7.キスと階段と未来
私は今日もひたすら階段を上る。
今更ながら、見上げると凄い高いよね……。
やっぱりスカイツリーどころじゃなかった。ごめん舐めてました。
さて、どのくらいぶりだろう。
足腰に負担をかけるのは久々で、慣れたつもりだったのに意外と結構キツイ。
いや本当に、あの頃は随分と肉体を酷使してたんだなあ。
ずっと必死で気づかなかったけど、思い返すと体力的には相当無茶をしている。盲目的でもその場凌ぎでも、目標がなければきっと継続はできなかったと思う。
もちろん多少しんどくても、私は再び行かなければならない。
何故なら私はまだ果たしていないから。
カルロとの約束――つまりは過ぎた望みの代償を払うためだけに、一見するとどこまでも続くかのような、この果てない螺旋を上るのだ。
+ + +
「ああ、来たのか、アマーリエ」
「萎びた花でももう少し愛嬌がありそうなものだ。貴様の不景気面はまったく変わらないな」
「……」
久々に顔を合わせたカルロは、憎らしいくらいに平常運転だった。
この男、実は祖国がいったん沈静化したら、私を置いて単身で塔に帰ったんだよね。殆ど前触れもなく、風のような素早さで。
言い残した言葉は唯一「飽きた」だった。
何そのマイペースっぷり。
まあ、おそらく大賢者介入の噂が広まって、有象無象がやいやいと集まってくるのが鬱陶しかったのもあるのだろう。
一緒に来いとも後から戻れとも言われなかった私は、正直途方に暮れた。
確かにもう少し故郷にいて、成り行きを見届けたかったのはある。ロベルト殿下が処断されて多少は溜飲が下がったけれど、中央の情勢なんて簡単に変わる。まだまだ油断はできないと思っていた。
正直に言えば、カルロに対価――自分の生命を捧げる前に、ちょっとだけこの世界に未練があったのは認めよう。
ただ、何だかなあ……。
カルロは私が逃げる可能性を全然考えなかったのかね。いや、別にそんな気は全然ないけれども。
そもそも大賢者様からの逃走なんて無理ゲだし、万一叶ったとしても、代わりに祖国の者がどう扱われるのかわからない。私がそう判断するのも全部読んだ上での置き去りなんだろうな。
仕方がないので、とりあえず私も隣国――塔のある彼の街に向かうべく旅路についた。国内の混乱の影響もあってか、出国ルートは比較的容易に確保できた。
一月も要さずに、私は隣国へと渡った。
あとは特筆すべき点は何もない。手持ち資産を概ね整理して隣国の親戚に委ねてから、私は再び塔に上る決意をした。
とまあ、わりと悲壮な覚悟だった気もしたのだけれど……少し時間を空けようが距離を空けようが、カルロはまるで変化がなかった。その姿を目の当たりにしたら、私は微妙に拍子抜けしてしまったのである。
「しかし凡人とは不便なものだな、アマーリエ。行動も遅い。陸に上がった海亀の方がまだマシな動きをするだろうよ」
それどころか憎まれ口にすら今は安堵を覚える。我ながら重症かもしれない。
「まあいい。ようやく出発できる」
「?」
「では行くか」
「???」
――はい?
突拍子もなく告げられて、私は面喰らう。
え、えーと?
どうしてこう……こいつの発言は脈絡の欠片もないのかね。
行くってどこにデスカ。
それに言い回しからすると、私も伴うってことなのだろうか。
「しばらく塔を引き払う」
「!?」
カルロはあっさりと言った。
引き払うって……え、引っ越しするってこと?
そういえば心なしか雑然としてた部屋が殺風景になってるような。
「今日は気候もいいことだしな」
怪訝そうに眉を顰める私に、カルロは買い物にでも出掛けるかのような軽い口調で続けた。
「海でも渡るか」
私は口を半開きにした間の抜けた顔でカルロを見上げた。
「何を呆けている?」
いやいやいや……ごめんなさい、意味がわからない。ついていけないよ。
「旅に出るだけだ」
「……?」
察しの悪い私を諭すように、言い含めるかのように、カルロは言葉を付け足す。
「アマーリエ、貴様は世界を知らな過ぎる。出自を考えれば無理もないがな。まあこれから少しは学ぶといいさ」
カルロはつかつかと私の前に歩み寄ると、無造作に旅用のローブを被せてきた。
「狭い範囲だけで生きていたから、ああも蒙昧で愚鈍になったのだろうよ。三年も階段を上り続けなければ、己が固執する対象ひとつ整理できんとはな」
「……」
散々な言い草だけれど、確かにあのとき自分自身でも持て余していた感情を指摘されたに過ぎず、私はぎゅっと唇を噛んだ。
「だから貴様に世界を見せてやる。正直なところ、俺は幾多の人生を経て、この世界の隅々まで知っているから、今更旅をする必要もないが……」
カルロの手がローブ越しの肩に置かれる。
「貴様がいるならそれも愉しかろうと思ってな」
――私が? なんで?
