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【完結】夫を始末しなければ、私が破滅してしまう  作者: 逆立ちハムスター


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「君が用意してくれたものなら、たとえ毒であっても喜んで飲み干そう」


ルファスは物騒なジョークを言いつつ、何の疑いも持たずに、楽しそうに一気にそれを飲み干した。

ゴクリ、と喉が鳴る。


(かかったわね……!)


私は心の中でガッツポーズを決めた。

直後、ルファスの手からクリスタルグラスが滑り落ち、床の大理石の上で乾いた音を立てて割れた。


「……っ? ル、シアナ……これは……」


ルファスの端正な顔から、みるみるうちに表情が消えていく。彼の身体はガタガタと微かに震えた後、完全に彫刻のように凝固した。

どさりとバルコニーの壁にもたれかかるようにして、ルファスはその場に崩れ落ちる。意識はあるようで、サファイアの瞳だけが激しく動いているが、声も出せず、指一本動かせない状態になっていた。


「ふふふ、大成功。これで動けないわね」


私は誰もいないバルコニーで、声を出さずにほくそ笑んだ。

さあ、あとはこの男を引きずっていき、バルコニーの手すりから下の「底なしの魔力池」へ放り込むだけだ。


私はロングドレスの裾をたくし上げ、ルファスの脇の下に手を差し込んで、思い切り上へと引っ張った。


「……ぬぐぐぐっ!?」


動かない。一ミリも動かない。

何これ、岩? 鉄の塊?

ルファスは身長百八十代後半の恵まれた体格であり、さらに日々の鍛錬によって全身が超高密度の筋肉で満ちている。麻痺して完全に脱力した成人男性の身体というのは、想像を絶する重さだった。前世でか弱い事務職、今世でインドア派の悪役令嬢である私の腕力では、彼を数センチ動かすことすら至難の業だった。


「嘘でしょ……! 重っ! ちょっと起きなさいよこの筋肉ダルマ!」


私が必死に顔を真っ赤にしてルファスと格闘していると、突如、バルコニーのカーテンの向こう側から貴族たちの話し声が近づいてきた。


「おや、公爵夫妻はバルコニーの方へ向かわれたのかな?」

「ぜひお声を掛けに行こう」


(マズい……っ!!)


私は心臓が跳ね上がるのを感じた。

今、この状態で誰かに見られたらどうなる?

動けない公爵と、それを必死に手すりから落とそうとしている公爵夫人。言い訳のしようがない完全な殺人未遂の現場である。さらに、周囲には他の貴族たちの目も多すぎる。このままでは池に落とす前に確実に見つかる。


「殺せなかった上に、ここで毒(麻痺薬)を盛ったことがバレたら終わりだわ……! ギロチンに直行しちゃう!」


私は大いに焦った。脳内アラートが最大音量で鳴り響く。

こうなったら暗殺は中止だ。最優先すべきは、この状況の隠蔽とアリバイ作りである。この場を切り抜けるために、私は即座に延命行動を起こすことにした。


私は大急ぎでルファスの身体をバルコニーのベンチに座らせ、まるで体調の悪い夫を支える殊勝な妻のポーズを取った。そして、カーテンを勢いよく開け、会場に向かって悲痛な声を張り上げた。


「誰か! 誰か来てください! 旦那様の持病が……急にお体の調子が悪くなってしまわれましたの!」


私の叫び声に、近くにいた貴族や衛兵たちが血相を変えて集まってきた。


「な、何ごとだ!? 公爵様が!?」

「申し訳ありません、皆様。旦那様は普段の激務と先日の魔獣討伐の疲れが溜まっていたようで、急に意識が朦朧と……! 私が付き添って、このまま馬車で邸へ帰ります! 国王陛下には後ほど失礼をお詫びするとお伝えください!」


