シャンデリア事件
翌日。
私は公爵邸の裏手にある、薔薇が咲き誇る美しい庭園のガゼボ(あずまや)で、死んだ魚のような目をして紅茶を飲んでいた。
「はぁ……どうしてこうなったの……」
昨日の今日である。屋敷中の使用人たちの私を見る目が、明らかに変わっていた。
以前は「性格の悪いワガママ奥様」を見る目だったのに、今は「自らの命を懸けて夫を救った、慈愛に満ちた聖女様」を見るキラキラした目に変わっている。
今朝なんて、メイド長が涙ぐみながら「奥様の深いご愛情に、私どもは感動いたしました。これからも公爵家をよろしくお願いいたします」と深々と頭を下げてきたのだ。
違う。私はこの家(呪縛)からオサラバしたいだけだ。
「毒はダメね。不確定要素が多すぎたわ。まさか、あの男が解呪の毒を必要とする病気だったなんて、攻略のどこにも書いてなかったわよ……」
ブツブツと文句を言いながら、私は計画の練り直しを図っていた。
錬金術(毒)がダメなら、物理である。
事故。そう、あくまで悲惨な事故に見せかけて、重力という絶対的な物理法則の力を借りるしかない。
私の視線の先には、現在、屋敷の西側で建設が進められている巨大なガラス張りの大温室があった。
今日の午後、ルファスはあの温室の視察に行く予定になっている。当然、「妻として付き添いたい」と申し出て、私も同行する手はずだ。
あの大温室の中央には、吹き抜けの天井から、巨大で重厚な青銅製のシャンデリアが吊り下げられている。重量は軽く数百キロはあるだろう。
「あのシャンデリアの留め具……あらかじめ私がヒビを入れておいて……彼が真下を通った瞬間に、衝撃を与えて落とす」
ルシアナは微力ながら『土属性』の魔法が使えた……はず。金属の接合部を劣化させる程度のことは、触れずとも可能だ。
数百キロの青銅の塊が頭上から落ちてくれば、いかにルファスが常人離れした身体能力を持っていようとも、ペシャンコである。確実な即死だ。
よし、これで行こう。
私は暗い闘志を燃やし、午後の視察に向けて準備を進めた。
午後。
太陽が西に傾きかけた頃、私とルファスは建設中の大温室を訪れていた。
「足元が悪い。気をつけてくれ、ルシアナ」
ルファスは甘い、砂糖を吐きそうなほどに優しい声で私に手を差し伸べてきた。
昨日からずっとこの調子だ。彼が私を見る目は、まるで壊れやすい宝物を愛でるかのよう。そのギャップに鳥肌が立ちそうになるのを必死に堪え、私は「ありがとうございます、旦那様」と淑やかに彼の手を取った。
大温室の内部は広く、美しいガラスの天井から陽光が降り注いでいた。
そして、その中央。
私の狙い通り、巨大な青銅のシャンデリアが吊り下げられている。私は昨晩のうちにこっそり抜け出し、天井の留め具の金属に魔法で深刻な劣化を施しておいた。あとは、ほんのわずかな魔力の衝撃を与えるだけで、留め具は砕け散る。
「素晴らしい温室になりそうですわね」
「ああ。君が薔薇を好むと聞いて、特別にこの温室の半分は薔薇園にするよう命じてある。君の美しい髪色に似合う、真紅の薔薇を世界中から集めさせよう」
「まあ♪(どうでもいいから早くシャンデリアの下に行け)」
私は彼を巧みに誘導し、温室の中央へと歩みを進めた。
あと五歩。四歩。三歩……。
ルファスが完全にシャンデリアの真下に入った。今だ!!
私は彼の手を握ったまま、気づかれないように足元から微小な土魔法の魔力を天井に向けて放った。
パキンッ!!
という、鋭い金属が弾ける音が温室内に響き渡った。
直後、ギギギ……と不吉な音を立てて、数百キロの青銅のシャンデリアが天井から剥がれ落ちた。
巨大な質量が、凄まじい風切り音と共にルファスの頭上へと落下してくる。
(やった!! 今度こそ確実よ!! 未亡人スローライフ、万歳!!)
私は彼から離れるため、わざとらしく「きゃあっ!」と悲鳴を上げて後ずさろうとした。
しかし。
私が離れるよりも早く、ルファスは私の腰を強引に抱き寄せ、自らの身体で私を庇うように覆い被さったのだ。
「ルファス様!?」
「危ないッ!!」
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!