何を言っているのか、やっぱりよくわからない。カルロが言うこともやることも唐突過ぎて、私はいつも翻弄されるばかりだ。
そもそもカルロは祖国で手助けしてくれる代わりに、私の生命を求めたんじゃあなかったのか。
いったい何がどうなって、一緒に旅する話になってんの?
疑問の答えはすぐさまカルロの口から語られた。
「言ったはずだ、アマーリエ。貴様の未来を差し出せと。それは何も命を獲ろうという意味ではない」
「……?」
「ああ、そうだな。だが捉えようによってはただ死ぬよりも不運かもしれん」
カルロの右手は戸惑う私を捕まえるべく、首を絞める仕草で喉元へと自然に動く。白い指は更に下へと移動し、私の左胸の真上で止まった。
「……貴様の」
「魂に呪を刻む」
瞬間、ひやっとした感触が肌を這った。同時に淡い銀の光が文字と特殊な紋様を描いては消える。
私は為す術なく己の身に――いや、カルロの科白から取れば魂に施されていく魔法を見ていた。
痛みはない。
恐怖もない。
ただ生々しさだけが在った。
カルロ――大賢者様。
何を、……考えて、いるの。
「……っ」
やがて弾けるように呪法は完了した。
「わかるか、アマーリエ」
どくり、とカルロに触れられた場所の下で心臓が蠢く。心音が自分の耳に響く。
わからない、全然わからないけど……絶対何かヤバイのだけはわかる。本能が警告した。と同時に逃れられないという事実も悟っていた。
私はいったい何に縛られたのか。
見上げた先のカルロの瞳に仄暗い愉悦を認めて、更に心拍数が上がる。本当はその歪みには気づいたらいけなかったんじゃあないか。手遅れ感が半端なかった。
「この先……未来永劫、何度生まれ変わっても、貴様は俺のものだ。俺が転生を果たす限り、貴様も必ず俺の傍に生まれ直す。そういう呪いだ」
カルロの微笑みは酷く満足気だった。
私の顔は、多分蒼白になっていた。
想像して然るべきだったのかもしれない。考えてみれば絶対にまともなはずがなかった。十回も生まれ変わって、六百年も人生を繰り返してた男の内面なんて。
孤独とか死とか痛みとかを数え切れないくらい経験していたら、絶望的なほど精神が病んでいても無理はない。
助けてもらったし、結構良識のある言動も少なくなかったから、実はいい奴で、表向きは兎も角も根っこの部分――人柄をいつの間にか信頼していた。
今も悪人とは思ってない。もちろん感謝の念はある。でも。
「拒むな、アマーリエ」
カルロはほんの僅かに、いや微かに、困ったような表情をした。珍しい。いや、初めて?