私は涙ぐみながら、テキパキと周囲の人間を巻き込んだ。悪役令嬢としての演技力がここにきて火を噴く。衛兵たちにルファスの身体を担がせ、私は彼らに付き添う形で、大急ぎで夜会から途中退場(早退)した。


────


深夜。オブシディアン公爵邸のルファスの寝室。

ベッドの上で横たわるルファスに対し、私はこれ以上ないほど手厚い看病を施していた(正確には、使用人たちに命じて施させていた)。

額のタオルを頻繁に替えさせ、医師には「ただの過労です」と言い張って強い薬の処方を拒否した。変な薬を飲まされて麻痺薬の成分が検出されたら困るからだ。


看病の指示を終え、己の自室に戻った私は、ドアを閉めた瞬間にその場にへたり込んだ。

全身の震えが止まらない。


「終わった……。絶対にバレるわ。あんなに怪しい動きをしたんだもの。王宮の医師たちが本気で調べたら、あのワインから千日草の成分が検出されて……私は夫の殺害未遂で捕まって、断頭台行きよ……!」


ガタガタと歯の根が合わないほどの恐怖が襲ってくる。ゲームの破滅ルートが、すぐ目の前まで迫っているような感覚だ。

猶予はない。毒を盛ったことがいずれ露呈するのは時間の問題だ。国家権力が私を捕らえに来る前に、ここから消えなければならない。


「逃げるのよ……。とにかく、遠くへ……!」


私は狂ったようにクローゼットを開け、大きなトランクを引きずり出した。

逃亡用の支度を急いで始めなければならない。中に詰めるのは、最低限の着替えと、換金性の高い宝石類だけだ。ドレスなんて重いものは置いていく。

どこでもいい、この国の法が届かない隣国か、あるいは遥か遠くの辺境の開拓地へ逃げる。そこで偽名を使い、別人として人生をやり直すのだ。前世のOL時代の経験があれば、どこでだって会計係か何かで生きていけるはずだ。


「よし、これと、これを詰めて……」


必死の形相でトランクに服を叩き込んでいた、その時だった。


あまりの動揺と、慌てぶりに壮大に躓き、両手に抱えた服の山のせいで、そのまま、家具頭をぶつけてしまった。


────


「う、うぅ……」

深夜……にしてはやけに明るい。

しかし静寂の中に、信じられないほど静かで、滑らかな足音が響く。

急いで立ち上がるが、頭が痛い。


私は気にせず支度の続きを急いだ。


カチャリ、と背後のドアノブが回る音がした。


「ルシアナ、入るよ」


「……え!?」


私は心臓が停止するかと思った。

ありえない。千日草の麻痺薬は、通常であれば丸一日は効果が持続するはずだ。手厚く看病したとはいえ、まだ数時間しか経っていない。

それなのに……ルファスの狂人的な生命力と代謝能力は、魔界の麻痺薬すら数時間で完全に分解し、無力化してしまったというのか。


私は恐怖のあまり、持っていたはずの服を床へとポロポロと落とした。

ゆっくりと振り返ると、そこには完璧に体調を回復させ、相変わらず無駄に美しい顔に深い慈愛の笑みを浮かべたルファスが立っていた。


「ひっ……!」

私は絶望し、死を覚悟して目を瞑った。ついに、処刑される時が来たのだと。


しかし、私の予想に反して、ルファスは床に落ちた服を踏まないように近づくと、私の怯える両手を彼の大きな両手で優しく包み込んだ。

見上げると、彼の青い瞳には怒りなど微塵もなく、それどころか、感動のあまり今にも涙がこぼれ落ちそうなほどに潤んでいた。


「……すべて理解したよ、ルシアナ」


「……へ?」

私は間の抜けた声を上げた。理解した? 一体何を? 悪夢だったと勘違いしたとか?