鼓膜が破れそうなほどの轟音と共に、温室の床が激しく揺れた。
凄まじい土煙と、粉々になった大理石の破片が飛び散る。
私はルファスの腕の中で、目を固く瞑った。
……あれ? 潰されていない。ルファスも、私も。
恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
落下した巨大なシャンデリア。それは、私とルファスの立つ場所から、わずか数十センチずれた場所に突き刺さっていた。
いや、ずれたのではない。
シャンデリアの下敷きになり、無惨に潰されている『何か』があった。
「な、何だあれは……!?」
護衛の騎士たちが駆け寄ってくる。
シャンデリアの下敷きになっていたのは、黒装束に身を包んだ男だった。男の手には、禍々しい紫色の毒が塗られた短剣が握りしめられている。
「ルファス様! ご無事ですか!」
「ああ。俺は無事だ。……これはアサシンか?」
ルファスが冷静な声で問うと、騎士の一人が男の死体を検分し、青ざめた顔で報告した。
「は、はい! 装備から見て、隣国ゾル帝国の暗殺部隊『黒の牙』の者のようです! おそらく、温室のガラス屋根の骨組みに潜み、ルファス様が真下を通った瞬間に上から飛び降りて、首を掻き切る気だったのでしょう!」
「何だと?」
「しかし……信じられません。暗殺者がルファス様に向けて飛び降りた、まさにそのタイミングで、頭上のシャンデリアの留め具が自然崩落し……落下するシャンデリアが、空中にいた暗殺者を直撃して床に叩き潰したのです。もしシャンデリアが落ちてこなければ、ルファス様は暗殺者の凶刃に倒れていたかもしれません……!」
……は?
……はああああああああああああ!?
ちょっと待って。状況を整理させて。
温室の屋根裏には、たまたまルファスの命を狙う不可視魔法纏ったプロの暗殺者が潜んでいた。
暗殺者が飛び降りてルファスを殺そうとした、そのドンピシャのタイミングで、私がシャンデリアを落とす魔法を発動させてしまった。
結果、私が落としたシャンデリアはルファスではなく、空中の暗殺者をハエ叩きのように叩き潰し、ルファスの命を救った。
こんなクソみたいな奇跡、ある!?
「ルシアナ……」
ハッとして顔を上げると、ルファスが、昨日よりもさらに感極まった、熱を帯びた瞳で私を見下ろしていた。
「ま、まさか……君は、俺の頭上に暗殺者が潜んでいることに気がついたのか……!?」
「えっ!? いや、あの、それは……」
「そして、俺が暗殺者に狙われた瞬間に、自らの魔力を使ってシャンデリアの留め具を破壊し、俺を暗殺者から守ってくれた……。あえて俺をこの場所に誘導したのは、暗殺者を誘き出し、一網打尽にするための君の計算だったというのか……!?」
ルファスの声が震えている。
周囲の騎士たちも、ハッと息を呑み、私に向かって尊敬と畏怖の眼差しを向け始めた。
「奥様……! この留め具の土魔法の痕跡……魔力探知でも見抜けなかったゾル帝国の暗殺者に気づき、あのような咄嗟の判断で旦那様を……! なんという観察眼、なんという胆力!」
「やはり奥様の旦那様への愛は本物だったのだ! 自らの身の危険も顧みず、囮となって旦那様をお守りするとは!」
「違う! ちっがーう!!」
私は心の中で血の涙を流しながら絶叫した。
私はただ、純粋に、物理的にこの男を圧死させたかっただけなのに!! なんで暗殺者なんかが湧いて出てくるのよ!! タイミング悪すぎるでしょ!!
「ルシアナ……」
ルファスは私の両手を恭しく包み込み、その手の甲に、深々と口付けを落とした。
「俺のために、そこまで……。俺は、君という女性を妻にできたことを、誇りに思う。いや、君は俺にはもったいないほどの素晴らしい女性だ」
「だ、旦那様、あの、誤解ですわ……本当に、ただの偶然で……」
「謙遜しないでくれ。君のその深い愛と知略、俺のすべてを懸けて必ず報いると誓おう。ああ、愛しい俺の妻よ……」
ルファスは皆の前であることも憚らず、私を強く抱きしめ、私の髪に何度も口付けを落とした。
周囲からは、騎士たちの「おお……!」「なんという美しいご夫婦愛……!」という感動のどよめきが上がっている。
(終わった……)
私は彼の腕の中で、完全に真っ白に燃え尽きていた。
毒殺を企てれば、不治の病の特効薬に。
圧死を企てれば、プロの暗殺者を撃退するファインプレーに。
どうして私の完璧な暗殺計画は、こうも彼を助け、彼の好感度を爆上げする結果になってしまうのか。
フラグの強制力? それとも、私の運命の星回りが絶望的な時空なのか?
「ねえ、ルシアナ。今夜は、君の部屋に行ってもいいだろうか? 君に伝えたい愛の言葉が、山のようにあるんだ」
「…………頭が痛いので、遠慮させていただきます」
耳元で囁かれる極上の甘い声に、私は死んだ声でそう返すのが精一杯だった。
ルシアナ・フォン・オブシディアン、前世は限界OL。
破滅ルート回避のため、未亡人スローライフを目指して夫の暗殺を決意するも——。
私の行動はすべて裏目に出て、なぜか『冷酷無比な氷の公爵』を『妻を溺愛する忠犬』へと変貌させてしまったよう……。
私の平穏なスローライフは、一体どうなってしまうのか。
……とりあえず、明日は階段から突き落としてみようかしら。でもそれじゃあ即死は無理よね……。




