表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選ばれなかった俺たちが、学園崩壊で“選ぶ側”になるまで  作者: 孔雀丸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/12

第三話「最初の血」

第三話「最初の血」をお届けします。


ここから物語は、一気に“日常の外側”へ踏み込みます。

これまでの違和感は、もはや予兆ではありません。現実です。


守るべきものが壊れたとき、人は何を選ぶのか。

そして、何も持たない者が“それでも進む理由”とは何か。


少し重い内容になりますが、ここが物語の核です。

どうか最後まで見届けてください。

 一

「……音がない」


 北潟慎悟(きたがたしんご)は、校門をくぐった瞬間に足を止めた。


 毎朝そこに立っているはずの声が、消えている。


 滝俊彦(たきとしひこ)の怒鳴り声が、どこにもない。


「何が?」


 隣を歩く友紀が首を傾げる。


 慎悟は答えなかった。


 ただ、首の後ろの産毛が立ち上がっていた。


 生活指導教師・滝俊彦。生徒たちが陰で「学園のガーゴイル」と呼ぶ男だ。服装の乱れを鷹の目で仕留め、言い訳を一切受け付けない。三日前、雨に濡れて校門をくぐった慎悟に、無言でタオルを叩きつけてきた。そして「風邪ひくぞ」とだけ吐き捨て、背を向けた。