……何それ。
突然そんな普通の男みたいな態度を見せるなんて、反則じゃないだろうか。大魔法使いのくせに。大賢者様のくせに。
「言ったろう。俺でも女に惚れることがあると」
「!」
滑り込んできた口付けは、掠めるだけの軽いものだった。
にも拘わらず、伝わる気持ちは酷く切ない。半端なく重い。こんなのは……ただのキスじゃない。
怖い。
熱い。
なのに。
……甘い。
「アマーリエ、貴様は愚かだ」
馬鹿だと言われるのはすでに何度目かわからない。けれど声音に少しも侮蔑が滲んでおらず、私は困惑した。以前にもこの瞳を見た。深く、熱っぽい紫色――。
カルロの両手が知らないうちに私の頬を包む。
私は動けない。
恐怖ではないに何かに震えて、身動きができないでいる。
「もどかしいものだ。貴様は逃げてきたくせに過去ばかり追いかけていたな。未だ変わらず後悔に囚われたままか?」
「まったく腹立たしい。いつまでかかる。いつまで待たせる。貴様の未練、貴様の妄執、貴様の呪縛、貴様を縛るすべて――」
吐息がかかるほど近い位置でカルロは囁く。
「気に障る」
私は辛うじてまだ立っていた。でも、もう限界が近い。どうしよう。どうしても呑まれてしまう。
「いったい貴様はいつになったら俺だけを見る?」
「――……」
絶句した。
意味が、わからない……訳じゃ、ない。
何度も何度も繰り返し脳裏を巡っては打ち消していた可能性を、私は今度こそ受け止めなければならなかった。
カルロは――私を。
同時に私も自覚する。
自分が葛藤の中で抱いていた想いを。
袋小路の果てで、見つけてしまった本心を。
「貴様を寄越せ、アマーリエ」
カルロは強い眼差しで私を見つめる。
視線だけで痛い。
ああ、本当にもう私は。
私は――。
「口付けを――寄越せ」
常ならば強引に奪うのも厭わないカルロが、このときだけは私の返事を待った。
声の出せない喉がこくりと動く。
私はそっと踵を上げて、長身の相手に届くよう背伸びをした。
◇ ◇ ◇
「――……」
遥か上方から広がる街並みを観ていた私は、自分が意識を飛ばしていたことに気づき、はっと顔を上げた。
「……?」
――夢?
手に持っていたスマホで現在時刻を確認するが、何秒も経っていない。どうやら数瞬の間だけぼうっとしていたらしい。
白昼夢――だったのだろうか。何だか不思議な気分になって、私は首を傾げる。
妙な感じだ。変な話だが、まるでつい先程、ひとりの女性の人生を丸々経験してきたような違和感がある。
ふわふわした感覚から抜け切れず、私はゆっくりと頭を振った。自分の立ち位置を確認する。
ここは東京都墨田区、スカイツリーの展望台だ。私は修学旅行で見学に訪れた学生で、それ以上でも以下でもない。
……ないはずだった。
なのに、この記憶は何だろう。
私は混乱する。
どう考えても自分の人生では遭遇し得ない、あり得ない情報が脳内に溢れる。夢の中の他人の記憶、私でない誰かの一生。
――前世。
そんな単語が急に浮かんだ。
いやいやいや。
あまりの阿呆らしさに自ら突っ込みを入れて、私は再び首を左右に動かした。
いくら何でも荒唐無稽に過ぎる。誇大妄想、厨二病にも程がある。
――でも、だとしたら何故。
思考の裏からもうひとりの私が疑念を露わにする。眼下の景色を遥かに眺めながら、どうして自分はこんな風に思うのだろうか、と。
ここはスカイツリーだ。
日本でも有数の高さを誇る人工建造物に対して、私は何故こうも不遜な感想を抱くのか。
――大して高くない……なんて。
「……大した高さではないな」
不意に――私の考えを読んで被せるかのように、ごく近くで声が聞こえた。
驚いて振り返ると、いつの間にか至近距離に立っている人物がいた。誰だろう。知らないひとだ。
見覚えのない若い男――服装からすると同じ修学旅行生――は、失礼にも私の顔を見て鼻で嗤った。
――何、こいつ。
ムカついてとっととその場を去ろうとしたけれど、それは叶わなかった。
その見知らぬ他校生が、いきなり私の腕を掴んだからだ。
「!?」
突然の暴挙に私は戸惑う。
彼は強い力で私を放すまいとしていた。
非難を込めて睨み付けようとしたら、私を見つめる真剣な瞳を正面から受けてしまった。
どくり、と心臓が早鐘を打つ。
初めてではない感覚が私を襲う。
何? 何なの。
いったいこのひとは、何なのか。
――だって知っている。憶えている。
もうひとりの私が囁く。
彼を……あの瞳を知っている。
鼓動の正体を、知っている。
人目を気にしたのか、揺れ動く私の胸中を察したのか……いや、おそらく後者の理由で、彼は腕の力を緩めた。
そうだ、彼はいつだって誰の思惑も気にしない。今もただ私の反応だけに興味を抱いて、面白そうに笑っている。
「……また会えたな」
睦言よりも甘く、告白よりも真摯に、彼はぽつりと誰かの名を口にした。
私は……何を言うこともできなかった。
<完>
ありがとうございました