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山下緋紗子の人生を笑うな  作者: 佐伯琥珀
第3章 山下緋紗子になりたい
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21 山下翔




[21 山下翔]





 昨日の失言をまだなんとなく引きずりながら、俺は今日もお嬢様の斜め前を歩いていた。

 冬も本気を出してきたようで、セーターのすそをほんの少し俺は伸ばす。


 校門まで続く石畳。お嬢様のローファーがことこと、とすれる音がやけに耳につく。

 夕焼けが何となく良い感じに俺たち二人を照らしていて、うん。なんかこんなのもいいかも。なんて思っていた時だった。


 昨日の女性が俺達の少し前に立っていた。

 あー、やばい。ダルい。なんて思いつつポケットに手を突っ込みながら進んでいく。勿論「山下くん」とその女性は俺を呼ぶ。


 黒髪のツインテールに、ぱちっと開いた目。普通に可愛いんだけどなーなんて横目でちらと見ながらその人を無視して横を通り過ぎていく。

 今度俺の名前を呼んだのはその人ではなく、俺の斜め後ろを歩くエミカお嬢様であった。



「翔ちゃん、無視しちゃダメだよ……」

「良いですって、もう早く帰りましょう」

「山下くん待って……」


 お嬢様、こんな奴に構うなよ!と心の中で悪態をつく。

 しかしエミカお嬢様が後ろから俺の鞄のひもをぐっと引っ張っている。


 ……もうこの人の話聞くの勘弁なんだけど。

 昨日の事を思い出して大きくため息をつく。お嬢様がどうにもこのまま帰してもくれなさそうなので、その人の顔をじっと見た。マフラーに少し顔がうずまっていて、あー、俺も今日マフラーしてきたら良かったなーなんて思いながら。



「山下くん、やっぱり私好きです……」


 そう言うと斜め後ろに居たお嬢様は「ひぇえ」と何故か声を漏らした。俺がばっと顔を見ると、口の前に手をやった。邪魔してごめんなさい、という事だろう。



「……ねぇ俺もう何回言えば良いわけ? 誰かと付き合ったりとかしないから」

「でも……」

「もうマジで勘弁して、いい加減しつこい」


 そう言うと、斜め後ろに居たお嬢様がどん、と背中を叩いた。「翔ちゃん言い過ぎ」といういつものやつだろう。

 昨日だけじゃない。もう何回も断っている。まるで俺がオッケーと言うまで繰り返されるゲーム内のイベントのような、そんな気分。


 ……もういい加減断るのも面倒になってきた。そんな風に思いながら今日はなんて言おう。と思っているとお嬢様が口を開いた。



「あ、あのごめんね。今なんか翔ちゃん機嫌悪くて……あはは、え、エミがさっきしょうもない話ずっとベラベラしてたからかなぁ……」


 なんでわざわざ律儀にフォローなんか入れてくれるかな。

 お嬢様はほんとに優しすぎる、なんて思いながら俺がまた口を開こうとした時、先に言葉を発したのは目の前の女の人だった。



「……みんな、みんな言ってる。朝比奈さんが山下くんに『誰かと付き合っちゃだめ』って言ってるって。だから山下くんは誰かと付き合わないんだって……。山下くんは、朝比奈さんに逆らえないし……」


 俺の口は「は?」と漏らしていたらしい。

 自分の表情がどんなのだったかなんて鏡を持ち合わせていなかったから知らないけど、次に俺と目があった時、その女性は肩をびくっと揺らした。



「あのさ、なにその話? しかもこの人が居る前でそんな話する?」

「でも皆言ってるもん……」

「ふーん、皆言ってたらオッケーなんだ。凄いね」


 多分、その人は泣いていた。でも俺はそれ以上何も言いたくなくて、ざっと歩き始めた。

 エミカお嬢様も俺も、他の人と特に接点がある訳ではない。だからそんな噂が一人歩きしていたのだろう。


 やば、すごいムカつく。緋紗子と喧嘩した時もムカつくけど、それよりもずっとひどいムカつきようだった。

 すたすたと歩いていく俺を「翔ちゃん!」とお嬢様が呼び止めたのは校門近くだった。


 後ろを振り返れば、お嬢様が少しはにかんだ。



「翔ちゃん、エミ、影踏んだから動いちゃだめだよ」


 俺の長く伸びた影の頭部をお嬢様が踏んでいた。

 かげふみなんて、小学生かよ。



「翔ちゃん、さっきのは言い過ぎ」

「……お嬢様って、ほんとなんていうか……分かってます? 悪く言われてるの俺じゃなくてお嬢様なんですよ?」


 頭を少しかいた後にそう言う。

 お嬢様はまた笑った。今度は困ったように。そして「うん、分かってる」とそう答えた。

 ほんとならあそこでキレていいのはお嬢様なのに。「エミそんな事言ってないもん!」なんて暴れても良いレベルなのに。



「エミ、嫌われ慣れてるから大丈夫だよ。でも、翔ちゃんまで嫌われるような言動取る必要ない。エミのせいで、翔ちゃんが嫌われるなんて、エミはいや」


 嫌われ慣れてるって、と突っ込みかけてぐっと言葉を飲み込んだ。

 確かにお嬢様は嫌われやすいし、勘違いされている。

 ただ、何となくもうそれが「運命だから」とあきらめきったような、そんな表情で俺を見るのだ。



「エミって、ほんとに翔ちゃんに迷惑かけてばっかりだね」

「……そんな事ない」

「翔ちゃん。翔ちゃんはエミの専属使用人だからそう言ってくれるんでしょう」


 そんな事ない、とすぐに答えれなかった自分が憎い。

 お嬢様は自嘲気味な笑みを見せた。



「ヒー子とお兄様と違って、エミと翔ちゃんの関係はビジネスだもん」

「……そんな事ない」

「……翔ちゃんは優しいね」


 俺は優しくなんかない。優しいのはむしろお嬢様の方じゃないか。

 カルト緋紗子の発言にも怒らないし、さっきの発言にも怒らない。

 俺なんかよりもずっとずっと、お嬢様は優しい。



「エミ、これ以上翔ちゃんに迷惑かけるのはイヤだなぁ」

「迷惑なんか思ってません」

「……ありがとう。でも、エミはこれ以上翔ちゃんの『人生』を邪魔したくないよ」


 お嬢様の、目元が少し夕日に照らされて光っていた、そんな気がする。

 俺が何も言えないで黙っていると、お嬢様はまた口を開いた。



「エミ、また留学しようかなぁ。次はカレーを一杯食べたいからインドとか」

「……そんな事言わないでください」


 留学なんて行くな、とほんとは言いたかった。

 どんな事を言われても俺は気にしないし、お嬢様も俺の事なんて気にしなくていい。

 お嬢様がイヤな風に言われてたら、俺が今日みたいにいつだってブチ切れしてあげるから。そう言いたかったのに。


 お嬢様は、すっと歩きだして俺の横を通っていく。

 お嬢様独特の甘い匂いが鼻をかすめた時、お嬢様が小さく呟いた。



「ごめんね、エミ我儘ばっかだ。でも、今日は一人で帰る。ごめんね」



 ごめん、とまたお嬢様が呟いた。

 小さな背中をぼんやりと見る。エミカお嬢様の心境を思うと胸が痛んだ。



 もうお嬢様は俺の影なんか踏んでいないのに、その場から俺は動けずに居た。





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