 怒鳴り声しか持っていない男。


 その男が、今朝はいない。


 代わりに立つ若い男性教師は、顔が蒼白で、腕時計ばかり気にしていた。挨拶の声が上擦っている。


 廊下に踏み込んだ瞬間、生徒たちの囁きが粘着質な糸のように耳に絡みつく。


「パトカー、見た?」


「裏門のフェンス、ひしゃげてたって」


「鉄の匂い、ヤバくない?」


 一年一組の教室に入ると、空気が泥のように重かった。いつもの笑い声より、不安の匂いが勝っている。


「よう、慎悟」


 柿原翔一(かきばらしょういち)が、机に腰掛けたまま声をかけてきた。口元は軽く笑っているのに、瞳孔が開いている。


「朝練で軽音の奴らが言ってた。裏門が半開きだったって。普段は南京錠がかかってるのに、引きちぎられてたって」


 身を乗り出す。


「生臭いんだとよ。鉄錆みたいな匂いがするって」


 背筋を氷の刃がなぞった。


「職員室も空だった」


 熊坂健太(くまさかけんた)が、地響きのような声で割り込む。


「電話が鳴りっぱなし。先生たち、全員裏門に走ってった」


「俺、見てくる」


 翔一が立ち上がろうとした。


「座れ」


 慎悟は翔一の肩を上から押さえつけた。


「なんでだよ」


「喰われるぞ」


 理屈ではない。細胞レベルで警鐘が鳴っている。翔一の顔から、みるみる血の気が引いた。


 窓際で、山室綾実やまむろあやみがタロットカードを静かになぞった。


「『塔』。崩壊。予期せぬ破滅」


 誰も笑わなかった。


 予鈴が鳴る。いつもなら吉崎が黒いノートを持って現れる時間だ。


 扉は、開かない。


 廊下を駆け抜ける大人たちの乱暴な足音だけが、教室の静寂を削り取っていった。


 二

 一時間目は自習になった。


 教頭が脂汗で顔をテカらせながらプリントを叩きつけ、「吉崎先生は急用だ」とだけ吐き捨てて逃げるように去った。誰とも目を合わせなかった。


「警察、来てる」


 スマホを隠し持っていた生徒が息を呑む。


「制服じゃない。白い防護服のやつらだ」


「救急車は?」


 瓜生翼(うりゅうつばさ)が問う。


「来てない」


 慎悟の一言で、教室の酸素が薄くなった。


 警察が来て、救急車が来ない。


 急ぐ必要のない肉塊が、そこにある。


「……慎悟くん」


 隣の坪江南海(つぼえみなみ)が、震える指で袖を掴んできた。


「朝、保健室に寄ったの。鍵、かかってた」


 絶対に遅刻しない養護教諭の不在。


 誰も何も言わなかった。


「……血だ」


 熊坂健太が、鼻をヒクつかせる。


「風に乗ってきてる。土と、大量の鉄の匂いだ」


 園芸部で土を嗅ぎ分ける男の、静かな宣告だった。


 昼休み前、スピーカーがノイズを吐き出した。


『清王学園高校の生徒諸君』


 全員の呼吸が止まる。


『今朝、本校教諭の滝俊彦先生が、校内で亡くなられているのが発見されました』


 短い悲鳴。直後、ブツッという切断音が鼓膜を殴る。


 窓の外では、隣接する中学校からサッカーボールを蹴る音が響いていた。


 ここだけが、世界から切り離されていた。


 慎悟は息を止めた。吐けば、何かが壊れそうだった。


 濡れたシャツ。投げつけられたタオル。「風邪ひくぞ」と背を向けた、あの不器用な背中。


 もうない。


「……誰が」


 友紀の喉から、ひゅっと空気が漏れる。


「誰が、やったの」


 答えはない。


 死の質量だけが、教室にのしかかっていた。


 三

 三時間目で授業は打ち切られた。


 慎悟は鞄を掴み、教室を飛び出した。友紀と南海が続く。


「兄ちゃん、どこ行くの」


「確認する」


「先生に見つかるよ」


「怒られるだけで済むなら、安いもんだ」


 足を止めない。あの不器用な男の死を、ただの「ニュース」で終わらせるわけにはいかない。


「……俺も行く」


 細呂木蓮(ほそろぎれん)が、音もなく横に並んだ。


「お前一人じゃ捕まる。俺がルートを塞ぐ」


 四人は渡り廊下を抜け、北校舎へ潜り込んだ。近づくにつれ、空気が粘り気を帯びる。喉の奥にへばりつく、濃厚な鉄錆の悪臭。


「止まれ。ここから先は丸見えだ」


 蓮が壁際に身を潜める。角の先には黄色い規制線。


 慎悟は警官の視線が外れた一瞬を突き、植え込みの影に滑り込んだ。


 規制線の向こうに、吉崎瑞紀が立っていた。ハンカチで口を覆い、肩を痙攣させている。


 風が吹き、鑑識課員が横にずれた。


 視界が、開いた。


 赤。


 アスファルトの凹凸が、すべて赤黒い液体で埋め尽くされている。


 その中央。踏み砕かれた銀色のフレーム。片方のレンズは粉々に砕け、もう片方は血の海に沈んでいる。


 毎朝自分たちを睨みつけていたあの視線が、ゴミのように転がっていた。


 血だまりから、体育館の駐輪場へ向かって、極太の赤い線が伸びている。巨大な肉塊を強引に引きずり込んだ跡だ。分厚い鉄のフェンスが、内側から外側へ、飴細工のように引きちぎられている。


