび割れるような高音が夜空から聴こえた。夜空に微睡みを帯びた空間の歪みが生じ、星の位置がゆらゆらと揺らいでいる。

 これは、紛れもなく悪魔が出現する前兆だった。

 架空上の存在が現実の世界に出現し、災害をもたらす存在の事を人類は悪魔と呼んでいる。どういう原理で、空間がひび割れ、そこから悪魔が現れるのかは、未だに明らかにされていない。

 抉じ開けられた空間の穴から、一本歯の高下駄を穿いた足が出てきた。その巨人のような大足は、一目で力強さと重量感を感じさせられた。金剛杖が握られた皮厚き大きな手は、暴力の二文字を連想させる。長い鼻が目を引き、山伏の服装によって、怪物が神聖な存在までに昇華していた。

「ワシは龍を喰らいし、空を支配する天狗だ!」

 金剛杖をシャリンと鳴らして、天狗は怒鳴った。重くのしかかる声だった。

 まさか悪魔が現われるとは思っていなかったようで、多くの民衆は呆けていた。事態の深刻さが、よく分かっていないのだろう。

「お前らを殺しに来た」

 天狗のその言葉により「自分はなんとなく大丈夫だろう」という戯けた考えは覆され、民衆は身体が途端に震え上がった。

「はあっ!」

 天狗は羽団扇で横一線に引いた。それによって幾千にも乱れ組んだ風の壁が民衆に襲い掛かった。

 死んだ、と民衆は悟った。この疾風で死ぬのだ。

 走馬灯と、無残に死ぬ自分の姿が脳裏に過ぎった。

 しかし、次の瞬間――。

 天狗と民衆を嘲笑うかのように、漆黒の衣装と仮面で身を包んだ黒尽くめの男が、颯爽と現われた。黒尽くめの男は、手を払っただけ風の壁を相殺した。周囲は何事もなかったかのように傷一つついていない。

 黒尽くめの男はこう名乗った。

「黒の道化師ブラック・ジョーカー参上。――さあ、掛かってこい。これで、どちらが格上か理解出来ただろう?」

「戯け! わしは、空の支配者だ。貴様なんぞ全力で掛かれば、数瞬だ」

 天狗は翼を折り曲げ、直線的に迫ってきた。

 弾丸となった天狗を、黒の道化師は容易く片手で受け止めた。

 鼻から受け止められたので、天狗の鼻は酷く潰れてしまった。

「ぐうああああ! ワシの自慢の鼻に何をする! 許さんぞ。人間!」

 天狗は金剛杖で黒の道化師を薙ぎ払おうとするが、貧弱な腕で軽く受け止められてしまう。

 黒の道化師は反撃に転じた。金剛杖を握りしめ、一気に引き寄せた。そして金剛杖を持っていた天狗の腕に一撃をあたえ、関節ではないところで折曲げた。

 天狗は歯を噛みしめて、痛みに耐えている。

「ど、どういうことだ! 理屈に合わんぞ。貧弱なお前に、ワシが負けるなどありえん! お前、本当に人間なのか!?」

「ああ、人間だ。敢えて付け加えるならヒーローさ」

「ヒーロー?」

「悪魔を倒す正義の味方をヒーローと言うんだ!」

 黒の道化師は天狗に接近すると、筋肉でかためられた天狗の腹部に拳をめり込ませた。めきめきと軋みをあげながら、天狗はくの字に曲がった。

「がはっ。この小さな体躯で、考えらない威力だ。どうなっている」

「特別に教えてやろう。僕の能力の前では全ての真実は逆転する。天狗よ。お前は強すぎた。だから僕はお前に勝てる」

 黒の道化師は天狗の耳元で悪戯に囁いた。

「強すぎるから、ワシが負けるだと。ふざけるな!」

 天狗は岩のような手で、叩こうとするがやはりまた黒の道化師に止められてしまう。

「少しだけ痛いじゃないか。お返しだ」

 黒の道化師は拳を作り、天狗の腹部によれよれの一撃を与えた。ハンマーでも叩かれたような窪みが出来上がった。天狗の臓物は風船のように内部で破裂した。

「み、見事だ」

 血反吐を吐きながら、天狗は言った。滴り落ちる血は光となった。いいや、天狗自体が淡い光となって、崩れていく。

「ワシの身体はもう限界らしいな。まあよいか。――現世の空を飛べたのだ」

 そう言い残して、天狗は容を失くし完全に光となった。光は黒の道化師に吸収される。

「終わった」

 これで一件落着かと一息吐いたら、大歓声が上がった。

 ああ、と思った。

 ヒーローは悪魔を退治することだけが目的ではなく、民衆の歓声もまた励みとなっているのだろう。少なくとも黒の道化師はそうだった。

「園嵜君~。園嵜了君~。そ、の、さ、き、く~ん」

 民衆の大喝采を掻き消して、誰かが僕を何度も呼んだ。

 安城麻衣に頬を軽く小さな両手で挟まれて、はっとした。

 楽しい妄想の世界から、哀しい現実世界に引き戻された。

 都会のど真ん中に僕はいた。高層ビルが軒並み、見渡す限りの群衆でひしめいていた。僕もまた群衆の中の一人だと思うと、憂鬱になってしまう。

「なんでボーとしていたの?」

 安城は僕の頬を挟んだまま、つぶらな瞳で僕の腐りきった目を見つめてきた。

 ヒーローになった妄想をしていたからとは、口が裂けても教えられない。これは僕の秘かな楽しみだったのだ。ここは嘘を吐くしかない。小さな嘘は罪にはならないだろう。

「寝ていたのさ」

 夕日が落ちて、外は薄暗いので、丁度いい言訳だと自画自賛した。

「園嵜君って、立っていても寝れちゃうタイプか」

「まあね」

 肯定しておいたが、そんなやつは実在するわけがない。漫画でしかみたことがない。

「実は私もなんだよねー」

 ここにいました。

「だけど、こんな状況でよく寝られるね。私でも寝られないよー。早く始まらないかな」

 安城ははしゃいでいた。

 僕たちが都会にいるのは、近くに住んでいるからではない。ヒーローの追っかけをしているからだ。紅き鉄拳グレンが悪魔を退治するという情報を安城が入手したらしく、ヒーロー好き仲間である僕は誘われたのだ。まあ、すっかり忘れていたわけだが。

