第二章 その21 依頼のち復讐開始
スミカはその声を聞いて、仮面の人物の正体が誰なのかを理解した。
多少くぐもって聞こえてはいるが、それでも今日、何度も聞いた声だったからだ。
スミカの緊張が少し緩む。
しかし、その途端に身体中に悪寒が走った。
原因はすぐにわかった。傍らで座っているケングーが無表情でこちらを観察していたのだ。
「ふむ。奴が報告にあった、お前が会っていたという人物かね?」
「…………」
スミカは返事をしなかった。もう既に情報が届いていたとしても、ここで彼が関係者だと宣言する事はできない。
それはここまで自分を助けに来てくれた彼の足を引っ張る事になってしまうからだ。
「ふむ。沈黙は肯定と同義なのだが……まあ、どちらでも良い。アレからは強者特有の匂いがする」
今まで全く表情を変えなかったケングーの表情が醜悪な笑顔になった。
その表情の変化を見ていたスミカの背中を寒気が襲う。
やって来た仮面の人物、ジェンが自分と比べて到底敵わない程の実力があるのは知っている。
だがしかしそれでも、ここにいるケングーの強さもまたスミカは量りきれていない。
恐らく二人の実力は互角だろうと、スミカは見積もっているのだ。
だからこそ、彼女は彼の足を引っ張るような真似はしないようにと、覚悟を決めて沈黙を貫いたのである。
◇◇◇
「オイ、貴様っ! ここがヴィレー剣術道場のディンバイ支部だと知っての狼藉か?」
突如、道場へと乱入したジェンに対し、門下生の一人が怒鳴る様に言った。
周囲の男たちは自分の反応を見る為にこちらの挙動に注目しているようだと判断する。
「やっぱり正解なんだな。いや間違ってなくて良かったよ」
ごく自然に、まるで勝手知ったる我が家の廊下を歩くみたいにジェンはある一点を目指して前進を開始する。
「ちょっと通るぞ」
「え、あ……」
仮面越しに門下生の男に声をかけると、その横をすり抜けて、目的の人物の傍へと移動した。
「こら、何を勝手に――」
一瞬、ジェンの気迫に呑まれていた門下生が背後から彼の肩に対し不用意に手を伸ばした。
しかし門下生の手はあっさりと空を切り、逆に背中から倒れてしまう。
しゃがみ込んだジェンが背後から迫った門下生の足を払ったからである。
男が尻もちをついた際に鳴った、ドスンという音が道場内に響く。
だがジェンはそんな事は意にも介さず、しゃがみ込んだまま目的の相手に話しかけた。
「大丈夫かアンタ?」
「え? ……お、おい、ら?」
ジェンが話しかけた相手は暴行を受けていた地下人の男性。
やせ細っている白髪頭の男性は身体中に痣や切り傷ができている。
少し離れた場所には男性よりも歳の若そうな女性がいるが、そちらは意識を失っているのかグッタリしたまま動いていなかった。
だからジェンはまだ意識があった男性の方に声をかけたのである。
「そう、アンタだよ。大丈夫か?」
「た、助けて、くれ! こっ、このままじゃ、娘も、オイラも殺される!」
「そうか。でも俺はアンタを助けに来たわけじゃないんだ」
「へっ? そ、そりゃあ、オイラが、地下人だか――」
「違う違う」
ジェンは手を振りながら男性の言葉を遮って否定する。
「自分が地下人だからこんな目にあってるだって? そうじゃない。アンタ本心じゃあ理不尽だと思ってるんだろ? コイツらに腹が立ってムカついてるんじゃないか?」
「あ……」
「……本当はコイツらに復讐したいと、そう思ってないか?」
「あ、あぁ……」
男性の眼から涙が零れ落ちたのが見えた。
ジェンの言葉はまさしく彼が思っていた事だったのだろう。
でもそれは自分じゃあ絶対に実行できない事でもあったのだ。
「ならば依頼するか?」
ジェンは男性に向かって問いかけた。
「……依頼?」
「復讐さ。代金は十万ルーンだ」
「じゅっ、十万……!」
地下人の男性にとって、決して払えないというような額ではない。
それでも物価の上昇が激しいディンバイで親子二人が切り詰めてようやく一ヶ月暮らせるかどうかの金額。
「そ、それは……」
躊躇しかけた男性に向かってジェンは更に言葉を続ける。
「三人で合わせて十万ルーン。安いもんだろ?」
「さ、三、人?」
男性が困惑の表情に変わった。
そして何かに思い至ったのか自然ともう一人の人物の方へと目を向ける。
視線の先にいるのは見ず知らずの自分たちが虐げられている場面を目撃して、突然乱入してきたスミカだった。
彼女と地下人の男性の目が合った。
するとスミカは小さく頷き大声で高らかに宣言したのである。
「十万ルーン、例え何があろうとも必ず全額払おう! 貴殿に私たちの復讐の代行を依頼する!」
「了承した。契約に則り、復讐代行を開始する」
しゃがんでいたジェンはスッと立ち上がった。
刹那、背後で転ばされ尻もちをついたままの状態だった門下生の男の顔面に高速の蹴りが直撃する。
男の後頭部が凄まじい速度で道場の床に激突し、彼はそのまま二度と動かなかった。
「とりあえず、ここにいる全員が復讐のターゲットで良いよな?」
「構わない!」
スミカの言葉を受け、ジェンが狙ったのは倒れたままでいた門番二人。
一人の頭を思いきり蹴り飛ばしたかと思えば、もう一人の後頭部を床板ごと踏み抜いた。
「残り六人」
ここでようやくその場にいた門下生たちの意識が現実に追いついたのである。
乱入してきた仮面の人物は自分たちに対する脅威なのだと。
ジェンの傍にいた門下生二人がそれぞれ剣を抜く。
「てめっ!」
「ふざけ――」
「おせえよ」
ジェンは静かに呟きながら向かってこようとした相手の一人の顎を拳で打ち抜いた。
脳を揺らされ門下生の一人が膝から前に崩れ落ちていく。
倒れようとしている門下生の身体を強引に起こすとそのまま後方へと押し込んでやった。
丁度、他の門下生の振るった剣がその位置にあり、倒された男は首の半ばまでを切り裂かれる。
「あっ!」
仲間を手にかけ動揺したのはもう一人の門下生。
当然、ジェンがその隙を見逃すはずもない。
瞬く間もなく放たれた蹴りがその門下生の頭部に直撃する。
「ぐぉっ」
蹴りを受けた門下生はグラリと身体を揺らす。
ジェンは先に死亡した男が手放して床に落ちていた剣を軽く蹴り上げた。
すると宙を舞った剣は吸い込まれる様に彼の手中へと収まったのである。
蹴られた門下生が倒れた瞬間、ジェンは首の後ろに持っていた剣を突き刺した。
さらに視線だけで残った男たちを牽制しながら告げたのだ。
「残り四人」
ジェンの宣言を聞いて残っている門下生全員の表情が強張った。
お互いがお互いの方を向き合う。
すると何故か彼らは頷きあい、全員が一斉に移動し始めたのだ。
門下生はバラけながら狙った位置へと移動し終える。
三人はそれぞれスミカと地下人の親子に剣を向けて構えていた。
スミカに剣を向けている男が威勢よく吠える。
「ケッ、調子に乗るのもそこまでだ。コイツらの命が惜しけりゃ、暴れるのはその辺にしとけ!」
するとジェンは静かに息を吐いたと思うとボソリと全く抑揚のない声色で返事をしたのである。
「やりたきゃ好きにしろよ」
全く感情を込めることなく、はっきりと。