「君があの夜会で、私に麻痺薬を飲ませ、なりふり構わず大急ぎで私を夜会から連れ出した理由が、ようやく繋がったんだ」

ルファスは私の手をギュッと握りしめ、熱っぽく語りかけ始めた。

「私を狙う恐ろしい暗殺の罠が、あの夜会の中に仕掛けられていたんだ。君は誰よりも早くそれに気づき、しかし周囲の耳目が多すぎて私に直接伝える時間がなかった。だからこそ、私に有無を言わせずあの場から連れ出すために、あえて悪者になる覚悟で麻痺薬を使い、私の命を救ってくれたんだ」


……はい?


「実際、私たちが夜会から帰った直後、王宮の会場で偽造書を持ったスパイが捕まったのだよ。そして、その裏で私を待ち伏せしていた逆賊どもが、近衛兵によって全員捕縛された。……ルシアナ、君が私を強制的にあの場から連れ出してくれなければ、私は今頃、彼らの狡猾な罠に落ちて死んでいただろう」


ルファスは感動に声を震わせ、私の顔を愛おしそうに見つめる。


「バルコニーで私を必死に動かそうとしていたのも、敵の目を盗んで私をあそこから救い出そうと、君の小さな身体で必死に抱きかかえようとしてくれていたんだね。……ああ、なんという献身さ、そして、なんという深い愛だ。君はまたしても、自らの手を汚してまで私を守ってくれた。この溢れんばかりの恩愛に、私は一生を捧げて応えよう。君を二度と離さない」


ルファスは私を強く抱きしめ、その胸に私の顔を埋めさせた。トランクの中にあった宝石たちが、虚しくきらめいている。


(違うのよおおおおおおおおおおお!!!!!)


私は心の中で、血の涙を流しながら絶叫した。


(私はただ! あなたを麻痺させてバルコニーから突き落としたかっただけなのよーーー!! なんで勝手に隣国のスパイが捕まってんのよ! タイミングが良すぎるのにも程があるでしょおおおおお!? というか、一体何事!?)


───


ルファスから丁寧に聞いた事の真相は、こうだった。

あの夜会には、敵国が送り込んだ、変装した給仕(内通者)が潜んでいたのだ。

その内通者は夜会中にルファスに近づき、「ルファスにとって親友である大商人との嘘の密会」を記した、精巧に偽造された重要文書を手渡す手はずになっていた。その密会場所こそが、暗殺部隊が待ち伏せしている地獄の罠だったのだ。


しかし、ターゲットであるルファスは、その重要文書を受け取る前に、言うまでもなく、私の手によって麻痺薬を飲まされ、夜会から「強制的に連れ去られて(早退)」しまった。


これにより、暗殺計画のタイミングは完全に狂った。

「標的が突然消えたぞ!? 計画が漏れたのか!?」と大いに焦った内通者は、会場内で不審な動きを連発。その挙動不審ぶりを会場の警備兵や王太子に怪しまれ、その場で身柄を拘束されてしまった。

捕らえられた内通者の懐からは「ルファス宛ての偽造重要文書」が発見され、そこから芋づる式に、街道で待ち伏せしていた逆賊の兵士たちも全員が一網打尽にされてしまったのである。


結果として、私の「力業の強制連行」が、敵の暗殺を根底から瓦解させる神の一手となってしまったのだ。


「ルシアナ、君の用意してくれたこのトランクは……そうか、万が一暗殺計画が防げなかった場合、私と二人で遠くへ逃げるための準備だったんだね。どこまでも健気な私の愛しき妻よ……」


ベッドの横で、私の逃亡用トランクを見つめながら、さらに勘違いを深めて目を細めるルファス。


私の四度目の暗殺計画は、夫のヤンデレ度を「国家の救世主たる妻への狂信」へと進化させるという、もはや笑うしかない大失敗で幕を閉じた。


(もうダメだ……この男、絶対に殺せない……。それに私はもう疲れてしまった……)


私は夫の腕の中で、完全に遠い目をして、なるようになれと悟ったのだった。

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