 周囲にいる群衆も、恐らく紅き鉄拳グレンを見に来ているのだろう。

 ――おおおお、とどよめきが上がった。

 空間が高音を発した。そして、液体のように形状を変えながら広がりをみせる。

「悪魔が現われるよ!」

 これは映画や漫画のワンシーンなんかじゃない。特撮ヒーローを撮っている訳でもない。ましてや、妄想でもなかった。

 黒の道化師は僕の妄想で創り上げたもう一人の僕なのだった。

 だけれど、能力をもったヒーローや悪魔の存在は偽りではなく、確固として実現している。

 薄暗かった都会が、炎で赤く染まった。まるで昼間のように明るい。そして熱風が押し寄せ、僕の肌を刺激する。反射的に、腕で顔を護ってしまった。

「紅き鉄拳グレン――参上!」

 紅き鉄拳グレンは決め台詞を吐いて、業火と共に、凛々しく登場した。

 僕は瞬きすることなく目を見開いて、ヒーローの輝かしい姿を直視していた。

 憧れと同時に、酷く羨ましいと嫉妬してしまった。

 ――人ごみの中で、自分は何をやっているんだろう。

 そんな虚無感に押し潰されそうになった。


***

 帰り際、チェーン店のレスロランで安城と夕食をとった。こういうところは慣れていないので、というか苦手なので小さく構えていた。子供連れや、女子高生たちで店内はうるさかった。

「グレン様、かっこよかったね!」

 うるさいのは僕たちも一緒か。お店に申し訳ないので、綺麗に食べて皿洗いは簡単にさせてあげようと、残っているご飯粒を箸でつまんだ。

 そうだね、と頷いたが僕はあまり覚えていなかった。戦闘シーンは目に映っていたのだけれど、焼き付いてはいなかった。小さな嘘は罪にならないと自分に言い聞かせた。

「そういえば、来週号のヒーロー週刊誌、読んだ?」

 安城は僕に訊いてきた。

「来週号?」と僕は訊きかえした。

「うん」

 どうやら言い間違いではないらしい。

「いいや。明日発売だから、まだ発売されていないよね」

「あれあれ? 園嵜君ともあろう人が、この情報を知らないの? コンビニだと、一日早く発売されているんだよ」

「そうなのか!」

 驚きで声が裏返ってしまった。僕は本屋で小説と一緒に買っていたので、それは知らなかった。コンビニ自体あまり行かない。いつも立ち読みをしている人がいるくらいの印象しかなかった。

「因みに、国家公認ヒーロー、紅き鉄拳グレン様の特集が組まれていたよ」

「おお、今日はコンビニに行こうかな」

 序にプリンでも買っておこう。

「ねえ園嵜君。こんな噂聞いたことある? 記憶を食らう悪魔が、最近この近くに出現するらしいんだよ」

「ん? それも雑誌に書いてあったのか?」

「そうそう。ネットでも噂が流れていてるんだ。記憶喪失者がこの一週間で、二十人を超したって書いてあって、精神年齢も記憶を失った時間まで遡っているんだよ。襲われた人は殆ど覚えていないようなんだけど、悪魔の姿を見たという人もいる。だから、これは悪魔の仕業だと言われているんだよ」

「ヒーローが何とかしてくれるだろ」

「そう願いたいんだけどね、ヒーローも何人か被害にあっているようなんだ。正体不明の悪魔がヒーローを襲ったから、雑誌の見出しはでかでかと『ヒーロー狩り』って書いてあった」

「うーん。それは大事だ。……ヒーロー同士の争いも起っているらしいし、いつかヒーローはいなくなるかもしれないな」

「悪魔がいる限り、正義のヒーローは滅びないよ!」

 そう言うと思った。

 だけれど、正義同士なのに何故、闘うんだろうか。もしかしたら、悪のヒーローでもいるのかもしれない。それか、もっと別の理由があったりしたりするのだろうか。



***

 安城とは住んでいる方向が反対なので、駅で別れた。

 膨れた腹を摩りながら、一人で家の近くのコンビニに寄った。

 案の定、立ち読みをしている人が居たので、空いているところに入り込んだ。今週号のヒーロー週刊誌があったので、胸を躍らせながら手に取った。パラパラとページを捲ると、紅き鉄拳グレンと大々的に見出しが書かれてあった。

「これは買だな」

 一冊六〇〇円。

 僕の小遣いは二〇〇〇円。

 週刊誌なので、僕の小遣いでは毎週買えないのだ。

 ヒーローに質問コーナーで『ヒーローになるためには』『能力に目覚めるには』という質問があった。

 僕はヒーローの答えをあえて読まなかった。

 これは家に帰ってからの楽しみにしておこう。

 ヒーロー週刊誌とデザートのプリンをレジで済ませ、コンビニから出た。道路沿いにコンビニがあるので雑音があちこちから聞こえる。音楽プレイヤーでもあったらいいのだけれど、僕は持っていなかった。自分の世界に閉じこもるのに、音楽を聴く必要はなかったからだ。

 そして、僕は心の中で呟く。

 ――さて、妄想でもするか。

 

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