「うっ……」


 南海が胃液をこみ上げさせた。友紀がとっさに口を塞ぎ、目を覆う。


 慎悟は目を逸らさなかった。


 これは事件ではない。「捕食」だ。


 人間には不可能だ。もっと原始的で、圧倒的な暴力の残滓がここにある。


 その時、駐輪場の奥の暗がりで、何かが揺れた。


 風ではない。


 巨大な質量が枝葉を押し退ける動きだ。


 慎悟は目を凝らす。暗緑色の奥。一瞬だけ、光が反射した。


 縦に細く割れた、金色の瞳孔。


 爬虫類の眼光。感情の温度が一切ない、純粋な飢餓の視線。


 心臓が、肋骨を突き破るほどの勢いで暴れた。全身の神経が「逃げろ」と絶叫する。


 だが、慎悟の足は前へ踏み出していた。


 フェンスに手をかけた瞬間、蓮の指が肩の肉に食い込んだ。


「行くな」


 蓮の声が、微かに震えている。


「今行けば、お前もあの血だまりの染みになるだけだ」


 正論の刃が、喉元に突きつけられる。


 慎悟は奥歯を噛み砕く勢いで食いしばった。


 行けない。力が、ない。今は、ない。


 無力感が、胃酸のように臓腑を焼く。


「……戻ろう」


 友紀が、南海の肩を抱きながら絞り出す。


 慎悟は駐輪場の奥の闇を睨みつけた。眼光はもうない。だが、あの冷たい視線の感触だけが、皮膚にこびりついている。


 日常の皮一枚隔てた裏側に、怪物がいる。


 四人は無言で来た道を引き返した。


 夕焼けが、校舎を血の色に染め上げていた。


 坂道で、慎悟は足を止めた。


 振り返る。二人の顔も、赤く照らされていた。


「……一緒に止めよう」


 静かな声だった。


「俺一人じゃ、確実に死ぬ。隣で鎖を引っ張ってくれ」


 力が欲しいわけじゃない。ただ——。


「止まりたくないんだ」


 友紀は涙を堪えて、唇を歪めた。


「引っ張るよ。首がちぎれるくらい」


「私も」


 南海が顔を上げる。


「一人で死なせたりしない」


 三つの影が、夕焼けのアスファルトで一つに重なった。


 牙もない。爪もない。何も持っていない。


 だが確実に何かが、胸の奥で沸騰し始めていた。


 四

 夜。福江市の空気は、見えない恐怖に汚染されていた。


 SNSのタイムラインが狂乱している。


『清王の教師、バラバラだったらしい』


『裏山で巨大な獣を見た』


 その狂騒の中で、一つの名前が浮上していた。


春宮勉(はるみやつとむ)


 退学処分を受け、行方不明になっていた元生徒。


 自室のベッドでスマホの光を浴びながら、南海は毛布を握りしめた。


 春宮勉。


 その名前に、南海の指先が白くなる。


 中学時代、金津美里(かなづみり)が不敵に笑いながら口にした名前だ。


『この街には第三の道があるの』


 美里の声は、あの頃と変わらず耳の奥に残っている。


『人間を辞めて、本物に喰らいつく道がね』


 正しそうに響いた。それが最も恐ろしかった。間違っているはずなのに、疲れた夜には、その声の方が正直に聞こえた。


 ——美里。


 ——あなたは、私に何を選ばせたかったの。


 窓の外。雲が月を隠す。


 完全な闇の中で、何かが蠢いている。


 南海はスマホを伏せた。画面が消える。


 暗がりの中で、彼女は眠れなかった。


 五

 深夜。


 慎悟は、ベッドから跳ね起きた。


 微かな地鳴り。


 地震ではない。巨大な質量が、アスファルトを踏み砕く規則的な振動だ。


 窓を跳ね開ける。夜の冷気が流れ込む。


 ——グオオオオオオオオオッ!!


 咆哮。


 ライオンよりも重く、狼よりも太い。大気を物理的に震わせる、王者の叫び。


 方角は東。福江市郊外の裏山。


 慎悟は胸ぐらを掴むように自分の心臓を押さえた。恐怖で破裂しそうだ。だが同時に、何かが全身の血管を駆け巡っている。


 再び、咆哮が響く。


 今度は、ただの獣の声ではなかった。


「許さない」と血を吐きながら呪詛を撒き散らすような、人間の魂の絶叫だった。


 怒りか。哀しみか。両方か。


 慎悟はガラスを叩き閉めた。


 隔てても、その呪詛は脳髄に直接響き続ける。


 ——怒りは力になる。


 ——だが、あれは救いにならない。


 わかっているのに、声は止まない。夜の中で延々と、拒絶された魂が叫んでいる。


 ふと気づく。


 部屋の中も、叫んでいる。


 声に出さずに叫んでいる。滝先生の死が、あの血だまりが、踏み砕かれた眼鏡が、ずっと胸の中で鳴り続けている。


 慎悟はゆっくりと床に足をつけた。


 明日、学校に行く。


 今日の「前」には、もう戻れない。


 窓の外、裏山の咆哮は、夜が明けるまで止まなかった。


 怪物には牙がある。爪がある。力がある。


 自分には何もない。


 それでも——。


 止まりたくないんだ。


 暗い部屋に、その言葉だけが静かに落ちた。

第三話まで読んでいただき、ありがとうございます。


正直に言うと、この回は“楽しく読む話”ではありません。

ですが、この物語にとって絶対に避けて通れない地点です。


・守る側だった大人の死

・「事件」ではなく「捕食」という現実

・そして、無力を知った上での決意


ここで初めて、主人公たちは「戦う理由」を自分で選び始めます。


次話からは、いよいよ“力”の物語が動き出します。

ただし――それは救いだけではありません。


引き続き、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